転/第百十三話:(タイトル未定)
むさ苦しい掛け声の振り絞るような「えいほっ」がひとつ聞こえたとほぼ同時、“工房/工場”の“大きな鉄扉”が開放された。
ここ最近で見知った面々が、鉄扉があった“こちら側”と“外側”との堺を越えぬよう律儀に立ち並んでいる。約一名が尋常じゃなく汗だくな“厳つい顔面”な方々と、青アザたんこぶが目を引くひとり。それから、そんなおっさんたちの中にあって紅一点、肩口の辺りで切られた黒髪の、左で結んだ一束が斜め後ろへたらされてある髪型をした、黒紅色が主色の民族衣装っぽい服を身にまとった小柄な人物がひとり。
「おや、お嬢さん。初めまして。“アイス・ティー”はいかがかな? そんな暑苦しい連中の近くにいたら、冷たいモノが飲みたくなるだろう」
対峙するカタチで面々を出迎えたドクさんは、紅一点に不意をつかれたのか少し驚きつつも、気さくさある口調で、そう挨拶をした。「ちなみに“アイス・ティー”とは、氷をいれて冷たくしたお茶のことだよ」という補足説明を最後に付け足すのも忘れずに。
「氷ですか、珍しい。そうですね――」
表情をさして変えずに言って紅一点さんは、
「用事を済ませたら、ごちそうになるかもしれません」
左の手を後ろ腰にやって、そこに留めてあったらしい“それ”を装備した。
「はははっ。“クロスボウ”が必要な用事とは、また物騒な。そこの暑苦しい連中になにを言われたかは知らないが、お嬢さんが関わることなど――」
「なにか勘違いをしているようですが、彼らの意は関係ありません。互いに邪魔をしないよう、話しはしましたが」
「ほう? では、どうしてここに」
「“私の用事”が、こちらを訪れているからです」
紅一点さんは、まるで指で示すがごとく、左の手にある“それ/クロスボウ”を“私の用事”へと向けた。
矢をつがえたクロスボウが、我がお隣に立っている壱さんを狙う。
密やかに、それとなく、その射線に己が身を割り込ませる。小さいカニのように、細々とした足運びで横移動したから、“アハ体験の問題”がごとく気づき難いだろう。たぶん。
「なんと。ふたりは、こちらのお嬢さんと知り合いなのかな」
「ははは……飛び道具を向けられるくらいには」
どうしてだか壱さんが、だけれども。オレに関しては昨日の夜、キチさんと一緒にいたところで遭遇し、初めて会話した程度だ。まま、そのとき言われた“連れ去り宣言”を、うっかり“大胆な告白”と早とちりというか勘違いしちゃったりもしたっけか。
「同郷の、旧い友なのですよ。私の」
言って壱さんは、「ねっ、シノ」と我が背を越えて言葉を投げる。
それを受け取って紅一点さん――シノさんは数拍、伏し目になり、
「故郷だった、友だった――と訂正してください。壱さん」
けれどもすぐに態度を戻して、矢の切っ先がごとき音声で応じた。
「あら、どこか訂正すべきところがありましたか?」
壱さんは現状に似合わない“会話を楽しむヒト”の声音で、しれっとさらっと返す。
シノさんは口を真一文字に固く結び、なにかをのみ込んでから、鼻でひとつ深呼吸をした。そして一拍の間を置いてから、
「そんなことよりも――」
と、話を進めるための言葉を投じる。
「ぬぅ、シノが言ったのですよう?」
「そんなことよりっ」
壱さんの指摘などなかったかのように、シノさんは口を動かす。
「私があなたを訪ねたことの“意/理由”、言わずとも――」
「ええ、察しはついていますよ。詳しく語っていただけるのなら、それもよいですけれど」
「省きます」
「んー、そうですか」
「あなたが“あなたの役割”を察しているのでしたら、おとなしく私に倒されてください」
「んんー、シノの願いでも、それはお断りします。いまここで倒れるわけにはいきません」
「では――」
「でも、私は“役割”を果たします」
「そうれは……、どういった“意”での発言ですか。壱さん」
「お話しをしましょうか、シノ」
壱さんはいままでの気さくなふうから一転、“迫るような真面目さ”ある口調で、
「ふたりで。少し」
と伝えた。
シノさんは口を固く結び、うつむき、しばし――
クロスボウを構えた左の手を、少し力んだ右の手で説得するように下げた。
「いいでしょう」
「いいわけねぇだろうがっ! なに勝手に話を進めてやがんだっ!」
厳つい顔面のひとりが、怒鳴りひとつ、
「やらねぇなら、そいつをよこしやがれ」
シノさんの手からクロスボウを奪い取る。
「へへへっ、こいつがありゃあ」
モデルガンを初めて手にした男の子がごとく、根拠のない自信が嬉々として滲む顔をして、奪いとった“それ”を舐めるように鑑賞し、
「こいつがありゃあ、オレだって」
満足の満を持して、狙いを定めんと構え――
「一発で仕留めてやめろがはぁっ」
――ようとしたところで、地べたに沈んだ。
鑑賞タイムが“こういう状況”のわりにはたっぷりとあったので、その隙にシノさんが無力化したのだ。クロスボウを構えんとしている手首を右の手でつかみ、流れる動作で構えんとしている肘に左の手をそえ――押し込んだ。踏み込む足と連動した身のはいった押しが、体重の乗った押しが、肘の一点に加わり、ダメな方向に曲がる。その反射か、反動か、クロスボウは手からするりと地に落ちた。すぐに拾われないようにするためか、シノさんは落ちた“それ”を足で軽く蹴って遠ざけた。そして、“仕上げ/とどめ”とばかりに、ダメなことになっている肘を支点、つかんである手首を力点にして、一瞬のできごとで苦悶の色に染め上がった厳つい顔面を引き倒したのだ。
「ああっ!」
いまだ青アザたんこぶなお方は驚き、戸惑ってから、
「テメェ、なにしやがるっ! 協力するって話だっただろうがっ!」
はっとして、怒り抗議する口調で言った。
「協力ではなく、互いに邪魔をしないようにと述べただけです。――だというのに、あなたの連れは干渉してきました。対処するのは当たり前のことです」
シノさんは、取り出した縄で、厳つい顔面の手腕を拘束しながら言葉を返した。縄はあらかじめ輪っか状にされてあり、拘束はすんなりとおこなわれていた。
「当たり前、か。はっ、ならあっ!」
新たな怒鳴り声に意を向けるとそこには、汗でびちゃびちゃになった厳つい顔面のひとりの姿があった。シノさんたちから少し離れたところに立っており、加えてその足元にはシノさんがいまさっき軽く蹴って遠ざけたクロスボウが転がってある。
「こっちだってえ!」
汗びちゃな厳つい顔面は足元のクロスボウに手を伸ばすや、観賞する間は置かず、速やかに構え、狙いを定めた。
シノさん――ではなく、
「なぜにっ!」
壱さんへ。
「テメェがあっ! テメェが現れてなけりゃあなあっ!」
汗びちゃ厳つい顔面はクロスボウの引き金に指をかけ、引いた。
件の“勝負の場/地下の賭場の島”で壱さんがやらかしたことへの怒りか、むこうにもむこうなりにいろいろ事情があるのか。――なんて、どうでもいいことを、事態にフル回転した脳ミソが一瞬以下の間で推測した。同時に、我が身体は動いていた。
シノさんからの射線を完璧にさえぎる位置に我が身はあったが、シノさんとオレと壱さんとの直線上から外れた、しかも少し離れたところに立っている汗びちゃ厳つい顔面に対してそれは、なんら壁としての意を持たず。たぶん、むこうからしたら、的たりえる三者が横並びで狙い撃たれるのを待っているように見えただろう。だが、そもそもオレは的ではなく。やっていたのは、矢が的に命中するのを妨害する壁だ。しかも、両の足を有した自分勝手に可動式の壁である。だから――
「――っ!」
フル回転した脳ミソは極々短い時の間にべらべらと思考をしちゃったが、“まばたき”で数えれば一回ほどでしかなく。通常時の思考量からしたら長く感じる“いまさっき”もあっさりと、文字通りに一瞬で終わった。
やってやったぜという妙な自己満足感と、
「うっ……」
やってやったと目的を達した、そのあとの空虚さを埋めるがごとく、狙ったように遅れて押し寄せてきた恐怖心と不安感と、
「ううっ……、ぐっ」
己が左肩のあたりに棒状のモノが突っ立ってあるという確かな触感と鈍い痛みが、“それ”を教えてくれたのだ。
とりあえず、壱さんに矢は届いていない。
それがわかって、ほっとしたからだろうか。身体から力が抜けてしまい、ついつい地べたに膝をついてしまっていた。
「なんてことを」
そんな、シノさんの息をのむような音声が聞こえた気がした。どうしたのかしらと立っていたほうに意を向けるも、そこに姿はなく――
「だはあっ!」
不意に飛んできた汗びちゃ厳つい顔面の苦悶に、今度はなんなんだと意を向けるとそこに、シノさんの姿があった。苦しそうにうずくまる汗びちゃ厳つい顔面を、件の縄で拘束せんとしている。
「刀さん」
背後から、切迫したような音声が呼びかけてきた。
「んん……はい、なんでしょう。壱さん」
振り向くという、なにげないちょっとした身動きが、どうしてだろう不思議なほどにキツイ。脳ミソがそう感じる以前に、身体のふしぶしやら各部位やらが申し訳なさそうに訴えかけてくるのだ。
ああ、なんか、もういっそ、このまま身を横にしたい……。
「え、刀さんっ? そんなまさか」
壱さんは驚き戸惑った悲痛さある表情を浮かべるや、身をかがめた。前方を手で探りつつ、着実にこちらへ向かってきなさる。
さっきの立っていた状態と、いまの膝をついた状態とでは、声を発する“高さ/位置”が異なるから、いきなりの変化で少々ビックリさせてしまったのかもしれない。
「ああ、そんな、刀さんどうして」
壱さんは探る手がこちらの身体に触れるや、上体を抱き起こしてくれた。
どうやら、自分でも気づかぬ間に、身を横にしてしまっていたようだ。
我が頭部には柔らかなお胸がぎうぎうと押し当たっていて、なんと不幸中の幸い――なのだが、そのお胸の上方にあるお顔は悲痛な色が濃くて、どうにも心のままに堪能できない。だから、両のほっぺをつまんでうにゅうにゅし、にんまり笑みを強制的に浮かべちゃおう――脳ミソではそうすると決めているのに、どうしてだろう。手腕に力がはいらない。
「どうして、こんなことに……」
壱さんは“状態を探るための手”で“こちらの身体”を触り、その手が左肩あたりに突っ立つ“それ”を感知するや、そんな言葉を漏らして唇を噛んだ。
「これは誰が放った――いえ、誰が所持していたモノですか」
気持ちを切り替えるように鼻で深呼吸をひとつしてから、壱さんが訊いてきた。
「厳つい顔面さんが、シノさんの“クロスボウ/飛び道具”を奪い取って使ったんですよ」
「シノっ、状況説明をっ」
なんでかシノさんに確かめる言葉を投げた壱さんに、いま答えたでしょうよと軽く抗議を述べようとして、気がついた。手腕と同様に、発音するために必要な口を始めとした各部位に力がはいらず。声が、まともに発せられていない。
どこか遠くのほうから、シノさんの返答する声が聞こえた。それを受けた壱さんの話し声も、どうしてだろう、どこか遠く感じる。
聞こえてくる音が、ひとつ呼吸をするたびに遠くなってゆく。
いまだ壱さんに抱き起こされたままであり、移動しているわけでもないのに。
ふと、視界が狭くなってきていることに気がつく。まぶたが、脳ミソの決めたことを無視して閉じようとしていた。
胸の内の“意”は、まだ鮮明さを保てているのに。
闇が這い寄ってくる――
「これは、よろしくないな……」