6 神よ単位を与え給え①
図書館追放から一夜明けた、昼休み。
私は、相変わらず上下黒ずくめのスウェット姿の花子を、半ば強引に私の自室へと連行した。
「……いい、花子。落ち着いて聞きなさい」
私は、床に正座させられた花子に、人差し指を突きつけた。
「男子にこだわる必要はないけど、沙織の言う通り、追試対策に同じ講義を受けている人に協力をお願いするのは、確かに大事よ。いい? 部員の件も重大だけど、まずは追試をクリアして単位をどうにかしなさい」
「くっ……。現世の単位という名の触媒、それを失うことは魔導師としての死を意味する……! 承知しました、美紀さん。我が友(沙織)の助言、背に腹は代えられません」
友ね……沙織が聞いたら何て言うかな……。
「はいはい。だったら、その『不審者の擬態』みたいな格好をどうにかしなさい。……それには少しは、見た目もどうにかしたほうが良いから」
私は、押し入れの奥から着ていない服をいくつか取り出し、この「田中花子」という混沌にぶち込む。
化学反応が起きるか、爆発するか。……まあ、少なくとも今よりはマシになるはずだ。
――しばらく後
「……え」
鏡の前に立った花子を見て、私は絶句した。
髪を梳かしうっすらメイクして、チェックシャツの上に淡いラベンダー色のカレッジスウェットを重ね着させ、ライトグレーのプリーツスカートを穿かせた。
想定外だった。
その田中花子は、不自然なほどに美少女だった。
少し幼さの残る、でもどこかミステリアスな雰囲気の、完璧なる女子大生。……少しはマシ、どころか、これではキャンパスの注目の的になりかねない。
「……田中、花子……?」
「ふ、ふふふ……。なんということでしょう。我が魔力の解放によって、現世の肉体がこれほどまでに……アガってきました! もう何も怖くない!」
(まて、それは死亡フラグだ)
花子は鏡の中の自分を見つめ、陶酔したような笑みを浮かべ、服と一緒に出てきたストールを手に取ると――
――バサァッ!
彼女はストールを颯爽と羽織り、マントを翻すようなポーズを決めた。
「見てください! これぞ、深淵の旅人に授けられし『暗黒のマント』! 私の魔力をさらに増幅させるのです!」
「ストールをマントみたいにするんじゃないわよ!!」
台無しだ。せっかくの美少女が、一瞬で「変なポーズでマントを翻す女子大生」へと成り下がった。
「美紀さん、この『マント』、そしてこの『衣(服)』! すっかり馴染みました! 私の新たな皮膚として、生涯使いこなしてみせましょう!」
「……気に入ったなら、その服あげても良いけど。……あと、絶対に大学ではそのマント(ストール)を羽織らないで!」
私は溜息をつき、頭を抱えた。
想定外の美少女の完成。けれど、中身は安定の田中花子だった。
◇
昼休みの終わりが近づくキャンパスに、私は「身だしなみを整えた田中花子」を連れて舞い戻った。
清潔感あふれる女子大生スタイルで五月の爽やかな風に吹かれる花子は、黙っていれば驚くほどの美少女だった。
(……すごい。辛口な沙織が、婉曲的だけど『マシになる』って褒めるだけのことはあるわね)
道行く学生たちが、一瞬、花子に目を奪われては二度見していく。特に男子学生の視線は露骨で、中には「あの子、どこの学科?」とヒソヒソ話す者までいた。
「授業終わったら見に行くから、あなたも出来るだけ大人しく自分の授業受けててよ」
「分かりました!あふれ出る魔力を私が抑えているうちに来てくださいね!くっ……静まれ……私の魔力……!」
――なんだか肩を抱えてプルプルしているが、つまり他の学生に声を掛けるのに私も一緒にいてほしいという事なんだろう。
◇
福祉情報学科の講義棟。午後の授業が終わり様子を見に行った時、美少女に変貌した花子は注目を浴びていた。
本人曰く魔力を抑えて大人しく席についているのだろう、……ややウザいドヤ顔だが。
よし、ボロが出る前に協力してくれる人を探そう。
「あの、すみません。授業のノート、少し見せてもらえたりしませんか?」
花子を連れ立って教室の学生たちに声をかけた。
男子学生も女子学生も、美少女に擬態した花子のギャップにやられ、快くノートを貸そうとしてくれる。
(やった、沙織の言う通り見た目さえ整えれば大丈夫だわ!)心の中でガッツポーズを決める。
……けれど
「ああ、感謝します、同胞よ……! あなたが授けてくれるこの『知識の栞』が、私の霊的防御を固める鍵となるでしょう。……あ、ちなみにこの記述なんですけど、当時の魔術結社の動向について、裏付けとなる『真理』の記述はありますか? ない? ……ふむ、隠蔽されているのですね、この大学の権力層によって……」
「えっ……あ、いや……普通に教科書通りだけど……」
「くくく、光あるところに影あり。あなたがた一般人には見えない『刻印』が、このノートの行間にも刻まれているはず……」
快進撃は長くは続かなかった。
ノートを貸そうとしていた学生たちの顔から、みるみるうちに笑顔が消え、引きつった表情に変わっていく。「あ、ごめん、やっぱり別の講義あるの思い出した!」「その、ちょっと予定が……!」と、一人、また一人とノートを引っ込めて逃げ出していく。
隠しきれない中二病。熱い魔術師トーク。
……その中で、一人だけ踏みとどまっている子がいた。
黒髪ロングで姫カット、紺色のパーカーを着た、小柄で少し気弱そうな女子学生。大きな瞳が印象的で、困ったように笑いながらも最後まで花子の話を聞こうとしてくれていた。
しかし、彼女の頭上には、まるで『ぼのぼの』のような大量の汗が飛んでいるのがはっきりと見えた。
(……見ていられない)
私は二人の間に割って入り、花子の襟首を掴んだ。
「もういい! ほら、行くわよ花子!」
「ああっ、美紀さん! まだ交渉という名の儀式が……!」
「強制終了よ! ……ごめんね、協力ありがとう!」
私は呆然と立ち尽くす紺色パーカーの彼女に深く頭を下げ、暴れる美少女(中身は以下略)を強引に廊下へと引きずり出した。
「……あ、ありがとうございます、の……なんとかさん! ノートを貸してくれた御恩、忘れません! 冥府の果てまでこの真名を刻んでおきます〜!」
校舎の外に引きずり出された花子は、息を切らしながら、さっきの彼女に向かって(壁越しに)ブンブンと手を振った。
「……名前すら覚えてないじゃない……」
私は深く深く溜息をついた。
無難に、ただ無難に大学生活を送りたかっただけなのに。
なぜ私は今、エロ下着を人質に取られたまま、中二病の学生証(本名:田中花子)と一緒に、図書館出禁&美少女擬態失敗&部員集めという名の地獄に突入しようとしているのだろうか。
私の胃が、今日も静かに、しかし確実に悲鳴を上げ始めた。
キャンパスのベンチで、私は手元のルーズリーフを見つめて溜息をついた。
「美紀さん、溜息ばかりついていると幸せが逃げますよ?」
おまっ……誰のせいだと思って……
花子の見た目が良いだけに感情の行き場に困る。
「……結局、私が最後まで勉強見てあげないとだめなのかなぁ」
さっきの彼女に借りたノートは完璧だけど、これを花子の脳内にインストールするには、並大抵の努力では足りない。
「おお……! なんという慈悲、なんという献身! ならば美紀さん、我が真の結界……私のアジトへご招待しましょう!」
花子が鼻息を荒くして立ち上がった。
アジト。……その響きに、私の脳裏には禍々しい髑髏のオブジェや、紫色の煙が立ち込める薄暗い魔窟が浮かび、背筋に冷たいものが走った。
「え、ちょ、ちょっと……心の準備が……」
拒否権などなかった。私はそのまま花子に手を引かれ、大学から少し離れた商店街へと連行された。
◇
「……ここです。さあ、深淵の扉を開くがいいのです!」
花子が勢いよく開けたのは、重厚な鉄の扉ではなく、年季の入った木の引き戸だった。
その上には、達筆な文字で書かれた看板。
『和食屋 たなか』
香ばしい出汁の香りと、清潔に磨き上げられた白木のカウンター。そこには魔窟の欠片もなく、どこからどう見ても、地元で愛されている至極まっとうな和食店だった。
「おっ、花子か。おかえり」
カウンターの奥から、白い帽子と調理服を着こなした、料理人の男性が顔を出した。花子のお父さんだろう。
お父さんは、花子の姿を見るなり、包丁を置いて目を丸くした。
「なんだ、今日は随分とかわいい格好してるじゃないか。いつもみたいに変な黒い服着て、ブツブツ言いながら帰ってこないから、一瞬誰だか分からなかったぞ」
その言葉に、花子は少しふくれた顔をする。
「……もう、お父さん。友達が来てるんだから、余計なこと言わないでよ」
うん、ごくごく普通の父娘という感じの会話だ。
……普通の……会……話……?
――。
――え。
「……普通に喋れるんかい!!」
私のツッコミが、店内に虚しく響き渡った。




