転/第百二話:(タイトル未定)
そういえば、壱さんは当然のように調理道具とおっしゃっていたけれども、“あれ”はそもそも本当に調理用のモノだったのだろうか?
確かに、ツミさんとバツの所持してある“件の調理包丁”と形状はよく似ていた。しかし“それ”も、個人的には日本刀にしか思えない見てくれをしている。
せっかくだし、製作者たるドクさんに“本当のところ”を訊いてみようかな。明日。
……そう、明日。明日だ。
今日あった諸々のお話に、終止符はまだ打たれていない。
先延ばしになっただけだ。明日に。
たぶん、きっと、改めて、ドクさんとお話することになるだろう……。現状についてだったり、事ここに至るまでのことだったり。
記憶以外、故郷に関する“モノ/物体”を有してあるのかとか。
自身は、自分自身なのか――
現在進行形で首筋がヨダレによって生温かく潤っている、“この自身”が。
「はぁ……」
拭うことはとっくに諦めているので、ちょいと抗議をする代わりに、
「よっこらせっ、と」
そのお口から“潤い”を垂れ流してくれている壱さんを、背負い直す。
あれから、挨拶もそこそこに、宿屋へ戻ることとなり。
まま、当然のように、壱さんも自らの足で帰路につ――こうとしてくれたのだが、その足取りは“眠気に完全敗北したヒト”の“それ”であった。ときおり緩く握ったお手々で顔を拭い、とぼとぼよちよちと歩むそのお姿はとても愛らしく。それはもう末永く、つないだ手を“あんよは上手”的に引いてお隣から見守っていたいほどだった。――が、望むがままにそれをすると、宿屋へ辿り着くまえに“明日”を迎えること必至。転んでケガをしちゃう可能性もある。なので、「壱さんっ! ――を、おんぶしたいです!」と申し出てみた。そうしたらば、「私は、私の足で一緒に歩んで行くのですっ。ですので、おんぶは、お断りいたしまう」と、むにゃむにゃ眠気色の濃い、けれども頑なさある口調で返されてしまった。それでも、後生だからと拝み倒さんとしていたらば、“微々速前進しつつも壱さん寝落ち”という瞬間がついにめぐってきた。ここしかない“その隙”に、事後承諾の構えで、おんぶを強行し――
首筋が潤う、今現在。
ちなみに、宿屋までの道は、ツミさんとバツがだいたいわかるとのことで。「道案内がてら、宿まで送るぜ」と申し出てくれたレンくんと、その付き添いを兼ねて道案内を申し出てくれたドクさんとは、あの“工房/工場”にてお礼を述べつつ「また明日」となった。
そんなわけで。ドクさんに見せてもらった写真をきっかけとした話題で華やぐツミさんとバツの背を、数歩の距離をおいてトボトボと追っている。
「…………ねえ、刀さん」
もぞりと身じろぎしなさったのを触感で知った次瞬、どこかしおらしい音声が、右耳をくすぐってきた。
「なんでしょうか、壱さん」
顔は前方に向けたまま、触れてある確かな“温もり/存在感”を意識しつつ応じた。
「“揚げイモ”の美味しい匂いが、呼んでいます」
どうやら、壱さんはまだ、夢の中にいらっしゃるようだ。
名を呼ばれたから、背負い直したときに起こしちゃったかなと思うたのだけれども。うーん、背中がぬくぬく温もってあるからか、いろいろと意識し過ぎちゃったのかもしれない。
「起きてますよう」
そう言って壱さんがほっぺをぷくっと膨らませたのが、なんとなく気配でわかった。
――ので、
「ははっ、“まるで会話が成り立っているような気がする寝言”だ」
ちょいとちゃかしてみた。
「ぬぅ」
壱さんは不満そうでありすねたふうでもある唸りを漏らし、抗議活動を実行してきた。
「ハイッ、モウシワケアリマセンデシタ。チョウシニノリマシタ」
ですので、我が首の太い血管がある部分だけを、両の手腕でうまいことムギュッと絞め上げなさるのはご勘弁ください。脳ミソが活動を停止してしまいます。新鮮な血をっ、血流の再開をっ、お願い申し上げまするぅーるるるる。
「あまりいじめるとないちゃいますからねっ。――刀さんが」
「……………………悲鳴的な“やつ/ないちゃう”ですかね」
「さあ、どうでしょうね」
首にかかってあった両の手腕を緩めつつ、
「試してみますか?」
おっかないことを囁くようにおっしゃりおる壱さんに、
「ご遠慮願います」
謹んで、心の底から即答した。
「そうですか? では、お話を戻しましょう」
「“揚げイモ”にお呼ばれしたんでしたっけっ、壱さん?」
「はい。美味しい匂いがしますでしょう?」
「ああ、そういえば、そう――かもしれません」
言われ、周囲に意を向けてやっと、そんな匂いもあるように感じた。まま、あえて言われなければ、なんとなく食欲を刺激する匂いのひとつとしか思わなかっただろう。
べつに、“そのこと”に興味がないわけではない。ただ、“現在位置/周囲”に、多種多様な情報が活きいき溢れかえっていて、“脳ミソの処理/認識”が追いついていないのだ。それら個々に対して、いちいち丁寧な感想を懐けないほどに。
「“かも”、ではありませんよっ! 胃が、腸が、“ある”と教えてくれていますっ!」
壱さんはやや食い気味に、我が右耳へそんな言葉を叩き込んできなさった。たぶんそうでもない声量なのだろうが、耳の真横での発言だったこともあり、もっすごいよく聞こえすぎて、我が右耳は壱さん専用となりました。やったね! いま告白をされたら、きっとクソ鈍感な“創作物語/ラブコメ”の主人公でも聞き逃しようがないぜ!
「なので、その……ちょっと買いに、寄り道がしたいなぁー、なんて、ね?」
「…………うん?」
先ほど述べたように、聞き逃しも聞き間違いもしていない確信はあるが、
「いま、なんて?」
と、訊き返さずにはいられなかった。
「ですから、“揚げイモ”を買いに行きたいなぁーと」
なんでか恥じらうような口調で、壱さんは言うた。
「さっき――じゃあないですけど、けっこうな量をパクパク食べていたでしょう。壱さん」
「はい、すべて美味しくごちそうさまでした」
「なるほど」
だから、また買いたいと。そういうわけですか。
そういえば、どこかのタイミングで、“揚げイモ”を買い足したいとか風呂屋に寄る云々とか言うていたっけ。濃密なゴタゴタやバタバタがあったせいで、記憶が曖昧だけれども。
でも、いまから寄り道か……。
うーんむ、どうだろう。
空は夜色が濃くなっており、星の煌めきがまばらに自己主張をし始めていた。だから周囲も暗い――かというと、そんなことはなく。いまのところ街路灯っぽいモノは発見していないが、己が足下も周囲もそれなりに見えている。日が落ちてからが本番っぽい店々から漏れる灯りや、そんなお店の先に設置されてある“ちょうちん的なモノ”等々の灯りが、街路灯を必要としないほどに煌々としてあるのだ。まま、その反作用か、路地裏とかの外れた場所は、“落とし穴”かと錯覚するほどに“追いやられた暗闇”で満ちているが。
ツミさんとバツいわく、宿屋の近くまでは着実に来ているそうで。
だからか、人口密度も着実に増えていた。お店の灯りに吸い寄せられるがごとく行き交うヒトたちの姿が、わらわら群々としている。
現在位置は、たぶん日中に通り過ぎたところ――か、その付近だろう。なんで断言しないか? 日中と“夜の色が濃い現在”とでは、城下町の表情そのものが変わっていて、どうにも判別するのが難しいのだ。進む方向も当然のように行きと帰りで違うので、そういう意味でも“光景/風景”の見え方が違う。
「うーん」
時間帯的に、これ以上、バツを連れ回すのはよろしくないと思うわけで。だから、寄り道をするとしたらば、オレと壱さんのふたりで行くことになるわけで。でも、それだと、帰り道がわからなくなるわけで……。
「ダメ、ですか? 刀さん」
我が右耳の脇を、どことなくしょんぼりしたふうな音声が通り過ぎていった。
「んっ、んん……」
……ま、いっか。もし迷ったら、道は“誰か”に訊けばいいだけだし。
そんなわけで、
「わかりました」
壱さんの気が済むまで、それとな~くご一緒する覚悟を致しました。
「でも、オレはよいですけど――」
バツとツミさんには、とくにバツは時間帯的にこれ以上、連れ回したらよろしくないと思うので、先に宿屋へ戻ってもらいましょうね――という意を、交換条件がごとく付け加えて述べておくのも忘れずに。