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5 単位と部員と②

「……というわけで、我が暗黒の拠点ベースにて、今後の戦略を策定しましょう!」

 鼻息を荒くした花子に引きずり込まれるように、私と沙織は埃っぽい部室のパイプ椅子に腰を下ろした。

 作戦会議――いや、彼女に言わせれば「軍議」らしいけれど、机の上に広げられたのは重厚な魔導書ではなく、赤点だらけのプリントと、事務局からの無慈悲な通告書だ。

「いい、花子。状況を整理するわよ」

 私は、もはや自分の『呪物』を守るためだけに、この支離滅裂な空間の主導権を握ることにした。

「まずは、あなたの補講と追試をどうにかすること。これが最優先。部員集めも定数5名必要だけど、こっちは一ヶ月の猶予があるわ。でも、部長が留年で消えたら、部員が何人いようと部室は即・没収よ。わかる?」

「くっ……。現世の教育システムという名の呪縛、これほどまでに強固とは……! 承知しました。まずは私の魔術回路(脳細胞)を再起動し、追試という名の試練を突破してみせましょう!」

 花子は悔しそうに拳を握りしめているけれど、要するに「勉強します」と言っているだけだ。

 すると、隣で腕を組んでいた沙織が、冷たい風を吹かせるような声で付け加えた。

「明日は放課後、図書館に集合ね。私が直接、あんたの壊滅的な数学を叩き直してあげるわ」

「ひっ……! 図書館という名の、静寂の監獄ですか!?」

「そうよ。……ちなみに、明日はバイトのシフトで図書館のカウンターにいるから、あんたの相手は休憩の合間を縫ってになるわ。いい、花子。くれぐれも館内でバカ騒ぎするんじゃないわよ。少しでも不審な挙動を見せたら、即座に『禁書庫』という名の事務室へ連行して、学長に直報してあげるから」

 沙織の目は笑っていなかった。

 図書館のバイトとしての権限をフル活用した、完璧なる死刑宣告だ。

「ひ、ひいぃっ! 処刑人の監視下での修練……! 殺気でページをめくる指が震えてしまいますぞっ!」

 花子はガタガタと震えながら、私の背後に隠れた。

 ……さっきまで「三正面作戦」とか「最終戦争」とか豪語していた勇姿はどこへ行ったのだろう。

「美紀さん……。明日、もし私が沙織さんの冷徹な魔眼に射抜かれて命を落としたら、私の遺志はこの部室の押し入れにある『聖遺物(エロ下着)』と共に、深淵に葬ってください……」

「縁起でもないこと言わないでよ! それに、それを真っ先に処分したいのは私なんだからね!」

 私は溜息をつき、明日の勉強道具をカバンに詰め込んだ。なぜか「留年危機の魔術師」と「図書館の処刑人」の間で、部室存続のために奔走している。

 窓の外では、不吉なほど真っ赤な夕焼けが、相模原の街を飲み込もうとしていた。

 明日の図書館勉強会――。

 それが、さらなる混沌の入り口になるとは、この時の私はまだ知る由もなかった。


 

 翌日。私たちは約束通り、大学の図書館に集まっていた。

 午後三時の館内は、試験を控えた学生たちの熱気と、ページをめくる音だけが支配する「静寂の聖域」と化している。

「……いい、花子。ここは深淵でも拠点でもない。音を立てたら即、追放よ」

 私は小声で釘を刺し、沙織が座る司書カウンターから少し離れたテーブルに陣取った。

 しかし、集中し始めて一時間が経った頃だった。

 花子が突然ペンを置き、カウンターの沙織をじっと見つめて呟いた。

「……ねえ、美紀さん。沙織さんって、感情が死んでますよね。人間として機能してるんですか?」

「ぶふっ……!」

 私は飲みかけの水を吹き出しそうになり、慌てて口を押さえた。

 花子は構わず立ち上がり、「探求者」の顔をしてカウンターへ歩み寄った。

「沙織さん! 魔術師として真実を究明します! あなたの感情は一体どこに保管されているのですか? 恋愛感情は? 喜怒哀楽は? まさかすべて封印されているのでは……!」

 沙織は作業していた手を止め、ゆっくりと顔を上げた。

 そして、柔らかい微笑みを浮かべながら言った。

「あら。私の感情がどこにあるか、そんなに気になるの?」

 花子が「おお、ついに深淵の扉が……!」と目を輝かせた、その次の瞬間——

 

 ――パァァン!!


 乾いた破裂音が図書館の静寂を粉々に砕いた。

 沙織の電光石火の平手打ちが、花子の頬に完璧にヒットしていた。

「……うるさいわよ、バカ。ここは静かにする場所だって言ったでしょ」

 微笑みを浮かべたまま、沙織の瞳だけが絶対零度の冷気を放っている。 

 頬を押さえて床に崩れ落ちる花子と、それを見て石像のように固まる私。

 司書カウンターの周辺に、それまで以上の、刺すような「沈黙」が戻ってきた。


 「――美紀、荷物をまとめて外に出なさい。即座に、一秒以内に」

 沙織は、頬を押さえて半泣きになっている花子のスウェットの襟首を掴み、文字通り「引きずりながら」言い放った。バイト中とは思えない、というかバイト中だからこそ容赦のない、冷徹極まる判断だった。

 私は「ひえっ」と短い悲鳴を上げ、散らばったノートと教科書をカバンに詰め込むと、慌てて二人の後を追った。

 図書館の入り口、自動ドアが開いた瞬間の初夏の熱気が、今の私にはむしろ救いのように感じられた。

「――っ、ど、どさっ!」

 図書館の入り口付近で、沙織は花子をゴミ袋でも捨てるかのような無造作さで放り出した。タイル張りの床に転がった花子は、涙目で沙織を見上げる。

「協力してもらう立場なのに良い度胸ね。図書館はもうアウトよ。私のシフト中に二度と姿を見せないで」

「そんなぁっ! 感情の在り処を問うのは魔術師の探求心であって……」

「黙れ。これ以上騒ぐなら、さっきのが平手じゃなくて拳になるわよ」

 沙織の瞳に宿る、実体を持った殺気に花子が「ひぃっ」と喉を鳴らして縮み上がる。

「勉強会を続けたいなら、同級生の友人にでも協力してもらう事ね」

「そんな……! 私に友人が少ないの知ってるじゃないですか! 精神の波長が合う同胞なんて、現世には数えるほどしか……!」

「そのイタイ言動が原因なんだから自業自得でしょ。……いい? 恋愛だ人間性だに興味があるなら、男子にしおらしくお願いしてみなさい。あんた、身なりを整えれば少しはマシになるんだから、案外上手くいくかもよ?」

 それは沙織なりのアドバイス(毒舌込み)だったのかもしれないが、花子はガバッと起き上がると、誇り高き敗者の如く叫んだ。

「無理です! ウチの学科、男子率が低いの知ってるじゃないですか!?」

 そうなのだ、ウチの大学はよくある理系大で男子比率が高いが、私達の学科の福祉情報科だけは例外的に女子比率が高い。人が人を呼ぶの理論で、毎年女子入学者が多い状況が続いている。

「 大体、そんな媚びを売るようなやり方は、私の黒魔術師としてのプライドが許しません!」

「なら好きにしなさい」

 沙織は一瞥もくれず、くるりと背を向けた。

「あんたたち、追試が終わるまで図書館に来るんじゃないわよ。――いいわね?」

 最後の一言には、有無を言わさぬ魔王のような圧力がこもっていた。

 図書館の主としての絶対的拒絶。


 沙織が去った後、静まり返ったエントランスで、私と花子はしばらく立ち尽くした。

「……ねえ。なんで私まで出入り禁止みたいな扱いになってるの?」

 私は、空のカバンよりも重く感じる現実に、思わず天を仰いだ。

 その時、花子が突然ガバッと起き上がり、私の両肩を掴んで真剣な顔で言った。

「美紀さん……! これはむしろ好機です! 図書館という現世の監獄から解放された今、私たちは真の戦場へ向かうべきです! 次は男子の多い学科を狙い、黒魔術の力で部員を……!」

「待って。絶対にやめて。絶対に男子に声かけるなよ?」

「ええー!? なぜです!? 私の黒魔術師としてのプライドが……!」

 花子が本気で残念そうな顔をするのを見て、私は心の底から悟った。

「まあ、沙織の言うとおり身だしなみは少し整えた方が良いかもね。明日はそこからかな……」

 無難に、ただ無難に大学生活を送りたかっただけなのに。

 なぜ私は今、エロ下着を人質に取られたまま、中二病の学生証(本名:田中花子)と一緒に、図書館すら出禁にされつつ、部員集めという名の地獄に突入しようとしているのだろうか。


 私の胃が、静かに、しかし確実に悲鳴を上げ始めた。

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