第46話 迫りくる巨影
セバスの報告を受けてから、俺はしばらく無言だった。
重い沈黙が室内に落ちる。
磨き上げられた床に射し込む午後の光が、長く伸びた影を描き、空気の温度までもわずかに下げているように感じられた。
だがそれは動揺ではない。
胸の奥に渦巻く焦燥を押し殺しながら、俺は一つ一つ、情報を分解していく。
思考の整理だ。
感情は後回し、ここからは計算の時間だ。
「……反乱軍の規模を、正確に」
低く問う。
声は自分でも驚くほど平坦だった。
侍従セバスは、髪をきっちりと整えた老練な執事の佇まま、灰色の瞳をわずかに伏せることなく即答する。
「兵力は五千二百。旧王国軍の残党が核。貴族層は三割が協力を表明。武器と資金は、クレセント領の物流の隙を突き、既に各地へ分散配置済みです」
五千二百という数字が脳裏に刻まれる。
決して小さくはない。だが帝国軍の規模を考えれば、正面衝突で勝てる兵数でもない。つまり――奇襲と混乱が前提。
「蜂起地点は」
「旧王都周辺。帝国駐屯軍の補給線を断ち、同時に各地で騒乱を誘発する計画です」
一度だけ頷く。
ゆっくりと、確かめるように。
情報は十分だ。これ以上の説明は不要。
足りないのは詳細ではなく、未来予測の精度。俺は椅子に深く腰掛け、背もたれに体重を預けながら静かに天井を見上げた。視界の外で、時計の針が規則正しく時を刻んでいる。
(状況整理)
まず一つ。
ジャガーは古代ゴーレムを投入する可能性が高い。
銀髪短髪、猛禽類のような金色の瞳を持つあの男は、常に“最大効率”を選ぶ。
古代ゴーレム――単独で城壁を粉砕し、魔法を吸収する対軍用兵器。
投入されれば、街は「戦場」ではなく「瓦礫」になる。逃げ場も、士気も、象徴も、すべてを奪う破壊。
二つ。
反乱が起きれば、このクレセントも無関係ではいられない。
帝国は見せしめを行う。
疑わしい街は焼く。王子潜伏の可能性がある場所など、真っ先に潰す。リゼルド帝国は、恐怖で統治する国家だ。合理の名のもとに、徹底的に。
三つ。
最悪のケース。
反乱蜂起とゴーレム投入が、同時に起きた場合。
――街は灰になる。
アリア。
赤髪にルビーレッドの瞳を持つSランク剣聖。
ルナ。
青髪と紫の瞳を宿すSランク大賢者。
フィーナ。
プラチナブロンドと碧眼のSランク聖女。
あの三人は間違いなく最前線に立つ。
守るために、迷わず。
自分を削ることを厭わず。
そして、俺の正体が露見する可能性は跳ね上がる。
(これは偶発じゃない)
胸の奥で、冷たい確信が形を成す。
ジャガーは優秀だ。
反乱の兆しを掴んでいるなら、蜂起の直前にゴーレムを投入する。混乱を最大化するために。民の恐怖を煽り、反乱軍の士気を削り、象徴を叩き潰すために。
つまり。
「……この町を狙うな」
無意識に漏れた呟きに、セバスが目を細める。
灰色の瞳が、静かにこちらを測る。
「王子?」
「帝国は反乱の芽を摘むために動く。ならば蜂起の前後で拠点となるこの街を制圧する。ゴーレムはそのために使うだろう」
街を壊せば、民は怯える。
反乱軍は士気を失う。
王子は“守れなかった象徴”になる。
最悪だ。
だが、だからこそ読める。
「……王子。いかがなさいますか」
静かな問い。圧はない。だが、重い。
俺の選択が、この街の未来を左右することを、彼は理解している。
俺は目を閉じる。
必要なのは戦力ではない。
Sランク三人は既に規格外だ。
俺が前線に出れば、勝率は上がる。
だが同時に、正体露見のリスクも跳ね上がる。
ルキーユ・ルド・アルトリアとしての名が暴かれれば、このクレセントも、平穏から遠ざかる。
ならば。
必要なのは、戦力ではない。
「絶対的な安全圏だ」
言葉にした瞬間、思考が一本の線で繋がった。
セバスがわずかに息を呑む気配がする。
「街が焼けても、生き残れる場所。ゴーレムが暴れても届かない領域。……俺たちだけの拠点がいる」
それは、地下。
この辺境は古代遺跡の上に築かれている可能性が高い。土の流れが不自然に歪んでいる地点がいくつもある。俺の《土魔法》が微細な違和を拾っている。帝国が掘り当てられるなら、俺にも見つけられる。むしろ、俺の方が早い。
「……王子、お一人で動かれるおつもりですか」
「当然だ。これは“日常維持”のための保険だ」
反乱を止める?
帝国を潰す?
違う。
俺の目的は一貫している。フェルゼン王国の片隅、クレセント辺境伯領のこの町で、レベル1ポーターとして穏やかに暮らすこと。それだけだ。
そのために。
まずは逃げ場を作る。
「セバス。蜂起はまだ行うな。絶対にだ」
視線を合わせる。
命令ではなく、確認。
「御意」
即答。
迷いはない。
俺は立ち上がる。椅子が静かに軋み、決意の音のように響いた。やることは決まった。戦う前に、避難場所を用意する。勝つためではない。生き残るために。
俺は静かに決意した。
この街の地下に――
俺だけの安全圏を築く。




