番外編・勇者の特別授業
「追わないでね勇者。私を一人にさせて」
悲しげな、小さな声でそう告げると
翼をはためかせ、空へ飛び立とうと火竜が身体を浮かべ…
…勇者が長い尻尾の先をがっちりと両手で掴んでいたので飛べず、ジタバタと地面すれすれで暴れることになる。
「離して勇者!私は一人になりたいの!」
「今日こそ水浴びをしてもらいます」
「お水嫌い!は~な~せ~」
身をよじり、バッサバッサと翼で風を巻き起こして抵抗するも、勇者はピクリとも動かない。
「大丈夫です。あちらにとても景色のよい岩場を見つけましたので、きっと火竜も気に入りますよ」
振り返らなくても、勇者の目が笑ってない。怒っているとわかったが、嫌なものは嫌だ。
わがままドラゴンは常日頃、
水浴び嫌い~雨が降ったらお空散歩すればいいも~ん。などと言っていつも水浴びから逃げていた。
多少の汚れは炎で燃やせる火竜なんだもの。ウロコの隙間の灰も空を飛んで雲に潜って遊べば綺麗に取れるのだよ。
今日は、地竜の巣からの帰り道でこっそり泥ん子遊びをした。
火山口に近い場所で見つけた泥溜まりは、火竜の巨体でも良く滑る。
尻で滑り、背中で滑り、翼で身体を浮かせながら後ろ足だけでツルツル~っと夢中になってしまったのだ。
元は灰だし、飛んでるうちに渇いて落ちるね~
余裕で巣へ帰ろうとしたのだが、
「そのまま帰るのですか?」
勇者に見つかった。
こっそり遊んでいたつもりなのは火竜なだけで、勇者は遠くから、じったんばったん暴れている姿を微笑ましく見守っていたので、今さらであろう。
「いや~ん」
勇者に尻尾を持たれたまま後ろ向き引き摺られる、泥まみれの火竜。
四本足で踏ん張るも勇者の力には敵わず。
大地には彼女の立てた爪の跡がどこまでも続いたとか続かなかったとか。
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「…なぁ、それって今聞かなきゃならん話か?」
「まだ序章ですよ魔王様。本編はここからです」
「お前が作った温水プールとやらでチビさんが喜んだんだろ?」
「…オチを知っていたとしても言わないのがマナーなのでは?」
深夜。魔王城奥深くに最近改築されたいかにも怪しげな部屋に通う影があった。
フードを深く被って人目を忍び、闇に紛れて1人、また1人と扉へと吸い込まれてゆく__
__「一子相伝、門外不出であるべき秘術を、金銀財宝を積みもせずに、ほんの数時間で手に入れるられるのですよ?」
「数時間…」
複写の魔法陣を、うちの魔法担当に教えてやって欲しいと相談を持ちかけたのは魔王。
嘆願に嘆願を重ね、ようやくかなった念願の特別授業だというのに。簡易教室に詰め込まれた魔族達の目はかすみ、死んだ魚のような目をしていた。
「本来、創造魔法は種族間で継承すべき技術だ。勇者の創造魔法とは知っていたが、現在人族に伝わってないと後で聞いた時は驚いた」
「お気遣いなく。転移魔法陣を前回お渡ししましたのは、前任の勇者にお心配り頂いた件についての、僕からの礼ですので」
「うむ。確かに受け取った。だかな勇者よ。魔法陣に刻む文字を一つ教える毎に、火竜とお前のイチャイチャ話を何故聞かにゃならんのだ」
ぐったりと机に額を押し付ける魔王。
教卓に立つ勇者の背後には、まだまだ空欄だらけの魔方陣が燦然と輝いていた。
温水プールの話は既に火竜からのろけられ済みの魔王は、勇者側からの視点で装飾過多気味に同じ話を聞かされて
口からため息どころか、魂が耳から逃げそうなほどにウンザリしていた。
「勇者殿、私はエルフ族の長だ。火竜が素晴らしく無邪気で愛おしい存在だとよくわかった。ここに、エルフの里でしか採れない宝石がある。君のドラゴンへ進呈しよう、だから話をもう少し短く、」
「吸血族の代表だ。我らの寝ぐらからは水晶を用意する。熱に強く光を反射する水晶はドラゴンは気にいるだろう、だから話をもう少し短く、」
ただの惚気話でも辛いのに、
ドラゴンと勇者の話は、甘酸っぱい。
しかも、照れる。聞かされているこちらまでが恥ずかしい。
おっさん達には耐えられない。
勇者はしばし考え込み、首を横に振った。
「とても素敵な提案ですが、それだと火竜は貴方達へお礼を言いたがるでしょう?」
不満気だ。
「ではとっておきの話をしましょう、
これは僕の失敗談なのですが…」
ニコニコと話を続ける勇者。聞きたくなければ耳栓でもしたい気分だが、
勇者の魔方陣に刻む文字は、「書き順」と「正しい読み方」が必要で、
甘酸っぱエピソードに突然挟み込むので、目も耳もそらせない。
おっさん魔族達の魂が耳から抜け出しそうだった。
深夜未明から、火竜が起きる早朝までのこの特別授業は、魔王が聞き役に若い女官達を雇うまで三日続いたとか続かなかったとか。
お読みいただきありがとうございました。