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10.雪の町・ビエチアマン

 結局私たちはその場で仮眠を取った。


 巨大トンボの死体のそばで寝るのはぞっとしないが、その図体のおかげで吹雪を楽に凌げるとのことだ。じっさい、横たわる巨体は大型バスの横で吹雪をやりすごすような形となり、今までよりもテントに吹き込む風が減っている。

 びくびくしている私を尻目に、ギィは毒を使わなければよかった呟いた。どうしてと問えば、毒が回っていなければ肉を食べれただろうと真顔で言う。イナゴの佃煮のレベルじゃない。確かにたんぱく質ではあるだろうけど!

 物ほしそうにトンボの腹を見ていたギィに、私はそっと、ジャガイモの入った籐の籠を差し出した。






 そして朝。

 吹雪は嘘のように止み、私たちは出発した。山を下ってしばらくしてようやく一般人の行きかうような道へ合流した。轍の跡や人と獣の行きかう痕跡を見て

、私は心の底から息を吐く。


 その日の昼すぎ、私はひさびさに人工の建築物を目にする。

 徐々にその姿をあらわすその大げさな建物は、たとえて言うなら中世ヨーロッパの城砦そのものだった。


 ビエチアマン。


 どことなく人を拒むような、独特の母音の響きをもつ町。







 大きな門扉のところには、いかにもという感じで衛兵みたいな人が二人いる。やっぱり全身に毛皮をまとっていて槍みたいなものを持っている。目つきもよろしくはない。

 こういう入国審査みたいなものはククルージャにはなかった。あそこは本当に、市場が進化してまわりに人が住み着いたという原初的なふうだったのだ。


 こんなふうに身元を改められるということは、このビエチアマンという町、ククルージャよりも行政が発展しているのかな。

 治安維持のための警察や火消しなどの消防士は、それなりの規模の人口や税金がなければ存在できないように思うのだ。


 そんなことを考えながらきょろきょろしている私を尻目に、ギィは首にぶら下げていた紋章のようなものを衛兵に見せ、さっさとトナカイを進める。

 それをちらりと見ただけで、衛兵は通れという感じにあごをしゃくった。人の行きかう量も多いから細かくは見ていられないのだろう。


 そりに乗ったまま、町の奥へと進んでいく。

 まわりは石造りのアパートみたいな建物が多い。さすがに窓はガラスとはいかないが、木でできた鎧戸がはめ込まれている。

 一軒家なんてものはまったく見当たらない。まるで塔のようにそそり立つ集合住宅しかないみたい。道は比較的広くなだらかで、行き交う誰もが家畜にそりを引かせている。そりに乗ったまますれ違うことができるほどの道幅だ。ククルージャでは一人でも買い物かごからはみ出たネギが壁にこすってしまうような幅の道さえあったのだが。

 驚くべきことは、道の両脇に排水溝のような溝がきちんとあることだ。治水の工夫までなされている。ずいぶん高度な技術だ。


 ふと懐かしく感じた。ククルージャほど坂道はきつくないものの、このビエチアマンでも同じように緩やかに上りが続いているためだろう。

 通路の上には建物があとから付け足されたようにせり出して上の空間を侵食していっていた。道の上、向かいの建物に合体してまるでトンネルのようになっているところも多い。人口が増えてあわてて増築したかんじだ。

 それにしても歩いている人たちはどこへ向かっているんだろう。

 みんな身軽な格好なので、市場へ売りにいくわけでも買いにいくわけでもなさそうだ。


「ギィ、このあたりのひとたちはどうやって生計を立てているんだろう」


 私は興味を抑えきれず尋ねてみた。

 日本でも、ときどき行く旅行先でその土地の様子から生活の成り立ちを考えるのが好きだった。

 静岡では広大なお茶畑、四国では工夫された棚田、関東の湾岸の工業地帯、倉庫の群れ。いろんな人がいろんな人の生活を、ひいては私の生活を支えてくれていると感じては、世の中はよくできていると感心していた。


「原料を仕入れものを造って売りに出す。雪国ではどこもそうしている」


 それぞれの工房へ向かったり、入り用のものをそろえているんだろうという言葉に納得する。

 なるほど。北陸や東北地方の冬に似ている。日本では仕入れることなく地物じもので作っていたりもするからちょっと違うか。

 雪に閉ざされ畑作や稲作は不可能だから、加工して降ろす産業がさかんなのだ。

 冬に仕事ができない人たちの知恵から生まれた伝統工芸品は、ほんとうにため息をつきたくなるほど美しい。

 漆の技術の塗り物や、木彫りの人形、木の籠……。この世界ではどういうものが見られるのかな。 

 どんなものを創っているのかは、きっと市場でも通れば想像できるだろうけど、この時間は市場は終わっていそう。あれは朝早くから昼前までが主な活動帯だ。


 歩いている人たちはとにかく、みんな同じような格好だ。毛皮に包まれて転ばないように足元を見て歩いている。その歩く速さときたら! スパイク付きのブーツなのかと疑うほどのスピードだ。圧雪された雪は石畳の上でところどころ氷の板になっているのにどうしてだ。


 そんなことを考えていたら、ギィの操縦するそりはいつのまにか町の中心にある広場に着いたようだった。

 バスケットコート二面分くらいの広さだ。広場に面するようにちょっとした店が円形に軒を連ねている。タバコ屋、貸本屋、パン屋。コーヒーではないだろうが、暖かい飲み物を店頭で出しているものもある。バーとか喫茶店みたいな感じかな?


 本当にククルージャとはまったく様相が異なっていて興味深い。

 いろいろ眺めていると、ギィが私に向き直った。


「俺は行かなければならないところがある」

「はい」

「あんたはここに置いていく」

「うん、わかりました」

「あんたには貸しがあるな」

「ありますね。大きな貸しがいくつも」

「頼みたいことはとても危険なことだ」

「だと思っていましたよ」


 ギィは不可解そうに眉を寄せた。なにかなその反応。


「……とても、危険なんだ」

「はい」

「ひどく危ないことで」

「聞きました」


 三回言われた。相当なんだろうなあ。というか頼む相手私でいいの? この世界の常識も特殊な技術も何もないよ私。

 ギィはじっと私を見ている。暗闇のなか小さな文字を読み取ろうとするように私を見て、ため息をついた。


「――日暮れ前に、迎えに来る」

「わかりました」


 いってらっしゃいと声をかけた私を、やっぱり困惑顔でちらりと見てから、ギィは手綱を引いて遠ざかっていった。







 私は思いがけずできた自由時間を満喫するように、広場にあった木箱に腰を下ろした。


 久々に一人になって、気が抜けたのかもしれない。ここにきてからのことをぼんやりと思い返す。


 砂漠に来た。売られた。買われた。四人とわりとほのぼのした生活を送った。

 しゃべる腕輪に会った。また転移した。こんどは雪原。男のふり。

 ギィに拾ってもらった。巨大なトンボに襲われた。文明のわりと進んだ城砦に来た。

 そしていま、ひとりだ。


 誰はばかることなく、私は大きく息を吸い込んで、吐いた。

 拓斗、と呟いてみる。

 私がこの世界に来てから、どれくらい経っただろう。半年まではいかないはずだが、本当に地球の時間の流れ方が違うことを祈るばかり。

 もしも同じでも。数日も無断欠勤した私にはいろいろな連絡が入るに違いない。大家さんにだって知らせはいくはずだ。そうすれば合鍵で部屋を開けて、きっと拓斗の存在に気づいてくれるはず。そうに違いない。

 どうかどうか、無事で生きていてほしい。拓斗。

 

 上体を折り曲げて膝に額をくっつける。曲げた脚を抱え込んで体育すわりだ。

 すごく切ない気持ちなのに、お風呂に入っていない自分の体臭がして、思わず苦笑いをする。

 どんなときでもおなかはすくし眠くもなる。清潔に自分を保てないと嫌な気分にもなる。この上なく、今というものが現実のようだと思う。

 膝に埋めていた顔を上げて顎を膝頭に乗せる。なんとなく自分の手のひらを広げて眺めて見る。皮膚が硬くなり、ところどころあかぎれそうにもなっている。爪の先には泥だか土だかが入り込んでいる。その爪はいつの間にかかなり伸びていた。爪きりはないのでやすりのようなもので削って整えていたのだが、それにしても爪の隙間の泥やほこり。この上なく不愉快だ。


(小娘、何をしている)


 たまが話しかけてきた。最近は緊急ではない限り黙っていることも多いのでちょっとめずらしい。

 爪の甘皮を整えてるよ。やれる範囲のお手入れ中なのだ。


(何をぼさっとしている。はやく姿をくらませよ)


 ん? どうして?


(阿呆か。あの小僧がいない今以外、いつ逃げるときがある。あるいは本気で小僧の頼みを聞き入れるつもりか)


 そうだけど。だってあれだけ助けてもらったのだ。移動中の衣食住まで、まるごと世話になっている。

 そう言えば、たまは鼻息も荒く憤慨した。いや鼻はないのだが。


(この抜け作め! 逃げていいに決まっている。だいたい小僧も逃がす気がまんまんだったではないか。そこをあえて待っているなど愚の極みというもの)


 え、逃げていいような雰囲気だったっけ?

 確かに別れ際は複雑そうな顔をしていたが。

 たまはまだ私を罵っているが、私は動くつもりはない。

 ここで逃げてアレクシスのところへいけたとしても、歯にものが挟まったような後ろめたさが残るに違いないのだ。


 そういう融通の利かないところが私にはあったりする。


 たとえば中学生のときに、私は美化委員だった。学校前の花壇の清掃を言いつけられたのだが、私以外の委員はみんなサボったことがある。

 じっさい花壇は見た感じきれいだった。よく見ると土にタバコの吸殻が埋もれていたり、汚くなったペットボトルが半分顔を出しているのがわずかに見える程度。

 友達は上から土を被せれば隠してごまかせるし誰も見てないよと言ったけど、私はそうできなかった。

 誰に怒られるとか、誰も知らないとかの話ではない。ほかの誰が知らなくても、この私が、私自身が、気持ち悪いのだ。

 中高と一緒だった友人は、私のこういうところを見るにつけ、要領が悪いなあと呆れたものだがどうしようもない。


 なので、義理を果たしたい! とかいう立派な心ではまったくない。ただ私はずるをすると、それを気にしてほかのことで失敗するという、典型的なタイプなだけだ。


 そういうわけで私は待った。

 たまが怒ってふて寝してもギィを待ち続けた。


 いや、腕輪は寝ないのかもしれないが。






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