二話 道中、馬車内にて
「しっかし、まさかの大物からの依頼だよな、本当……」
激しい雷雨のあった夜の翌々日。太陽は中天にまで昇り、空はすっきりと晴れ渡った青。
そんな外の様子をぼんやりと眺めつつ、馬車に揺られながら少年――クーは呟いた。
一昨日の晩、クーの前に現れた初老の男。
そんな彼は、料理店としての『アンダードッグ』ではなく、もう一つの店『アンダードッグ』の客であった。
そして、虚偽でなければ、という前提となるが、彼はとある家の使いを名乗ったのである。
――アルバンス家。
それは、このレフェス王国でも屈指というべき騎士の名家の一つ。
クーの住むハミュア村は、それほど辺境ではないものの、村の域を出ない。そんなハミュア村でさえ、ほとんどの人間がアルバンス家の名を聞けば「ああ、あの」と即座に思い浮かぶことだろう。
大きな街、都ならば誰もがアルバンス家を知っているといってもまったくもって過言ではない。
アルバンス家とは、それほどに有名なのだ。
しかし、である。
……そんな名家が果たして、本当に依頼に来るだろうか?
普通に考えれば、十中八九、騙り。
そも、長い年月を衰退することなく、代々高名な騎士を輩出してきた名家だ。
故に、自分達のような存在が必要とはあまり思えないのが、一つ。
またその名家という立場上、わざわざ胡散臭い――つまりは『アンダードッグ』に依頼するとは到底思えないないのでも、一つ。
が、そうは言ってもクー達に嘘をつく必要も利点もさほどないわけで。
加え、主に指示され依頼の話を持ってきたというの男の態度、佇まいは、信用するに足るものがあった。
少なくとも、くだらない茶番をするようには見えない。だから、こうして一先ずは話を聞こうと、依頼主――アルバンス家当主の元へと向かっているのであった。
ちなみに、件の初老の男はというと、御者と共に御者台に座っている。クーとしては別に同乗でも構わなかったのだが、男は頑として譲らなかったのだ。
「はてさて、どうなることやら……」
見えぬ先行きに、ふぅ、と息を吐きだすクー。
と、そんなクーの零した言葉に反応したのは、隣に座っている女性。クーと同じ『アンダードッグ』の人間――ではなく女神、ペラである。
「心配するだけ時間が勿体ないですよ、クー君。それよりほら、外を見てください。昨日宿をとった街が、もうあんなに小さく見えますよ」
さながら、子供のように。見て見て、とクーの服の袖を引っ張り、目を輝かせて馬車の外の景色を眺めているペラ。
一体何がそんなに楽しいのか。いや、なんとなく、クーには彼女の気持ちが察せられるものの、しかし。
そんな、己の心情とは一割も被っていなさそうなその振る舞いに、クーは先程とは別種の意味で息を吐いた。つまり、呆れの溜息を、だ。
「……分かったから少しは落ち着けって、ペラ。昨日からずっとそんな調子だろうが」
「だって、馬車に乗ってクー君とお出かけなんて機会、そうそうないじゃないですか。それに私、こうして地上から見る景色が、大好きなんです」
クーの小言も、なんのその。ペラは改める様子もなく満面の笑みで、外を眺めている。
今一度、クーは溜息を吐くと、それ以上は何も言わず思考に耽った。
……まぁ、地上に降りてきたあの時よりは、大分マシになったが。
思い起こすは、昔。
自身の運命を受け入れたあの日、姿無き声を聴いた。
そうして、彼女は名乗った。人間が、歴史が知らぬ、女神の名を。
そうして、彼女は現れた。天――神の世界より、その姿を。
呆然とする中で、しかし不思議とペラのその表情は覚えている。
そわそわと、それでいておっかなびっくりと。まじまじと大地を、足元を見つめ。
次いで、何かを確かめるように。ちょこんちょこん、と足先で大地を叩く。
そんな、大して意味のあると思えない動作を、何度か行った後。
そうして、そうしてそれはもう嬉しそうに。ふるふる、と微かに震えた後、彼女は静かに微笑んだのだ。
そんな表情をする人を、今までに見たことがなかったもので。
何よりも前に、自然と、声が出ていた。
何が、そんなに嬉しいのかと。
すると、返ってきたのだ。あの姿無き声と、同じ声で。
――初めて、初めてこの世界に降りられたのです。
――今までは、ずっと天から見ていることしかできなかったけれど、貴方のおかげで、ようやく。
彼女は、大層整った――所謂美女に分類される顔立ちであったが。
しかし、それを抜きにしても。その笑みは、唯々美しかった。
……ただし、そう思ったのはその時だけである。
その後暫くといえば、それはそれは大興奮で、あれは、これは、とクーを振り回し、げんなりさせたものだ。
さて、そんな頃よりかは遥かにマシなのだが、目的の場所までは馬車で二日という行程。
唯一の問題は隣が喧しいことだが、それはもう諦めた。
それ以外に関しては、比較的平和とされるこの地域であるからか、道中何事もなくここまで来れている。
同じレフェス王国内といえど、地域によっては魔物などのモンスターや賊による襲撃があるのは当たり前だ。そして、それらを討伐する冒険者、騎士がいるのも、また然り。
もっとも、この辺りも完全に平和というわけでもなく、ハミュア村にも冒険者はいるのだが。
とまあ、それはさておき。
「……そもそも、何故アルバンス家が、俺達の存在を知っている?」
思考の方向性を戻す。
どうして、知っているのか。
無名の、しがない一料理店を。
――それも、大々的には公表していない、料理店『アンダードッグ』のもう一つの顔を。
「それだけ、私達のかませ犬活動が評価されているということですよ、クー君。かませ犬を司る女神たる私としても、大変喜ばしいことです」
「……お前は本当に能天気だな、ペラ」
かませ犬活動――もとい、それによる報酬で日々を生きているクーにとっては、かませ犬稼業。
それが料理店『アンダードッグ』のもう一つの顔だ。
提供するのは、かませ犬。
依頼の方法は、合言葉を『アンダードッグ』にて告げること。
「評価、評価ねえ……」
自信を、つけさせたい。一つ、何かきっかけを与えてほしい。
息子に、娘に。友人に、知人に。
舞い込む依頼は、得てしてそういうものだ。
ただし、今まであったその全て――もっともそう多くはないが――を受けてきたわけではない。
かませ犬にだって、選ぶ権利はある。
頑張っている人間。才を予感させる人間。
時には、こちらから声をかけたこともあったけれど。自身がかませ犬となっても構わないと思えた者だけ、請け負ってきた。
「例えそうだとしても、いつかなくなる評価なわけだが」
何の気なしに、呟く。
「それは……」
クーの呟きを聞いたペラは、一転、その表情を暗くさせ、大人しくなった。
それを見て、クーは微かに苦笑を浮かべる。
かませ犬稼業は本業ではあるが、あくまで裏稼業のようなもの。
なにせ、公にしては拙いのだ。
基本的に、かませ犬となる対象と依頼人は別。
故に、対象は秘密裏に依頼があったことを知らない。当然だ、こちらの正体を知らせなどしたら、自信がつくも何もない。ほとんど意味がない。
だが、本来ならば依頼を請け負っていけばいくほど、顔は広くなるものだ。そしてかませ犬稼業の存在を知る者が多くなる。
しかし、そうはならないカラクリがあるのだ。
クーには、とあるスキルが宿っている。それは、かませ犬の女神であるペラより与えられし力の一つ。
スキルの名を――『かませ犬の性』。
そのスキルを持つ者は、人から忘れられやすくなる。
どんなにインパクトを残しても、どんなにその人物の心に存在を刻み付けたとしても。
かませ犬との関わりを断てば、記憶力に優れている人間だろうが、関係なく。徐々に、徐々に。スキルを持つ者に関する記憶を薄れさせていくのだ。
対象の人間、その周囲の人間は勿論のこと。依頼人とて、例外ではない。
年月の経過につれ、ぼんやりとしか思い出せなくなり――。
――やがては完全に。かませ犬がいたことを、忘れる。
それが何カ月か、何年かなのかは、個人差はあるだろうが。
いつかなくなる評価とは、つまりそういうことだ。
「……ま、便利ではあるけどさ」
あまり知られていない方が、かませ犬稼業としてはやりやすい。
それは紛れもない事実。
さて、本当に子供のように、ペラは喜怒哀楽が顕著だ。
静かにされるのも、それはそれで調子が狂う。
――全く、手のかかる女神様だ。
「ほら、落ち込むなって。そら、まだまだ都――アルバンス家は先。そうしてる時間が勿体ないんだろ?」
ペラは、好きでこのスキルをクーに与えたわけではないというのは、知っている。
これは、宿命のようなものだ。かませ犬を司る女神である、彼女の。
その力を望み、受けた時。クーにも、その宿命が受け継がれただけ。
ああ、強がりではない。なんのことはないのだ。
元より、覚えてもらわなくて結構。
あの日、それを受け入れた。
自分は、名無しのかませ犬。正真正銘の、アンダードッグなのだから。




