第4話 おしゃべりな容疑者
「これは……死んでますね……」
オフィーリアのつぶやきを、ハンナは華麗にスルーした。
見れば分かる。そう言いたくなる気持ちを抑えて、彼女は死体を観察した。それは、数時間前に見たときと同じ体勢で横たわっていた。恐怖を感じる間もなかったのだろう、生気のないヤコブの顔は、妙に安らかだった。
「ん、これは……」
ハンナは、ヤコブの前髪をそっとずらした。
鈍器で殴ったような跡が、額の中央に生々しく残っていた。
傷の広がりから見て、犯人は何度も執拗に殴り返したようにみえた。
「これが死因かしら?」
「多分、そうですね」
「多分って……あなた、すこしは医学の知識があるんじゃないの?」
検史官がどういう仕事なのか、ハンナは十分に理解していなかった。しかし、殺人事件を取り扱うのであれば、最低限の医学知識があるだろう。そう考えたのだ。それを裏切られたのだから、ハンナは狐につままれたような心地がしていた。
あきれ顔のハンナをまえに、オフィーリアは腕組みをして目を閉じた。
「あると言えばありますが、ないと言えばないです」
「……どういう意味よ?」
「アカデミーで法医学の授業を受けたんですが、単位が取れなかったんです」
もうこいつは放っておこうと心に決め、ハンナはさらに死体を調べた。
額以外に外傷は見当たらなかった。
「やっぱり、前頭部を殴られて死んだみたいね。何発目で死んだのかは分からないけど、この場で殴られて気絶したのは確かだわ」
「ニャ? どうしてそう言い切れるんですニャ?」
死体を挟んで反対側にかがみ込んでいたスフィンクスが、不思議そうに尋ねた。
「部屋の外で殴って、ここへ運んだのかもしれませんニャ」
「それはないわ。見て、この床を」
ハンナは、足下に広がる板張りの床を指し示した。
「普段、使ってないんでしょうね。ホコリが溜まってるでしょ。それなのに、ヤコブの死体を引きずったような形跡が全くないわ。つまり、ヤコブはここで倒れたってことよ」
「ニャるほど」
ハンナの説明に納得したスフィンクスは、まじまじと床を眺め回した。
「どうしたの?」
「ニャニャ! よく見たら、足跡が一杯ありますニャ!」
今度はハンナが気付かされる番だった。
ホコリの量は少ないものの、確かに靴跡と思しきものが、あちこちについていた。
「やるじゃない、スフィンクス。これで犯人が……」
そこまで言いかけて、ハンナは口を噤んだ。
床の足跡は、それほど明瞭な形を留めていなかったのである。
「これじゃ、だれがだれだか分からないわ」
ハンナは立ち上がり、フゥと溜め息を吐いた。物証という面から言えば、現場を保存しておいたほうが、よかったのかもしれない。自分たちの足跡も、あちこちに残っていた。これでは、犯人の足取りもおぼつかなかった。
「それに容疑者のハンスとマシューは、さっきまでこの部屋にいたんだもの。足跡があっても、証拠にはならないわよね」
容疑者という表現に、オフィーリアがぴくりと反応した。
「ちょっと待ってください。そのふたりが容疑者なんですか?」
「……他に、だれかいるの?」
ハンナの鋭い眼差しが、オフィーリアをとらえた。
「このままいけば、ヤコブがトランスパレンツ家の次期当主で、莫大な遺産を独り占めするはずだったのよ。そのヤコブが殺された以上、他の相続人候補を疑うのが筋でしょ?」
「わ、分かりました……って、そんなに睨まないでくださいッ!」
「睨んでなんかないわよッ! これは生まれつきなのッ!」
自分の目付きが鋭いのは、母親譲りで仕方のないことなのだ。気に入らなくても、こればかりは受け入れるしかなかった。
ハンナは目を細め、怒ったように室内を一瞥した。ヤコブの死体は、一ヶ所しかない入口から真っ直ぐ五メートルほど進んだところ、ほぼ部屋の中央部に位置していた。ひとを殺すには、視界がひらけ過ぎだった。ハンナはそのことを、最初から不審に思っていた。
「この死体の状況からも、犯人はハンスかマシューだと推測できるわ」
オフィーリアとスフィンクスは、はてと首をひねった。
ハンナは、ふたりをまえに説明を続けた。
「スフィンクス、ちょっと入口に立ってみて」
「は、はいニャ」
ハンナの指図通り、スフィンクスは入口の前にスタンバイした。
「スフィンクス、そこから室内を見回してちょうだい」
ニャーと小声で鳴きながら、スフィンクスは左から右へと視線をスライドさせた。
「どう? ひとが隠れられそうな場所はある?」
ハンナの問いに、スフィンクスは首を横に振って答えた。
「ぜ、全然ニャいですニャ!」
スフィンクスの言う通りだった。この部屋にある家具と言えば、入口から見て右奥隅にある本棚と、四方の壁に掛けられた絵画、そして、ひとが通れそうにないふたつの小さな採光窓だけだった。身をひそめられそうな場所など、どこにも見当たらなかった。
「ということは……どういうことです?」
オフィーリアは人差し指をひたいにあてて、体を傾けた。
「つまりは、こうよ。ヤコブはこの部屋に入り、中央へと足を運んだ。そして、その場に辿り着くまで、犯人の存在にまったく気付かなかったのよ」
「ニャ? ちょっと待ってくださいニャ」
ハンナの推理に疑問符を投げ掛けたのは、またしてもスフィンクスだった。
「そうとも限らニャいですニャ。犯人はヤコブの知り合いで、ヤコブが警戒しニャかっただけかもしれませんニャ」
なるほどそれも一理あると、オフィーリアはうなずいた。
すぐさま、ハンナから抗弁が提出された。
「それもありえないの……スフィンクス、こっちに向かって歩いて来て」
「ニャ?」
「はい、言われた通りにする」
スフィンクスは一歩一歩、ハンナに近付いて行く。
目の前まで来たところで、ハンナはこぶしを振り上げた。
「ニャニャ!?」
反射的に両手で顔を覆うスフィンクス。
その隣で、オフィーリアがぽんと手を叩いた。
「そっか、鈍器で殴られそうになったら、いくら顔見知りでも受け身を取りますよね」
「そう、ところがヤコブの死体には、額の中央以外に外傷がないの。これが意味するところは、ひとつ。ヤコブには、犯人も凶器も見えなかったのよ」
ハンナの指摘に、他のふたりは感心しきりだった。
「さすがはハンニャ様。泥棒じゃニャくて探偵にニャれば良かったですニャ」
しーッと、ハンナは人差し指をくちびるに当てた。
スフィンクスは、あわてて口を噤んだ。
「でも、犯人は特定できませんね……ハンスとマシュー、どちらなんでしょうか?」
「オレじゃないよ」
室内に響いた男の声に、三人はハッと顔を上げた。
あたりを見回しても、人影はどこにもなかった。
「マシューねッ! 出て来なさいッ!」
ハンナの声に呼応して、入口付近にゆらりと陽炎が浮かんだ。
その影は人型となり、壁に寄りかかるマシューの姿に変わった。
「ずいぶん頼りない連中だと思ったけど、なかなか優秀じゃん」
ポケットに手を突っ込んだ格好で、マシューは賞賛の声を送った。
だが、ハンナには、盗み聞きされたことへの憤りしか湧いてこなかった。
「あなた、ずっとそこにいたの?」
マシューはハンナの質問を無視して、三人に歩み寄った。
少年の気取った靴音だけが、室内に響き渡った。
「オレとハンス兄さんを疑ってるの?」
挑発を仕掛けてくるマシューに、ハンナはたじろいだ。
しかし、いつもの強気な姿勢で言葉を返した。
「そうよ。被害者との利害関係から言って、あなたとハンスさんが一番怪しいわ」
ハンナの発言に、マシューは肩をすくめてみせた。
「利害関係? ヤコブ兄さんを殺しても、オレは何も得しないぜ?」
「とぼけないで。ヤコブさんが死ねば、あなたは……」
そこで、ハンナの攻勢が止まった。思い当たるふしがあったのだ。
マシューはしたり顔で、少女の顔を見つめ返した。
「オレは、なにも貰えないよね? ハンス兄さんが全部持っていっちまうんだから」
彼の言う通りだった。食堂で聞いた話によれば、貴族が遺言状を残さなかった場合、長男がすべてを相続するらしい。すると、ヤコブが死んだ場合、ハンスが繰り上がりで長男の地位に就くのだから、マシューは何も得をしなかった。
その事実に気付いたハンナは、べつの可能性を模索した。
だが、うまい反論を思いつかなかった。マシューはすれ違いざま、勝ち誇ったようにハンナの肩に手を掛けて、それから部屋の奥へと歩を進めた。
透明にされたのではないかと、ハンナは自分の肩を確かめた。案の定、服が透けて、美しい肌が円形に覗いていた。彼女は歯を食いしばり、その部分を手で覆った。
「そもそも、この部屋を普段からうろつき回ってるのは、ハンス兄さんなんだぜ?」
「……それは、どういう意味?」
マシューは奥の壁の手前で、くるりと体を反転させた。
「もちろん、遺言状探しさ」
「でも、ハンスさんは、遺言がなくて困るのはあなただって……」
遺言状が見つかれば、財産は死者の意思通りに分配される。ヤコブが独り占めすることにはならないのだ。だとすれば、ハンスだけでなく、マシューも遺言状の有無について利害関係を有するはずだった。ハンナは、そう推測した。
ところが、マシューは、ハハッと小馬鹿にした笑い声をあげた。
「兄さんらしいや。ああ見えて、韜晦趣味があるんだよ。単に腹黒いとも言うけどね。本当に遺言状が見つかったって、オレは一セントも貰えないんだからさ」
ハンナは顔色を変えた。
マシューの台詞が意味するところは、ひとつしかない。
「あなた……遺言の内容を知ってるの……?」
「この館の住人なら、みんな知ってるさ」
「みんな? 使用人も?」
「ああ、フランケンを筆頭に、ひとり残らずね」
そんなことがあるのだろうか。ハンナは、首を傾げざるをえなかった。
それともこの国では、生前に遺言の内容を公開する習慣でもあるというのか。様々な可能性を考慮に入れながら、ハンナは一番重要な点に質問を向けた。
「その内容を教えてもらえる?」
何だそんなことかと、マシューは両手をポケットから出し、壁にもたれかかった。
「ヤコブ兄さんとハンス兄さんが親父の事業と全財産を折半、オレには何もなし」
ハンナは、信じられないと言った表情を浮かべた。
「どうしてそんな不公平を?」
「それも単純な話。オレ、家庭内勘当されてるんだよね……その理由も知りたい?」
マシューはそう言って、ふたたびハンナたちのほうへと歩き始めた。
なにも口にすることができないハンナ。
彼女の沈黙を、少年は肯定と受け取ったらしい。滔々と説明を続けた。
「オレがリンケと結婚したいって言ったからさ」
「リ、リンケさんとッ!?」
立て続けに明かされた秘密に、ハンナは軽い目眩を覚えた。
「そう、だから相続財産は没収、オレとリンケは周りから白い目で見られつつ、一生この館で兄さんたちのお世話になるってわけ。みんなそう言ってるよ」
混乱するハンナの横を通り過ぎ、少年は出口へと向かった。
「昨日の夜だって、こっそりあいつの部屋に行こうとしたら、玄関であんたたちに出くわしたんだぜ。おかげでデートはパー。ちょっとは責任を感じて欲しいね」
マシューは、大げさに残念がる素振りを見せた。そして、ドアノブに手を掛けた。
「じゃ、せいぜい頑張ってくれよ。名探偵のお嬢さん」
音を立てて、とびらが閉まった。
呆然と立ち尽くすハンナに、スフィンクスとオフィーリアが視線を向けた。
「あのぉ……話がよく分からなかったんですけど……結局どういうことですか?」
オフィーリアのとぼけた質問が、ハンナを現実世界へと引き戻した。
「分からないって……何が?」
「なんと言うか……全体的に……」
オフィーリアは胸のまえで、左右の人差し指をちょんちょんと付き合わせた。さすがに申し訳なく思っているようだ。当然と言えば当然だった。本来ならば、オフィーリアひとりで解決しなければならないところを、ほとんどハンナが仕切っているのだから。
ハンナはこの場を整理するため、ゆっくりとマシューの話をまとめ始めた。
「まず、今回の殺人事件が、遺産争いだと仮定しましょう。遺産争いに起因する殺人。この場合に怪しまれるのは、だれ?」
「被害者が死んで、遺産が転がり落ちてくる人じゃないでしょうか?」
満点の回答だ。ハンナは満足して、先を続けた。
「そうよ。そしてこの国では、遺言状がない限り、長子相続なのよ。これ自体は珍しくないわ。特に農業が盛んな国では、土地を分割すると死活問題になるものね。貴族や王族についても、この制度を採用している地域は多いと思う」
「今回は遺言状がないわけですから、ヤコブさんが総取りなんですよね?」
ハンナは、床の死体へと視線を落とした。
「でも、ヤコブは死んでしまった……となるとハンスが相続人候補になる……」
「じゃあ、ハンスさんで決まりなのでは?」
解決を急ぐオフィーリア。だが、ハンナはあくまでも慎重だった。
それではあまりにも簡単過ぎる。自分が犯人だと言っているようなものだった。
「この事件、もっと詳しく調べてみる必要があるわね」
「もっと詳しくですか……どうやって?」
自分で考えることを放棄しているのか、オフィーリアは再度首を傾げた。
ハンナは若干の苛立ちを覚えながらも、ひとつアイデアを出した。
「とりあえず、事情聴取から始めましょう。ここまでの話は、あくまでも『動機が遺産争いだった場合』なんだから。もしかすると、べつのなにかがあるのかも……」
乗りかかった船だ。最後まで探偵役を務めよう。そんなことを考えながら、ハンナはヤコブの死体を見下ろした。ひたいに傷を持つ男は、本当に安らかな死に顔をしていた。
ここで少し解説を加えさせていただきます。本作品は、警史庁恋愛課乙女組シリーズの外伝となっております。世界観の基本的な説明は『水の女』で提示されていますが、それを一読される手間を省くため、以下若干補足致します。この世界では、警史庁という「既存の物語で発生したバグを除去する」異世界機関が存在します。そこで働いている存在を検史官と呼び、それに協力する民間人(通常は地球人)をアドバイザーと呼びます。バグは殺人事件という形で現れるので、検史官の仕事は、バグ=犯人を発見し、事件を解決することになります。検史官は、HISTORIKAというスマートフォンのような端末機器を持っており、これは通信のみならず敵を撃退する武器にもなります。以上、長々と説明致しましたが、このシリーズのトリックとは関係ありませんので、頭の隅にとどめておく程度で結構です。では、続きをお楽しみください。




