愚王との謁見・二
「大王様。誠に申し訳ありませぬ。大王様に疑心の念を抱かせてしまったこの愚臣めに、死を賜りますように」
午前の陽光が差す玉座の間。
静寂な雰囲気かと思いきや、居並ぶ大臣たちの衣擦れの音や靴音など、意外なほどに雑音で満ちていた。
現代の会議室や試験会場などと同じなのかもしれない。
開口一番に死を願い出た安平君に対し、玉座の主はしめたと言った様子で口角を釣り上げた。
「ふむふむ。お主の言った通りだったな、宰相よ」
「誠、安平君は油断ならぬ御仁でございますな」
僕たちから見て左側、玉座に最も近い位置に陣取るこの老人こそ、斉の宰相・后勝様なのだろう。左側には降伏派、右側には安平君の支持者の主戦派が並んでいた。
后勝の髪の大部分は白髪となっており、顔には深い皺が刻まれていた。その身体には薄っすらと筋肉が付いており、脂肪とは無縁だ。
――てっきり、豚のように肥えていると思っていた。
秦から賄賂を受け取り、斉の反秦活動を妨害している宰相。きっと、私欲の権化に違いないと勝手にイメージしていた。
「恐れながら大王様。どういうことでございましょうか?」
安平君が重厚な口調で問いを投げる。
けれど、その背中は少し小さくなっているように感じる。
「安平君よ、お主が何故この場に呼ばれたのかは理解しておるな?」
「はい、大王様。私めが謀反を企んでいるという根も葉もない噂が、大王様のお耳に達したと伺いました。その弁明のために参上いたしました」
「しかし、安平君。火のないところに煙は立たぬというではないか」
ちらりと大王を盗み見る。
その瞳には明らかな恐怖が浮かんでいた。眉根をひそめたまま、大王が言葉を継ぐ。
「宰相は私にこう進言してくれたのだ。安平君が謝罪したのであれば、謀反を企んでいる。しなければ、企んでいないと」
「大王様、私は謀反など企んでおりません。私は田単の息子ですぞ!」
「それだ」
大王が短く断じる。
「宰相はこのような例え話をしてくれた。『無実の虎が肉を盗んだという疑惑をかけられました。誇り高き虎は激怒し、自分を疑わしいと仲間たちに吹き込んだ者を、その鋭い歯牙で襲い立てました。一方その頃、猿が栃の実を盗んでいました。疑われてしまった猿は、必至になって弁明しました』とな」
なるほど。
安平君の性格的に、自分を疑わしいと吹き込んだ者である后勝に抗議するということはしない。真っ先に謝罪を行うはずだ。
后勝は安平君が抗議ではなく謝罪を行うと踏んで、この例え話を大王に吹き込んだのだろう。
……ここまで頭が働くのに、どうして秦に買収され、斉のために働かないのだろう。僕が言えた義理ではないが。
「大王は……私を誇りも何もない、主君の物を盗むような猿だとお思いなのですか?」
「違うのか?」
安平君の体が小刻みに揺れている。怒っているのか、体温の上昇が熱となって僕にも伝わって来た。
朝廷に満ちていた雑音が、いつの間にか消えている。誰もが固唾を飲んで、安平君の次の一言を待っていた。
安平君が長い息を吐いてから、ようやく口を開く。
「いいえ、大王様。私は猿よりももっと卑しい、どうしようもない男でございます」
「……というと?」
大王の声色に、明らかに警戒の色が浮かんだ。
「私は国を簒奪するような男ではありません。なぜなら、上手くいくかどうかわからないからです」
居並ぶ大臣たちが、息を飲むのが分かった。
安平君は何を言っているのだ、と。
「私は田単の息子として、安平の地を受け継ぎ、若い頃から富貴な暮らしを楽しんでまいりました。なに不自由ない生活、それで十分ではありませんか?」
「ふ……ふははははは!」
大王が声高に笑う声が朝廷に轟く。その瞳は警戒から軽蔑へと変わっていた。
多くの大臣の目が軽蔑へと変わる中、后勝だけは瞳の色を変えることなく安平君を見据えている。
「では安平君。この度私兵を率いて秦と交戦した理由は? 秦と戦えば負ける可能性の方が高かったのです。富貴な暮らしを失う、矛盾した行為なのでは?」
「宰相殿。矛盾しませんぞ。斉が秦に滅ぼされれば、私の富貴な生活は終わりを迎えます。その生活を守るために、私はこれまで一貫して秦との戦争を主張し続けていたのです」
主戦派の、まだ安平君に軽蔑の視線を向けていなかった大臣までもが、呆れた表情を見せた。
降伏派の一人などは、口元を袖で覆いながら、堪えきれずに小さく笑いを漏らしている。
――今、安平君はどのような感情なのだろうか。
「それに大王様。私がこのように小人であることは、決して悪いことではございません。己の欲のために、必死に斉を守ろうとしているのです。私の富貴を守る行動は、大王様の富貴を守る生活にも繋がりますぞ」
「ふむ。……ふむ。……確かに、そうだな!」
大王の瞳が、明らかに輝いた。安平君は矢継ぎ早に次の言葉を口にする。
「願わくば私に、大将軍の位を与えてはくれませんでしょうか? 秦に勝利した実績のある私が、秦の侵攻を防ぎましょう。私と大王様、二人の富貴を守り切って見せます」
「……よかろう! 安平君よ。そなたを大将軍に任じよう」
「「――なっ!?」」
秦から賄賂を受け取っている后勝と、秦に抵抗して乱世を長引かせたくない僕。その二人が同時に声を上げる。
僕が安平君に小人を演じるよう進言したのは、誰からも軽蔑されて朝廷での地位を失ってもらうためだった。
そうすれば、安平君が主体性を持って抗秦活動を行えなくなり、無駄に血が流れなくなる。
だと言うのに安平君は、小人を演じて無害さをアピールし、貪欲に大将軍の地位を求めた。これでは、斉は秦との戦争に舵を切ってしまう。
「「……ままならないものだな」」
僕と后勝。
二人が、全く同じ言葉を小さく呟いた。




