転/第百五話:(タイトル未定)
またも魔法少女の変身がごとく服を着てくれた“自称・キチさん”と、改めて向かい合う。ちなみに、少し距離をおいて立っている。さっきと同じ、“あちら”が“こちら”の手腕をまたいでいるのに、なんでか“こちら”が股ぐらに手腕を突っ込んでいるようにしか見えない体勢でいたら、いろいろとダメなことに発展しかねないと判断したからだ。おもに、オレの社会的な“ありかた/立場/生死”的な意味で。
それにしても……こう、なんなのだろう、対面しているのに上から見られている感は。
身長差的に、いまも現在進行形で確実に見上げられているのに、そのハズなのに、途方もなく高いところから眼差しを投げられているように“意として/錯覚して”しまう。
これは、あれかな。“それ”が“どのような物事”であれ、例えば“真っ裸で他者の前に登場するという羞恥心をかなぐり捨てるようなこと”であれ、“なにか”をある領域まで極めた存在が放つ“凄み”というやつなのかな。
「お前さんよ。いま、失礼なことを考えただろう」
片眉をやや釣り上げた、エヘン顔にも見える疑り顔でキチさんが言うてきた。
「まさか、そんな。はははは」
「ずいぶんと素直な誤魔化し方をしおるの、お前さんは」
「うっ……そ、それで、キチさん。お訊ねしたいのですが」
「ふふふっ。うぬ、わかっておるぞ」
キチさんは温もりある苦笑を浮かべつつ、首肯をひとつし、
「――だが、な。そのまえに」
転じて、真剣さある表情で、
「いまお前さんが手にしている“それ”を、ちと私に分けてはくれまいかのっ」
と、こちらの手元に、やたらと熱い眼差しを向けてきなさる。
「手にしている? これ……“揚げイモ”ですか?」
「そだ」
「冷めてますけど」
「私はいっこうにかまわん。くれるのか、くれないのか、どっちなんぞっ」
「冷めいるのでよいのでしたら、どうぞ」
「おおっ、ありがとう。“いっちゃん”がやたらと美味しそうに食していたからの、ずっと気になっていたんだ」
キチさんは紙袋を受け取ると、嬉しそうに中身を取り出し、
「いただきます」
さっそく“揚げイモ”を口に運び、
「ほれで、だ。お前さんは、もぐもぐ、まずなにを訊きたい」
味わいながら、思い出したふうに言葉を投げてきてきれた。
「美味しいですか?」
「うん。欲を言えば、揚げたても食してみたいがなっ。――て、そんなことでよいのかっ」
「え、ああ、二番目くらいに素敵なお食事顔だったもので。はははっ、つい」
「ほうっ、そうか。ま、“いっちゃん”には敵わんさな」
「“いっちゃん”?」
「ん? ああ、お前さんが呼ぶところの“壱さん”ぞ。どうせ、お前さんの中での一番は、他におらんだろうてな」
「んんっ、まあ……はい、そうですけど……」
いまだに、どうにも信じきれていないけれども、話した覚えのない壱さんのことを知っているところからして、どうやら本当に“このキチさん”は“あのキチさん”のようだ。
「疑り深いやっちゃのっ。さすがの私もへそを曲げるぞ――とは言え、致し方なくもあるか。……それで? 私がへそを曲げるまえに訊いておきたいことは、他にないのかえ」
「えっ、ええっと……」
いろいろとありすぎて、頭の中で渋滞が発生してしまった。
「あ、そうだ! どうして、オレの名前――“刀/トウ”ではないほうの名前を知っているんですか?」
「お前さん、“いっちゃん”と逢った初めのとき、自分から名乗っておったろう」
「そ…………ういえば、そうでした」
ということは、壱さんから事前にオレのことを聞いていたということか。いったい、どんなふうに聞いたのだろう。壱さんがオレをどう“認識して/思って”いるか、それが容赦なく語られたかもと思うと、興味深くもあり、怖くもある。……うん? あれ? 怖い?
「ま、もちっと以前から知っているがの」
「――え?」
「いや、お前さんにとってはずっと先のことか」
「あの、キチさん。おっしゃっていることが、さっぱりわからないのですが」
「うん? いずれ、お前さんが“ペプシとロックが大好きな負けず嫌い”になるということさ。いずれ、のっ!」
「まあ、“ペプシ”も“ロック”も嫌いじゃあないですけれども……」
しれっと“それら”が口にされたことに驚きつつ、さらにわけがわからなくなった。
「キチさん、あなたは“なにもの”なんですか。日本とか“あちら”のことを知っているんですか? もしかしてオレやドクさんと同じような――」
「己が“なにもの”かを言葉という共通認識の形状に区切って正しく伝えるなんぞ、そんな器用なこと、私にはできん。お前さんはできるか?」
「それは……」
「そもそも、私が“本当のこと”を口にしているとは限らんだろう。意味深なことを言うて、お前さんの反応を楽しんでおるだけかもしれんぞ? ま、ひとつ確実に言えることがあるとしたらば――」
キチさんは指差すように食べかけの“揚げイモ”をこちらに向け、言う。
「少なくとも、“そやつ”のようにお前さんを背後から狙ったりはせんから安心せい」
「……………………背後?」
とくにこれといって気配は感じていないのだが……、まさか誰かいるなんてこと――
油の切れたカラクリ人形がごとく首から腰を動かし、どうにか振り向き、背後を見やる。
「――なっ!」
手を伸ばせば触れられそうな距離に、“そやつ”の姿があった。ただ、キチさんとは異なり、“その姿/輪郭”は周囲の暗闇に溶け込むようで、常に意識していないと見失ってしまいそうである。黒紅色が主色の民族衣装っぽい服を着ていて、髪も黒いから、余計にそうなのかもしれない。髪が肩口で切られてあり、左で結んだ一束が斜め後ろへたらされてあるのにも、やや目を凝らしてみてやっと気がついた。
「あ、えっと……ど、どどうも、こんにちは」
どう対応するべきかと困った末に出てきたのは、それだった。
「こんにちは」
暗闇にぼうと浮かび上がるようにある色白なお顔は、とくに“意/情”を表すことはなく。けれども小さく動かされた口で淡々と、確かにそう応じてくれた。
「…………」
「…………」
このまま待っていても、自分からあれこれ語ってくれそうにはないので、
「それで……あのう、なにかご用でしょうか?」
なんとも奇妙だなと思いつつ、いつの間にか我が背後を取っていたおヒトにお訊ねする。
「あなたを、私のモノにするために来ました」
「ふぇっ? あら、やだ、大胆」
表情は発言する口の動きくらいしか変化が見られず、口調もさっきと変わらず淡々としているけれども、その余計な装飾がない直球な言葉の威力はすさまじいものがあった。わけかわかなぬことだらけで混乱しているハズなのに、思わず胸の内でドキリと照れ笑いを浮かべてしまったくらいだ。
「アホウか、お前さんよっ。もしくは純情か?」
キチさんが、あきれたふうに言葉を投げてきなさった。
「まったく、なにを赤面しておるんだっ。“そやつ”は、お前さんが妄想しているようなことをしに来たのではないぞ」
「ええっ……じゃあ、なにをしに?」
「おおう、なぜそうも意外そうなうえにガッカリしたふうなんぞ。いや、まあ、それはよいか。いや、よくないか。……いや、うん、ここは話を戻そう。つまりは、だ。言葉通りのことをおこないに――連れ去りに来たんだろうさ、お前さんを」
「オレを、ですか? …………なぜ?」
「“いっちゃん”に対抗するため手段、としてさ。そうだろう? “シノ”」
「…………」
キチさんに“シノ”と呼ばれた“そやつ”さんは一瞬、眉をピクリとさせたが、口は真一文字に結んだまま動かさない。
「沈黙の肯定か。相変わらず、愛いクッソ真面目さだの」
「肯定……なんですか?」
「“そやつ”は、その“信条”ゆえに、“私/私たち/私のような存在”に対して、“偽る”という行為をおこなえないでな。けれども、ヒトとしての“心情”からして、“こういうこと”は己が口から言葉という形状で説明したくない」
「だから沈黙の肯定、と?」
「うぬ、そうだ。ま、単に、“そやつ”の“根っこ/本質”が、私の知っている“昔のそれ”と変わっていなければ――だったが、反応からして、“まんま”のようだな」
「なるほど。というか、お知り合いだったんですか? キチさん」
「まあ、な。“そこそこの”だが。――しかしな、お前さんよ。お前さんも、少しまえに会っておるんだぞ?」
「えっ! そうなんですか……」
どうしよう、完全に初めましての心構えで接していた。それだけでも失礼なのに、さらに失礼を重ねることに、お会いしていたことをさっぱり思い出せない。
「お前さん、その顔からして、まったく心当たりがないようだな」
「はい。その、申し訳ない」
「襲ってきた相手に詫びることはなかろうて。ま、お前さんの、そういうところは、よいとは思うがな」
「襲ってきた?」
「本当に忘れとるようだの。“ここ”へ来るまえ、収穫祭と称した大食い大会をやっておった村で、“いっちゃん”の命を狙って現れた――」
「“シズ”さんですか?」
「ぬぬっ、そっちは憶えているんか」
「そりゃあ、“事”が“事”でしたし」
「それなら、まだ話は早いか。そのとき、“いっちゃん”に返り討ちされた“シズ”を回収したヤツがおったろう?」
そう、キチさんに言われるも、いまいちピンとこず。なので、思い出す効率を上げるために、話の流れからしてその“回収したヤツ”であるらしい“シノ”さんを、じっくりじとじと観察させていただ――
「……うん?」
左で結んだ一束が斜め後ろへたらされてある髪型に、もやっと既視感的なモノを懐き、
「うーん……」
観察しているうちに、遠くにある“そのときの光景”が徐々にこちらへ近づいてきて、
「…………あ」
転瞬、急激に速度を増して肉薄してきた“それ”の中に、
「え、まさか、そんな」
壱さんとなにか言い合っている“シノ”さんの姿を、発見してしまった。
「やっと思い出したか」
「べつに思い出していただかなくとも、よかったのですが」
「え、でも、それだと、いまシノさんがいらっしゃるということは、壱さんのほうにシズさんが行っているということになってしまってこうしちゃいられない失礼しますっ!」
オレが行ったところでなにができるかわからないけれども、邪魔にしかならないかもしれないけれども、だからといって、このままじっとしていられない。
「待て待て、“いっちゃん”はなにごともなく寝とるぞ。仮に、分かれてなにかしでかすにしても、負傷している“シズ”を“いっちゃん”に向かわせるなんてことはまずありえない。するなら、分担が逆ぞ。お前さんにもわかろう」
「それは、わかりますけど……わかりませんっ! 失礼しますっ!」
「だから、待てと言うに。ほら、シノからも言うてやれ。自分しかおらんと」
「はい。今回は、私しか動いていません」
「ほれぇ、私に対して“偽ることができぬ者”がこう言うておるぞ」
「そうだとして。“それ”を確かに信じられるほどシノさんを知らない――てか、キチさんはなんでそんなに引き止めるんですか。べつに戻ったっていいでしょう」
「私がお前さんとさしでお話したいと懐いては、いかんのか?」
「――えっ?」
「お前さんだって、私に訊きたいことがいろいろとあるだろう?」
「ま、まあ、それはそうですけれども」
「それにな、私としては、積もる話がい~っぱいあるのだ。まあ、いまのお前さんからしたら、わけがわからぬだろうがな…………そう、わかってはいるんだぞ。でもな、こう……せめて気分だけでも――いや、うん、すまん、ワガママを言うてしまった」
キチさんは言いながらしゅんとなり、
「忘れてくれ」
と、口をふさぐように“揚げイモ”をくわえる。
うぐっ……どうしてだろう。旧知の友に哀しい思いをさせてしまったような、お互い信じられる間柄なのにその“信/心”に反することをしちゃったような、形容し難い“とてつもない罪悪感的なモノ/やっちまった感”に襲われるのは。
ぬおう……迷うことないハズなのに、次にどう行動すべきかと考えてしまう。
「ひとつ、よろしいですか」
こちらのやり取りを黙して見ていたシノさんが、隙を突くように口を開いた。
なんだろう。やっぱり、なにかやらかすおつもりなのだろうか。
「壱さんに、言伝を頼みたいのです」
「――え?」
身構えたところに、ずいぶんと拍子抜けすることを言うてくれる。
「この状況で私にできることは、もうないですから」
シノさんは、キチさんのほうへ視線をやりつつ言い、
「戻るまえに、ひとつ、と思ったのですが。ダメでしたか?」
こちらへ視線を戻し、抑揚に乏しい音声でうかがってきた。
「あ、いえ、はい、なんでしょう」
「“明日、うかがいます”、と」
「…………それだけ?」
「はい」
「そう……ですか、わかりました。伝えておきます」
「頼みます。それでは、私はこれで失礼します」
シノさんは、キチさんのほうに深々と礼をし――
暗闇に溶け込むがごとく静かに、姿を消した。
「本当に、なにもせずに行っちゃった――んですよね?」
「いま言うておったろう。“明日、うかがいます”とな。なにかしでかすにしても、“今日”ではないだろうよ。ま、お前さんはともかく、私を相手にしてはどうにもならんと知っておるからな。ゆえの、賢明な判断ぞ」
「まあ誰も、外で堂々と真っ裸になるお方をまともに相手したくはないですものね」
「おおう。お前さんよ、そろそろ私も泣くぞ」
「すみません。緊張が解けたはずみで、口が滑りました」
「お前さん、それは内心、そう思うていると認めたようなものだぞ。……はぁ、ま、よいか。ふふ、こんなやり取りでも懐かしくある」
「うん?」
「滑ったついでに、もっといっぱいお話しをしようぞ――とな、そう言うたのだ」
「そう……なんですか」
「うぬ」
「――ところで」
「むん?」
「いま、ふと思ったんですけど」
「うぬ、なんぞ」
「シノさん、このまま壱さんのところへ向かったりは?」
「ありえんな。寝起きで寝ぼけた“いっちゃん”を相手にしてダメというのは、その身と心で学んどるからのっ。苦痛とともにな」
「おおう、なるほど。そうなんですね」
「そうだぞ」
「…………」
「…………」
訊きたいことやら話題は多々あるのに、改まると急に口の動きが鈍くなるのはどうしてだろう。しかも相手の出方を探っちゃっているからか、お互いに急に、である。
「……その、なんと申しますか、なにを話しましょうかね」
「訊きたいことだあるのだろう? それとも、世間話でもするか? 私はそれでもよいぞ」
「はは……訊きたいことが多くて、頭の中でこんがらがってしまいまして。“それ”をなんと言葉にしたらよいものかと」
「ほほん、なるほどな。なら、私からひとつ、お前さんに問うてもよいかいの?」
「はい? なんでしょう」
「お前さんは“いっちゃん”のこと、どう思うとる?」
「ええっと……奇妙に難易度の高い問いですね。なんでじょう、一緒にいて楽しいおヒトだなぁ、とは確かに懐いていますね。あと、よく食べ――すぎて、よく寝る」
「ほう、そなのか。怖い、と思ったことはないのかの」
「うーん、そうですねぇ、ふと“想像/妄想”してみたことはありますよ。お食事処で――“こちら/異世界”じゃあなく“あちら/日本”のですよ、で一緒にお食事をしたらっていうのを。“食べ放題”じゃあないとオレの財布が確実に、たとえ貯金を惜しみなく全額投入しても、おなくなりになるなって」
「ふふっ、そうか。それはまた、“現実的な/生活感ある”怖さだな」
「周辺地域の“食べ放題”情報に、誰よりも詳しくなる怖さったらないですよ。たぶん」
普段はさして言葉をかわさない同級生とか様々なおヒトにも、“あれこれ”お訊ねしたくてたまらなくなるだろう。そんな自分を想像すると、うん。……うん? あれ? 見聞が広くなって、結果的によいことのような気がしてきたぞう?
「下調べをする“そのとき”は是非、一緒させてほしいものぞっ」
「そうですね、“そのとき”は…………」
「おん? ダメだったかの」
「キチさん、“そのとき”はあるんでしょうか?」
「なぬん? そりゃあ、お前さんが“その気”になれば――」
「違いますっ! そうじゃない。そうじゃなくて、オレは……オレは、家に」
「わかっておるさ、“磨磨佐刀/とぎまさとう”。でもな、“それ”は、お前さんの“意/選択”によって決まること、お前さんの“意/心”で決めるべきことなのさね。なにがおころうとも、“それ”は揺るぎなく“お前さんのモノ”だからの」
キチさんの言っていることがよくわからず。なので、説明を求めて――
「おっといかん、あとひとつになってしまった」
――発言の口を開こうとしたらば、それをさえぎるようにキチさんが言うた。その手には“揚げイモ”がひとつ、つままれてある。
「ほれ、もとはお前さんのだ。最後のひとつを食す権利をくれてやるぞっ」
「え? あ、いいですよ。どうぞ食べちゃってください」
「いや、しかしのう……」
いまは“揚げイモ”よりも説明が欲しいのだが、どうにもキチさん的にはこちらのほうが重要なことのようで。眉根を寄せ、「うんぬ」と思案顔を浮かべなさる。
「よしっ、ならば“こうしよう”ぞっ」
言うや、キチさんは“揚げイモ”の端っこをくわえ、「んっ」とその反対側をこちらへ突き出してきなさった。
これは……、もしかして……。
「ほへ、ふぁようせんか。んっ、んっ」
「いいですよ。どうぞ全部、食べちゃってください」
「んん……」
キチさんは肩を落とし、うなだれた。
おおう……、露骨なほどわかりやすくしょげていなさるよ。どうしましょう。
「――はぁ、わかりました。少し、いただきます」
いまは、“食す権利”よりも“知る権利”のほうが欲しい。なので、のれんに腕押しなやり取りに時を消費するよりも、話を先に進めることを選んだ。
分けていだだくために、当然のように右の手を伸ばしたら、
「ぬんっ」
キチさんに、その手首をつかまれてしまった。体格差からしてつかまれても関係ない――なんてことはなく。華奢なお手々でなおかつ片手だどいうのに、我が手腕はピクリとも動かせない。
ならば、と少々の意地的なモノから、右の意志を左の手腕に継いでもらい――
「むんっ」
――右と同じ末路をたどってしまいました。
キチさんは口の端をニヤリとつり上げ、転じて懇願するような甘さある表情になって、
「んっ、んっ」
と、くわえたままの“揚げイモ”を“強調/主張”するようにピョコピョコと動かす。
それに対して拒否を示すがごとく己が口を真一文字に結び、右と左の手腕に「動け動け動け、動いてよっ」と念と力を送った。このままパクンと口でもらいにいったら早いとは思うのだが、なんというか少々の意地的なモノが、手でもらうべしと譲らないのだ。まあ、我が手腕は、右も左もガッチリつかまれて動かせていない現状だけれども。
そんな我が反応から察したのか、じれたのか。キチさんは「ぬぬぅ」と眉根を寄せてから、つかんでいる我が手腕をぐっと下方へ引っ張りおった。
我が貧弱な背筋やらではそれに抗いきれず、前のめりで倒れるように姿勢は崩れ、地べたに両の膝をつくことになってしまった。手腕の自由を奪われた挙句、地べたに正座をすることになろうとは……。
でも、それでも屈しないぞっ、という少々の意地的なモノ由来の眼差しを、いまや上方になってしまった抗議対象へ向け――
「おおうふっ」
――ようとしたらば、対象たるキチさんのお顔のほうからのしかかるように迫ってきた。
「ぬむむぅー」
そんなうなり声をともなって我が口の至近でピョコピョコ動く“揚げイモ”から、どうにも形容し難い言外の圧を感じる。
――が、屈するものかと、
「ぐぬぬぬぅ」
真一文字に結んだ口をさらに固く結び、それに応じた。
こう着状態に陥ること、しばし。
水音が、不意と耳に飛び込んできた。すぐ側の“運河/かわ”に小石でも落ちたのだろう、そんな音。普段なら気にしないような、生活音とかに紛れて消えてしまうだろう音だ。
けれども珍妙特殊な我が現状において“それ”は、しとやかさある一喝であった。
我に返ったような、現実に戻ったような、そんな急激に引き戻されるような感じで、はたとして懐いたのだ。このまま押しこんな問答を続けても――まあ、いろいろな意で押されているのはオレなのだけれども、これを続けていたらば、話が先に進まない、と。
――なので。
呼吸とともに口の固結びを解き、挑発的にピョコピョコしている“それ”にかじりついた。“先っちょ/端っこ”に、少しだけ。
「ごちそうさまでした」
なにか言われるまえに、そう告げた。
キチさんは面白くないという不満そうな顔を浮かべつつも、とくに言い返してくることはなく。我が両の手を解放し、近寄りすぎていた身を離してくれた。
表情はそのままに、くわえてあった“揚げイモ”をパクンと一口で食す。
それから“食後の一息”なのか“溜め息”なのか判断しかねる“それ”をひとつ漏らし、
「……ん? いんやぁ、これはあれかのっ」
なにかひらめいちゃったヒトの表情にパッと変わって、ポンと柏手をひとつ打ち、
「考えようによっては、お前さんがかじったところを口にしたわけだから、これはいわゆる間接チッスというやつになるのかのっ? ぬふぬふふっ」
お顔の周囲に煌めきを幻視するほどに明るく楽しげに、そんなことを言うてきた。
言われてみると、ちょいと意識してしまって、これまたちょいと“恥ずかしい/照れくさい”。だからか、
「なんか壱さんに似てますね、そういうところ」
直感的に懐いていたらしいそんなことを、ポロッと口にしていた。
「そりゃあ、よくも悪くも似るところはあるだろうぞ」
キチさんは特別さのない気さくな態度で、当然というように、口を動かす。
「“私たち”が育てたのだからのっ」
「……え?」
「さてのっ、“揚げイモ”も食べ終わった、それなりに言葉も交わせた、私はそこそこ満足した。あとは寝るくらいだ。ゆえに、私は戻る。お前さんは、どうする?」
口を動かしつつ歩き始めていたキチさんが最後、背をこちらに向けたまま、訊いてきた。
「――え?」
「――ん? 宿屋に戻らんのかえ? まさか、このまま朝日を拝むつもりなのかいの」
「まさか、そんな、戻りますよ」
「そうかい。なら、一緒に戻ろうぞ」
「え、あ、はい」
減るどころか増々になって降って湧いちゃった疑問は、戻る道中の“黙り防止”にお訊ねすればいいか。そうだ、それがいい。そうしよう。
――ということにして、暗闇の中に溶け込むことのない存在感ある背を追うことにした。