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11.晴天の霹靂、つまり、思ってもみなかった頼みごと

 ギィが、来ない!


 私は寒さに震えている。上等な毛皮を纏っているとはいえ、もうとっくに日も暮れた。気温は目減りしていく一方なのだ。

 体育すわりのまま、もっとコンパクトに縮まってみる。表面積をできるだけ減らして、体温を維持したい。


 日暮れ前に迎えにくるって言っていたのに。何か、よっぽどのことが起こったのかな。

 雪で滑って転んで骨折、ここには来れなくなったとか。

 空腹で食堂に入ったはいいものの、持ち合わせのお金がなくてもめている、とか。

 私はちょっと、そんな状況になっているギィを想像して、ふっと笑う。合理的で慎重なギィのことだ。ありえないだろう。

 あるいは、と私は思う。もしかすると、私に頼みたい用っていうのが、何らかの理由でなくなったのだろうか。


 だとしたら、私を迎えにきても何の得もしないな、と、私はその可能性があることに気づいた。

 しかし、それは私からは判断のしようがない。


 たまはまだふて寝をしているようだし(ずっと腕に付けているからか、なんとなくわかるようになってきた)、どうしたものかな。

 たまを起こして、今後のことを決めようか。そう思っていると、突然声をかけられた。


「そこの兄さん、ずっと座っているな。女でも、待っているのか?」


 最初、誰に言ってるのかと思ったが、私だった。男に見えていることを、すっかり忘れていたのだ。

 話しかけてきたのは、久々の、この世界の「イケメン」だ。目は落ち窪み、頬は肉でだるだる。分厚い唇は、この世界の美的感覚で言うならば、きっととても麗しいのだろう。声も、酒やけしているようにかすかすだ。

 あとは、この気温にもかかわらず、むわっと届く、その体臭。久々すぎて、くらくらする。


「いや、女はほしくない。連れを待っているだけだ」


 できるだけ男っぽく聞こえるように返事をした。でも言いながら、ちょっと虚しくなる。来ないかもしれない誰かを待つのって、切ない。

 男は犬が唸るような声を上げた。どうやらそれは小さな笑い声だったらしい。


「寒い日は女としっぽりするのが一番だ。どうだ、今日は美人が空いているんだが」


 客引きだったようだ。いろんな意味でお断りすぎて、私はどう言えばいいのか、ちょっと固まってしまう。男に見えていようが私は女だし、私にとっての美人ではないに違いないし、そもそも一文無しだし。

 そしてたいへん、たいへん申し訳ないのだが、男の容姿は私にとってひどくつらい。ずっとイケメンのギィしか見ていなかったせいもあるだろう。腰を浮かせて、距離をとろうとした。


「――俺の連れに、何か用か」


 背後から聞こえた声に、私は腰を浮かせたまま反射的に振り向く。声をかけてきた男は、ひっと小さく息を呑んで、後ずさった。

 哀れな化け物、と、小声で呟いた男は、取るものもとりあえずというように去っていった。

 私はその丸い背中を見送りながら、醜いとか美しいとかって、どのようにして決まるのだろうと不思議に思う。


 縄文時代はぽっちゃりであればあるほど求婚された。平安時代は一重でしもぶくれの女性がモッテモテ。現代日本では、メディアによって都合よく創られたもの。美醜の価値観は、どう金を動かせるかに焦点を当てられているように思える。まあ、私個人の意見ではあるけれど。

 その人がいいと思えばそれでいいではないか。誰それが醜いとか美しいとか、まわりを指差すものではないのかもしれない。


「こんなに格好いいのに」


 ギィの顔をみて、ほれぼれと私が言えば、ギィはやっぱり、逆立ちして歩くサボテンを見たときのような顔をするのだった。

 




 私はさすがに、ちょっと怒っていた。

 いや、怒るというには心細すぎた。つまるところ、すねていたのだ。見も知らぬ土地でひとりになって、寂しくないはずがない。


「遅いです、ギィ。私、てっきりもう戻ってこないのかと」

「なんでいるんだ」

「とっくに日は暮れていたし……え?」


 耳を疑った。待ってろって言ったの、そっちだよね?


「おかしな男。おかしな人間だ。あんなに、脅かしたのに」


 なに、いないほうがよかったの?


「なっ、なんなの! いらないなら、そう言ってくれればいいのに。待っていたのは、いけなかった?」


 待てと言われたから待った。いろいろお世話になった人に言われたから、心細くてもずっと待っていたのに。

 ギィはどうしたものか、というように眉根を寄せた。苦渋の決断をするかのような渋面だ。


「いけなくは、ない。――だが、あんたを逃がす最初で最後の機会だった。そしてそれは失われた。俺は、あんたに貸しを返してもらう」


 不思議なことをいう。まるで、本当は私に頼みごとをしたくないようだ。最初から、そういう条件で助けてくれたはずなのに。


「私を雪山で拾ってくれたときに、約束したじゃないですか。役に立つかは、知らないけど」


 私はちょっと自暴自棄になりながらそう言った。卑屈になりたくないけれど、語尾ににじんでしまったかもしれない。

 私は美人でもないし、頭も普通だし、大胆さとか、そういう突出したものは持っていない。積極性もないし、基本的には流れに逆らわないほうだ。でも、与えられた場所、携わったものに関しては、その役割を全うしたいと思う。できるかどうかは、まわりの人たちが判断することだから、全うできたかどうかはわからないけれど。

 だから、貸しは返したいとずっと思っていた。だからこそこんなふうに、一方的に逃げるかどうかを量られることは、ひどく私を傷つけた。助けてもらったときに、ちゃんと覚悟はしていたのに。


 持ち前の勘の鋭さで、ギィはきっと、私が思ったことの一部に気づいたのだと思う。

 ちょっとばつが悪そうに、あるいは眩しそうに私を見て、うつむいた。

 そして一拍後、顔を上げたときにはもう、出会ったときと同じような、完璧な無表情をのせていた。ゆっくりと、ひとこと一言を区切るように、言葉をのせる。


「――あんたには、女になってもらう」


 おっと。ややこしいことになってきた。

 だから言ったのに、と、たまが肩をすくめた。


 腕輪に肩というものがあれば、という話だけど。




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