秋川千鶴の場合5
広報部から自分のフロアに戻ると課長に声を掛けられた。
「秋川さーん。水原さんがエレベーター占拠してるから移動はできるだけ階段でお願いね」
どうやら水原さんの力仕事が始まったらしい。単純な軽作業。簡単に言えば展示会で使うマネキンの運搬だ。
「はーい。了解です」
「誰か手伝いいかしたほうがよくない? さすがに水原さん一人じゃ可哀想でしょ?」
「いえ、大丈夫だと思いますよ。あの子、あの手の仕事好きなんで」
「そう? 秋川さんがそう言うならいいけど……」
課長は『私は形だけは心配したからね』と言わんばかりに企画部内を見渡した。まぁポーズは大事だと思う。腹の中では誰一人として水原さんを手伝いたくはないのだ。
別にそれはマネキン運搬が大変な仕事だからではない。確かに力仕事だし汗もかくと思う。でも手助けしないのはそんな理由ではないのだ。もっと人間関係的な……。関わりたくない。そんな感覚だと思う。
水原雪乃――。彼女と関わるとろくな目に合わない。部内ではそんな感覚が共有されている気がする。少なくとも私の部下全員が水原さんと関わって痛い目を見ている。
彼女を弁護するわけではないけれど水原さんは決して悪人ではない。ただ、彼女には社会人としての適性が壊滅的にないのだ。いや……。正確には人間として生き抜いていくためのスキルがない。特に人間関係の構築がまるで出来ないのだ。相手の顔を立てるだとか身を引くだとかそういった感覚が明らかに欠落している。
そのせいで起きたトラブルは数知れなかった。取引先から役員連中に至るまで彼女のせいで割を食っていた。まぁ、一番割を食ったのは直属の上司である私だとは思うけれど。
水原さんを見るたびに思う。ああ、神様はなんて残酷なんだ。善良でクソ使えない人間と悪辣で優秀な人間を同じ世界に解き放った。これじゃ両方とも共倒れじゃないかと――。
その日は恐ろしいほど穏やかに時間が流れていった。特にクレームもなかったし部内で揉め事も起きなかった。午前中にあった例の一件が嘘のようだ。
「及川さん。ちょっといい?」
「はい!」
定時まであと少しというところで私は及川さんを呼び出した。
「はいコレ。一応赤ペンで私なりの意見書いといたから修正参考にしてね」
「ありがとうございます! アハハ、やっぱりダメでしたよね……」
「うーん……。発想自体は悪くないと思うよ? ただねぇ、企画会議に出すには荒削り過ぎたかもね」
「ですよね……。分かりました! ありがとうございます!」
なんて素直な子だろう。と私は思った。あの役立たずとは大違いだ。




