悪魔の誓い
「“眼前の空を亡霊で満たせ”」
ひたすら暗闇に向かって、光から遠ざかる不気味な感覚。
街の上空など一瞬で超えてしまった。あとはもう、戦場までずっと変わらない少しの森と草原を見るしかない。
「 “暗雲それこそ我が覇道” 」
飛翔しながら飛翔のための詠唱を唱え続ける。
後から魔法を重ねがけすることによって効果を倍増させる、いわゆる二重詠唱を行う。これは『技能』を使うものではなく、誰でも訓練をすればできるようになる魔法操作の一環になっている。
月の位置が変わる前に。
それが今回のフライトのコンセプト。
中位魂と敵対するというのに、突然の任務に喜んでいる僕がいる。不思議だなあとやや他人事に思いながら、二重詠唱を完成させた。
「____二重詠唱、『亡霊は迅速に』」
空気の抵抗が痛い。
それでも無視できる程度まで抑えられているのがこの魔法の素晴らしいところであり、少々鬱陶しいところでもある。
今第三者がこちらをみても、僕がいるかいないか認識し切る前に僕は消え去るだろう。まさに魔法名にある「亡霊」のように。
もちろんなんのリスクもないわけがなく、操作性は著しく悪化する。
僕の目の前の空間を歪め、そこに吸い込まれていくように飛ぶというのを繰り返すこの魔法。一歩間違えると僕の体が吹っ飛んでいくし、そうでなくても曲線的な動きはとても難しい。
そこに来て二重詠唱なんかをすると、ほんの少しのミスが大幅な進路のズレや事故につながる。
それを制御するにはそれこそ何か『技能』を使わなければならない。
暴走車と同じ原理だ。ひたすら速く、そしてひたすら危険である。
「あ」
バァンとありえないほどの破裂音が聞こえた。そして僕の手には血だらけの何かと、今はもう血の色に染まってしまった青い羽。
後ろを振り返ると、遙遠くの方で、その音の原因が見えた。
元々は命ある魔物だったそれは、月明かりと共に地面に叩きつけられていったのだろう。
空中での衝突事故。空間の歪みと共に前へ征く悪魔とぶつかった、哀れな生物だ。
そっと、精霊魔法を行使する。遺体が、地面までゆっくりと穏やかに落ちていくように。
果たしてその行動に意味があるのかと問いかける自分を無視して。
「ブルーメ」
地上から遥か遠く空気すら薄い上空で停止しながら、僕のたった一人の部下の名を呼ぶ。隠密部隊から一定以上の身分のものにつけられる、専属の隊員を。
「お呼びでしょうか、ご主人様」
「ああ、僕の、今の任務は知っているね?」
「はい。アドヴェント大草原に現れた、敵の抹殺と伺っています。なんでも今この事態に対処可能なのが、独立官であるご主人様だけであると」
さすがご主人様です、と褒め言葉まで。
僕が魔王軍でまともな任務に着くのは初めてなのに、僕以外に対処できない、なんて話が出るとは思えない。
現実的に考えてこれはお世辞だろう。それに気を取られてはいけない。慢心して戦うほど危険なことはないのだから。
「…………で、魔王軍の陣はどこに?」
まず僕がしなければならないのは、味方である魔王軍との合流だ。
今すでに前線にいる人々から情報を得なければならない。僕のターゲットは果たしてどのような姿で、どのような攻撃をしているのか。
それを知ることから全て始まる。いきなり戦場に飛び込んで「敵はどこだ!」と叫ぶような愚かな真似はしない。
「この位置であっています」
自分たちが今浮いているところの真下を指しながら説明された。やはり、ここであっているのか。
真下に、つまり地上にあるのは、大量のテントらしきものと仕切り。うっすらと炎が見えるのは松明でも使っているからだろう。
念のためブルーメに確認を取ったが、ここが魔王軍の陣で間違いないようだ。
「じゃあ降りていくか」
自分の足元の空間に歪みを作り、真下に向かって落下していこうとしたところでブルーメに引き留められた。
「あ、お待ちください。魔王陛下からの伝達書です」
「ん?」
封筒状のものを受け取り、そのまま手袋を変形させて触手のように手紙を取り出した。
相変わらず質の良さそうな紙に書かれていたのは、この真下にいる部隊の構成や、敵の構成として考えられるものなどの情報など。
そして、「立場に相応しく振る舞うように」という、軍に入った時に本人から聞かされた文言。
戦場において、強い兵というのは他の兵にとって心の支えになる。勝てる希望が見えて来れば士気も上がる。
だからこそ、圧倒的強者として振る舞え。途中から来たお前は、最強の援軍なんだということを、敵にも味方にも知らしめてやれ。また、そのように振る舞うことも任務の内。
そう書かれていた。
「なるほど、ね」
僕に求められているのは、本来の実力など関係なく、それでも強者として振る舞う演技ということか。
バッと強風が僕らを包んだ。
その空気は地上のものとは全く違い、薄い。通常の生命体がここで生活できるとは思えない風。
それでも、僕ならば問題はない。そういうほんの少しの優位性を、最大限に生かして圧倒的な差かのように見せ、そして演じ切れということだろう。
敵も味方も、全て欺けばいいと。幸い僕は他の魔王軍の人々との接点が少ない。だからこそ、そのように動ける。
それこそが、独立官の本領だと魔王は言っている。「この世界を守る為、強者の存在を見せておかねばならない。そのために頼む」とまで書かれていた。
魔人を守ることが世界を守ることにつながるのかは未知数だが、魔王にとってはそうなのだろう。
面白いじゃないか。
どうせ僕がこの世界でしたいのは、たった二つだけ。
そのうちの一つが『英雄』への復讐。
もう一つは……
「ご主人様、私はどこで戦いますか?」
「ん? 戦場の状況にもよるけど……ブルーメってどれくらい強い?」
二つのため。ならばそれ以外の時間は望むように生きよう。
魔王軍という最高の立場をしっかりと掴み取ったままでいるためにも、そして、そ二つのためならば、いくらでも自分を強く見せよう。
「私の強さ……ご主人様や上級幹部の方々には到底敵いませんが、私は特殊部隊の一員です。相応の戦闘能力はありますし、階級的には銀の指輪をいただいております」
「なるほど………まあ下に降りてから考えるよ」
確か銀の指輪は相当優秀な戦闘員だったはず。
ただだからと言って君はここで戦って!と指示ができるほど僕は戦場を知らない。その場その場で対応して、最悪帰ってもらうしかないだろう。下手に指示して怪我させるよりはよっぽどいい。
「あ、そうそうブルーメ」
「どうされました?」
地上に行こうとしていた彼女がくるっと振り向く。
僕の気が揺れないうちに、ブルーメだけにでも宣言をしておこう。
「下に降りてからの僕は……いや、私は、悪魔だ。いいな?」
僕の実力に見合わない程でも、今からは「強いキャラ」になるんだ。
「っ! かしこまりました!」
「行こう」
「はっ!」
いいじゃないか。
偽ろう。僕の本来の実力を。
欺こう。敵も味方も完全に。
演じよう。絶望を運ぶ『悪魔』の役を。
刻みつけよう。その存在を敵味方の脳に。二度と忘れることができぬほどに。




