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転/第百十五話:(タイトル未定)

 身体は渇望していた“当たり前/空気”を激しく、これでもかと味わっていた。

 顔面のまわりから水の“気配/触感”が消え去ったと脳ミソが知ったのは、数度目の深い呼吸をおこなったあとである。

 もう、なにがなんだか。理解が追いつかず。思考の整理も間に合わず。

 ただただ疑念を懐きながら、慎重に目を開く。

 淡い暖色に照らされた木製の板――たぶん天井、が見えた。

 背中や後頭部にある触感を考慮して察するに、どうやら寝具的なモノの上で横になっているようだ。

「……うん?」

 改めて脳内を整理整頓しようとして、けれど“新たな気になること”に気がついた。意が、徐々にはっきりとしてきたからかもしれない。

 横っ腹と左腕のあたりが妙にぬくぬくする――というか、熱く。その部位に、ぐぐいっとくる“圧/重さ”を感じるのだ。

 右の手腕を支えにちょいと上体を起こして、意を向ける。

 我が横っ腹と左の手腕を枕に、くうくうと密やかな寝息を漏らす壱さんのお姿があった。

 なんでだろう、この胸の内に「ほっ」として湧き起こる“やっと逢えた”感は。

 すぐに肩を揺すって起こしたい、その声を耳にしたい――という衝動はあったが、そんな自分勝手で壱さんの睡眠を妨害したらよろしくないと思い留まり。とりあえず、壱さんが起きるまで、横になって脳内を整理整頓しよう――

「ん、あ……ふぁふっ」

 ――と、したところで、

「いけない」

 我が横っ腹と左の手腕にかかってあった“圧/重さ”が減り、なくなり、

「寝てしまいました」

 約一名さまが、むくりと上体を起こした。

「“ようかん”っぽい食べ物があるって聞いたんですけど、知ってますか? 壱さん」

 なにをいきなり寝起きのおヒトに訊いているんだろう、オレは。

「――へ?」

 壱さんは数拍、きょとんとしてから、

「あ、え、刀さん?」

 はっとして驚き慌てたふうに、手腕からたどるようにして我が顔に手をやり、

「よかった……」

 ぬくもりある両の手を、こちらの両の頬に添えて、申し訳なくなるほどに優しい微笑みを浮かべ――たと思ったら、ガシッと添えてあった両の手で我が頭部を固定、そのお手々の指が数本、我が首の太い血管のあたりをグッと押す。それから、

「もうっ」

 眉根をぬうと寄せ、ほっぺをぷくっと膨らませた、ともすれば涙を堪えているふうでもあるお顔を、なかなかの勢いでもってグググイッとこちらに近づけ――

「おうふっ」

 壱さんの“おでこ”が、ゴチッと鈍い打音を鳴らして我が眉間にくっついた。

「すみません。“ようかん”っぽいヤツのことなんて訊いて」

 両の頬をガシッと圧迫されているために口がすぼまってしまい、どうしても発音がふざけているようになってしまう。

「ぬうう」

 壱さんはなんでか小さく唸りながら、くっついてある“おでこ”でグリグリと我が眉間を押してきた。クルミとかを間に挟んだら、その殻ごとすり潰せるんじゃあなかろうかというグリグリ圧力だ。

「――はあ」

 グリリッと最後に強く“おでこ”で押してから壱さんは、ゆっくりと顔を離し、

「いいですよう、もう」

 言って、ほっぺをぷくっと膨らませた。どこか柔らかな雰囲気ある、まるで「ほっ」として微笑んでいるような“不満顔”である。

「それで、刀さん」

 息を「ぷほっ」と吹いてほっぺを元に戻し、

「似たモノがどうのという以前に、“ようかん”とは具体的にどうのようなモノなのですか? なにやら、食べ物のようですが」

 むっとしたふうな表情は努めてそのままに、訊いてきなさった。

 どうやら壱さんの“食に関する事柄”への“情熱/熱意/興味/好奇心”は、いまも平常運転のようだ。

「はい、食べ物――和菓子ですね。甘味です。えっと、もう少し具体的には――」

 壱さんが食に関して平常運転だったことが、妙に嬉しくて。なんだろう、「ほっ」とするかんじの嬉しさとでも述べようか。だから、“ようかん”が“どのようなモノか”について、自分の知っていることを余すことなくお話しさせていただいた。

 ちなみに依然として両の頬をガシッとされたままなので、いまに限らず我が発言はさっきからずっと、すぼまった口でおこなっている。

「ほほう、なるほど。そうですね。確かに、刀さんのおっしゃるモノと似たモノがありますね。以前、味わった憶えがありますよ」

「お、そうなんですね。“それ”は、一般的なモノなんですか? それとも、地域限定?」

「好まれて食べられている地域は、偏っていたと思います。んー、でも、たぶん、探せば“ここ”にもあると思いますよ。交易の国の城下町ですからね、“ここ”。――あっ、そうだ。刀さん、あとでお散歩がてら探してみましょうよっ。思い出したら、味わいたくなってきました」

「そうですね。そうしましょうか」

「はいっ、そうしましょっ」

 壱さんは喜色満面、ツバも飛散する明朗さで言い、

「でも、刀さん」

 はっとして転じ、

「どうして急に、気になっちゃったのですか?」

 唐突だったこちらの発言を責めるふうではなく、単純に不思議というふうで訊いてきた。

「それに、なぜ似たモノがあると? もしかして、話したことありましたか?」

「えっ、なぜって、それは――」

 脳内のどこに“返答”が収まってあるのか知っており、サッと“それ”に手を伸ばし、

「――あれ?」

 けれど手に取った“それ”の中身はひどく滲んであって、正しく認識できなかった。

「なぜ、でしょうね」

「うん?」

 壱さんは不思議がさらに深まったというようなお顔で、小首を傾げる。

 ついでに我が両頬への圧がグググッと上昇した気がするけれども、まあ気のせいだろう。

「いや、あの、こう、のど元まで、出かかってはいるんですよ」

「お腹を叩いたら、ポンッと出てきたりします?」

「んん、場合によっては、魂がポンッと出ちゃうかもしれません」

「じゃあ」

「やめてください」

「ぬう」

「“息苦しさに襲われる夢”っていうのは、ふわっと曖昧に思い出せるんですけどね。でも、だからって、“それ”と“これ”は関係ないでしょうし。うんむ……」

 これは、なんとも、自分で自分に釈然としない。

「そうですか。――はっ! もしや、これは、懐かしい味を楽しめという私への天啓では」

「それはまた、地味に遠回りな天のお導きですね」

「急がばまわれ、という言葉があるくらいです。なにか意があるのでしょう」

 壱さんは教師が子どもに教え諭す口調で言い、

「あ、もしかしたら」

 しかし一転して、

「刀さんと一緒に楽しめという、天のほうからの粋なはからいかもしれませんねっ」

 と、よいことをひらめいた子どもの喜色溢るる表情を浮かべなさり、

「きっとそうですよっ、刀さん。シノも、そう思うでしょう」

 こちらに言ってから、我が側面のほうへも共感を求める言葉を投げた。

「……そう、かもしれませんね」

 数拍の間を置いてから、シノさんの応じる音声が聞こえてきた。

 我が頭部は現状、両のお手々で固定されてあるので音声のほうを向けず。そのお姿は確認できていないが、どうやら室内にいらっしゃるようだ。

「やっぱり、シノもそう思いますか。そうですよね。うん、そうに違いないです。あ、そうだ。シノも、あとで一緒に――」

「その気持ちだけで充分です、私には。ありがとうございます、壱さん」

 冷たさのない淡々とした口調で、シノさんは述べた。

「あら、そうですか」

「それより――」

 心の底から残念そうな壱さんの反応に、あえてかぶせるようにして、シノさんが言う。

「彼の体調はどうです。処置をおこなったのが壱さんですから、もう大丈夫なのだろうとは思いますが。もうしばらく、安静にしておいたほうがよいのでは」

「反応、応答、あと脈拍も、とくにおかしなところはありませんでしたけど。そうですね」

 シノさんのほうへ応じる言葉を投げてから壱さんは、

「どうですか、刀さん。体調は」

 真面目さある口調で、

「痛むところはありますか?」

 と、うかがってきなさった。

「え、ええっと……額、というか眉間はジンジンしてますけど」

 さっき壱さんに“おでこ”でグリグリされた名残が、いまだに居座っているもので。

「あら。でも、それくらいなら」

 壱さんは言うが早いか、迷いない流れる動きで顔を近づけてきて、

「唾をつけておけば――」

 あまく開かれた口からチロリと舌をのぞかせ、そのままさらに接近してきて――ついに我が眉間から“おでこ”にかけてをペロリと舐めおった。

「――乾く頃には忘れていますよ」

「おお、なるほど。……うん?」

「肩の調子はどうです。違和感はありませんか」

 シノさん的に壱さんの“それ”では不足だったのか、追加で確かめる言葉を投げてきた。

「……え? んん、とくに、肩コリとかはないですけど。いまのところは」

 このまま壱さんのお手々で頭部を固定され続けたら、バッキバキになるかもしれないが。

「いえ、そうではなく。私の弓矢に射られた部位についてです――が、まさか頭に問題が」

「シノの弓と矢を奪ったヒトに射られた、でしょう。わざと誤解されるような言い回しをするのは、私がシノに改めてほしいと思う数少ない、“よくないところ”です」

 壱さんはむっと眉根を浅く寄せ、シノさんのほうへ静かに怒る声音で述べた。

「ですから、刀さん」

「大丈夫ですよ、壱さん。オレの頭に問題なんてないですからっ。シノさんに言われて、“そういえば”って正しく思い出しました。なにが、どうして、こうなっているのか。でも、なんか、そのわりには、痛みとかがまったくないんですよね」

 いまだに頭部が固定されていることもあり、“そこ”へ己が手を伸ばすことで、意を向ける。服の上から“記憶にある、そこ”を触れてみたが、やはり違和感も痛みもなく。思い切って服の下に手を入れ、指先で数回ほどさすってやっと、微かにポコッとなっていると知る。残っちゃった傷痕をさすったときの触感と似ていて――というか、たぶんそうだろう。触感が、小さい頃に負った右膝の傷の“それ”なのだ。

 ……あれ?

 でも、だとすると――

「あの、つかぬことを、おうかがいしますが」

「はい? なんですか、刀さん。改まって」

「オレは、いったい、どのくらい寝ていたのでしょうか」

 負った傷が、違和感も痛みもない傷痕に変わっている。この事実を考慮すると、訊いておいて、返答が怖い。

「うーん、私も寝てました」

 壱さんは可愛らしくはにかみながら言い、「てへり」と舌先をのぞかせる。

「いまは、深い黄昏時です。窓を開けても?」

「おろ! そろそろ、お夕食の時間でしたか。あ、大丈夫ですよ」

 シノさんは、壱さんの返答を聞いてから行動したようで。なにやら“木製っぽいモノ”をいじっているような音が、片方の耳によく届く。

 ガッ、という力強く“はめ込んだ”ときの音がした。

 我が鼻のちょいと先にある壱さんのお顔――その主に右側が、熱そうな色をした光に照らされる。

 どうやら、開放された窓から、現時刻の日の光が射し込んでいるようだ。

 そろそろ、窓のように、我が頭部も開放されたりしないかなぁ。

 まま、それはそれとして。

「あれから何日を経た黄昏時なんですかね、いまは」

 壱さんのお顔を照らす焼け色の光に意をそそぎながら、一歩踏み込む心持ちで訊ねた。

「……はい?」

 なんでか、壱さんは疑問顔で小首を傾げ、

「やはり彼の頭には問題があるのかもしれません。壱さん」

 シノさんにいたっては、真剣で真面目な音声で、我が頭に関する懸念を述べてくれる。

「オレは……なにか、よろしくないことを訊いちゃいましたか?」

 なんでもないときに“頭には問題が――”と言われたら、たぶん少なからずむっとしていただろう。しかし我が現状へ到る事柄を思うと、むっとするよりも、うっと不安になる。

「いえ、よいも、よくないも――」

 壱さんは難問を解くヒトの顔になって応じてくれてから、

「ねえ、シノ。私は、どれくらい寝ていました?」

 ヒントを求めるように、焼け色の光のほうへ言葉を投げた。

「彼への処置を終え、それにともなって消費した栄養の補給と称して軽食を口にし、飲もうとした水を彼の顔にとっぷりこぼしてしまったことへ対処し、いつ置きても大丈夫なよう彼に付いていると言い、それからしばらくして“あくび”と戦い始め、ほどなくして寝息が聞こえてきました。そこから、いまに到るまでは――それほど経っていません」

「んっ、んん……、そうですか。まだ同日、ということですね」

 壱さんは隠した事柄を不意に暴露されたヒトの驚き困って諦めた表情で、シノさんの返しを受け取り――やや顔をうつむけ、

「日をまたいだのか、確認したかっただけなのに……ぬぬう」

 密やかに、あるいは無意識に、うめき声を漏らす。

 顔が近くにあるので、我が耳には届いてしまったのだ。まま、それはそれとして。

「……壱さん、いまのは本当なんですか?」

 という我が確認の言葉に、なぜか壱さんは居心地が悪そうな表情を「うっ」と浮かべ、

「はい、本当です。すみませんっ。うっかり手を滑らせて、刀さんの顔面をべちゃべちゃに濡らしてしましました。鼻と口が一時的に水没するくらいに……」

 親に怒られた子どもがごとくもにょもにょと口を動かし、告白してきなさった。

「え、あ、いえ、“それ”はなんとも思ってませんから。気にしないください、壱さん」

「許してくださるのですか」

「そもそも、なにも責めてませんから。――って、そうじゃなくてですね。日はまたいでないって、本当なんですか?」

「ふぇ、はい。……そうですよね、シノ?」

「同日です」

「――だ、そうですよ。んー、刀さんは、日をまたいだような気分なのですか?」

「気分というか……。えっ? だって、オレの傷、バッチリ治っているんですよ」

「壱さんの処置が適切だった、ということです」

 シノさんの淡々とした口調は、しかしだからこそ誇っているようにも聞こえた。

「……あの、壱さん」

 どうしたって湧いてくる疑問を口にする――よりも、まずは、

「ありがとうございます。治してくれて」

 頭部をガシっと固定されつつも、壱さんたちとお話しできている現在に感謝しよう。

 本当、壱さんには助けてもらってばかりだ。ふがいないことに。だから、せめて、余計な手間を取らせずに済むようにならないとなぁ……。

「私は、できることをおこなっただけですよ」

 壱さんはむにゅむにゅと“なにか”を噛むように口を動かして言い、

「それに」

 と、言葉を継ぐ。

「お礼を言うのは私のほうです。助けてくれてありがとうございました、刀さん」

「は?」

「放たれた矢から、私を守ってくれたのでしょう。あとから、シノに聞きました。あのときは、慌ててしまって、状況が正しく認識できていなかったので」

「ああ、いえ、その、あれは……」

 真正面からお礼を言われるということに慣れていないからか、なんというか恥ずかしいとは違うのだが、妙に尻が落ち着かず。継ぐ言葉も、なかなか思いつかない。

「……刀さん」

 こちらの言葉が発せられる気配がないのを察してか、壱さんが遠慮がちに口を動かした。

「守ってくださったことには、感謝しています。ありがとうございました。でも、お願いですから、もう危ないことはしないでください。お願いします」

 という真剣な言葉の発音に合わせて、我が両頬に添えられてあるお手々に、訴えかけるがごとく力がくわわる。それに引っ張られるようにして、また向こうから迫るようにして、壱さんのお顔が近くなり――息遣いを肌で感じられるところで落ち着く。

 間近いところに、とても真摯な表情があった。

 だからオレも、真剣に応じさせていただく。

「善処します」

 壱さんは微苦笑を浮かべて、うつむき、

「それはずるい返答ですよ、刀さん」

 ポソリとこぼす。

 なんとも言えず、沈黙の間が生ずる。

 どうにか“それ/沈黙”を打破する“会話のタネ”はないものかと、脳内検索していたからだろうか。いまさっきのやり取りに、じわりと既視感を懐くようになり――

「あのう、壱さん」

「あのう、刀さん」

 そのことをタネにお話しをしようと思ったらば、発言がかぶってしまった。

「なんですか、刀さん」

「なんですか、壱さん」

 またも発言がかぶり、壱さんは照れと恥ずかしさとが混在する困ったふうな笑みを浮かべなさった。鏡を前にしているような妙な気分になるから、たぶんオレも似たような表情を浮かべているのだろう。

「いいですか?」

「はい、どうぞ」

 終わりなき譲り合いになるまえに、述べさせていただく。

「さっきと似たようなやり取りをしませんでしたか? 以前、壱さんと」

「あら、刀さんもそう思いましたか」

「オレも――ということは、壱さんも?」

「はい」

「おお、なんと」

 それから、どちらともなく、思い出を語るように口を動かしていた。似たようなやり取りがあった、出逢ってすぐの頃について。

 それほど時を経ているわけではないのに、話題はポンポンと出てきた。

「あの、思い出したついでに、改めてお訊ねしたいことが“ひとつ”あるんですけど」

「はい? なんですか、刀さん」

「“奥の手”とは?」

 出逢ってすぐの頃、たびたび言われた憶えがあり、いまさらながら気になったのだ。

「あら、そのことですか」

 このタイミングで言われると思っていなかったのだろう、壱さんは意外で想定外というふうな顔をした。それから、

「ふふ」

 イタズラっぱい微笑を浮かべて、じらすように口を動かし――

「秘密です」

 我が鼻の頭へ、熱と湿気ある吐息と一緒にそんな返答を届けてきなさった。

「なんといっても、“奥の手”ですからねっ」

 よほどすごいモノなのか、はたまた自信があるのか、口元がエヘン顔である。

「さいですか」

 エヘン顔な口元からの発せられるであろう語りを聞くのが、ふとメンドウに思えたわけではなく。間近にあるからか、言葉と熱い吐息を操り動く壱さんのお口が、いちいちやたらと色っぽく感じられてしまったがゆえの“素っ気なさ/「さいですか」”なのである。

「うっ……」

 我が頭部はいまだ固定されており、物理的にも気持ち的にも“そこ”から“意”をそむけられず、このままだとうっかり鼻血とか垂らしてしまうかもしれない。そうなってしまったら、さすがに恥ずかしいわけで。場合によっては、いらぬ心配をかけてしまうかもしれない。なれば、この一連のやり取りを一旦、終了させて、新たな話題で諸々を上書きしてしまおう。そうだ、それがいい、そうしよう。あわよくば、新たな話題を始める流れで、我が頭部の“固定/拘束”を解いていただきたいところ。

「そ、それはそうと――」

「そろそろ、いいですか」

 我が発音をかき消すように、スッパリとハッキリした音声でシノさんが言った。

「――なんですか」

 なにか迷うような一拍の間を置き、その口を一度だけ真一文字に固く結んでから、

「シノ」

 壱さんは、そう応じた。

「“これからについて”、その確認です。彼の身体に問題がないのなら、“このこと/これからについて”は早めに確認しておきたい」

「そうですね」

 壱さんはうつむくようにして同意を示し、

「……刀さん」

 我が頬にあった手を、首筋、肩、腕にそって移動させ、

「お話があります」

 こちらの手を、両の手でひしと包み込む。

 奇しくも、“固定/拘束”を解いていただきたいという望みは叶った。――だというのに、なんでだろう、素直に喜べないのは……。

「“ようかん”を味わいに行くこと――じゃあ、なさそうですね」

「“それ”については、このあとにじっくりと話し合いましょう」

 壱さんは困ったふうな微笑みある表情でそう返すと、

「――――っ」

 深呼吸をひとつ、静かにおこなってから、

「刀さんは……」

 うかがうように、

「“不可思議を起こす技術”について知っているかと、私に訊ねてきましたよね。答えようとしたところで、とても騒がしくなってしまいましたから、もしかしたら憶えていないかもしれませんが」

 と、言葉を差し出してきなさった。

 壱さんが“食”に関する話を後回しにしたことに、驚きと戸惑いを懐く。

 ――が、それはさておいても、

「憶えてますよっ」

 応じずにはいられなかった。

「自分で訊いたことですから。時間も、そこまで経ってないですし」

 それに、なにより、ドクさんが口にした“元の世界に帰れるかもしれない可能性”である。忘れるわけがない。意識しなくとも、頭の隅っこにチラついている。諸々あって、話題に再浮上させるタイミングを逃してしまっていたが。

「よかった」

 壱さんは「ほっ」と息を吐くように言い、

「では、改めて、お答えしますね」

 落ち着きある調子で、口を動かす。

「知っています――というより、私が“その技術”を行使できる者です」

「そう、でしたか」

「……あら、あまり驚かないのですね」

 我が反応が予想と違っていたのか、壱さんは拍子抜けしたというような表情を浮かべ、

「すぐに質問攻めがくる――と思って少しかまえていたのですが」

 言って、はにかむように小さく笑った。

「え? まあ、うーんむ、そうですね。お訊きしたいことは当然、ありますけどね」

 壱さんが“理屈や原理はよくわからないけど、なんかすごいことをおこなっている”という場面は、いままでご一緒してきたなかで多々、経験している。だから、なんとなく、そんな気がしていたというのもあるのだろう。さらっと不意打ちのように“望む答え”が得られて、逆に拍子抜けしちゃったというのもあるかもしれない。驚きや疑心よりも、やっと得心がゆく言葉を耳にできたという、どこかスッキリした気持ちが、まず胸の内をふわっと満たしたのは。

「でも、とりあえず、肩の傷がびっくりするくらい治っていた謎が解けましたよ。そういうことだったのかぁ! って」

 まま、“理屈”や“原理”がさっぱりわからないことには変わりないけれども。だからといって、“それ”に関して親切丁寧な説明を幾度と受けたところで、いまもこれからも我が理解力では“なんかすごい”という結に至って終わるだろう。

「傷の治癒は、また異なるモノなのですが……」

「え?」

「あ、いえ、なんでもありません」

 壱さんは「はっ」として首を軽く横に振り、柔らかい微笑みを浮かべる。

「刀さんが納得しているのなら、あえて訂正することはないですよね。どうであれ、“私がおこなったこと”には違いないですものね」

 たぶん、当人としては、こっそりひっそり自分に言い聞かせているのだろう。けれども、単に距離が近いというのと、こちらが壱さんに意を集中させているというのもあって、そのお口からポソリとこぼれ出た言葉は、わりとしっかり我が耳にも届いてしまっていた。

 どうやら、傷の治癒には、異なる“なにか”が関わってあるようだ。正直なところ、とても気になる。――が、どちらにせよ、それに関して説明していただいたところで、“なんかすごい”という結に至って終わると容易に想像できるので、追求はしないでおく。

 というより、どんな疑問より、まずもってご確認しておきたいことが“ひとつ”ある。

「壱さん」

「はい」

「壱さんが“不可思議を起こす技術を行使できる方”だと知って、お訊きします」

「なんでしょう」

 壱さんは姿勢を正すように真面目な表情をこちらのほうへ向け、応じてくれる。

「“不可思議を起こす技術”の中に、“世界”と“世界”を移動可能にするようなモノはありますか? オレは、“元の世界”に、“家”に帰れるんでしょうか……」

 訊いておいて、けれど壱さんの口から発せられる“言葉/返答”は――

「“私は”、知りません。ですから、わかりません」

 ――わかっていた。

 そりゃ、そうか。もし、壱さんが知っていたなら、こちらが訊くまえ教えてくれるだろう。きっと、そのときは、食べ物の献上を知るための交換条件として提示してくるに違いない。いい笑顔で、冗談めかして。

「――ですから」

 壱さんは我が手を包む手にぐっと力を加え、主張するように強めた音声で言葉を継いだ。

 下方へ落ち始めていた“意/視線”が、

「え、あっ、はい」

 その“動く唇”に向く。

「私よりも“詳しい方”に、“知識”を借りようと思います」

「壱さんよりも“詳しい方”?」

「はい。私の、お師匠です」

「壱さんの……お師匠さま、ですか」

「うん? なにか引っかかりますか」

「いえ。ただ、壱さんのお師匠さまですから、どのような素晴らしいお方なのかなあと」

 師匠というくらいなのだから、たぶん壱さんを上回る“すごさ/素晴らしさ”ある方なのだろうけれども。壱さんを上回る存在……、だとしたら果たして“どのような方向”に“すごい/素晴らしい”のだろう。いろいろと想像はできるが、これとひとつに絞れない。

「あら、ふふっ、紹介するのが少し楽しみになりました」

「オレも、お会いするのが楽しみです」

「あ、あと、あえて述べておきますが、お師匠が“望む答え”を知っているとは限らないということを承知しておいてください」

「ええ、それは――はい」

 我が返答が終わった転瞬、柏手がひとつ鳴り、

「円滑に話が進み、なによりです」

 シノさんが努めて事務的に、けれどもどこか「ほっ」としたふうのある口元で言った。

「では、準備を始めましょう――」

 継いで口にした“それ”をおこなうために退室するのか、彼女は浅くうつむきながら背をこちらに向け、なにか噛みしめるように小さく息を吐いた。

「――祖国を追われた英雄の帰還の」

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