第5話 電球を発明した男
「お忙しいところを申し訳ございません、ハンスさん」
ここは応接の間。ヤコブが殺された現場の検分を終え、ハンナたちは事情聴取に取りかかろうとしていた。
部屋の中央に腰掛けているのは、オフィーリア。そのとなりに、アドバイザーという形でハンナが座っていた。今度はマシューの邪魔が入らないように、みっつある扉のうちのふたつには鍵を掛け、耳のよいスフィンクスを廊下に立たせてあった。
「なぜハンナさんがこの場にいらっしゃるのか、説明していただけますか?」
ハンスの尤もな質問に、オフィーリアは淡々と説明を始めた。
「こちらのハンナ・フォン・エシュバッハさんは、ある国で有名な探偵の方です。今回の事件にご協力いただきたいと思い、ご同席をお願いしました」
あらかじめ、口裏合わせしておいたのだ。これも、ハンナの入れ知恵だった。
ハンスはハンナを見つめてから、視線をオフィーリアに戻した。
「……分かりました。なにをお答えすればよろしいのでしょうか?」
ホッと胸を撫で下ろしたオフィーリアは、ハンナにバトンを渡した。
いきなりの丸投げだった。
どうにも主体性のない刑事だと思いつつ、ハンナは質問を始めた。
「ハンスさん、あなたは昨晩、どちらにいらっしゃいましたか?」
「時間帯によりますが……九時以降は、ずっと自室にいました」
九という数字を受けて、ハンナは自分たちの行動を振り返った。彼女が記憶している限りでは、ベッドに潜り込んだのが、夜の十一時を過ぎた頃。ヤコブとの会話や、その後の行動時間を考えても、彼が死亡したのは九時よりもあとのはずであった。
「それを証明する手段はありますか?」
「夜通しどこにいたかなど、だれにも証明できないと思いますが?」
ハンスの皮肉に、ハンナは顔を赤らめた。マシューの言う通り、ハンスはお人好しなどではないようだ。おぼっちゃま然とした外見で判断すると、騙されてしまう。
ハンナは警戒心を強めて、話題を変えることにした。
「ヤコブさんが死亡した場合、どなたが相続人になるか、ご存知ですか?」
「さあ……法律には詳しくありませんが……次男の僕ということになるのではないでしょうか……兄は未婚で、子供がいませんでしたから……」
ハンスは、不快そうに説明を終えた。
自分が疑われていると思ったのだろう。踏み込み過ぎてしまったようだ。
「ハンスさん、あなたは、先月亡くなられたヨハンさんの遺言状をお捜しですね?」
遺言状に話題が及び、ハンスは一瞬、目を逸らした。
「ええ……それがどうかしましたか?」
「隠し場所に見当がついているとか、そんなことは?」
ハンスは視線を戻し、憮然とした表情で言葉を返す。
「見当がついているなら、ぜひ教えていただきたいものですね。最初は、もっと簡単に見つかると思ったのですが……」
青年の台詞に、ハンナは眉をひそめた。
「もっと簡単に? それは、どういう了見で? なにかヒントでも……」
ハンナが言い終えるまえに、ハンスは右手をテーブルについた。テーブルがゆっくりと透けていく。ほんの数秒で、半径三十センチほどの透明な円ができあがった。
「トランスパレンツ家の人間は、自分自身だけでなく、自分が触れたものを一定の範囲内で透明化することができるのです。この能力を使えば、どんな隠し場所でも、たやすく探ることができるのですよ」
ハンスは右手を引っ込めた。
肌が離れた途端、テーブルはもとの木目を取戻した。
「……その能力は、どのくらいの範囲に応用できるのですか?」
「だいたい、今ご覧になられた程度です」
ハンナは、オフィーリアを盗み見た。彼女からの質問は、これで終わりだった。
オフィーリアが黙っていると、ハンナは青年に向きなおり、軽く頭を下げた。
「以上で結構です。ご協力、ありがとうございました」
次に呼ばれたのは、執事のフランケンだった。本来ならば、マシューの番だろう。ハンスに続くもうひとりの容疑者は、彼なのだから。だが、ハンナには別の思惑があった。さきに他の証人たちから情報を集め、マシューの話と照合してみようと思ったのだ。それほどに、ハンナは彼のことを疑っていた。第一容疑者というわけだ。
「フランケンさん、あなたはこの屋敷に勤めて、どのくらいになられますか?」
「もうかれこれ十五年になります」
「それならば、この館のことをよくご存知ですね?」
フランケンは、その巨大な体躯を曲げて、かるくうなずき返した。
「プライバシーに触れる質問になってしまいますが……トランスパレンツ家の人々は、お互いに仲がよろしくないようですね?」
フランケンは困ったような顔で、視線をテーブルのうえに落とした。
「大変申し上げ難いことですが……おっしゃる通りです。トランスパレンツ家は、先々代の当主が身を持ち崩し、ずいぶん苦労していたと聞いております。けれども、ヨハン様が発明王として起業なされて以来、この町一番の……いえこの国でも指折りの大富豪となられました。ただ……」
フランケンはハンカチを取り出し、執拗に額の汗をぬぐった。
「ただ、なんでしょうか?」
「お金がないときはないで困るものですが、あるときはあったで困るものです。ここまで申し上げれば、お分かりになられるかと思いますが……」
ハンナは真面目な顔で首肯した。彼女が生まれ育った世界では、彼女もそこそこのお金持ちだった。このトランスパレンツ家ほどではないが、ひとつの町を支配していた、由緒ある家柄なのだ。お金があるときのトラブルについても、薄々察しがついていた。
ハンナは、次の質問に切り替えた。
「では、その厄介事……つまり、遺産相続についてなのですが、ヨハンさんがお書きになられたはずの遺言状によれば、ヤコブさんとハンスさんが全財産を等分し、マシューさんには何も残らないとか……これは、本当ですか?」
フランケンは、ハンカチを取り落としかけた。
カッと目を見開き、震える声で質問を返した。
「ど、どなたから、それを……?」
「それは機密事項です……本当なのですね?」
「お、おおよそは、その通りでございます……」
フランケンの言い回しに、ハンナとオフィーリアは顔を見合わせた。
「おおよそ……? どこか違うのですか?」
「は、はい……実は……」
フランケンはハンカチを握り締めて、両手を膝のうえに置いた。
「ヨハン様は、執事の私にだけ、遺言状の内容をお話になられたのです」
マシューは言った。遺言の内容は、この館の人間なら誰でも知っていることだ、と。ところがフランケンは、自分だけが知っていると主張してきた。どちらかが嘘を吐いているのだろうか。それとも、もっと別の可能性があるのだろうか。はっきりと矛盾した証言が出てきたのは、今回が初めてだった。
俄然、興味の湧いてきたハンナは、心持ち身を乗り出した。
「その内容を、教えていただけますか?」
しばらく逡巡したあと、フランケンは先を続けた。
「もともとヨハン様は、全財産を均等にご子息へ遺されるおつもりでした。特に、電球事業につきましては、一番才能のあるマシュー坊ちゃまに譲りなさるおつもりだったと聞いております。しかし、マシュー坊ちゃまが、ヨハン様のお怒りを買うような所行に出てしまい、トランスパレンツ家が所有する辺境の所領だけを相続なさることになったのです」
フランケンの証言は、ハンナを驚かせた。マシューが言っていることと、まったく違うではないか。マシューにも、それなりの財産が残されているのだから。
「それは、私がうかがったお話と違います。マシューさんには、一セントも遺されていないのではありませんか?」
馬鹿馬鹿しい。そう言いたげに、フランケンは首を左右に振った。
「それはただの噂でございます。もちろん、半分は真実なのですが……」
「では、ハンスさんもマシューさんも、遺言状の内容はご存知ないのですね?」
「ご存知ありません。これだけは本当に、わたくしだけが教えていただいたことで……」
なるほどと、ハンナは心の中で相槌を打った。どうやらマシューは、館に流れる噂を本気にしてしまったようだ。無論、信じるには信じるなりの理由、例えば、面と向かって勘当を言い渡されたこともあるのだろうが、少々軽率な性格のようだ。
ハンナは事件の全体について、再考する必要に迫られた。
「その遺言状は、実際に作成されたのですか?」
「正式には作成しておりません。とはいえ、この国では、自筆であればいかなる形の文章も遺言状としての効力を持つと、弁護士の方がおっしゃられていました。ヨハン様は、この館のどこかに、下書きのようなものをお隠しになられたと、そううかがっております」
そういうことか。ハンナは、ハンスたちが捜しているものの正体に気付いた。
と同時に、彼女はある疑問に突き当たった。
「先ほど、『特にデンキュウ事業』とおっしゃいましたね。他にも、なにかめぼしい財産があるのですか?」
ハンナの質問に、フランケンは目を見張った。
なんと非常識な、とでも言いたそうな顔だった。
「ヨハン様は、本物の天才でございました。ガス灯、アーク灯に始まり、新作の集光レンズやストロボ機器、それに特殊な塗料など、ヨハン様の手になる発明品は、それこそ数えきれないほどございます。家庭用電球は、そのひとつに過ぎません」
ハンナには、フランケンの羅列した品々が、さっぱり分からなかった。
どうやらこの世界は、彼女が生まれた世界よりも、ずっと進んでいるらしい。
感慨に耽るフランケン。ハンナはとりあえず、誤摩化しのお世辞を述べた。
「本当に才能のある方だったのですね」
フランケンは、ハンナの褒め言葉に、そのいかめしい顔を綻ばせた。
「はい、ヨハン様の生涯は、光というテーマに貫かれておりました。そのような方にお仕えできたことを、わたくしは光栄に思っております」
「そうですか……ありがとうございました。これで結構です」
フランケンは椅子から立ち上がると、すぐに部屋を出て行こうとした。
そのとき、ある疑惑が、ハンナの脳裏をかすめた。
「待ってください、フランケンさん」
ハンナの呼びかけに、フランケンはきょとんと振り返った。
「何でございましょうか?」
「ご子息の誰かが、遺言状の下書きを、あらかじめ盗み見た可能性はありませんか?」
まさか、という顔で、フランケンは首を左右に振った。
「それはありえません」
「なぜです? 透明になれるのですよ? 父親の部屋にも忍び込めるでしょう?」
ハンナの二の矢に、フランケンはあっさりと口をひらいた。
「ご家族同士は、透明になっていてもお互いが見えるからでございます」
フランケンが退室したあとで、ハンナはしばらくの休憩時間を設けた。
休みたいと思ったわけではない。オーフィリアと相談するためだった。
「オフィーリアさん、ここまでで、なにか気付いたことはある?」
なるべく先入観を持たせないよう、まずはオフィーリアに意見を聴いた。
オフィーリアは、それまでの出来事をメモしながら、曖昧にうなずき返した。
「そうですねえ……とりあえず、マシューさんが嘘を吐いてたことは分かりました」
「うーん、嘘ってわけじゃないのよね。マシューはおそらく、父親のヨハンから勘当されたときに、遺産についてなにか厳しいことを言われたんでしょうね。そのときの印象と屋敷のうわさが相俟って、自分は相続人から外されたと思ったんだわ」
「あ、なるほど」
オフィーリアは、感心したように首を縦に振った。
しかし、これもただの憶測に過ぎなかった。決定的な証拠が欠けていた。
「ほかには、なにかない?」
ハンナは、ふたたびオフィーリアに尋ねた。こうでもしないと、まるで子守りのような状態になってしまうのだ。いったい、どちらが刑事でどちらがアドバイザーなのか、分からない状況になりつつあった。
オフィーリアは、ふむふむとうなって、それからこう返した。
「そういえば、ハンスさんの能力、凄かったですね。私も、ああいうのが欲しいです」
ハァと溜め息を吐き、ハンナは肩を落とした。彼女とて、透明化は便利だと思う。どんな物でも透けさせられるなら、探し物もさぞかし楽だろう。しかし、今大切なのは、そういう空想に耽ることではなかった。真実を探求しなければならないのだ。
そこまで考えたハンナの脳裏に、ある疑問が思い浮かんだ。
「でも、どうして遺言状が見つからないのかしら……あの能力があれば、必ず見つけられると思うんだけど……箪笥のなかだろうが、金庫のなかだろうが……」
「そう言えば、そうですね。もしかして、遺言状なんてないんじゃないですか?」
オフィーリアの発言に、ハンナは考えさせられた。
確かに、その可能性はあった。フランケンが勘違いしているのではないだろうか。あるいは、ヨハンの考えが変わって、下書きが破棄されたのかもしれない。今回の事件が、証言に証言を重ねた非常にあやふやなものであることを、ハンナは再認識した。
とはいえ、証言以外に手掛かりとするものがない。ハンナは、じれったく思った。
「目撃者もいなければ、物証もなにもないわ。わたしたちは、このまま証言だけを頼りにしないといけないみたいね。全体の整合性が重要ってことかしら。いくら証言が主観的なものでも、決定的に破綻する部分があるはずよ。そこを突くの」
「みたいですね……次の証人に移りますか?」
「ちょっと待って。さっき、フランケンがぺらぺらしゃべってた発明なんだけど、わたしには意味が分からなかったわ。オフィーリアさんは、理解できた?」
「ええ、もちろん」
オフィーリアは、それぞれの発明品の効用と仕組みを、順番に説明した。
こういうところは、彼女もきちんとしていた。わかりやすいとさえ言えた。
「ありがとう……次は、リンケさんね」




