治癒
バシッ、と鞭が撓る。
飛び散る紅い雫は地面を染めていた。
何度も何度も身体を打たれ、先程の傷もまだ癒えていないのに更に痛みが重なる。
何処かの地下牢へと連行されたイウラは少年達から拷問に遭っていた。身体に巻き付けられた鎖は外されたが自由の身も呆気なく、今度は天井から吊るされた手錠に両手を繋がれ、両足には重りが付けられ自力ではどうやっても逃げるのは不利な状態にされてしまった。
「もっと強くやらないと死なないよ!」
「やってるよ!」
「肌が抉れる位やれって言われてるでしょ!」
「ムチなんてこんなもんだよ」
まだ声変わりもしていない少年達だ。武器の扱いすらろくでもないだろうに、武器を手にする事に何の躊躇いも感じていない。どれだけイウラを痛ぶっても先に息が上がるのは少年達の方だ。 交代で拷問を続けているが体力が足りずにふらふらになっている。
「まだ来ないの?」
「もうすぐ来てくれるよ」
一つ一つの痛みが加算されてその痛みに反応するのも疲れ果ててしまった。
天使族と同様、魔族も身体を貫かれた位では死なない。頑丈というより寿命がたんまりあるので死にかけてもすぐに生き返る造りになっている。受けた痛みは感じるが治るのも早い。少年達がいくら鞭を振ろうがダメージ的には低レベルだ。
「一一一ルドル様!」
足音すら聞こえなかった。
いつの間にか少年達の中に居てその名が耳に届くまで存在を認識出来なかった。
「魔族か」
騎士の様な格好をした男は流す様な視線でイウラを見た。
「こんなやり方では生温い。腕の一本でも切り落とさなければ痛みなど解らないだろう」
とても冷たい声で彼は囁く。
「此処にいる子達は先日魔族に家族を奪われた者達だ。お前ら魔族に恨みを持っている」
「あぁ、そう……。だから?」
「殺されても文句は言えない」
「生憎、魔族は死なないんでね」
「そうか」
男は少年達から鞭を受け取り、靭やかに振るった。
一一一瞬間、イウラの身体から血飛沫が舞った。
「……っ、かはっ……」
「死なないなら死ぬまで拷問するだけだ」
先程の少年達から受けるダメージとはまるで別物だった。
鞭なのに硬い刃物で身体を切り刻まれる感触。痛みよりも痺れの方に支配され、呼吸が荒くなる。
「魔族と言えど身体の造りは人間と似たようなものだろう。心臓を貫けば死ねるなぁ?」
「……あまり、調子に乗らない方がいいと思うよ」
「黙れ。お前ら魔族が存在しているから憎しみが生まれるんだ。何故何の罪もない人間が殺されないといけないんだ。お前らの都合で人間が存在している訳では無い」
「……そう。好きにしなよ」
粗方拷問すれば気も済むだろう。
そんな甘い考えを抱いたのが悪夢の始まりだった。
遠くから足音が聞こえた。
すぐにラピス達だと分かった。この地下牢には見張りは居なかった筈だ。居ても打ちのめされるだけだけど。
「考え事か?随分と余裕なんだな」
もう何度も鞭を喰らい、身体からの出血も治まらない程に衰弱しているイウラを眺めながら男は呟いた。
「痛いだろう?苦しいだろう?だがすぐには殺さない。たっぷりと憎しみを味わってもらおう」
バシッ、と傷口に鞭が当たる。大抵の痛みなら耐えればいいだけだ。けれど彼の振るう鞭には激痛と痺れが伴っている。鎖で束縛されているからなんとか立っていられるだけでこれが外れたら倒れただけで気絶してしまうかもしれない。
「口数が減ったな」
側に居た少年達は見るも無惨なイウラの姿に目も当てられないようで隅で固まっている。
男は鞭を下げたのと同時にイウラの腹部に蹴りを喰らわせた。鳩尾に入り、イウラは一瞬、呼吸が止まった。
「魔族のクセに無様じゃないか。少し楽にしてやろう」
意識が朦朧としている中、両手の鎖が外されその弾みで力が抜けたように身体が倒れた。案の定、立とうとしても力が入らず何も出来ない。
「しゃぶれ」
突如目の前が真っ暗になり、口の中に歪なモノが入ってきた。髪を掴まれ息が苦しくなる。喉の奥に当たっているのが気持ち悪い。今にも吐いてしまいそうだ。
「下手くそ」
「……っ、げほっ……」
パッと髪も口も離され、イウラは嗚咽した。吐瀉物なんて出ないが出したい気持ちでいっぱいだった。
「手伝ってやろう」
ガンッと思い切り頭の上から踏み潰され、顔が地面にめり込んだ。もう何の痛みなのかも分からない。いくら死なないからと言っても意識のある中で痛みに耐え続けるのは流石に厳しい。かといって反撃する気力も無い。血を出し過ぎて貧血気味なのと脳が揺らいでいるから思考が定まらない。
イウラが大人しいので男はまた髪を掴み、顔を上げさせた。
「可哀想になぁ。魔族に生まれただけで憎まれ役だ。同情するよ。せめて人間に生まれてたら幸せだっただろうなぁ」
見下す男は大層愉しそうだ。これはもう自分に酔っている。悪を成敗している自分をヒーロー気取りと勘違いしているのだ。
「……あんたは、そんな人間になって残念だったね」
「……なんだと?」
睨む男の顔もよく見えない。流れてくる血が目に入り、視界が真っ赤に染まっている。
「自分が正義だって振り翳すのはやめた方が良い……」
「魔族の分際で何をほざいてるんだ。私は正しい事をしている」
「……でもその子達は怯えてるよ」
「お前の醜い姿に、だろう?その肌の色も眼の色も悍ましい。殺したくなる」
「一一一お前が死ね」
耳元で囁かれ、男の身動きが止まった。
背後に感じる殺気に男はみるみる内に真っ青になり、振り向く事も出来ない。指先すら動かせず息が乱れていく。
「イウラからその穢い手を離せ」
声色は冷静でどちらかというと優しげな感じがする。男はわなわなしながらイウラから手を離した。
「先程までの威勢はどうした?」
イウラからの視線では男の背後が見えない。もう視界も定まらずこのまま眠ってしまいたい。
「こんなになるまで痛めつけて、人間の所業とは思えませんね」
ふわっと身体が浮き、温かさを感じた。ぼやける視界に映ったのは仲間の姿だった。
「どうしますか?」
「殺そう。生きていても害になるだけだ」
「……っ、ま、待ってくれ……!」
やっとの思いで出した男の声は裏返った。恐怖で何もかも思い通りにならないのだろう。身体は硬直し、呼吸の仕方も曖昧だ。
「私はこの国の騎士団長だ……。殺したら国が黙ってない……」
「そうか」
「それに……先に手を出してきたのは魔族の方だ……。やり返して何が悪い……」
「イウラがやった訳じゃないだろう?」
「魔族は魔族だ……!薄汚い存在を放置しておく訳にはいかない」
「……そうだな」
男は一瞬の隙を見逃さず、強張る身体を無理矢理動かし、背後にいた人間と対面した。
「……なんだ……。まだガキじゃないか……」
青年の姿を見て男は安堵したかのように嘲笑した。
「私はこの国で一番強い。国を守る義務もある。国に害をなすような者は許さない」
「イウラが直接お前に何かしたのか?」
「……いや?される前に拷問に掛けたからな」
「それが正義か?」
「そうだ!犠牲が出る前に駆除をするのが当然だろう」
「……酷い言い分ですね」
ラピスが冷たい視線を向けながら呟く。
「貴方に拷問されてもイウラはやり返さなかったのでしょう?何もしていないのに同族の罪を擦り付けられて痛ぶられてそれでも抵抗の一つもしなかったのでしょう?それなのに貴方は何の躊躇いもなく拷問出来るんですね。いくら騎士団長だからってやり過ぎではないのですか?」
「国を守る為だ。多くの犠牲が出てからでは遅い」
「間違っていたとしてもですか?」
「私は騎士団長としての正義を通すまで。元々、魔族に生まれたそいつが悪いんだろう。卑しい存在だ」
「黙れ!」
叫んだ声と同時に男の首元に剣先が突き付けられていた。
動作も音も何一つわからなかった。眼前の青年は静かな目で男を見据えている。
「それ以上無駄話をするなら、喉を切り裂く。痛いのは嫌だろう」
「……ガキが……。やれるものならや」
躊躇いも容赦もない。
宙に舞った血飛沫が美しい。
青年はそのまま剣を握りしめ、男の喉を貫いた。
「……ぁ……がっ……」
「言いたい事があるならはっきり言え。聞いてやる」
男はもがきながら何かを発していたが言葉としては聞き取れなかった。
「安心しろ。ちゃんと楽にしてやるから」
男の喉に突き刺した剣を抜き、そのまま心臓を一突きした。男は見るも無惨な姿で床に腰をついた。
「子ども達はどうしますか?」
「始末する」
「なら私が……」
「お前は先に戻って……」
「アクト……」
怯える少年達に剣を向けようとした青年をイウラが呼び止めた。
「イウラ……どうした?」
「……その子達は何もしてないから……。手に掛ける事ない……」
「庇うのか?」
「違うよ……。ほんとに大丈夫だから……。早く帰ろう」
「……解った」
イウラの意思を汲み取り、青年は剣を収めた。
宿に戻ると先に休んでいたメルヴィアが青年達を出迎えた。
青年が取ってくれた宿は結構広々とした部屋で寛げる。
「酷い怪我だ」
「大丈夫だよ……。明日には治ってるから」
下手な手当はせず、イウラはゆっくりと座った。
「メルヴィアこそ、具合はもういいの?」
「あぁ……。毒気にやられた……」
「あの斧に塗られてたんですね……」
「ごめんね、メルヴィア。オレの所為で……」
「イウラは何も悪くない。謝る事無いよ」
「でも……オレと居るとまた危害が及ぶ……。この先も誰かが傷つくならオレは……」
一番言葉にしたくない事を吐いてしまいそうになった。
魔族は集団で襲ったりはするが仲間意識は高くない。我儘な者が多く感情も薄いのでイウラみたいに他の種族と旅をしている魔族は滅多にいない。
「仲間の為に傷付くのは悪いことか?」
イウラに水を手渡しながら青年が言った。
「だって……オレと関わらなかったら怪我なんかしない……」
「イウラの事が大切だから、傷も厭わない。一緒にいたいから側に居るんだよ」
「……アクト……」
「何も責任なんて感じなくていい。自由に生きて良いんだ」
青年の想いにイウラは涙を零した。彼らはイウラの事を魔族として見ていない。仲間として存在を認めてくれている。
「……ありがとう」
皆の想いに泣きながら礼を言った。
「一一一なぁ、思ったんだけど。イウラも人間の姿になれたりしないの?」
ほんわかな空気にメルヴィアがふと呟いた。
「天使族は成れますけど……」
「出来るよ」
その返答に皆が驚いた表情を向けた。
「いや……人間の姿になるのは可能だよ。でも……そんなことしたらそれこそ人間を騙してるみたいで気が引けたんだ……」
「……そうですね……。ですが、悪事を働く訳では無いので良いんじゃないですか」
「オレとラピスもその方が行動しやすいだろ」
「目立つのもよくありませんからね……」
「……解った。外に出る時は人間の姿になるよ」
彼らの話を青年は静かに見守っていた。
「人間の姿なら温泉にも行けますね」
「温泉があるの?」
「この宿の売りだそうです。観光客も多いらしくて」
「じゃあ、夜に行ってみる?」
「そうですね!楽しみです」
嬉しそうにはしゃぐラピスを他所にメルヴィアは浮かない表情をしていた。
「……どうした?」
それに気付いた青年がそっと声を掛ける。
「……オレは……行かない」
「温泉、嫌いですか?メルヴィア」
「違う……そうじゃない……」
「あぁ、まだ傷が痛むとか?」
「……嫌なんだよ……。は、裸……見られるの……」
消え入りそうな声でメルヴィアは吐露した。
天使刈りの後、散々な目に遭い、そのどれもが卑しい記憶でしかない。天使族という美しい容姿に手を出さない者は居なかった。
「……思い出したくもない……」
「一一一随分と、脆くなりましたね」
溜息混じりに発したのはラピスだ。
「天界に居た頃の貴方は、強くて誇らしかったのに」
「……お前だって、嫌な目に遭ったんだろ?」
「殺してしまえばその記憶も無かった事になります」
やけにサラッと言うラピスにメルヴィアはイラッとした。
「簡単に人を殺せる程、オレは弱くない」
「なら堂々としていて下さい!いつまで落ち溢れているつもりですか。貴方の目の前に居るのは卑しい人間達じゃない。誰も貴方を卑下しない。救われた恩は沢山あるんですよ、メルヴィア」
ラピスの柔らかな笑みに懐かしさを感じた。
天界がどれ程幸せな場所であったか今では遠い記憶のようだ。
「嫌な記憶は塗り替えましょう。それに、夜の遅い時間ならそんなに人もいないみたいです」
「……そうなのか……」
「折角またこうして出逢えたんです。楽しい旅にしたいじゃないですか」
今度は無邪気に笑う彼にメルヴィアも口元を緩めた。
「……そう、だな……。一緒に行くよ」
「決まりですね!」
ラピスは流れを窺っていた青年にウィンクしながら喜んだ。




