8.キース=シュルツ辺境伯様は素敵な御方でしたわ
8.キース=シュルツ辺境伯様は素敵な御方でしたわ
「クライヴ、あなたが部屋を案内なさい」
「わ、儂がですか?」
家令のクライヴと共に城内に入るのと同時に、私は彼に命令した。
「お願いの口調の方がお好みかしら? でも、私の趣味ではないの。ねえ、もう一度だけチャンスを上げる。私は疲れているし、ドナも疲れている。これ以上の説明をさせないでね?」
「くっ。わ、分かりました」
いきなり来たばかりの婚約者ごときが、数十年仕えた家令に命令することに不満があると、ありありと表情に浮かべた。
「ふふ、もっとうまく誤魔化しなさい。表情に出すような者に家令を任せるつもりはないわ? これは二度目はない。分かったわね?」
「⁉ は、ははぁ……」
今度はいちおう表情を制御しながら頷いた。
「ふふふ、自然体でいて欲しいだけよ。誤解なさらないでね」
「はい、誤解することは決してないように致します」
「そう、それでいいわ。やれば出来るのなら安心した」
そんなほのぼのとした会話をしながら、部屋へ案内してもらう。
それにしても、彼は変な汗を掻いているうえに、少々顔色が悪いけれども、どうしたのかしら? 前世での貴族としての日常会話なんてこんなものだったのだけど。
「お嬢様、手加減してくださいませ。まだ来たばかりなのですよ。まだどういった所かも分かっておりませんのに」
ついでに、ドナも顔を青くしていた。
「あら、やり過ぎたかしら?」
ついつい前世でのレベルで会話をしてしまう。前世では王家との会話がほとんどで、本当に血なまぐさいものだった。だから、今世の会話のレベルは少し落とした方がいいのかもしれない。ドナのことは、私の言動のレベルを客観的に把握するためによく見ておくことにする。
「あなたを連れてきてよかったわ。ふふふ」
「! こ、光栄です」
なぜかパーっとドナの表情が明るくなる。
なぜか、公爵家で彼女に朝食を下賜して以来、私にやけに従順だ。
きっとそうやって油断させておいて、私の首を狙っているのだろう。私を好きになる理由など考えられないのだから。
「楽しみね」
「? お嬢様が楽しそうでしたら、ドナも嬉しいです」
「ふふふ」
腹芸もうまいなんて。メイド長ごときでは惜しいわね。
この子はそのうち家令にすることにしましょう。
そんなことを考えているうちに、部屋へと到着した。
案内された部屋は質素とまでは言わないけれど、特に豪華という感じではなかった。
天蓋付きのベッドや幾何学模様が美しくあしらわれた絨毯、無地のカーテンに磨かれた窓。そしてテーブルと椅子、姿見に暖炉。とても平均的な客室といった具合だ。
また、隣室につながるドアが一つあった。おそらく夫となるキース様の部屋へつながる扉だろう。
「もっと良い調度品を望まれるようでしたら、運び込むなりして、ご用意しますがいかがでしょうか?」
「ふふふ、正直ね。これくらいの部屋をあてがっておけば十分だと思っていたけれど、怖くなったのね?」
「とんでもありません」
すぐにクライヴは否定するが、瞳が細かく揺れたのを私は見逃さない。
それを私はおかしく眺めて堪能してから返事をした。
「いいのよ、このくらいで。今日から私がシュルツ家にとって一番重要な家具となるんだもの。そうでしょう?」
「そ、その通りです。奥様」
「まだ奥様ではないけれどね。それで夫となるキース様はいつ頃お会い出来るのかしら?」
「は、はい」
クライヴは気を取り直したように返事をすると、
「今日は防壁の視察などで夜までお戻りになりません。ですので、お顔合わせはかなり遅くなるかと」
と言った。
「そう。早くお会いしたわ。キース様に」
「そうですか。ふふ、どんな方かご存じでない様子ですな。楽しみにしてくだされ」
少しクライヴが口の端を上げるようにして言った。
どうやら、キース様が悪徳領主であり、どうしようもない性悪であるという噂は本当のようだ。
私がどんな相手か知らずにお会いして、キース様に虐げられることを期待したのだろう。
でも、
「ふふ、社交界の噂も何もかも存じ上げているわ。その上でお会いしたいのよ。歯ごたえがあるかもしれないからね、クライヴ、あなたと違って」
私がそう言うと、彼はまた顔を青くした。
「いいのよ、クライヴ。私へ悪意を向けるのも恨むのも、陰口だって、あなたがきっと裏で行っている多少の犯罪だって、私は気にしないわ。私が言っているのは一つだけよ。うまく、やりなさいな」
「わ、儂はそんなことは」
「良い、と言っているでしょう? お分かり? 二度は言わさないで? 首を刎ねられたくは、ないでしょう?」
「⁉ ははぁ!」
彼は頭を下げると、まるで逃げるように退散してしまった。
足は結構早いのね。さてそれじゃあ。
「ドナ、荷物を整理しましょう。一緒にやれば早いわ」
「何をおっしゃられますか。お嬢様は座っていてくださいませ。長旅でお疲れでしょう。紅茶をお淹れしますので」
「気が効くわね。毒でも盛るのかしら?」
「心外ですね。私はもっと上手くやりますとも」
私はその返事に思わず笑って、いい気分になりながら椅子に腰かけたのだった。
彼女の淹れてくれる紅茶の良い香りが、じきに部屋に漂った。
もうずいぶん遅い時刻となった。
陽はとうに落ちている。
裕福な土地ではないのだろう。夜の明かりが派手に街を照らし出すようなことはなく、窓から見える街並はシンとしている。
静寂は嫌いではないので気にはならない。
食事は既に終わっていて、メイドのドナも自室へと下がらせていた。
だから、その音はよく部屋にひびいた。
コツコツ!
扉をノックする音。それは廊下側からではなく、夫となるキース様の部屋の方からであった。
そして、私が応諾するのも待たずに、乱暴と言って良い調子で扉は開かれた。
「お前がアビゲイル=リスキス公爵令嬢か」
その男性は無遠慮な視線でこちらをじろじろと見た。
ランプのおかげで部屋は明るいのでこちらからも姿はよく見えた。
アクアマリンの宝石のごとき美しい色のアイスブルーの瞳と、銀髪を持つ美丈夫だった。筋肉質な身体とは裏腹に細い長身は、おそらく女性を魅了するのに不足はないだろう。でも、そうした美しい容貌を台無しにするほど、口調は荒く、また粗暴な態度で話し出したのだった。
「先に言っておく。俺がお前を愛することはない。あくまで世継ぎを作るためだけに結婚するだけだ」
その言葉と横暴な態度に、普通の貴族令嬢であれば気絶しているに違いない。でも私は逆に微笑んで、
「ええ、私もそうですわ」
「な、なに?」
キース様は目を白黒される。
「愛だのなんだの、子供のままごとはやめましょう。私もあなたを愛するようなことはありません。良かったですわ。では、早速子作りをしますか?」
だが、キース様は口をパクパクとされている。
私から愛すことは無いと拒絶されたことや、いきなり子作りに誘われたことに驚かれたのかしらね。
「どうされたのですか?」
私は来ていたドレスを脱ごうとする。
「子を成したいのでしょう? 貴族の義務ですわ。さあ、早くこっちへいらっしゃいませ。それとも、ご経験がないのかしら?」
その言葉にキース様は顔を赤くする。
「馬鹿が! 誰がお前のような痩せぎすな女をすぐに抱こうとするものか! それほどこの家の女主人の地位が欲しいか、卑しい女め!」
私は思わず柳眉を下げる。
「まぁ残念ですわ」
「ふん、本当のことを言われて、傷つくとは愚かな女だ!」
「え? ふふ、いえいえ。そうではなくて」
私は苦笑しながら、首を振る。
「私がどんな女であろうと、あなたはやるべきことが出来ない貴族ごっこのお坊ちゃんであることが分かったので、少しがっかりしたのですわ。もう少し面白い方かと思っておりましたのに……。もう行っても結構ですわよ」
目の前の男に興味が失われて行くのを感じる。
「なっ!」
キース様が絶句する。
そんな彼を放っておいて、私は姿見に映る自分の姿を見る。
そして、若干苦笑を浮かべた。
虐待を長年受けていたことから、肌はボロボロで、体は貧相。髪の毛も傷んでいる。
ただ、瞳だけは爛々としていて、唇は微笑みの形に美しくたわんでいた。
「ふふふ、いえ、ですが百歩譲って、確かにこんな女は抱きたいと思わないかもしれませんわね。分かりました、今夜の評価は保留にしておきましょう。それにまだ初日ですもの。もう少しは楽しませてくださいませ? 愛するとか愛さないとか、そんなくだらないことではなく、ね?」
「お前……。事前に聞いていた情報とずいぶん違うな。結納金目当てに人質として公爵家から追放された、出がらし令嬢だと聞いていたが」
「ああ、そういうところをはっきり言われる所は私好みです。ふふふ、評価が難しいですね。やっぱり楽しみになってきました。先ほどは言葉が過ぎましたわね。初対面でしたから、少し昂っていたのかも」
「ちっ、妙な奴が来たな。まぁいい。ともかく、俺はお前に何の興味もない! ここは俺の領地で、俺が法律だ。勝手なマネをするんじゃないぞ!」
「もちろんですわ。私の期待に応えてくれるうちは、興味深く、追従の笑みを遠くから浮かべながら、眺めておりますので」
「ふん!」
キース様はいかにも不機嫌そうな様子で踵を返すと、やって来たドアを今度は勢いよく閉めて自室へと帰って行った。
「お休みなさませ、キース様」
「……」
返事はない。
私は沈黙するドアに向かって、これから思ったよりとても面白くなりそうだわ、と感じて、ついつい唇をニコリと微笑ましてしまうのだった。
「面白かった!」
「続きが気になる、読みたい!」
「アビゲイルはこの後一体どうなるのっ……!?」
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