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殺せない殺し屋は、殺せる少女を護りたい。  作者: 暁月 愛結


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第十七話 向き合うために

 自室の天井を、ぼんやりと見上げていた。

 時計の針が、やけに大きな音を立てて時を刻んでいる。

 何もしていないのに、時間だけが無駄に過ぎていく感覚が気持ち悪かった。


「……はぁ」


 短く息を吐いて、寝返りを打つ。


 ――詩花に、決別を告げられてから数日。


 結局、一度もカフェには行けていない。


(……なんで、あんな言い方されなきゃいけなかったんだよ)


 思い出すだけで、胸の奥がムカムカする。


 優しさは凶器。

 人は裏切る。

 わたしを弱くする。


 あのときの言葉が、何度も何度も、頭の中で繰り返される。


「……っ」


 舌打ちが、自然とこぼれた。


(……いや、それよりも)


 目を閉じる。

 視界が、黒に染まった。


(なんであたし、あのまま引き下がってんだよ)


 あの日の、自分に対する苛立ちが、胸の奥からじわじわと滲んでくる。

 納得なんて、できていない。

 むしろ、引っかかりだけが棘のように残っている。


『人は、平気で裏切る生き物です』


『保身や我が身可愛さに、これまでの関係性や積み上げてきた信頼すら、簡単に切り捨てる』


『血の繋がりのある相手ですら――わたしを、平気で裏切るのに』


 その言葉が、妙に引っかかって離れない。


(……血の繋がり)


(……裏切り)


(……保身に、我が身可愛さ)


 単語がひとつずつ、形を持っていく。

 それはバラバラなようで、一本の線で繋がっている気がしてならない。

 そして――


「……家族」


 ぽつりと、口からこぼれた。

 それで全部説明がつく、とは思わない。

 けれど、あのはぐらかし続けていた彼女が、ポロリとこぼした失言だから。


(……絶対、何かある)


 あの言葉の裏に、何かがある。


(……知りたい)


 素直に、そう思った。

 どうしようもなく、強く。


「……『さようなら』、とか言いやがって」


 苦々しく呟いて、顔を顰める。

 あれで終わりにするつもりだったんだろう。

 あんな一方的なやり方で、こっちが納得なんてするはずないのに。


(……そうか)


 天井を見上げたまま、ぼんやりと思う。


(客として、行けばいいんだ)


 そんな、言い訳みたいな理由が浮かぶ。

 ただの屁理屈だって分かってる。

 それでも、身体はもう動いていた。

 いつもみたいに身支度をして、家を出る。

 歩き慣れた道を行き、見えてきたカフェ。扉に手をかけて押し開けると、カラン、と鈴が鳴った。

 その瞬間、コーヒーの香ばしい匂いがふわりと鼻を掠めた。


(……あー、これこれ)


 無意識に、少しだけ肩の力が抜ける。

 数日来ていなかっただけなのに、妙に懐かしい。


「いらっしゃいませ」


 その声に、視線を上げる。


 ――いた。


 詩花はいつもと同じように、カウンターの奥に立っていた。

 変わらない笑顔。

 変わらない声。

 変わらない立ち振る舞い。


(……変わってない)


 そう思って――


(いや、違う)


 すぐに気付く。


(……あたしを、まったく見てない)


 視線が、合わない。

 こちらを見ているようで、見ていない。

 どこか遠くを見ているその青に、開いてしまった距離感が、やけにくっきりと分かった。

 いつもの席に座ると、詩花が歩み寄ってくる。


「ご注文はお決まりですか?」


 明らかに、事務的な声だった。


「……いつもの」


「かしこまりました」


 ただ、それだけ。

 それ以上の言葉は、何もない。

 まるで、最初から何もなかったみたいに、あっさりとしたやりとりだった。


(……ほんと、勝手なやつ)


 舌打ちを呑み込んで、頬杖をつく。

 じっと、視線を詩花に向ける。けれど、やっぱり彼女は一度も、こちらを見なかった。

 意地のような気持ちで、視線を常に彼女へと向け続けて。

 しばらくすると、スイーツが運ばれてきた。

 目の前に複数枚の皿が並べられる。

 けれど――詩花はそのままカウンターの方へと戻っていった。

 いつもなら、何も言わなくても向かいに座ってきたのに。


(……来ないのかよ)


 ちら、と時計を見る。

 休憩の時間は、とっくに過ぎていた。

 それでも、来る気配はない。


「……はぁ」


 苛立ちが、じわじわと積もっていく。

 無意識に貧乏ゆすりをしてしまう。

 眉根に皺が寄る。

 そうして気付けば、手が勝手に動いていた。


 ――ピンポーン。


 店員呼び出しボタンの音が鳴る。

 店内に音が響いてすぐ、


「お待たせいたしました」


 ハンディを持った詩花がやってきた。

 ――その顔は、"店員"のそれだった。


「ご注文でしょうか?」


「……ねぇ」


 じっと、睨め上げる。


「休憩は?」


「ご注文でしょうか?」


 優絃の問いをなかったことにするように、同じ調子の言葉が返ってくる。

 それでも、優絃も引かない。


「今日は来ないの」


「……ご用がないようでしたら、失礼いたします」


 作られた笑顔のまま、詩花が踵を返そうとする。それを引き止めるように――。


「待ってって」


 咄嗟に、手が伸びた。

 パシッと、その細い手首を掴む。


(……離すかよ)


「……困ります、"お客様"」


 一線を引くようなその呼び方に、一瞬だけ息が詰まる。それでも、手は離さない。


「もう一回、ちゃんと話させてよ」


「話すことなんて、もうありません」


「あんたになくても、あたしにはある」


 振りほどこうとする彼女の力と、離すまいとする掴む力が拮抗する。

 穏やかな店内BGMだけがやけに響く。

 少しの沈黙が続いて、それから、詩花が深くため息をついた。


「……ほんと、おかしな人ですね」


「『うん』って言うまで、離さない」


「……はぁ」


 またため息をついて、呆れたように目を伏せる。


「分かりました」


「……」


 その言葉に、優絃は手の力をさらに強めた。


「了承しましたけど」


「『うん』って言ってない」


「細かすぎません?」


「やり直して」


「……もう……」


 やれやれ、と肩を落とした詩花の冷たい目が、今日初めて優絃の姿を映した。


「……うん。これでいいですか?」


「……ん、よし」


 ぱっと、手を離す。

 詩花は少しだけ手首をさすってから、またこちらに背を向けた。


「上がるまで、待っててください」


 それだけ言って、こちらの返事も待たずにまたカウンターへと戻っていく。

 その背中を見送りながら、ふっと息を吐いた。


(……一歩前進、かな)


 ほんのわずかだけ、距離が戻った気がした。

 手元のミルクコーヒーをひと口。

 コーヒーの香ばしさを包み込むミルクの甘さが、やけに染みた。

 パンケーキを食べて、ミルクコーヒーを飲んで。時間が、溶けるように過ぎていく。

 ほんのわずかに中身の残ったカップに口をつけようとした、そのときだった。


 ブブッ、とスマホが震えた。


「……?」


 伏せていたスマホの画面を見る。

 発信者はジュジュだった。

 一件の、簡素なメッセージ。


『玖我山詩花の懸賞金、また上がった』


 一行目。

 ドキリ、と心臓が跳ねて。

 その下にもう一行。


『数十億単位。完全に、狩りが始まったみたい』


「……っ」


 瞬間、喉の奥が、ひゅっと詰まった。

 指先が、わずかに冷える。


(……本格的に、やばいじゃん)


 ただのターゲットじゃない。

 そんなことは、とっくに分かっていた。

 でもこれは――


(……近々、来る)


 それだけは、はっきりと分かる。

 早いとこ、詩花との関係をどうにかしておかないと――まずいことになる。

 そんな嫌な予感が、背筋を這い上がってきた。


 その予感が、今日のうちに現実になるなんて――このときの優絃は、まだ知らなかった。

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