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アザレア

「おーい!」

 あたしの声に彼が振り返った。昨日と同じ場所で、彼は転記輪の解体に立ち会っていた。

「いま帰りか」

「ちょっと手こずってさ」

 あたしが苦笑いすると、彼は煙草を一本さしだして火を点けてくれた。

「ゆうべ顔を見せないから心配したぞ」

「うん……でも、死ぬわけないし」

 あたしのつぶやきに、そういうことじゃない、と彼が顔をしかめて悲しげにこたえる。

 にわかに目の辺りがじわっと熱くなって、うつむいて煙草を一口吸う。半日ぶりの煙草は疲れの残る体にはきつくて、くらりとめまいがした。涙がにじんだのは、煙が目に染みたから。

 町では祭りの片づけをしていた。散らばった紙くずや、捨てられた食べ残しを掃き、屋台の骨組みを解体していた。通りを横切るように張っていた、カラスウリを模した小さなランプも下ろされていた。昨日の賑わいが嘘みたいに静かないつもの日々に戻っていく。

 あーあ、飾りのついた電車に乗りたかった。屋台のお菓子も料理も食べそこねちゃった……。

 思いもよらないことが起きていつもより大変だったから、昨夜は研究所に泊めさせてもらった。もちろん、所長が用意したご馳走はぜんぶ頂いてきたけど。

 転記輪は一年に一度の仕事を終えて、骨組みだけを残して駕籠 (ゴンドラ)が外されていく。いたずらで乗られても困るから、駕籠は研究所の倉庫に保管されて来年の出番を待つ。

「ごめん、見つけられなかった」

「そうか」

 彼はあたしを通りの人目からかばうように、背後に立って両肩に手を乗せた。二人して転記輪が人夫たちに解体されて行くのを黙って見ていた。

 秋の澄んだ青空に、転記輪の腕木が伸びている。

 同じ空の下のどこかで、お母さんは今も生きているんだ。


 ケンタウルの星祭りの夜、天気輪の丘で気を失って倒れていたあたしを見つけたのは、伯母さんだった。

 町のひとたちは、みんな川へ行っていた。溺れた子どもを助けに。

 伯母さんが、どこであたしとお母さんの異変に気づいたのかはわからない。汽笛を聞きつけたのかも知れない。伯母さんはれっきとした魔女だったから。そして、お母さんも……あたしも。


「お母さん……ダリアの列車に強引に乗せられて、あたしもあんたもいい迷惑。なのに、ダリアはどこかに行ったっきりだ」


 死者だけが乗る列車に生者は乗るべきじゃなかった。あたしの自慢の金の髪は、一晩で白銀に変わっていた。体は歩けるようなるまで半年ベッドにしばりつけられて、それきり時を止めた。彼はといえば……。


「でも、わたしは後悔が薄いよ。疎遠なままで終わらずにすんだ、ダリアおばさんのおかげで」

 あの時、列車で聞いたのは、彼のはずんだ声だった。それまでしばらく聞いたことがないくらい、明るい話し声。彼もあの子も。

「あたしが、今もあの子とつないであげられたら」

 あの銀河の砂粒の中に、あの子の光もあったのに。あたしには手が出せなかった。

 彼がくすっと笑った。

「どのみち、近いうちに話せるだろうさ。いいかげん、終わりが来る」

 そう言うと、彼はあたしの唇から煙草を取りあげて、代わりにくわえた。

 人夫が駕籠を乗せた馬車から手をふって、合図をよこした。

「これで終わりです、ジョバンニさん」

「ああ、ありがとう。お疲れさま」

 二台ずつ駕籠を乗せた馬車が五台、ゆっくりと動き始めた。来年まで、ひとまずお役御免だ。

「また来年だな。所長は馬車を出してくれそうか?」

 あたしは大げさに、肩をすくめた。


 ――死者との対話が真実かどうかは、見極められなかったのですが――と、ロマノのあたしから目を逸らして不満げに話した。

「あんたの願いを、かなえられたらいいんだけどね」

 あたしはロマノの左手首を見た。今朝も白い包帯が袖口から少しだけはみ出ていた。

「あたしが言うのもなんだけど。ここは『生者の都』だから。あたしたちは生きていくんだから」

「死んだ者のことは、忘れろと?」

 ロマノの眼は尖っていた。たぶん、あちら側で母親(あいつ)を探している時、あたしもこんな目をしているんだろう。所長がロマノ後ろで首を横に振っている。

「覚えててあげたらいい、あんたが」

 怒っていた肩がすとんと落ちて、ロマノの体から力みがなくなったように感じた。

 それしかできない、覚えていて思い出して忘れずにいて。それくらいしか。ロマノは頬が削げるほど、誰かを思っているんだろう。それからポツリと言った。

「……来年は、迎えに馬車を出しましょう」

「それは、ありがたいわね」

 所長がほほ笑みながら、手を振ってみせた。うーん、あやしいものだわ。期待しないでいよう。

 あたしは、お土産が入って膨らんだ鞄を肩にかけなおして杖の鈴を鳴らした。


「さてと、そろそろ帰るわ」

 ジョバンニは、転記輪を見回りが終わって帰り支度をしている。

「お茶でも飲んでいかないか」

「ううん、ちょっと寄りたいところがあるから」

 あたしは、杖を斜めにして右足をかけた。

「大じいちゃん!」

 男の子の声にジョバンニが振り返った。見ると、十才くらいの男の子が駆けてくる。

「大じいちゃん、むかえにきたよ」

 母親の手作りだろうか、パッチワークの鳥打帽と吊りズボンの男の子がジョバンニに飛びついた。あたしを見つけると、はにかむように笑っておじぎした。目のあたりがジョバンニとよく似ている。

「ああ、孫の孫だ」

 ジョバンニは、ゆっくりと年をとっている。あの列車に乗ったあたしたちは、人の(ことわり)から大なり小なり外れてしまった。今さらダリアを見つけて、元に戻せといっても無理だろうとは思う。

 この子からしたら、ジョバンニは大じいちゃんだわ。とうに百を超えている。あたしは鞄の中から指で探って、小ぶりの缶を引っぱりだした。

「これ、あげる」

「アザリア」

「いいの、貰い物で悪いけど」

 赤や黄色の果物の絵が色鮮やかに描かれてある缶を渡すと、男の子が缶を鼻にくっつけて大きく息を吸いこんだ。

「うわあ、あまいにおいがする。ドロップ? ありがとう」

 すまんな、とジョバンニが言った。どういたしまして。あたしは、ぺこりと頭を下げた。

「じゃあ、また来年」

「ああ、待っている」

 ジョバンニはあたしの手にコウモリ柄の煙草の箱をひとつ乗せた。魔女に、コウモリ。あたしに似つかわしい銘柄だね。

 もう一度、傾けた杖に右足をかける。ふわりと杖ごとあたしが宙に浮くと、男の子が缶を抱きしめて目を丸くした。

 杖の先の鈴がしゃらんと鳴った。

「何かあったら、知らせて」

 ジョバンニはうなずいた。

 どうか来年もまた会えますように。

 男の子がちぎれるほど、あたしに手を振った。あたしも、負けじと振り返す。

 町並みはすぐに遠ざかり、金色になったオリザを杖のうえから眺めた。


 農婦にトマトの礼を言おう。それから、名前を聞こう。

「アビトの妻」ではない、彼女の名前を。



 おわり









お読みいただき、ありがとうございます。

本作は、文学フリマ岩手アンソロジー第二弾のために書き下ろした……まあ、なんつーか途中から「これ出したらダメ」って思った作品です。


いや、怒られるでしょう、噴飯ものでしょう、これ賢治ファンからしたら(;´∀`)


そんなわけで、またも「いったい誰が読む?」なものを書いてしまいました。

お読みいただけるだけで、幸いです。ほんと。


★登場人物のしょうかい★


アザレア

 「アザリア」にするかどうか、表記がゆれまくりだったけど、好きな音のほうを選びました。「アザリア」は賢治が学生時代に発行していた同人誌の名前です。

歳を取らない、というか不老不死の体を持つロリババアのアザレア。暴飲暴食しても、太りません。煙草は吸いすぎ注意。


ジョバンニ

 死者の列車に乗った影響で、年を取るスピードがとても遅くなってしまいました。現在は、孫一家の同居させてもらってます。いたって健康なので、あちこちお手伝いして歩いて、手間賃を稼ぎつつ余生を送っています。転記輪はいちおう関係者ということで毎年手助けしに来ています。


ダリア

 じぶん、「ダリア」の響きが好きなのは、大島弓子の『ダリアの帯』がとても好きだからかも知れません。そんなわけで、母親はダリアにしました。


伯母さん

 ダリアの姉。魔女でふだんは森に棲んでいます。たまに妹の家に来て町場でちょっと息抜きをする生活でした。煙草とお酒が大好き。手先は妹のダリアに比べて非常に不器用なため、もっぱら片付けや子守を手伝っていたみたい。ダリア失踪後は、アザレアの親代わりとして魔女のあれこれを教えてあげて死去。


所長

 町の名家の分家。本家の金融事業の株の配当でのんびり暮らしています。父親から引き継いだ研究所を運営。年に一度、転記輪を動かして研究のデータを採取、ついでにお金もいくらか儲けます(笑)

 初めてアザレアに会ったときにはまだ二十歳くらいでした。父親とアザレアの住む森へ出向いたら、アザレアは住いの近くの小川に顔を突っ伏して仮死状態……というサイアクな出会いでした。


ロマノ

 「父さん、アザレア殿への馬車の手配をしなければ」「ああ、出さなくていいよ。自力でこさせて。電車に乗ればすぐだし。あのヒト、そうでもしないと社会と交わらないから」「……」

 かくて、翌年も自力でやってきたアザレアでありました。




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