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転/第百一話:(タイトル未定)

「このう! のらくら野郎! やめろよおおおお!」

 いままでぐっと堪えてたレンくんだったが、友人の“制作物/製氷機”に手を出されるのには黙っていられなかったようだ。止める間もなく、扉をぶん殴る勢いで開放し、悪事を妨げんと迷いない足取りで飛び出して行ってしまった。

 ドクさんと厳つい顔面の方々の視線が、一斉にこちらのほうへ向く。

「あっ! テメェ!」

 青アザたんこぶなお方は驚きと忌々しいさの混在した表情を浮かべ、勇むレンくんを通り越して“こちら”を指差してきた。――より正確に述べると、その意と指の先っちょは、焼き菓子と“アイス・ティー”を味わい終えてやることがなくなり暇になったのか寂しくなったのか、トントントトトッと杖で足下を探りつつ歩み寄ってきて「どのような――」と口を動かしていた壱さんのお姿をとらえていた。ちなみに、やべぇと脳ミソでは思うていても身体が動かず棒立ちなオレのことは当然のように素通りである。

「なんで、こんなところにっ!」

 残念ながら、“気のせいだった”ということにはしてくれないようで。

「いや、そんなことはいいか。逃げられたと思っていたところに、これなら好都合だ」

 青アザたんこぶなお方は、ニタリと悪どい笑みを浮かべて、

「お前ら、まずは“そこのヤツ”に礼儀を教えてやるぞ!」

 と、厳つい顔面のお仲間に目標の追加を指示した。

「くそう……これは、いかん」

 ドクさんと青アザたんこぶなお方のやり取りを見やり、じつはそこまで悪い連中ではないのでは、と思いつつあったオレは、脳ミソがお花畑だった。素行のよろしくないヤツが小さめの動物と触れ合っていると、なんでかよいヤツっぽく錯覚してしまう珍妙な現象のアレとでも言おうか。相手は壱さんに手を出して返り討ちにあった連中だというのに、なしてお花畑っちゃったのよ、オレの脳ミソっ。

「刀さん、刀さん――」

 壱さんはちょいちょいと控えめに我が服の裾を引っ張り、

「大丈夫ですか? もれちゃいましたか?」

 いまいち状況に適さない気遣う優しさある小声で、そんなことを言うてきなさった。

「……なにがですかね、壱さん?」

「いま、“くそう”、“いかん”と、ぐっと噛み締めるようにおっしゃっていたので。もしや、と思ったのですが……あら、やっぱり違いましたか」

「えっ?」

 うーんむ、なんのことだろう。“もれちゃった”、“くそう”、“いかん”、ぐっと噛み締めるように……。“くそう”……くそ? が、もれちゃっ――

「ああっ! って、違いますよ。“そっち”の、実弾発射誤爆的な、物体的にやっちまった的な、そういう“くそう”でも“いかん”でもないですっ!」

「ですよね。すみません、失礼なことを言ってしまって」

「あ、いえ、べつに謝ることじゃあないですよ。ただ、その、内容にちょっち驚いて、声が大きくなっちゃいましたけれども――それだけです。うん。……でも、意外でした」

「はい?」

「壱さんのお鼻なら、些細な“それ”でもわかっちゃうんじゃないかとヒヤヒヤしていたんですよ。日頃、密かに」

 だからって、べつに日頃から“そっち”をやっちまっているわけじゃあない。決して。

「あら、そうだったのですか。まあ、“ここ”でなかったなら、わかっちゃっていたかもしれませんね。“この場所”は、“なにか”いろいろな“におい”が混じってあるので……うーん、な感じなのですよ」

 壱さんは自らのお鼻を指の先っちょでツンツンして示し、困ったふうに微笑む。

「ほへえ」

 個人的には機械油っぽい臭いが少しするかなぁ、としか感ぜられないのだが。鼻が利き過ぎちゃって逆に、なのだろうか。

「テメェら状況がわかってねぇみたいだなぁ、おい! こら!」

 ドクさんに抑えられたレンくんを一時、無視して、いつの間にやら“こちら”に近づいてきていた青アザたんこぶなお方と厳つい顔面の仲間たちが、そんな大声でもって自己を主張してきおった。

「壱さんに自分が“なに”を漏らしたとか誤解されたままじゃあっ! 生きていけないでしょうが! 察してくださいよっ!」

 置かれている“状況/空気感”は、肌身でもって正しく理解しているつもりだ。――が、個人的に“先ほどの誤解”は、それ以上に由々しき事柄だったのもあるのだろう。反射的に、自分でも意外な威勢のよさで、そんなことを口からぶん投げていた。

「お、おう……それは、その、ご愁傷様」

 青アザたんこぶなお方と厳つい顔面の仲間たちは、哀れみの色がうかがえる当惑した表情を浮かべて応じ、

「――って」

 ハッと転じて、いまさっきまでの暴力を振るわんとするヒトの顔に戻り、

「知るか! そんなこと!」

 地団駄を踏み、ツバを激しく飛散させながら言うてきた。

「……はい」

 やはり“そっち系/怖い系”のヒトに冗談じゃなくすごまれると、

「そうですね」

 うっかり発揮しちゃった威勢も、ぎゅんと萎む。

 どうしよう。いまのですっかり、意を“現実/現状”に引き戻されてしまった。

 こう、パッとすぐに、取るべき適切な行動が思い浮かばない。というか、なして“こんなこと”になっちゃっているんだろう……。

 適切な行動が思い浮かぶまでの時間稼ぎ的に、状況を整理、確認してみようか。

「あのう、つかぬことをですね」

 ヌルリと低姿勢になって、もみもみと揉み手なんかをしちゃいながら、

「こう、ひとつ、ふたつ」

 けれども視線は、青アザたんこぶなお方のひょろりとのぞく鼻のお毛々を凝視したまま、

「お訊ねしてもよいでしょうか?」

 そっと、確かめるための言葉を投げてみる。

「おおん? なんだってぇんだ、この野郎」

 青アザたんこぶなお方は鬱陶しそうに眉根を寄せてそう吐き捨てると、じつに軽快な舌打ちをひとつ、聞かせてくれた。

「礼儀を教えてくださるとのことですが――耳にしたお話によると、先に“礼を欠くおこない”をしたのは、“そちら”さまとのことですが」

「クソが! イカサマをはたらいたのは“そこのヤツ”だ」

「“そちら”が不誠実なおこないをしたから、それを利用した――と聞いていますが」

「がっ……ぐっ、クソ。戯言に付き合うのはやめだ! とっととやっちまえ」

 ここで動揺を見せてくれるあたり案外、本当に根っこの部分はまだマシな部類のヒトたちなのかもしれない。

 ――とか思っている“余裕/猶予”は、ない。なくなった。

 言葉で返せなくなった“そちら”さん方が、癇癪を起こした子どものように握った拳を振り上げ、それを“こちら”へ振り下ろさんと勢い込んで一歩を踏み出してきたのだ。

 即、壱さんの手を取ってダッシュで逃走した――い、ところなのだが、現状それは困難だった。最短距離で外へ出られそうな正面の“出入口/搬入口”は、全開放された鉄扉の代わりに青アザたんこぶな顔面と多々の厳つい顔面がふさいでくれているのだ。しかも、その顔面さんらは、現在進行形で“こちら”を取り囲むように迫ってきている。

 事ここに至って、本当にどうしたらよいのか思いつけず。

 気づいたら、背筋をピンッと伸ばして直立ち、両の手腕をそれぞれ斜め上方へいっぱいに広げていた。身体を大きく装って威嚇せんとする動物的本能が発動しちゃったのだろうか。正面から射し込む深い黄昏時の焼けるような光が、妙に眩しい。

 きっと、いま我が背後には、キレイな“Y”の影文字が足下から伸びてあるだろう。

 と自然な流れで現実逃避しようとした、そのとき――

「ぶべばぶばばば!」

 青アザたんこぶなお方を筆頭に、“こちら”へ迫ってきていた面々が、ダクダクとボタボタと水の滴る厳つい顔面になって足を止めた。

 我が頭上のほうから伸びていった勢いある水柱に、ビッチャリと顔をなでられたのだ。

「えっ? ……あ、キチさんか」

 そういえば、我が頭の上には“限りなくカメっぽい不思議な存在”が鎮座していらしたんだった。メガネは顔の一部です的なアレで、違和感と存在感を慣れによって、すっかり失念していた。

「ああ、ちょうど……水に顔を突っ込みたいと思っていたところだったんだ。腫れたところが、どうにも熱くていけねぇからな」

 青アザたんこぶなお方は、濡れて額に張り付いた前髪をかき上げ、

「だから、礼を言おう」

 と、“聞き手の肝を冷やす落ち着き”のある声音で述べながら、

「“これ”も添えてな――」

 フトコロから“十手のような金属製の短い棒”を取り出し、

「どうも、ありがとうだこの野郎」

 一切、容赦する気がないヒトの鋭い眼光を放ってきた。

「――っ」

 瞬間、心の臓がキュッとなった。

 冗談抜きで恐ろしく。

 あてられてしまったオレは、“Y”的な姿勢のままいすくまってどうしましょう……。

「尻餅をついちゃう程度でお願いします、キチさん」

 背後の左側から、“聞き手を安心させてくれる落ち着き”のある音声が聞こえてきた。

 呼応するように、我が頭上のキチさんが、先ほどよりも確実に威力のある水の塊を撃つように噴いた。迫りくる方々の額を的確に、殴り飛ばす。

 首やら腰やらがダメなことになっちゃったんじゃあなかろうかと、うっかり心配してしまうかんじで、方々はお尻から室内の石畳な床や室外の地べたに落ちていった。

 青アザたんこぶなお方もスパンッとキレイに額をぶっ飛ばされ、姿勢を崩した。その拍子に、“十手のような金属製の短い棒”を手放してしまう。

 次瞬、“物騒な得物”は、鈍さある音を響かせて石畳な床に転がった。

「あら、なにか――危なそうなモノを持ち出していたようですね」

 緩やかな足取りで前方へ進み出ていらした壱さんが、吟味するヒトの顔をして言うた。

「え、えっと、あのですね」

 なんでだか急に重たくなった気がする舌と顎を動作させ、“物騒な得物”の形状やらについてお話させていただく。いまは床で静かに横たわってあるけれども、青アザたんこぶなお方が再びつかまんと手を伸ばしていることも付けくわ――

「あだっ! チクショウ」

 伸ばしていた手を、キチさんが噴いた“水の塊”に叩かれ引っ込めたことも付け加えて。

「さすがはキチさん、よいお仕事をありがとうございます」

 壱さんはほがらかな笑みを浮かべて、そう口にしてから、

「それにしても、武器を持ち出されるとは……」

 眉尻が下がってある困ったふうな顔になって、

「うーん、どうしましょうかね」

 ほっぺに片手を添え、小首を傾げる。

 とは言え、あまり差し迫っているふうにはかんぜられないのだけれども。

「ねぇちゃん! “これ”使ってくれっ!」

 視界の隅、右のほうから、“棒状の長い物体”が不意と飛んできた。同時に聞こえた声からして、どうやらレンくんが放り投げたようだ。

「右から、胸の高さ! 壱さん!」

 とっさなこともあり、とても雑な状況報告になってしまった。

「おぅっ! おっと、よっと、ほいっと」

 壱さんは飛んできた“棒状の長い物体”をいなすように“腕/肘”で跳ね上げると、そのまま続けて二回、三回と新体操のバトン回しがごとく跳ね上げて空中回転させ――

「はい、どうも」

 最後、落ちてくる間に備えた手で軽々と受け止めると、

「ご支援、ありがとうございます。レンちゃん。――でも、ヒトに向かってモノを投げたりしたらダメですからね。ケガをしちゃう、させちゃうかもしれませんから」

 気さくさある態度で、“それ”に代えて“たしなめる言葉”を投げ返した。

「う、うん。ごめん、なさい」

「ただ、誤解しないでくださいね。レンちゃんが懐いてくれた“気持ち/心意気”は、間違いではないのですから」

「ふぇ?」

「むしろ、素晴らしい、と私は思います。“それ”を行動に転換できる度胸もね。なので、あとは思いついたことを実行するまえに一拍、“あとさき/どうなるか”を考えられるようになったら――」

「なったら?」

「レンちゃんは最高によいおこないができるとても素晴らしいヒトだと、私は確信しています。レンちゃんにお世話になった私がそう懐くのですから、間違いありませんよっ!」

 疑う余地のない自信に満ちた表情で、壱さんは言い切った。

 それからスッと半歩、こちらへ身を寄せてきなさり、

「刀さんも、ありがとうございました。教えてくれて」

 控えめな音声で、お言葉を聞かせてくださる。

「このお礼は今夜のお楽しみということで、ね? ぬっふっふ」

 という、いろいろ妄想を刺激する蠱惑的な微笑のオマケ付きで。

 壱さんの反射神経や空間認識能力、先ほどの“対応/対処”から思うに、“正確さ”どころか“報告”自体なくても、結果的に“どうにかなった/どうにかした”だろう。少なくとも、そう思えるくらいに、壱さんは難なく“不意の事態”に対処していた。――ようにかんぜられた。

 けれども。

 まま、それはそれとして。

「夜が待ち遠しいっ! ――じゃなかった。お役に立てたなら、なによりです」

「ふふふ」

 我が反応に、壱さんは温さあるほんわか微笑みを見せてくれてから、

「――。さてさて」

 一拍の間を置いて一転、凛とした雰囲気をまとい、そのまま口を迷いなく動かす。

「おひらきにしません?」

「はあん? なにを勝手な」

 体勢を立て直していた青アザたんこぶなお方が、言葉と睨みを返してきた。

「だって私、眠たくなってきちゃったんですもの」

「知るかよ! そっちの眠気なんざ」

 青アザたんこぶなお方は、吐き捨てるように言うた。それから、落ちてある“十手っぽい短棒”と、我が頭上の様子をチラチラと交互にうかがう。

「ほっほぉーん。なるほど」

 壱さんはニヤリと悪っぽい笑みを浮かべた。ただ、これは、青アザたんこぶなお方の言葉に対する反応ではないようで。どうやら、先ほどレンくんから受け取った“棒状の長い物体”が“なにか”を正しく認識した結果のようだ。受け取ってからずっと、口を動かしている間も、ひっそりとその正体をお手々で探っていらしたようだし。

「わかっていただけずとも、私は眠いのです」

 切り替えるように少し声を張り、壱さんは青アザたんこぶなお方のほうへ言葉を投げ、

「なので、いま引いていただけないのでしたら」

 両の手で“棒状の長い物体”の上部をしっかりと握り、顔の前で掲げるように持ち、

「あなた方を――」

 右の手は固定したまま、その下にある左の手で“それ”を拳ひとつ分、下方へ引き落とした。艶かしくも肝が冷える微笑を浮かべながら。

「三枚におろして差し上げましょう」

 鯉口を切られ、恐ろしく麗しい刃をのぞかせていた。ほんの一瞬まえまで“棒状の長い物体”だった、“それ”のことである。

「――っ」

 派手さも騒がしさもなく、場の空気が一変した。

 たぶん約一名を除いたこの場に居合わせている面々は皆、息を詰まらせただろう。

 形容し難い緊張感が足下から這い上がってきて胸の内に絡みつき、根拠のない確信をもって忠告してくるのだ。これはヤバイ、と。

「あっ! あぁ~」

 厳つい顔面な方々のひとりが、

「ソウダッター、カミサンニヨウジ、タノマレテタンダッター」

 努めて困ったふうを装い、言うた。早くもこちらに背を向けているが、後頭部に手を添え、「たはは」と乾いた苦笑を漏らす演技も忘れていない。

 他の厳つい面々は、そんな“ひとりの背”を、“切り込み隊長へ向けるような眼差し”で見やり――

「ソウイエバ、オレモ」

「ア、オレモ」

「オマエモカ、オレモダッタワー」

 ――続々と、その“勇敢な背”に追従する。

「な、お前ら、この野郎っ!」

 あっという間ならぬ、なっという間に、厳つい面々は“やんごとない急用”によりこの場を去ってしまい、

「あとで覚えてやがれよ、まったく」

 青アザたんこぶなお方はひとり、苦虫を噛み潰したような表情で溜め息を漏らした。

「“あとで”ではなく、いますぐ追いかけたらどうですか。手間が省けます」

 おっとう……壱さん、なして挑発的なことをするっ口走っちゃうのんっ。

「このっ、舐めたことを。テメェの相手なんざ、ひとりで充分だ」

「そうですか。そこまで三枚におろされたいのでしたら――致し方ありませんね」

「はんっ、やれるものなら、やってみろってんだ!」

「あと二歩です。あと二歩、こちらへ身を進めたら――」

「んな……な、なんだってんだよ」

「おめでとうございます。お望み通り、あなたは三枚おろしです」

 言って、壱さんは腰を入れて抜刀の構えを取った。

「声と身動きの音から、位置も距離もだいたい把握できていますので」

 その、“やっちゃう”ことが当然、というふうな余裕のかんぜられる姿勢に、

「ぬっ、ぐぐぐ……」

 青アザたんこぶなお方は、ネコに追い詰められたネズミがごとく奥歯を噛み締めた。

 けれども、そこにある眼から諦めの色はうかがえず。

 切れたらよろしくない事態に発展するだろう糸がピシと張ってしまったのが、肌から毛穴からじんわりと心の臓のほうへ伝わってきた。「やべぇよ、やべぇよ」と慌ただしく脈は打ち、脳内会議もてんやわんやの大騒ぎ。わずかにあった冷静さで、どうしたものかと知恵を絞ってみるも、額に脂汗をじゅわりと絞り出す始末――

「お前さんらが、どうなろうと知ったことではないがな」

 いままで驚きつつ静観していたドクさんが、

「ま、どうにかなってくれたほうが、頭痛のタネが減ってくれそうだが――」

 見かねたふうに、口を開いた。置き去りにされてあった乳母車に近づき、手をかけ、

「しかし、だ。科学者であり発明家であり“ものづくり”をたしなむ人種のひとりとしては、お前さんらの安否なんかよりも、作った“モノ”がこれからどのように使われるのか、ということのほうがよっぽど重要でな。――つまり、だ。どうせ、どうにかなるのなら、ちと“これ”を届けてからにしてくれまいか」

 そんな“意/案”を、いわく“頭痛のタネ”のほうへ努めて軽く投げる。

「…………っ、クソ」

 青アザたんこぶなお方は顔面筋をわなわなさせて逡巡してから、ポソリと小さく吐き捨てた。それから、地団駄を踏むような足取りでドクさんのほうへ進み、

「届けたら、また来るからな!」

 ツバを飛散させながら言って、奪い取る勢いで乳母車を預かり受け、

「明日だ! 明日、絶対、来るからな!」

 そんな言葉を残し、ドタドタと騒がしく走り去る。“預かり物”は地べたで引きずらぬよう、しっかりと脇に抱えて。

 その後ろ姿からは、なんとも哀愁と憎めない感が絶妙な混在っぷりで漂っていた。

 けれども、吐き捨てられた“それ”からは、諦らめや降参といった後ろ向きなモノは感じられず。どうやら、“結果、勝つ”ための、“いまは一時撤退”のようだ。

 そんな勇気ある撤退をしてくれたお方の気配が、さっぱりと消え。

「――なんねて」

 構えを解いて壱さんは、てへりと舌先をのぞかせ、イタズラを成功させたったという満足気な笑みを浮かべた。小僧っ子っぽい幼さと愛嬌がほんわりと、かんぜられる。

 周囲を把握するための“件の音の高い舌打ち”をおこなわなかったあたり、壱さん的には本当に“なんてね”な、イタズラ程度のことだったのかもしれない。少なくとも、“やられるまえにやるかんじ/攻めの姿勢”ではなかった――ような気がしないこともない。

 まま、“やっちゃう”ぞ、という近寄り難い威圧感は“ガチ/本物”だったけれども。

「神聖な調理道具を、“そんなこと”にもちいたりはしませんよ。私は」

 壱さんはイタズラである根拠をポソリと呟くように主張してから、

「――なので」

 厳かな扱いで、“棒状の長い物体”に戻った“それ”を差し出し、

「“これ”は返しますね。レンちゃん」

 声をやや大きく発して呼び寄せるように、おっしゃった。

「おっ、おおおう。わかった」

 威圧感にあてられて固まっていたレンくんはビクッと身を震わせて応じ、駆け足で速やかに壱さんの前まで移動して、差し出された“それ”を受け取る。

「非常時とはいえ調理道具は“大事/大切”に扱わないと“めっ!”、ですからね」

 人差し指をピシッと立て、壱さんは“できる”年上のお姉さんっぽくたしなめなざった。

 茶目っ気たっぷりな、まったくキツさのない、個人的にはうっかり可愛いと思うてしまった“たしなめ”――だったのだが、

「はい」

 言われたレンくんは、慌てたように“それ”の持ち方を畏まったふうに変えた。

 対照的に。

「う~んっ!」

 壱さんは気持ちよさそうに背伸びをしてから、

「さって!」

 区切りをつけるがごとく、ぺちんっとひとつ柏手を打ち鳴らし、

「さて、私たちも、もろるとしまふぉ~か」

 仕事をひとつ終えたヒトのさっぱり爽やかさある“おねむ顔”で、

「たぶんきっといろいろと盛り上がるはずの諸々のお話は、また明日のお楽しみというこふぁ~わふっ、でっ、ね?」

 あくびを噛み殺しつつ、そんな提案をホイッと投げてきなさった。

「壱さん、もしかして本当に眠かったんですか?」

「ぬん? どうして偽る必要が? 私は常に、だいたい自分に正直……ですよ」

「ですよね」

 愚問でした。

「刀さんがくれたアメ玉を味わってから、です。ふぁ~ふっ」

 なんだかんだで、気を張る必要がなくなったからなのか、

「身体が内から熱ってきたのっ。ですね。そうしたら、しだいに、どうにも、こうにも」

 壱さんは“おやすみモード”へと急激に移行しながら、言うてきなさった。

「このザマなのです」

「わかりました、壱さん。宿へ戻りましょう」

 そういえば、あのアメ玉、“なにか仕込みがある”的なことを言っていたっけか。酔っ払ったような饒舌さの飴屋のご主人が、べらっべらと。

 ただ、オレも同様のモノを味わったはずなのだが、いまのところ壱さんほどの変化は感じていない。……どうしてだろう? あとからまとめてくるつもりなのだろうか。

 まま、それはそれとして。

「――というわけなので、その」

 まだ今後に関してうかがっていなかった方々へ、確かめの言葉を投げる。

 そうしたらば。皆、温もりある微苦笑を浮かべて首肯し、応じてくれた。

 そんなこんなで。

 場が“とりあえず一段落した”雰囲気になったところで、

「ところでさ」

 レンくんが、素朴な疑問顔で言うてきた。

「にぃちゃん、いつまで“その姿勢”でいるんだ?」

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