第7話 防がれた犯行(解決編)
深夜の廊下を、ひとりの男が歩いていた。男は、ハンナたちが泊まっていた部屋の前で足を止め、あたりに人がいないかを確認する。そしておもむろに、ドアノブに手を掛けた。
男の腕が、真鍮製のノブをぐるりと回す。
油のよく利いた蝶番が動き、扉が音もなく口を開く。
男は最後にもう一度、左右の通路を確認し、ドアの隙間に体を滑り込ませた。後ろ手でノブを引き、小さな音を立てて入口が閉まる。
男は電灯のスイッチに指を伸ばし、パチリとそれを下げた。軽い点滅を繰り返した後、電球がオレンジ色の光を灯す。男は、部屋の中に視線を走らせる。
……目当てのものは、ちょうど部屋の中央、テーブルから少し離れた床の上にあった。鉄でできた頑丈な金庫。あの中に、男の探し求めているものが入っている。
男が金庫へと足を向けたとき、それは起こった。
「こんばんは、真犯人さん」
男は体を硬直させ、部屋の左隅へ首をねじ曲げる。そこには、両腕を組んで壁に寄りかかるハンナの姿があった。
それと同時に、布団の中に隠れていたスフィンクスと、クローゼットの中で待機していたオフィーリアが、一斉に飛び出して来る。
男は一瞬のうちに囲まれてしまった。
「やっぱりあなただったのね……」
ハンナは全てを見通していたかのように、男の前に歩み出た。
男は逃げも隠れもせず、顔を覆うこともしなければ弁解することもしない。
ハンナは、男の名前を口にする。
「デイ・ポッセさん」
男は、いやデイ・ポッセは、ハンナと対峙したまま、眉ひとつ動かさない。
じっと少女の瞳を見つめながら、無表情に口を開いた。
「ほお……まさか気付くとは思わなんだ……」
老人が言い終わる前に、ハンナが先取りする。
「ええ、意外だったでしょうね。街中であっさりと冤罪に巻き込まれた女が、あなたの用意周到な計画に気付くなんて」
老人は同意するように、ニヤリと笑った。
「どうやら……少し過小評価だったようじゃの……」
「さあ……探偵としての私の価値なんて知らないけど……見込み違いだったのは確かだわ。あのとき私を雇ったのは、私が冴えてたからじゃなくて、冴えてなかったからでしょ? 警察に捕まったにもかかわらず雇われたんじゃないわ。警察にうっかり捕まったからこそ、うまく利用できると思った。この推測、間違ってるかしら?」
ハンナは客観的な立場から、自分の無能力を描写した。
老人は少女の謙虚さに感心したのか、しばらく口を噤む。
「そうじゃよ……今回の計画には、頭が切れ過ぎず……それでいて少しは才能のある役回りが必要だったんじゃ……君は、少し頭が切れ過ぎたようじゃが……」
ポッセの褒め言葉ともつかぬ感想を聞き流し、ハンナは老人の目を見据える。
彼の瞳は、その老いた外見とは裏腹に、澄んだ栗色をしていた。
「それにしても、どうやって気が付いた……? 女の勘かね?」
「動機よ。それが一番最初に分かったわ」
「動機……? 君は読心術者か何かかね……? いや、違うな……」
老人は目を細め、ハンナの説明を待つ。
ハンナはひと呼吸おき、それから事件のタネ明かしに取りかかる。
「今回の事件は、あなたが領地を国王にわざと没収させ、子供たちに苦労させるために仕組んだ狂言自殺だったのよ。それは、あなた自身の口ぶりや、アーツさんの情報から分かったわ。あなたが家族の誰かに殺されたように見せかければ、後は国王の使節が勝手に事件を処理してくれる。あなたは自分が不治の病にかかったと知り、今回の計画を実行に移そうと決意したんでしょ」
ハンナの解説に、老人は不満足な眼差しを向けた。
「それでは、十分な説明になっておらんな……。ワシが狂言自殺を意図したとしても、あんな複雑な死に方をすることはなかろう?」
老人はハンナを試すように、そう問い掛けた。
しかしハンナはそれに動じず、推理の先を続ける。
「ええ、殺人事件に見せかけるだけなら、もっと簡単な方法を選んだでしょうね……。だけどポッセさん、あなたは少し先が見え過ぎる人だった。殺人に見せかけてしまうと、ヘステルさんたちの誰かが、本当に逮捕されてしまうかもしれない。あなたは、そのことに気が付いたのよ。家族の誰かに殺されたと見せかけつつ、逮捕者が出ない方法……。そこで考えついたのが、完全密室の中で不審な死を遂げるというアイデアなの。国王はどうせ財産にしか興味がないでしょうし、そのまま迷宮入りさせると判断したのね」
今度はポッセも満足げに頷き返す。
ポッセの関心は、もはや金庫の中身ではなく、ハンナの推理に集中しているようだ。
抵抗もせず、ハンナに先を促した。
「では訊こう……なぜワシの能力に気付いた……?」
能力。そうだ。それがトリックの要だ。ハンナは思考をもう一度整理し直した。
スフィンクスとオフィーリアが、固唾を飲んでそれを見守っている。
「ポッセさん、あなたはこう言ったわよね。『親の特殊な能力というものは、子供には遺伝せんらしい』って。私はあのとき、金儲けの才能のことかと思ったの。でもね、イリーナさんから話を聞いて、ある仮定に辿り着いた……。とんでもないアイデアだけど、全てがすっきりと解決する仮説よ……つまり……」
室内の緊張が一気に高まる。
スフィンクスの鳴らした喉の音が、ハンナの耳元に届く。
「あなたはタイムトラベラーなのよ、デイ・ポッセさん」
普通なら失笑を買ってしまいそうな結論を、ハンナは力強く述べた。ここが《げえむ》なる異世界の中であり、世界の進行に何らかの異常が生じている、そんなオフィーリアの情報が、かろうじてハンナの自信を支えていた。
ポッセはしばらく沈黙を守った後、ふとおかしげに首を傾げる。
「はて、どこでバレたかの……ワシが口を滑らせた覚えはないし……」
ハンナの中で、勝利の安堵が広がる。
幾分か軽くなった舌で、ハンナは理由を付し始めた。
「あなたからヒントを得たんじゃないわ。私にこのアイデアを閃かせてくれたのは、イリーナさんだったの。ねえ、ポッセさん、あなたは、まるで未来のことが分かるように、お金を稼いでたそうね……。だから、最初はあなたが予知能力者なんじゃないかと疑ったの……。でもそれじゃ、事件に何の手掛かりも与えてくれない……そこで……」
「そこでワシの容姿に目をつけた、というわけじゃな?」
老人の先取りに、ハンナは頷き返す。
「これはただの予想だったんだけど……ポッセさん、あなたはおそらく、2、3日以内の未来へ行き来できるんでしょうね……。そして、その移動した日数分だけ、余分に歳を取るとしたら……? 往復で平均4、5日。それを毎週繰り返せば、1年で他の人よりも200日以上多く歳を取ることになるわ。こうしてあなたは、まだ50代にも関わらず、70過ぎの老人になってしまった……」
ポッセは急に笑い始めた。全てに疲れたような、乾いた笑いだった。
しばらく笑い続けた後、ポッセはテーブルに寄りかかり、そのまま椅子に腰を下ろす。
「そうじゃよ……この能力を使えば、おまえさんの部屋から手帳を取戻すことも、未来で自殺して過去へ戻ることも、朝飯前なのじゃよ……しかし……これがバレるとはのお……」
老人はフッと口の端に笑みを漏らした。
その笑みの中に、まだ諦めの予兆は含まれていない。
そのことに気が付いたハンナは、急に警戒心を強めた。
「まだ何か企んでるの? もう逃げられ……」
「企む? ……いやいや、別に企んではおらんよ。しかしの、おまえさんたちがここでワシに自殺を断念させるとな、おまえさんたちはワシの死体を発見しないことになり……そして今の推理も記憶も全て消滅することになる……」
紅潮していたハンナの顔が、一瞬にして青ざめる。
「ほお、仕組みを理解したようじゃな。あいかわらず聡明な娘さんじゃ。ワシはこれから、ゆっくり別の手段を講じるとしよう……。おまえさんたちとて、ワシには絶対勝て……」
「ちょっと待ってください!」
突然割り込んで来たオフィーリアに、ハンナとポッセが振り向く。
「残念ながら、《プレイ時間絶対の法則》により、そのパラドクスは成立しないのです!」
「プレ……何それ?」
仲間であるはずのハンナが、初耳と言った様子で尋ねた。
ようやく出番が来たとばかりに、オフィーリアはドヤ顔で説明に取りかかる。
「《プレイ時間絶対の法則》というのはですね、ゲーム内の時系列と、プレイヤーにとっての時系列は、全く相関関係にないという、異世界法則のことです。例えば、ゲームの中で100年前にワープするイベントがあったとしましょう。そのイベントの中で起こった出来事は、キャラクターの主観的な未来には影響を与えます。そうですね?」
そうですねと言われても、他の3人は訳が分からないという顔をしている。
そんな彼らを無視して、オフィーリアは滔々と先を続ける。
「ところが、です。このゲームにおける時系列の変化は、プレイヤーにとっては何の影響も与えないのです。なぜなら、プレイヤーにとっての時間軸は、現実でのプレイ時間ただひとつだからです。つまり部外者にとって、ゲーム内のイベントは全て、未来へ向かってしか発生しないわけです。したがってポッセさん、あなたがここで何をしようとも、異世界住人である私たちの記憶には、変化を加えることができません!」
えっへんと腰に手を当てて、オフィーリアは説明を終えた。
そんな彼女に対して、ポッセが呆然と唇を動かす。
「話が見えてこんが……おまえたち、この世界の人間ではないのか……?」
ポッセの問いに、ハンナは首肯する。
「そうよ、驚いた?」
再びあの疲れたような笑いを見せ、ポッセは首を左右に振る。
「時間を行き来できる人間が、そんなことに驚いておれんわ……ハハッ……」
その瞬間、一筋の閃光が走り、室内を明るく照らした。
ハンナがその光の正体を見極める前に、ポッセの体がテーブルへと倒れ込む。
ハンナが振り向くと、オフィーリアが例の黒い箱を持ち、親指を立てて彼女にウィンクしていた。
オフィーリアは、催眠弾を放ったのだ。
「これにて一件落着です!」




