六話 試験官
「――君が、編入試験の受験者ですね? 私はこの学園の教師であり、また本日の試験官を務めさせていただきます、ルーク・グレイヤールです」
「…………」
学園内に入るやいなや――いや、正確には片足を未だ門に踏み入れたままの状態であるが――思わず、クーの足がピタリと止まった。
視線の先には、一足先に学園内へと入っていたミレーユ。それは、いい。
しかし何故か、クーではなく、そのミレーユに対して編入試験受験者のように接する黒髪の男性が、そこにはいた。
「……ふむ、ルーク先生。眼鏡をかけてはいかがか?」
対し、一瞬の間が空いたものの、ごく自然に返答するミレーユ。
彼――ルークと名乗った教師は、ミレーユの指摘に、衣嚢から取り出した眼鏡を掛け。
「ん? その声は……おおっ、ミレーユさんではないですか! ……はて、何故既に生徒である君が、編入試験を?」
眼前の彼女をまじまじと見て、驚きを露わにする。
「ははっ、相変わらず面白い人だな、貴方は。私が受験者であるはずがなかろう」
そして、その様を楽し気に笑うミレーユ。
どうも、彼女にとっては見慣れた――というより、動揺するに値しない光景らしい。
――と、いうよりも。
クーは、ちらと己の傍らを見やった。
そこには、「面白ーい!」と手を叩いて笑みを零す、ペラの姿。クーからすれば、別段面白がる要素がないが、そこは人と神の感性の違いというやつはあるのだろう。
……もっとも、これは何にでも興味を持ちやすく、面白がる傾向がある。なので、これは例外中の例外といっていいかもしれない。
では、とこの場にいる残りの一人。恐らくは常識人であろう、ミレーユに付き従っているアルバンス家の男性を見てみれば、その表情は不変。
……さて、どうもクー以外は、どうやら動揺するに値しないらしい。
「受験者は――ほら、あちらだ。私は彼の付き添いにすぎん」
「ああ、そういえば、受験者は男の方でしたね。そして当然、君の名前ではない。……いやはや、失敬」
ミレーユの指摘に頭を二、三度掻き、ルークという教師は足早にクー達の方に寄ってくる。
「いやあ、失礼しました。てっきり、今日ここを訪れるのは編入試験の受験者しかいないと思い込みまして」
――果たして、そういう問題であるのか。
確かに、今は学園は休みの時期。特別な理由でもなければ、生徒は来ないのだろうが。
どこかずれた釈明を行い、眼鏡をかけて照れたような笑みを浮かべたルークは、どちらかといえば若くはない部類にあたるであろう、教師であった。
完全にではないが、禿の進行しつつある頭頂部。笑みの中に刻まれた、僅かな皺。
「えー、改めまして。本日の試験官を務めさせていただきます、ルーク・グレイヤールです」
差し出された片手もまた、若々しいとは言い難い。
そんな失礼なことを思いつつ、クーはその手を握った。
「……クーです。よろしくお願いします」
名を名乗る。苗字は名乗らない――というより、無い。
そしてそれは、別段珍しくはないことである。苗字がある人間もいれば、無い人間もいる。地域によりけりだ。
「はい、よろしく。うん、君が今回の編入試験の受験者で間違いないね?」
ニコニコとした笑みを浮かべるルークに合わせて軽く腕を振ると、クーは彼の問いに首肯する。
そうして、どちらからともなく手を放すと、次いでルークは視線を横に向け。
「ええと、そして貴方は――彼の保護者の方ですかな?」
「はいはい! クーの姉、ペラと申します!」
同じように、ペラと握手を交わす。
普段から、クーの保護者を自認している彼女であるが、改めて他人から言われると、また違うのか。
テンションが爆上げしたかのように、差し出されたルークの手を両手で取り、ブンブンと激しい勢いで上下させる。
あまりの激しさに、ルークの眼鏡がずれ落ちそうになり。クーが止めに入るまでの数秒の間、彼はペラのされるがままとなっていた。
「――は、はは。中々元気なお姉さんですね」
「……すみません」
「いやいや、元気なのはいいことですよ、うん」
元々ずれやすいのか、或いはあまりにペラの握手――もはや握手と呼べるか怪しいが――の勢いが激しすぎたのか。
ルークは鼻先までずれ落ちた眼鏡の位置を直す――かと思いきや、衣嚢に戻した。
「…………」
然も当たり前かのように、再び裸眼となったルーク。
その行為に、思わず無言になるクーをよそに、彼は踵を返し。
「では、早速ですが試験会場に行きましょうか。僕の後に着いてきてくださいね」
そう、クー達に告げて、何事もなかったかのように歩き始めた。
釈然としないものの、「はい」と短く、後に続くクー。
特に気にした様子もなく、「はーい!」と元気よく、ペラ。
少し離れていたミレーユ達も、後を追うように近づいてくる。
「ふむ。しかし、試験官はルーク先生か」
そうしてクー達の隣に並んだミレーユが、そんなことを言った。納得の色が、その声には含まれている。
クーは、ルークの背を追いつつ、彼女に小声で訊ねた。
「……あの先生は、いつもあのような感じなんですか? あー、その――眼鏡、とか?」
「うむ。本人曰く、眼鏡をかけていてもいなくてもさほど変わらない、との言でな。普段は基本的に、眼鏡をかけていない」
「変わらない? ……あれで?」
「ああ、だから本人曰く、だ。しかし――結果はご覧の通り。よく、人を間違える」
――つまりあれは、素だった、と。
からからと笑うミレーユを横目に、クーは軽く息を吐いた。
一瞬、受験者を和まそうと一芝居打ったのかと思ったが、それは深読みだったようだ。
まあどちらにしろ、お茶目? な面がある人物らしい。
「周囲も、常に眼鏡を掛けるように進めているのだが……どうにも、ルーク先生には拘りがあるようでな。眼鏡をかけることがあまり好かないらしい、という噂を聞いたこともある」
「なるほど」
拘りはともかくとして、視力が悪いのは事実のようであった。
クーは、視力の関係でいえば眼鏡をかける必要がないため、気にするだけ無用だが。まあ中にはそんな人もいるのかもしれないと思い直し。
「……ちなみに、どのようなお方で?」
訊ねる。
率直に言えば、知りたいのは腕、つまりは実力の程度であるが。直球に問うわけにもいくまい。
外見はあまり若くはなく、こちらへ接する態度が物腰柔らかいものであるとはいえ。ルークは、中々にがっしりとした体格であった。
無論、騎士学園で教師を務める者が、弱いというわけではないだろうが……どの程度で試験に臨むかを考えていたクーにとって、試験官たる彼を知る者からの認識は、貴重な情報の一つだ。
過去に行われた編入試験に関して、実技形式ということしか把握できていないが。
恐らく試験官との戦闘であろう、とクーは想定していたのである。
さて、そんなクーの心の内を知ってか、或いは知らずか。
そうさな、とミレーユは考えるように顎に手をやる。
「ルーク先生は、主に二年生の担当だ。私も昨年幾度かお世話になり、今年は弟のフランツが世話になる。貴公が編入試験に合格したならば、彼の担当するクラスとなるやもしれぬ。最も関わりの深くなる教師の一人と言えるだろう」
「なるほど、二年生の」
クーが編入する予定となっているのは、依頼対象であるフランツと同学年――つまり、二年生である。
ともすれば、それが理由でルークが試験官として選ばれたのかもしれない。
「しかし、視力が悪く、眼鏡が嫌いとなると色々と大変そうですね?」
「そうだな。先程のようなことも、時折ある。まあ、別に不快ではないので、私はあまり気にしてはいないが」
「まあ確かに、戦いの際を考えれば。視力が上がるとはいえ、眼鏡は邪魔になりそうといえば、なりそうですけどね」
それとなく、戦いに関する話に持っていく。
「ふむ。そういえば、確かに平時は基本的に眼鏡を外しているが……剣を執った時に外しているのは見たことがないような――」
「えぇ……」
「うむ、間違いなく私の記憶の限りでは、無いな。なるほど、あまり意識したことなどなかった」
面白い発見をした、と言わんばかりにカラカラと笑うミレーユを後目に。
戦う時はしているのか、とクーは脱力する。
……それは、目が悪いと自分で認めているのと同義ではないのか。
そしてそんな突っ込みを、心の内で行い。
「少し変わってる先生みたいですねー」
今まで静かにしていた――正確に言うならば興味津々に学園内を見回していた――ペラが、ここで口を挟む。
その内容は、クーも薄々思っていたこと。
ただし、クーからすればそれも、お前が言うな、であるが。
「確かにな。ただ――だからといって、侮るのは早計だ。強いぞ、ルーク先生は」
そんなペラの、なんともあけすけな意見に忠告するように、ミレーユの視線がクーを捉える。
或いは、ペラの意見に同調するクーの雰囲気を感じ取ったのかもしれない。
とはいえ、だ。クーとて、今までそれなりに色々な人間を見てきた。
てんで才能の無い人間、それなりに才能のある人間。そして――天賦の才を秘めた人間。
戦いに限った話ではないが、かませ犬を請けてきた中で、幾人と。
ともすれば、経験が増すにつれ、ある程度の人物眼――直感というのは、備わっていく。
無論、確実ではない。
ペラの目よりは、確実に確実でない。その人間を知る者の言よりも、程度によるだろうが、恐らく確実でない。
前を歩くルークの背を、クーはちらと見やり、再び目線をミレーユに戻す。遠目からであれば全然だが、これだけ近ければある程度は。
そんなクーの直感は、彼女に言われるまでもなく。ルークを中々の使い手だと、告げていた。
「はい」
なので、ミレーユのその言葉を、やはりか、という思いを以てクーは受け入れる。
そんなクーを、ミレーユはやや意外そうな面持ちで見て。何かを言おうと、口を開き――。
「おや、もしかして、私に関係することを話されていましたか?」
気付けば、ルークがこちらを振り返っていた。
それだけでない。その足も、止まっている。
その事実に気付いた時、ミレーユもクーも、一拍遅れて足を止めた。
ルークの向こう側に聳えるのは、石造りの円形の建物。
これが闘技場、というやつだろう。
事前調査である程度学園については把握していたクーであったが、実際に目の当たりにして、小さく息を零す。
流石は国随一の騎士学園。まだ外観しか見えていないが、立派なものである。
「自分の話題がすぐ背後で行われていたかもしれないと思うと、中々こそばゆいものですね」
ルークは頭を掻くと、にこやかに微笑み。
しかし特にその内容には触れようとせず、言った。
「では、受験者――クーさんと、そのお姉さんはそのままこちらに。この内部にて、試験の説明、及び実施をさせていただきます」
「へぇ、ここで……」
なんとまあ、受験者一人に対し豪華なものだと、クーは目を細め、改めて闘技場を見た。
「ふふん、凄いだろう? この第一闘技場は、アクラン騎士学園の目玉の一つでもあるからな」
そんなクーに対し、得意げに胸を張ったミレーユは。
「では、健闘を祈る。貴公の腕前、楽しみにしているぞ……さて、では私は客席の方に――」
クーに激励の言葉をかけ、颯爽とそのマントを翻し。
「ちなみに、ミレーユさん。言っておきますが、試験会場には立ち入り禁止ですよ?」
「な、なにぃ!?」
直後、ルークの指摘により、その彼女の愕然とした声が響くこととなった。




