秋川千鶴の場合41
新宿に雨が降りしきっている。冷たい雨だ。アスファルトもビル群も全てが黒々しくて闇に溶けてしまいそうだ。
そんな中、ネオンの光だけが乱反射していた。陥没したアスファルトの水たまりにパチンコ屋の看板の光が差し込む。ガラスの水滴に極彩色の風俗店の看板が写り込む。それはまるで新宿本来の姿を詰めこんだ万華鏡のようだ。油絵の具のパレットを思わせるような荒々しい光――。
退勤後。私は会社近くのスターバックスでその濁った光を眺めていた。しばらく雨は止みそうにない。
スターバックスの店内ではジャズが流れていた。あまりジャズに詳しくはないけれど知っている曲だ。聴いたことはあるけれど曲名は知らない。その程度の曲だ。
窓越しに新宿の街を眺める。相変わらず雨は降りしきり、通行人の手には傘が握られていた。こんなゴミゴミした街でみんなが傘を差している。それだけでため息が零れそうだ。
スターバックスの店員はテキパキと飲み物のオーダーを受けていた。長ったらしい名前のナントカフラペチーノやら銘柄指定のプレスコーヒーやら。そんな魔法の呪文のような注文をツラツラと復唱していた。彼らも十二分にプロなのだ。それこそ私が下着の留め金一つに注意を払うように……。プロフェッショナルなのだと思う。
ああ、残念だ。私には下着メーカーのデザイナーという才能があるのだ。これは自慢というより自負に近いと思う。
狭い業界とはいえ私の名前はそれなりに通っているはずだ。ウーマンリブの秋川。その名前を出せば同業者ならすぐに硬い表情を崩してくれた。それぐらいには有名人だったのだ。これは良い意味でそう思う。
笹原常務の顔に泥を塗るのか……。と考える。ここで辞めればある程度の影響は出ると思う。少なくとも取引先の何社かは取引を辞めたがるだろうし、もしかしたら引き抜きの声も掛かるかも知れない。
我ながら思う。私は本当にこの業界にどっぷりだったのだと。ここまで浸からなければよかったとも……。
ラッコ一匹に私の心を乱されたのか。そう思うと無性に腹が立った。別に野生動物としての彼らを非難するつもりはないけれど、あのラッコだけはどうしても気に入らなかった。……いや、違う。ラッコが気に入らないんじゃない。きっとあのラッコは私の中の気に入らない部分を洗い出しただけだ――。
すっかり冷めてしまったドリップコーヒーを一口啜る。酸っぱい味が口いっぱいに広がった。




