兄と妹。
黎明。
ルークはなるべく足音を抑えながら蔵へ入った。
檻の中に居る我儘姫は意外にも起きていて、きつく睨みつけてきた。
「絶対に赦しませんわ……!」
「反省はしたの?」
「必要ありません!早く此処から出しなさい!」
「出したらおれを処刑するでしょう?」
「謝罪さえあれば見逃してあげましょう。私を裏切るなんて信じられませんわ」
「……本当に、裏切られないって思ってたんだ?」
「貴方は私に恩義がある筈です。それを仇で返すと言うのですか?」
「……いつか、変わると思ってた。でも……あんたはずっとそのままだ。権力と美貌さえ無ければあんたは何も出来ない、誰にも相手にされないただの普通の人間だ」
「だから?生まれ持ったものをどう使おうが私の勝手です。それに、今までだって私に従っていたじゃない。騎士達も、文句があるなら申せば良いだけのこと」
「それが出来ないから今日まで言う事聞いてたんだろ。歯向かった時点で処刑は免れない。いいご身分だよな……。気に入らなかったら捨てれば良いんだから。王女様様だ」
「ルーク!いい加減にしなさい。私を罵倒して、偉くなったつもりですか?所詮はただの騎士に過ぎない貴方が、私に楯突く時点で愚かなのですよ」
「おれは……!」
ビリッと空気が震え、キャロライナもビクッと肩を揺らした。
「……おれは……出逢った時のキャロライナ様が一番好きだった……。物乞いしてるおれを貴方は見捨てなかった……。あの時……渡してくれたパンの味は今でも覚えてる。おれを騎士として迎え入れてくれた時の言葉も全部、覚えてる……!あんなに優しくしてくれたのは貴方が初めてで、この先も後も無いんだよ。だからおれは貴方に一生仕えると誓った。この身を賭してでも守り切ると……。でも……」
ルークは力なく膝から崩れ、床に座り込んだ。
「貴方は成長する度に性格は歪んでいった。そういう年頃なんだろうって、いつか落ち着くだろうってずっとそう信じてた……。なのに、貴方は変わらなかった……」
「……い、今更思い出話ですか……?」
「己の惨めさを痛感して性格を省みてどこかで正してくれるって……だからおれはずっと貴方の側で仕えてきた。どんなに嫌な仕打ちをされても文句も言わずに耐えてきたんだ」
「……まるで、私だけが悪者みたいな言い方ですね……」
「なんで……本当は優しいのに、酷い事ばかりするの……?あの子の国だって壊さなくても良かったはずだ……」
「ルーク。貴方の考えが平等だと思わないで下さい。それは、貴方のただの願望で私の目指すものじゃない。貴方の理想を私に重ねないで。吐き気がする」
ずっと慕っていた人から冷たい言葉を受け、ルークは初めて絶望という感情を知った。
どんなに見下されても、邪魔だと足蹴にされても、希望はあった。それなのに、今はもうそんなものは幻想に過ぎない。
何を夢見ていたのか、何を期待していたのか。
もっと早く気付ければ良かった。
キャロライナは何も変わらないし、変わろうともしない。
たった一度受けた恩だけで、今日まで側に居た。
きっと、願いは叶って誰からも慕われる姫になるのだと。
最後まで信じていたかった。
なのに。
こんなにも、愚かなのかとつくづく馬鹿馬鹿しい。
「ルーク……?」
泣いているのか笑っているのか解らない息遣いが響く。
「だったら、堕ちる所まで堕ちてやるよ」
「えっ」
スッと立ち上がり、ルークは檻の鍵を外した。
「あの、ルーク……」
彼の行動に戸惑っている姫の腕を掴み、ルークはそのまま立たせて口付けをした。
突然の事で理解に遅れた彼女は思わず受け入れてしまった。
「……ルーク……なにを……?」
「嫌ならおれを叩けば良い。気が晴れないならおれを蹴れば良い。あんたに理想はもう抱かない。だから、これからはあんたの隣で好き勝手にやらせてもらう」
「……い、今までと何が違うのですか…?」
「見てれば解るよ。さっきのキスは許容でいいの?」
「……驚いてしまっただけです」
「そう」
「ルーク。ロキ様は?」
「案内するよ」
手を差し出すとキャロライナは自然とその手を掴んだ。
処置室でロキの様子を見ていたティタはその気配に気付いた。
もう朝なのかと窓を見ると陽光が射し込んでいた。
ロキはまだ目覚めない。
「見張りがいたとは、厄介」
入ってきたルークとキャロライナにティタは何故?という表情を浮かべた。
「キャロライナ様。ロキのケアは治癒能力者が行ったので問題ありません」
「そう。傷一つ残っていないのですね」
ロキが眠っている事にキャロライナは安堵の笑みを見せた。
「……何用だ?」
「ロキ様に会いに来たんです」
「お前は投獄された筈だろう?」
「ただの一興ですわ。ねぇ?ルーク」
「あぁ。騙すなら味方からって言うからな」
「あれは演技か?」
「さぁ?そう見えたなら好都合だ」
敵意のある視線を向けられ、ティタは戦闘態勢になった。
「あんたを倒してロキを連れて行く」
「それは此方の台詞なんだがな」
「キャロライナ様。こいつは天使族ですが、殺しますか?」
「生け捕りで結構です。貴重な天使族を殺すのは勿体無いですからね」
「了解」
ルークも剣を抜き、構えの態勢になる。
「可哀想に。生け捕りにされたらあんたはキャロライナ様の玩具行きだ」
呟いた瞬間、ルークの姿が消え、その一瞬の隙を突かれた。
背後を取られてしまったら出方も変わってくる。
ティタはフィンの様に体術は好まない。
「下手に傷を負わせたくない。今は状況に従って欲しい」
キャロライナには聴こえない位の小声で囁かれた。
こいつは誰の味方なんだと疑問を抱きながらティタは両手を挙げた。痛いのも体力を削がれるのも嫌だ。
「……天使族ってのは、素直で良い子が多いんだな」
予期せぬ激痛が背中に走った。
切られてしまった。それも思いっきり。
この程度では死には至らないが、痛みに耐えるのはとても苦痛だ。況してや見えない箇所を攻撃されるのはもっと嫌だ。
「キャロライナ様は先に部屋へ……」
「ルーク!」
ティタは激痛に耐えながら翔ぶ速さでロキを奪取し、そのまま部屋から出て行った。
天使族には羽根を持つ者もいるが、持たずとも翔べる者もいる。
けれど、それ程遠くへは行けない。
目の前が眩んだ瞬間にバランスを崩し、窓から落ちてしまった。
ロキを抱きながら背中で地面を受け止めたので更なる激痛に見舞われた。
流石に痛い。だが、ロキを奪われる事の方が痛みは倍だ。
ガシャンと言う音とバタバタと忙しない足音で、エフレシア達も目を覚ました。
何事かと辺りを見渡すと、ニコが剣に手を当てた状態で扉の外を窺っている様だった。
「外で何か騒いでいる。カラン、私達も向かうか?」
「そうだね」
「私達も行こう」
外へ出ると、キャロライナとルークの姿が見えた。
何で二人が一緒に居るのかは知らない。
それに、見慣れた人物がもう一人。
背に二つの刀を備え、異彩を放っている大柄な男。
そいつを見た瞬間、仲間の死が脳裏を過った。
「……っ、あっ……」
エフレシアは動けなくなり、過呼吸を起こした。
定まらない。
記憶のフラッシュバックと酸欠で目眩すら起こしている。
「ゆっくり。ちゃんと息吸って……吐いて……」
彼女の背中を擦りながらカランが声を掛ける。
疑問が多過ぎる。何故?なんで?どうして?
何から聞けばいい?
言われたままに呼吸を整えると頭がスーッとした。
「………もう、大丈夫」
「本当?目眩とか平気?」
「うん……。有難う、カラン」
視界が定まると漸く事態の把握が出来る様になってきた。
眼前には、確か「ゼウス」と呼ばれていた大柄な男がロキを腕に抱いていた。
そして。
ゼウスの前にはキャロライナと、血塗れ状態のティタを足蹴にしているルークの姿。
「キャロライナ様。あの子は貴方の大嫌いなエフレシアです。あれが本来の姿だと本人は言い放っています」
「まぁ。私を騙したんですね」
何をサラっと暴露しているんだと苛立ちもあったが、何よりもティタが心配だ。尋常ではない出血量は目に毒である。
すぐにでもルークをぶっ飛ばして助けに行きたかったがフィンが動揺していなかったのでエフレシアも様子見とした。
「キャロライナ様。これはどういう状況なのか、ご説明をお願い出来ますでしょうか?」
思った程、声は震えなかった。
正体がバレてしまっては此方も堂々と面と向かってやる。
「この忌まわしい天使族がロキ様を連れて逃げ出そうとしたのです。なので、ルークに背中を切られ、この有様ですわ」
「……そうですか」
「ルークが貴方達に寝返ったのだと信じたのですか?」
「……違うんですか?」
「あっさり騙されて、本当に莫迦な子」
今まで何度も向けられてきた嘲笑と蔑み。
まだ、キャロライナの事は怖い。あれだけ惨めな思いをさせられてきてビビらない方がおかしい。
「良いですか?ロキ様と私の婚約を認めなさい。妹の貴方なら、兄の幸せを願うのは当然のこと。国を滅ぼされた恨みなら幾らでも受け止めますわ」
随分と上機嫌だこと。
大好きなロキが手中にあるから、高みから見下ろしている。
「エフレシア……」
「大丈夫です、団長さん」
心配する団長を制し、エフレシアは一人でキャロライナと対面する。
「今更、貴方様に恨みを吐いた所で国は戻らない。騎士達も、もう何処にも居ない。だから、そんな婚約なんて認めはしない」
「……困りましたね。妹の貴方から許可が貰えないとロキ様も安心なさらないでしょう……。仕方ありませんわ」
キャロライナは溜息をつきながら、注射器の様なものを胸の谷間から取り出した。
なんてものをしまっているんだと呆れていると、彼女は何の躊躇いもなくロキの腕にその注射器を刺した。何かを注入している。
「何をしているんだ!」
団長が叫ぶ。
仲間に危害が及ぶ様な事は見逃せない。
「ただのリキッドです。これ位では死には至りませんが、貴方が認めるまでロキ様に打っていきますわ」
「そんな事をしたら死ぬぞ」
「……あら。大好きなお兄ちゃんを死なせる程、妹の貴方は愚かではないでしょう?」
嫌な笑みだ。
確かに、ロキは何の反応もしていない。ただ、今は眠っているだけのようだ。
「……本当に、お兄ちゃんが婚約したいと?」
「本当です。態々婚約破棄の撤回までしてくれて、私の足まで舐めて懇願なさったんですよ。その誠意を無駄にするんですか?」
「誠意?」
大凡、キャロライナがそういう状況に持ち込んだに違いない。
自己犠牲も厭わない優しい人間だ。
そんな大層な人間を安々と手放す訳にはいかない。
「まだお認めにならないのですか?では、もう一本打っていきましょう」
「待っ…!」
団長が止めようとした時、エフレシアが薄い笑みを漏らした。
「……何故、笑っているのですか?」
「いや……もう、どうでも良いかなって」
これ以上無い位の満面の笑みをキャロライナに向ける。
「どうでも良いって……」
「貴方の好きな様にしたら良いですよ、キャロライナ様」
「……な、何を言っているか解っているのですか…?」
「お兄ちゃんを死なせたら、あたしが貴方を殺します」
「……は?」
「殺される覚悟はありますか?」
にこやかに問われ、キャロライナは一瞬、怯んでしまった。
「貴方……頭可笑しいですわ!大好きなお兄様を見殺しにすると言うのですか?」
「そうだよ。だって、その人はあたしのお兄ちゃんじゃないから」
突然の告白。
ぽかん、とハテナマークを浮かべなかったのは団長だけ。
エフレシアの全てを知っている彼だけは微動だにしなかった。
「……ひ、姫ちゃん……?何を言っているの?」
フィンも困惑しながら彼女に聞く。
「そのままの意味だよ」
「……それって……まさか、本当は兄妹の一線を越えているの?」
「あぁ……いや……そういう関係は無いよ。でも否定もしにくいかな」
「どういう意味ですか?説明しなさい!」
語尾に苛立ちを感じた。
キャロライナもルークも何のことだが解らず、エフレシアの言葉を待っている。
「説明ねぇ……。いい加減、狸寝入りはやめたらどう?」
その言葉はロキに向けられたものだと誰もが感じた。
キャロライナがロキに視線を向けると、彼は口元に笑みを浮かべた。
「…ロキ様?」
パコン、と可愛らしい音とともにロキを抱えていたゼウスの姿が消えた。
解放されたロキはスッと両足で着地し、足元にあった黒い棺の上に足を乗せた。黒い棺には頑丈な鎖が巻かれており、正面の所に南京錠がくっついていた。
「えっ……ゼウスは……?」
辺りを探しても巨漢の姿は無く、キャロライナとルークは狼狽えている。
「この棺の中に隠した」
ガン、とロキが足で棺を叩きながら答えた。
「ロキ様……」
「悪いね、キャロライナ。おれにリキッドは効かない」
「……貴方……ロキ様ですか?」
「そうだよ」
見慣れた優しい笑みにキャロライナは更に戸惑う。
今までの雰囲気と何ら変わった所は無いのに、何故か違和感が彼女に付き纏った。
「ゼウスはこの棺の中にいる。中から自力で出る事は出来ない。おれが許した時だけ鍵は開く」
「……その能力は……」
「あんまり能力は使いたくないんだ」
穏やかな声色でキャロライナに近付いていく。
ルークは様子見か、冷静さを保っている。
「ごめんね」
キャロライナの髪に触れながら耳元で囁く。
その謝罪の意味をキャロライナは理解したくはない。
「どうして……」
「キミが今までどんな行いをしてきたのか、省みて欲しかったんだけど……。おれを手に入れたら、貴方はもっとつけ上がる。だから、貴方のものにはならない」
「………また、婚約破棄をすると言うのですか……?どんな思いで貴方を慕っていたかお解かりですか!私はずっと……ロキ様と一緒になれればそれだけで良かった……」
「でも貴方は、エフレシアに多大な被害を与えた。忘れた訳ではないでしょう?何度、貴方に虐められてきたか、何度傷付いてきたか、貴方もその身に刻めばいい」
「……酷い事をしてきた事は謝ります……!ですから……ロキ様……」
「そうやって、お願いする人達を叩き潰してきたんだろう?気に入らなければ国ごと焼けば良いと思ってる」
「……わ、私を侮辱してきたから仕方なくやったことです!」
「それで奪われた命がいくつあると思う?貴方には想像も付かないでしょう?理不尽に住む場所を奪われて食べる事すら命懸けで身体がおかしくても誰も手なんか差し伸べてくれない。そんな経験、貴方はお持ちで?」
「……ロキ様……」
責め立てる彼にキャロライナは圧されている。
「謝罪する気があるなら、それ相応の態度を見せて貰わないとね」
「待って……」
「ロキ!」
怯えるキャロライナの前にルークが立ち塞いだ。
「……なに?」
「さっきの、兄妹じゃないって説明をして欲しい。その後でキャロライナ様の処分を」
「……解った」
ロキはエフレシアとアイコンタクトを取る。
「もう、2000年以上もこの関係を続けてきたから本当の兄妹みたいだと錯覚してしまいそうだった」
「……2000年.......?」
「おれとエフレシアは、血は繋がってない。都合が良かったから今まで兄妹として生きてきたんだ」
団長以外の者は皆、同じ様な表情を浮かべた。
驚愕混じりの戸惑いと困惑。
「お陰でお前らを欺けた。最後まで気付かなかったもんなぁ?キャロライナ」
「……嘘……!そんなのデタラメに決まっ」
「事実だって言ってんだよ。エフレシアにはおれよりも相応しい本当の兄貴がいる」
「…えっ……」
エフレシアはそっと距離を縮め、膝立ちして頭を垂れた。
「今までのご無礼、どうかお許し下さい」
「……楽しかったよ、エフレシア」
皆の視線が一斉に彼に注がれた。
「光栄です。ククルお兄様」




