転/第百十六話:(タイトル未定)
退室したシノさんが閉めた扉の音が区切りを打つように響いてから、しばし。言葉のない間が、一切の窮屈さなく生じた。
個人的には“このタイミングで”速やかにお訊ねしたい事柄があり、口はすでに訊くための動作を開始していた――
敵対しているようだったシノさんとの関係が、急激に変化したようだが、なにがあったのか。その変化の要因に、もしかして“オレのこと”が含まれているのでは。お師匠さんに話をうかがうことや、オレが受けた矢に仕込まれてあったという“毒”の解毒剤をゆずりうけるために。そのせいで、“壱さんがイヤな思い”をするような条件をのんでしまったのでは。
――のだが、脳ミソの片隅にすんである“冷静さ/慎重さ/気にしいなところ”が、果たして“それ”は本当に訊いてもよいことなのだろうかと、訊くための“発声/発音”を「うぐっ」とせき止めてきおった。結果、急停止できなかった我が口は、「ううんむ」ともにょもにょと所在なくうごめくに終わる。
「うん? どうしたのですか、刀さん。干し肉がなかなかのみ込めなくてずっと噛んでしまっているときのような苦悶の呻きを漏らしたりして――ぬっ、まさか、私が気づかぬ間に干し肉をっ?」
「食べてないですよ」
というか、いままでの流れから、どうしてこのタイミングで干し肉を食べていると思うんですかね。
「えー」
「えー、って言われましても。そもそも、干し肉なんて持ってないですし」
「私は、ほぼ常に所持していますよっ」
壱さんはちょいとすましたエヘン顔で、そう返してきなさった。
「そんなに好きなんですか、干し肉」
「うん? まあ、好きですよ。旅の携行食としても、優秀ですからね。軽くて、保存がきいて、なにより美味しい――少し、のどが渇いちゃいますけれど」
言ってて“食したときの感覚”を思い出しちゃったのか最後、壱さんは「じゅじゅり」と控えめにのどを潤す。
「“旅の携行食”? ――あっ」
そうだった。壱さん、食い気のヒトでありつつ、旅をするヒトでもあったんだ。うっかり、好物を欠かさない的な意での“ほぼ常に”だと思ってしまったわ。
「んー、でも、干し肉でないとしたら――」
ことさら難問に挑むヒトの顔をしてから壱さんは、
「訊ねたいことがあるけど、訊ねてよいのか迷ってしまった結果、言葉をもぐもぐしちゃった――とか、ですか」
あてずっぽうな答えを冗談めかして口にするように、ズバリと言うてきなさった。
「おっしゃるとおりです。はい」
「あら、素敵っ! 以心伝心というやつですねっ!」
なんだろう、以前もこんなやり取りがあったような……。
「ふふっ、それだけ通じあっているということですねっ」
「そのようですね」
「それで、刀さん。訊ねたいことがおありなのでしょう。これほど通じあっている刀さんと私なのですから、いまさら遠慮することないのですよう?」
こちらの気持ちどころか“脳内/思考/考え”まで“以心伝心/つつぬけ”な壱さんだから、もう言わずともわかっちゃっていそうな気もする。――が、それはそれとして。これは、オレが知りたいことなのだから、“自分の口”から“自分の言葉”を発してお訊ねすべきだろう。当たり前だけれども。
「では、遠慮なく。……ええっと、そのう、し、シノさんとは仲直りされたんですね?」
「はい?」
壱さんは心の底から意外そうな顔をして、
「んー、シノと個人的に仲違いした覚えはないのですけれど」
ほっぺに手を添え、努めて思い当たるところを探るようにおっしゃった。
「えっ?」
事ここに至るまでを思うと、当人の言葉でも素直に受け取れず。
「“アレで”ですか」
ともすれば失礼なことを、うっかり口にしてしまった。ウソ偽りない、包み隠さぬ正直な“感想/印象”ではあるのだが。
「“アレで”? ……ああ、なるほど」
壱さんはポムとひとつ柏手を打って、納得したふうな顔をしたあと、
「そうなんですよー」
イタズラを思いついた小僧がごとく「ぐふり」と口の端を釣り上げ、
「私の友――シノは“愛情表現”が過激なのでっ! もう困っちゃいますよねっ!」
外にまで届くであろう大きな声で、笑うように言った。
「やめてください。壱さん」
木材を殴りつけたときのような打音と同時、努めて冷静に抗議する威圧感ある音声が、喰らいつくように飛んできた。
窓の外、黄昏時の光に縁取られたヒト型の影が、窓の枠をぎうと両の手で握り、身を乗り出すようにしている。耳や頬が赤らんでいるようなのは、たぶん射し込む黄昏時の光に縁取られているからだろう。
「おや、その声は。シノ、おかえりなさい。早かったですね」
「“早かった”、ではありません。向かおうとしたら、誤ったことをやたらと明瞭に話す声が聞こえてきたので、抗議せねばならなくなってしまっただけです。発言を改めてください、壱さん」
ヒト型の影――シノさんは、淡々とした口調で要求する。
「むーん? しょーがないですねぇ。……では、改めまして。刀さん」
「え、あ、はい」
「シノはですねぇ――こう、絶妙な不器用さがあって可愛いのですよ」
壱さんはさっぱりさらりとした自然体で述べると、“思い出して味わう”ように微笑む。
「な、るほど……」
疑う余地がない“深み/親しみ”をかんじる表情と雰囲気だ――が、それよりも、窓の枠がメキョメキョと苦悶する音が気になってしまう。
「……はぁ」
どこか疲れある溜め息が聞こえ、事切れるようにメキョ音が収まった。
「もういいです」
シノさんは気持ちを切り替えるような言葉のあと、意をこちらに向け、
「いいですか、壱さんの口にする“私に関すること”は信じないでください」
やや身を乗り出して、「いいですね」と念を押してくる。
「はい」
と肯かなければならない気配がした。黄昏色の後光による神々しさアップの演出効果によるものだろうか。よるものだろう。決して、肯かないと「いいですね」が無限ループしそうだからとかではない。
「――では。これで。失礼します」
よし、としてくれたのか、シノさんは乗り出し気味だった身をもど――
「あ、シノ、さっきは言いそびれてしまいましたけど」
という壱さんの呼びかけに、ピクリと身をこわばらせるようにして止まる。
それ以上の反応はなく、シノさんは黙して“続き”を待つ。
「いってらっしゃい」
「……いってきます」
応じて、弛緩させるようにこちらに背を向け、シノさんは黄昏色の光の向こう側へと去り行く。ちらりと振り返るとき垣間見えた表情は、光の色味によってか、柔らかく見えた。
――それから。
数泊の間を置いてから、率直な感想を口にする。
「仲違いしていないのは、なんとなく伝わってきましたけど。だからこそ、どうして、あんな――矢で狙うようなことを、壱さんを倒そうとしていたのかわからないです」
「“アレ”は、個人の意ではなく、“属するところ”の意向です。刀さんが寝ている間、シノとお話して確かめました。まあ、一発、ひっぱたきたかったらしいですけどね」
壱さんは最後、冗談めかして微苦笑しつつ言った。
「“属する/集団の中にある”というのは、難儀なものです」
詳しく“なに”があるのかはわからないが、“なにか”があることは、さすがに察せられる。だから、
「あの、さっきお訊ねしたかったことなのですが」
やっぱり、きちんと確かめないといけない。
「そういえば、まだでしたね。なんでしょう」
「その……、“属するところ”の意向だとしても、シノさんは壱さんを倒そうとしていましたよね」
「そうですね。そうでしたね」
「でも、いま、シノさんはそういうことおこなおうとしないですよね」
「そうですね。“そのため”のお話をしましたからね」
「もし、“そのため”に壱さんが“イヤな思い”をするような条件をのまなければならないのなら――」
「条件は“故郷に戻ること”です。“イヤな思い”――まあ、故郷ですからね。いい思い出もあれば、そうでないのもあります。そう思うこともあるでしょう。でも、それは、とくに変わったことではないと思いますけど?」
「確かに、そうですけど。でも、“故郷”に、壱さんを倒さんとシノさんにさせた“なにか”があるんですよね」
いままでのお話から察するに。
「そう、かも、しれません」
「思い出以外でイヤな思いをするかもしれないのなら、無理に戻らなくても。――なんなら、いっそこのまま一緒にどこかべつの場所へ」
いや、まあ、オレは同行しないほうがいいかもわからないでれども。
「あら、逃避行のお誘いですか? ふふふ、少し憧れちゃいますね。でも、残念。お受けできません。無理なんてしていませんからね。それに、刀さんをお師匠に紹介するという楽しみもあります。刀さんも、お師匠に会うのを楽しみだとおっしゃっていたでしょう」
確かに、壱さんの師匠さんがどのような人物なのかとても気になる。加えて、帰るための手がかりが得られるかもしれない可能性もある。でも、だからって――
「確かに、そうですけど。それでも――」
「んん、うーんむ」
当人の“意/言葉”があるのに、オレが「やんややんや」と言うからだろうか。壱さんは己が口元に握った右の拳を添え、訝るように眉根を寄せて、
「むむむむっ」
力を溜めるようにうなった。
まさか、言葉で相手するのがメンドイからって物理で説き伏せるおつもりではっ。
「あっ!」
と、満を持した握った拳が、こちらの顔面に向かって打ち出され――ることはなく。
壱さんは拳をそのまま振り下ろすと、左の掌でベチンと受け止め、
「もしかしてっ」
気づいちゃったというふうに、“物理/拳”に代わって言葉を投げてきなさる。
「刀さん、自分のせいで私が“故郷に戻る”ことを選んだと思っていますか?」
「べっ! その……、“解毒剤をゆずってもらうため”だったり、お師匠さんからお話をうかがうためだったり、“それ”のせいで“意もうかがわず背を押すようなこと”になっちゃったのではと」
「それは正しくありませんよ、刀さん」
やや食い気味に、壱さんはキッパリとした口調で否定してきた。
「刀さんにお話をせず決めたのは、私です。――“解毒剤を云々”については、なにのことかよくわかりませんが」
そりゃあ、ぶっ倒れて寝ていましたからね。オレ。お話できな――って、え? あれ?
「解毒剤、わからない? オレが受けた矢には即効性の猛毒が仕込まれてて、だからその解毒剤をシノさんからゆずってもらうために――。それと壱さんの適切な処置があって――。だから、いまオレはこうしていられるんじゃ――」
「うん? 即効性の猛毒なら、そもそも解毒を施す余裕なんてないですよ。それこそ、即、効いてしまいますからね」
「言われてみれば、確かに」
それもそうだな、と思った。“そっち”に関する知識がまったくないから、真偽は判断できないけれども。旅人である壱さんだから、オレなんかより確実に知識があるだろう。
「……うーん。でも、私も、シノも、毒について口にした憶えはありませんから、もしかしたら夢と現の記憶がまじってしまったのかもしれませんね」
「それは、つまり、オレが寝ぼけていると」
「起きたばかりですからね、刀さん」
壱さんは優しさにじむ微苦笑を浮かべ、「しょーがないことです」と断じるように言う。
そんなわけ――
「……………………寝ぼけていたようです」
――ない、と主張したかったが、自分でもなぜに“解毒剤を云々”と思ったのか、その根拠たるモノがいまいちハッキリせず。壱さんが言うように、“夢での出来事”とごっちゃになっているようでもあり。どうにも、反論できなかった。ただ、胸の内には、“もやっとしたモノ”が残っている。
「コホン」
壱さんは軽く咳払いをしてから、
「少しお話を戻しますが――」
と、口を開く。
「今回、“故郷に戻る”のは、“私の都合”なのです。ですから、そうですね、言葉を選ばず、誤解を恐れずに言うと、お師匠に“刀さんのこと”をうかがうのは“ついで”です」
むしろ“ついで”なのは当然だろうと感じるので、とくにどうこう思わないが、
「“壱さんの都合”、ですか?」
と、こちらに関しては気になってしまった。
「そうですよっ。夫を紹介しなければなりませんからねっ」
「ううん?」
なにが語られるのかと一瞬、身構えたら、まったく想定外のことを言われて拍子抜けである。変に力んで、変に弛緩したから、肩から首筋かけてがピキッとなった。というか、そろそろ思い出の一頁に収まっていてよろしそうな“設定/収穫祭という名の大食い大会の名残り”は、いまだ現在進行形なんですね。
「べつにウソは言ってないですよ。これも“私の都合”の“ひとつ”ですもの。――それとも、刀さんには私がウソをついているように思えるのですか?」
「まさか」
「ですよねっ」
困りましたというように可愛らしく小首を傾げ、ほっぺに力強い握り拳を添えていた聖人君子さんが、ニコッと微笑む。
「でも、“ひとつ”ってことは、“それ”いが――」
一歩、踏み込むがごとく、問いの言葉を投げんと投球フォームにはいったところで。
不意に。
扉をノックする音がして、
「いいかね」
と、ドクさんの声が訊いてきた。
「大丈夫ですよ。どうぞ」
我が問いはなかったがごとく、壱さんは明るさある少し大きな声で応じる。
「刀さんも起きたところです」
「おお、それは。具合はどうだね」
ドクさんは後ろ手で扉を閉めつつ、優しさある眼差しでこちらをうかがう。
「壱さんのおかげでバッチリ治りました。この通りっ」
ことさら矢を受けた肩をグルグル回したりして、全快っぷりをアピールしてみる。
「無理は――していないようだな。これは驚いた」
「オレもです。傷も完全にふさがっていて、あまりの完治っぷりにビックリしました」
「うむ。やはり“こちら側/異世界”には、興味深い物事がまだまだあるようだ。ますます楽しくなってきたではないか。是非とも、どのような処置を施したのか、詳しく話をうかががっ!」
勢いよく開かれた扉が、ドクさんの語りに終止符を打った。
「ドク――あ、ゴメン」
半端に開いた扉から訝しげに顔をのぞかせたレンくんは、ストッパーになっているドクさんに気がつくや驚きお詫びし、
「って、また、なんか語ってたの?」
普段の付き合いから察したのか、すぐに調子を戻して、
「呼びに行って、なかなか戻ってこないでさ。ごはんが冷めちゃうぜ」
うんざりしたふうであり、あきれたふうでもある半眼になって指摘する。
「ごはん? ……おお、そうだったな」
ドクさんは「いかん、いかん」と後頭部を数度、さすってから、
「まあ、そういうわけでだ、夕食の準備ができている」
と、こちらに視線を向けて言う。
「どうだろう、食欲は――」
「ありますっ!」
食い気味に、勢いよく挙手して応じる。――壱さんが。
「うむ、そのようだな」
ドクさんは一瞬だけ驚いたふうに眉を持ち上げてから、すぐに気持ちのよい笑顔になって、壱さんの返答を受け取った。そして、その流れを崩さず、再び視線をこちらに向ける。
「刀くんは、どうかね」
「はいっ! ありますっ!」
先人にならって挙手をして応じてみる。
「いい返事だ。では、“夕餉/ゆうげ”にしよう」
「ええ、そうしましょうっ。すぐしましょう」
壱さんは謎の迫力と威圧感をまとって立ち上がると、
「さあ、刀さん、行きますよっ」
マラソン競走でバトンが来るのを待つ選手がごとく、こちらのほうに手を差し出す。
「じつは、先ほどから“美味しい匂い”がお腹を刺激してきて堪らなかったのですよっ」
「そういえば。しますね、そこはかとなく」
言われて意識し、気がついた。――なんてことを思いつつ、ニギニギ待ち構えているお手に、バトンの代わりに己が手を渡す。
手をつかまれた転瞬、ぐわんっと身体を引き起こされた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
壱さんはさらりとした返しを口にしつつ、あまり探るような身動きなく、ズンズンと歩を進める。室内の位置関係や“ここ”の間取りはすでに把握済みなのか、あるいは“食”のためだから“感覚/空間把握能力”が研ぎ澄まされているのだろうか。
ともあれ、壱さんの頭には“食”のことしかないようで。
だからか、どうにも“壱さんの都合”について問う言葉を投げる機会を逃してしまった。
だから――ということにして。