三話 かませ犬への依頼
目的地である、アルバンス家――正確にいえばその別宅へとクー達を乗せた馬車が辿り着いたのは、日も暮れつつある時間帯であった。
「……はー、流石アルバンス家、王国指折りの騎士の名家様。別宅でこれか」
レフェス王国が王都、アクラン。その中でも限られた者のみが居を構えることを許された――俗な表現で言えば金持ち用の、豪邸と呼ぶに相応しい建物が並び立つ区画。
窓の外、夕焼けに染められたその内の一軒の屋敷――アルバンス家別宅を見て。クーは、感嘆とも呆れともいうべき溜息を漏らした。
ある程度予想していたとはいえ、でかい。それは周囲の屋敷にも言えることだが、アルバンス家別宅はそれらにひけをとらないどころか、クーには心なしかとりわけ大きく感じられた。
「凄いですねー、一体『アンダードッグ』の何倍あるのでしょうか?」
その隣では、比較するだけ無駄なことに頭を捻っている、ペラ。眉根を寄せたその面持ちを見るからに、どうやら真面目に考え込んでいるらしい。
……まあ、だからこそ、たちが悪いのだが。
そんなもん知るか、とクーは窓の外へやっていた視線を外し、半眼で彼女を見る。
と、そんなことをしている間にも、二人を乗せた馬車は、屋敷の門をくぐり、敷地へと入っていく。
小奇麗な噴水に、よく手入れされた庭。悪趣味な何かは一切無い、わりかしさっぱりとしたそこを通り抜け、馬車は屋敷の扉前付近で停まった。
「どうぞ」
御者台に座っていた初老の男が、馬車の扉を開けてクー達に降りるよう促す。
どうも、と最初にクーが。それに続いて、ありがとうございます、とペラが馬車から降りた。
「こちらでございます」
男の後に続き、扉の中に入る。
広い、エントランス。豪華絢爛に彩られているわけではない。
だが、控えめに設置された調度品はよく映えており、決して屋敷の大きさに対して見劣りはしない。
少なくとも、無駄に高そうなものばかりポンポンと置かれているよりかは、かなり好印象であった。
階段を昇り、エントランスを抜け、長い廊下に出る。
これほどの屋敷。住まう者があれば当然、仕える人間も多く。行き交う執事やメイドが、クー達を見る度に一礼していく。
さて、あちらからするとこちらはどういう扱いなのか。客といえば客なのだろうが、しかし。
最初こそ、返すように軽く頭を下げていたクーであったが、それがどうにもこそばゆく。
逃れるように、屋敷の窓の外、橙色に照る王都アクランの景色を眺めた。
「……ん?」
そのまま歩きながらふと、クーの視線がそのまま下方へと落ちる。
建物横、陰となっている屋敷の庭に動く人影を見たからだ。
そこそこ遠目であるから確証は持てないが、それはクーとそれほど年の離れていなさそうな少年であった。
大柄でもなく、かといってそれほど小柄でもない。平均的な背格好もまた、クーと似ている。
唯一断言できるのは、クーは黒髪で、あの少年は燃えるような赤髪である、ということか。
アルバンス家の人間は、その身に宿す力ゆえ、炎の如き赤い髪を持つ。それは、そこそこに有名な話だ。
となると、あの少年はアルバンス家の者である可能性が非常に高い。
さて、そんな少年は、クーの視線の先、こちらに気付く様子もなく、剣を振っていた。
誰と対峙することなく、一人で。何度も何度も、剣を振り下ろしては、振り上げる。その、繰り返し。
「……あの子」
と、そんな少年の姿を見ていたクーの耳元に。顔を寄せ、ペラが小声で囁いてきた。
「ん、何か分かったか?」
「ええ。……迷いが見えます、あの子の剣には」
平時はとてもそうは見えないが、ペラはれっきとした女神――人の域を超える存在である。
クーとは比較するにも馬鹿らしいほどの長い時を生き、それこそクーの何十倍、何百倍といっても過言ではない人を、歴史を見守ってきた。
あらゆる天才を、秀才を、平凡を、落ちこぼれを。
数多の英雄を、勇者を、悪人を、そして――かませ犬を。
そんな、彼女だ。
人の子一人、言葉を聞かずとも、一見だけでその内心を看破するのは容易いこと。
「きっとあの子は優しい、いえ、優しすぎるのでしょう。戦いを望んでおらず、相手を傷つけることを恐れている」
「へぇ……」
窓から視線を外し、クーは顎に手を当てる。
そういう人間は、まあいるだろう。
戦いの少ない比較的平和な地域なら尚更、戦いの激しい地域でもある程度は。
一般の家庭から生まれ、騎士や冒険者とは無縁の生活を送っているなら、大いにあり得る。
――が、騎士の生まれだ。それも、名家とされる騎士の。
育ちが、価値観が。とりまく環境が、一般の家庭とは違いすぎる。
もっとも、騎士の中にも、好戦的でない人間もいるだろう。無駄な争いを好まない、穏やかな気性の人間もいるだろう。そんな人間でも、しかし戦う時は己が武器を手に戦うわけで。
そもそもやはり、戦い、競うことを好む連中が大多数を占めるはず。
そんな中にあっては、彼のような存在は稀有であり――異端といえるものだ。
……もしかすると、依頼は――。
「こちらで、お掛けになってお待ちください」
先導していた男の言葉に、クーは思考を中断して顔を上げる。
案内されたのは、無人の一室だった。
見るからに高級そうな、向かい合う二つのソファー。その間には、これまた高そうな木造のテーブル。
それらを囲うように飾られるアンティークの数々。
応接室であろうか。
男が出て行った後、クーは少しの間しげしげとそれらを見ていたが。やがて、ぽんぽん、とソファーを軽く叩き、腰かける。
興味深げに室内を見回していたペラも、はしゃぎまわることなく。珍しく静かに、その隣に座った。
「――で、お前の目から見て彼は本物か、ペラ?」
単刀直入に、クーは問いかける。
先程見かけた彼の少年の、女神による評価を。
「ええ、間違いなく」
即答。
僅かに瞠目するクーを前に、ペラは言葉を続ける。
厳かに。正しく神が、天上の視点より告げるように。
「素晴らしい才能を秘めています。それこそ、過去の英傑達と遜色ない――歴史の主役の一角を担う者たる、資質が」
「……そこまで、か」
べた褒めだ。これ以上ない、高評価。
他のことは別として、こと、ペラの人を見る目に関してはクーは一切の疑いを抱かない。抱く必要が、ない。
「――ですが、悲しいかな。その才能が開花するには、一つ、大きなきっかけが必要です。そうでなければ、彼の者の名は竹帛に垂ることなく、呆気なく埋もれることでしょう」
「…………」
「時代が時代であれば、それもよし。ですが、平和とは言い難い、この世。加え、魔の脅威も完全に去っているわけではありません。なればこそ――」
「はいはい、分かった。要は、引き受けたいんだろ」
クーは、饒舌となりはじめたペラの言葉を遮り、苦笑した。
彼女が、真剣な顔となる。
一部の例外はあれど、それだけで、クーとしてはまともに取り合う理由になるのだ。
とはいえ、まだ、依頼の対象が彼と決まったわけではない。だが、恐らくは――。
「……もう、クー君。最後まで言わせてくださいよ」
少々頬を膨らせ、ペラが拗ねるようにじとっとクーを睨む。
その、直後であった。
――コンコン、と小気味のよいノックの音。
扉が開き、ここまでクー達を案内してきた初老の男が、姿を見せる。
そして、その後ろに続いて室内へと入ってきたのは。
上質な黒の衣服に、その髪色に負けず劣らずの鮮やかな紅のマントを纏った、壮年の男性。
その男性は、クーとペラを見て朗らかな笑みを浮かべ、声をかけてきた。
「遠路遥々、急な呼び出しに応えていただき、感謝する。ようこそ、アクランの我が屋敷へ。アルバンス家当主、ヨシュア・アルバンスだ」
物腰の柔らかさを感じさせる挨拶であった。
クーとペラはソファーから立ち上がり、頭を下げる。
「『アンダードッグ』店主、クーと申します。そして、こちらが……」
「クーの姉、ペラです。どうぞ、よろしくお願いいたします」
無難に相手に自己紹介を返したクーであったが、しかし、ペラが余計なことを言った。
こいつは、とクーは頭を下げつつ横目でペラを睨むが、彼女はそんな視線もどこ吹く風。
はっきり言って、クーとペラは全く似ていない。
そもそも、クーは黒髪、ペラは金髪と、髪の色からして違う。
その上、美しい造形といえるペラの顔に対し、クーの顔はそうでもない。むしろ、見る者によっては悪人顔ととられる顔立ちだ。
「姉……いや、無粋な詮索は無用か。早速だが、本題に入らせていただこう、楽にしてくれ」
クーの危惧通りというべきか、ペラの紹介に一度は反応したヨシュアではあったが。
特に深入りすることなく、クー達に再び座るよう促し、自身も対面に座る。
その背後に、控えるように初老の男が立った。
「本題――違っていたら申し訳ありませんが、もしかすると先程庭で剣を振るっていた、ご子息のことでしょうか?」
先制、と言わんばかりにクーが口火を切る。
その言葉に、ヨシュアは微かに、本当に微かに目を丸くした。しかし次の瞬間には、眼光鋭く、クー達を見定めるように、口を開く。
「次男のフランツを、ご覧になったか。……いかがですかな、あなた方から見て、フランツは?」
柔らかな口調でありながらも、その風格は正しく、名家の当主。
嘘偽りがあれば、即座に見抜かれるだろう。
もっとも、見え透いた世辞など言うつもりもないが――それでも言葉を選びつつ、クーは答える。
「剣に、迷いが見えます。穏やかで、優しい気性なのでしょう。武器をその手に取りつつも、戦いそのものを――相手を傷つけることに抵抗がある。それが、剣に表れていました」
それは、ペラの言葉ほとんどそのまま。
当たり前だ。クーには、ただ遠目から見ただけでは、何も分かりはしない。才能の有無すら、そうだ。
だから、ペラの言葉を。ほぼほぼ核心をついているであろうペラの言葉を借りるしかない。
「しかし――素晴らしい才能を秘めている。と、そう感じましたね」
だが、そんな事情を、向こうは分かりはしない。クーが、究極のズルともいえるべき行為をしていることを。
いくら名家の当主であろうと、よもや正真正銘の女神が評し、あまつさえその女神が対面に座っているなどと思いもしないだろう。
こればっかりは、間抜けだとヨシュアを責めることはできない。
さて、そんなクーの言葉を聞いたヨシュアは、ほぅ、と膝を打つと。
「おお、お若いのに、大した目をお持ちだ。……いかにも、あの子は――フランツは、少々優しく、言い換えるなら甘く、臆病でして」
肯定。
臆病、と自身の息子を評したその表情は、蔑みではない。子を心配する、親の物だ。
「ただ、親の贔屓目もあるかもしれませんが、その才能は、かなりのものがあると私も見込んでいるのです。騎士としての才能、剣の才能が。……ただ、あの子の優しさが、それを妨げている」
ヨシュアの話を、クーとペラは静かに聞き入る。
「確かに、優しいことは悪いことではない。むしろあの子の親としては、喜ばしいこと。――が、それだけでは駄目なのだ」
それは、本音だろう。
息を大きく吐き出したヨシュアの声に、力が籠る。
「いつかは、戦わねばならぬ時がくる。その時に、戦う覚悟がなければ。戦わず、相手を、人を傷つけることを嫌い、恐れていては。……それがいつか報いとなる時がくる。その甘さ故に、大切なものを失う時が、必ず」
そこまで言うと、ヨシュアはクーと、そしてペラの顔をそれぞれ見た。
「無論、こちらも考えられることは試した。しかし、あの子の剣が変わることはなかった」
そこであなた方に使いをやったのだ、とヨシュアは語り。
そして、その口から飛び出した、依頼の内容が。
「あの子は今、アクラン騎士学園に通っている。――そこで君には、学園に編入してもらい、フランツの剣を導いてもらいたい」
「……編入?」
まさかの、騎士学園への編入。
それが予想の範囲外であったクーは、思わず敬語を忘れてぼそりとその単語を繰り返す。
ヨシュアはクーのそんな反応を咎めることなく、うむ、と鷹揚に頷くと。
「とはいえ、それには学園の編入試験に合格することが条件だが――」
その口元に笑みを湛え、こう口にするのだった。
「なに、問題ないだろう。君もまた、我等と同じく神に認められ、大いなる力をその身に刻みし者。――ビュマス家の者から、そう聞いているよ」




