転/第百四話:(タイトル未定)
宿屋を出て、しばしトボトボと歩を進め――
「やっぱり借りておくべきだったかなぁ、“灯り”」
行き着いた先の“かわ/運河”を目前にして初めて、“光/灯り/照らすモノ”の大事さを意識した。
ほとんど、やや下を向いて歩いていたのに、地べたと水面との境界線にギリギリまで気づかず。うっかり、夜の“かわ/運河”でひと泳ぎしそうになってしまったのだ。
水陸間で円滑に“物資/荷物”を積み下ろしするための、“そういう意”では理にかなった工夫なのかもしれないが。でも、これは、どう考えても、わかりやす過ぎるくらいに危ないだろう。考えごとをしながら歩いていたオレも、よろしくなかったけれどもさ。
まま、それはそれとして。
「ここは……」
まだ日があるときに壱さんと一緒に来た“かわ/運河”――の、近くかな。たぶん。
周辺に無数にある“夜が本番なお店”や“人々の暮らし”から漏れてある“光/灯り”のおかげか、周りはそれとなく視認できていた。ただし、“光/灯り/光源”のある遠くのほうが“まだよく見える”反面、自分の足下にはじゃれつくネコがごとく暗闇が這い寄ってきている。“海の灯台を眺めている自分の足下は暗い”的なかんじだ。
「……はぁ」
本当は、こんなところまで歩いてくるつもりはなく。当初の予定では、宿屋の脇に設けられてある“駐車場的な場所”で、それっぽく深刻そうな表情でも浮かべてウンコ座りをし、「うんうん」と唸ったりしながら、ときおり持参した“揚げイモ”をつまんだりして、夜風で頭を冷却しているはずだったのだ。現在位置が物語るように、そうならなかったが。
夜の町が、思っていたよりも“お元気/ご活発”だったのだ。ひとりで夜風に当たりたい気分のときには、“お節介な/鬱陶しい”と感じてしまうほどに。
というか、宿屋の所在地的に致し方ないことだった。“住宅街/居住地区”とかならまだしも、商売活動がお盛んな立地にあるのだから当たり前とも言える。
個人的に、“こういう見てくれ”の夜の町は、時代劇がごとく闇討ちとかできちゃうくらいに沈黙していると思っていたのだが。創作物語と現実は、やっぱり違う。
あ、あと、“そうはならなかった”理由をあえて上げるなら、
「おっと! 若旦那、ここは“厠/便所”じゃあありませんぜっ」
と、お声がけされちゃったというのもある。
宿屋の脇に設けられてある“駐車場的な場所”は、我らがリアカーしかり、旅人や旅商人の“運搬道具/商売道具”を、その持ち主の宿泊中、安心して“安全に停めておける”という“宿屋の売りのひとつ”である。当然、その安心安全のために、見張り役の宿屋のおヒトが朝昼晩と常駐していらっしゃるわけで……。
どうして失念していた、オレよ……。
……うん。そう。いや、だからって、べつに屋外で“なにぞ”を致していると勘違いされちゃって、それがとてつもなくいたたまれなくて思わず駈け出しちゃった――とか、そういうわけでは決してない。断じて、ない。
「そのわりには、あれからずっと顔が赤いままだぞ? “磨磨佐刀/とぎまさとう”よ」
「……………………へ?」
不意に声をかけられたことへの驚きよりも、自分の“姓名/本名”を呼ばれた――かもしれないということと、“それ”に“気づくのが遅れてしまった自分”に驚いた。
「……あっ、そうだ」
驚いて固まっている場合ではない。
音声が飛んできた己が右耳のほうへ急ぎ、意を向ける。
「な――」
なんということでしょう。
凄みのある笑みを浮かべ、両の手をお腰に当てて威風堂々と地に立つ“痴女”がいた。
灯りの近くにいるわけでもないのに、なんでか“その姿”はハッキリと認識できる。
「誰が“痴女”だ。無礼者め」
「あ、すみません」
そうだよね。世の中には多種多様な“価値観/文化/規則/趣味/趣向”があるのだから、自分の“それ”のみで否定的なことを考えたらよろしくない。
「いや、べつにそういう深い理由があるわけではないぞ。ただ、こういう見てくれのほうが、お前さんは嬉しいかと思うたのだ。“このようなカタチ”で対面するのは、これが初めてだからな。気をつかってやったのだ」
おおうふ、気をつかったがゆえに、“真っ裸”でご登場というわけですか。
やめてください。死んでしまいます。社会的に。オレが。
――とは、どうにも口にしづらいので、
「それは、どうもありがとうございます。しかし、もう眼福が過ぎて、ダメなことになってしまうかもしれませんので、どうぞ風邪をひくまえにお召し物をご着用くざさいませ」
どうにかこうにか脳ミソを働かせ、個人的に言われたら厄介だと感じる“あなたのため、だから”的な言い回しで“攻めて/責めて”みた。
「なんぞ、気に食わなかったか?」
「いやあ……、そーいうわけではないのですけれども……」
いろいろな“意/解釈”で、危険が危ないと申しますかね。こう、どんなにオレが“見せられた/被害者だ”と主張しても、「お前が強要したんだろう!」と糾弾されること必至とうか必死な、限りなくアウトに近い“禁断の青い果実的なお身体”をしていらっしゃるわけですよ。態度は大きめなのにどうやってもこちらを見上げるようにしかならない小柄さに、華奢な四肢。自信と余裕に満ちたくりくりの蒼眼に、太めの眉。前はぱっつんな、腰まである艷やかな黒髪。ハンペンをアジの開きがごとく切ってふたつに分け、薄くなった“それら”をまな板の上に並べて置いてみたようなつつましい胸元というかんじで。
まあ、“まとう/漂う”雰囲気というか風格からして、中身は青くないと“思う/思いたい”ので、もしかしたら“その事実”にお気づきじゃあないのかもしれませんがね。なんでか威風堂々と真っ裸な“あなた”はっ!
ですから、お願いします。気づいて自覚してください“自身”の危うさにっ!
「ふうん。ま、いいさ。望み通り、布切れをまとってやろう」
と言ってはくれても、まさに“身ひとつ”な彼女である。
ここは、オレが一肌脱いで、着るモノを提供せねばなるまいっ!
使命感に駆られるがごとく己が上着に手をかけ――たところで、
「あ、へっ? ……ええっ!」
摩訶不思議な現象が起こった。
彼女がやれやれといったふうに髪をかき上げる動作をした転瞬、その首から下を淡青色のよくわからない光が包み隠し――これまた転瞬、光が消えたと思ったら、肌色全開だったお身体が衣服から靴までをバッチリと身につけていたのだ。
なにかな、いろいろ極まって、痴態少女から魔法少女かなにかになったのかな?
まま、そのいでたちは、むしろ変身が解けたあとのようだけれども。
紫が主色のタートルネック・セーターに、ベージュのホットパンツ。サーモンピンクのくるぶしソックスと、茶色が主なスニーカー。それぞれ、胸、裾、側面、“履くときに引っ張る部分/タン/ベロ”には、“デフォルメされたカメの絵”がワンポイントくっ付けられてあった。
…………あれ?
「…………どうして、どうして“そんな格好”を」
「布切れをまとえと言うたのは誰あろう、お前さんだろうが。それとも、やはり堪能したくなったかっ? 根幹に根ざす本性が抑えられなくなったかっ?」
「え、いや、そうではなく」
「うん? では、なんぞ?」
「だって、“こちら”では見たことのないんですよ」
「なぬん?」
「“スニーカー”とかそういうの」
「ほっほぉーん。なるほどな」
魔法少女的な彼女は、どこかサディスティックな微笑を浮かべて、
「お前さんが“たまたま見ていない”だけで、“こちら”にもあるかもしれないだろう?」
胸の前で腕を組み、そんなことをズバリと言うてきた。
「確かに、そうだけど……」
その通りだと思う自分がいて、言葉が返せなかった。
でも、“その通り”でなかったならと、淡い期待を懐いている自分もいた。もし彼女が“あちらのモノ”を“こちら”に持ち込んでいたのなら、“記憶/頭の中の情報”でしか“あちら”を説明できていない現状に、些細でも変化を与えられたかもしれないのだ。
「こうして会話が成立していることには“疑”の言葉を投げない、か。しゃれを利かせた布切れのまといにも、さして驚かず。これは存外、追い詰められているようだな」
「え?」
「ああ、よいよい。瑣末なことだ」
「うん? そうですか」
「で、ときにお前さんよ」
「はい」
「私の正体をわかっていないな?」
「真っ裸で堂々と外を練り歩く特殊な気概に富むお方、かと」
「はっはっ、ぬかしおる。それだけ言えるなら、まだ大丈夫か」
魔法少女的な彼女は、どこか安堵したふうな苦笑を浮かべて言い、
「それにしても、だ」
転じて、むっとしたふうに眉根を寄せ、
「勝利の味を教えてやったというに、相棒を務めてやったかいのヤツだな。お前さんは」
口を尖らせて、責めるようにポイポイと言葉を投げ、
「この私を幾度も使っておきながら――ヒドイぞっ!」
罪を宣告するがこどく、ズビシッと右手の人差し指を向けてきた。
「はい?」
なにを言われているのか九割ほど理解が追いついていないが、なにか間違えたっぽいというのは察せられた。
「じゃあ……」
なので、
「大道芸師とかそういう?」
回答を変更してみた。さすがに、ガチで魔法少女ということはないだろうから、先ほど目の当たりにした摩訶不思議な着衣は、きっとそうかんぜられちゃうくらいにすごい早着替え的なモノなのだろう――と思う。
「うぐっ……。路銀を稼ぐために、“いっちゃん”と“それっぽいこと”はおこなったことがあるから間違ってはいない――がっ、惜しくはあっても、それは正体ではないぞっ」
知り合いなのか、ご友人なのかわからないけれども、その“いっちゃん”というヒトとおこなったらしい“それっぽいこと”は、果たして“健全”であったのだろうか。この短時間における彼女の姿から想像するに、少し不安というか心配なのだわ。
「安心せい。私としては屈辱的だったが、おこなったのはなんてことないただの“座興”ぞ。純真無垢な子どもからその親までが楽しめる内容のな。“一匹のキュートなカメさんが、まるで飼い主の言葉を理解しているかのように行動して愛嬌をふりまく”という……」
口にしつつなにか思い出したのか、魔法少女的な彼女の表情は目に見えて変わっていった。疲れ過ぎて吐きそうなヒトのような、なんとも複雑さあるモノへと。
「好きくないんですか? カメ?」
表情からして、あまりよい印象を持っていないようにかんぜられた。
「はあん? なんだと」
「個人的にはけっこう好き――というか最近、すっごくお近づきになる機会があって、それでかなり好きになったんですよっ」
せっかくなので、ここは“いろいろな意”で気分転換がてら語らせていただこう。
「ななっ! なっ、ちょっ、お前さんなにを言って――」
「いや、ちょと聞いてくださいよ。そのお近づきになったカメさんは普通と違って、なんとも愉快なところがありましてね。こう、口からえっ! ほごっ!」
顔面に、えっらく硬いモノが突き刺さる勢いでぶつかってきた。いざ語らんとしていたところへの不意打ちだったこともあり、バランスを崩して背中から地べたに落ちてしまった。容赦のない鈍い衝撃に数拍、息が詰まる。
「――っはあ」
石でも投げられたかと思ったが、転じるまえに見た気がするのは、なにかをぶん投げる体勢ではなく、なんでかダッシュをかまさんとしている魔法少女的な彼女の姿だった。気がする、と曖昧なのは直後、強烈な光に視界をさえぎられてしまって、どうにもいまいち確信がもてないからだ。
いや、まま、なにがなんだか考えるまえに、己が身体の無事を確かめよう。
「はぁ、ふぅ……ん?」
とりあえず呼吸はできる――が、なんか息苦しい。ダメな感じの痛みはないから、ケガをしたわけじゃあないだろう……と思いたいところだが。
顔面に、なにか違和感が――
内心、恐る恐る、手をやってみたらば、硬質な丸みあるモノに触れた。内心はそのままに、“それ”をつかんで顔面から離すと、
「おおうっ! なんですとっ!」
そこには、いまさっき語らんとしていた存在がいた。
「まさか、カメを投げたのっ?」
いくら好みじゃないからって、やってよいこととダメなことがある。これは、問答無用でダメなことだ。こんなことをするくらいなら、握った拳か振りかぶった足で一撃かましてくれるほうがマシだ。
真相を追求せんと、魔法少女的な彼女のほうへ意を向ける。
「…………あれ?」
そこには、誰の姿もなかった。周囲にも、それらしい姿は見つけられない。
「まさか、おばけぶべべべっ!」
この場の雰囲気的にいらぬ妄想をしそうになったところで、顔面に水をぶっかけられた。
「……もしかして、キチさんですか?」
顔面が急に潤う心当たりは経験上、それしか考えられなかったので、手でつかんでいる存在にうかがう言葉を投げてみる。
「――ふぁっ!」
強烈な光に、またも視界をさえぎられた。反射的に目をつぶる。
いまのさっきなので身構えたが、今度は痛みをともなうようなことは起こらなかった。
その代わりに、
「やっと、わかってくれたか。お前さんよ」
すぐ近く、やや上方から、そんな溜め息の混じった音声が降ってきた。
なんでか再び真っ裸になっちゃった魔法少女的な痴女さんが、よりにもよって我が手腕をまたぐカタチで、そこにいらっしゃった。
「すみません。わけがわかりません」
「ぬん? いま私の名を口にしただろう?」
「ちょちょっ! 話しながら寄ってくるの止めてくださ――いま、なんて?」
眼前に迫る絹がごときお肌なお腹と同じくらい驚くべきことを、耳にした気がする。
「なんだ、わかってくれたわけではないのか。私は哀しいぞ、相棒?」
さして哀しそうじゃあない表情でこちらを見下ろして彼女は、そう返してきなさった。
「…………まさかそんなことありえないと思いますけど、あなたは、キチさん?」
言っておいて、自分でも疑いたくなる内容だ。けれども、なんかもう、話の流れからして、我が想像力はそんなファンタジックな“結/考え/可能性”に至ってしまった。つかんでいた存在がいつの間にか我が手から消え、代わるように彼女がそこに現れたから、余計にそう思えてしまうのかもしれない。
「そうだぞ! “私”が“キチさん”だっ! ……はぁ、やっと認識してくれたか。まったく、この“にぶちん”め」
「そう……なんですか。そう、なんですね?」
「ぬん? 疑り深いな。そうだ、と言うているだろうがっ!」
「すみません。わかりました。それで……その、キチさん?」
「ぬぬん? なんぞ? 急に改まって」
「いろいろとお訊ねしたいことはありますが、まずはひとつ、言わせてください」
「ほっほう、これまでの非礼を詫びるつもりか。よいぞっ、言うてみろ」
「はい。では、キチさん」
「うぬ」
「服を着てください」
「ほうっ! そだなっ!」