菱沼浩之の場合18
大洗港に着くと僕の檻はクレーンでつり上げられた。どうやら別のトラックの積み替えになるらしい。下を見るとチェリーの檻と小型のサメの水槽が見える。
『さよならチェリー』
僕は心の中でそう呟いた。もう二度と会えないかもしれない。本当に悲しい。せっかく友達になれたのに。
思えば海にいた頃はこんな風に話せる友達はいなかった。仲間はいたけれど彼女ほど親密ではなかった。きっと彼女は特別なのだ。わずかな時間を共有しただけだけれどそう思う。
そこからはとても順調に進んでいった。引っ越し先の水族館にあっという間に運ばれ、簡単な身体検査を受けた。身体測定と体温のチェック。その程度だ。
僕の身体に異常がないと分かると飼育員は僕のことを備え付けの小さな檻に入れた。どうやらここが僕の寝床らしい。よく言えば清潔な空間だ。悪く言えばクソつまらない箱。人間的な言い方をすれば牢獄。それ以上でもそれ以下でもない。
仕方ない。今日はここで寝よう。僕はそう言い聞かせて眠りについた――。
新しい水族館での生活は控えめに言って最悪だった。昼間は強化プラスチックで作られた岩礁と海水プールに連れて行かれて見世物にされた。古巣での好待遇と違ってここは本当に生きるためだけの食事を与えられた。ここでの食事はシャリシャリどころではない。カチコチなこともザラにあった。噛むとガリガリなる。氷を食っているのかイカを食っているのか分からない食事だ。
そんな毎日を過ごす内に僕の体重はみるみる減っていった。食事量が減ったし、ストレス過多だ。減るのは当然だと思う。そんな調子だったから獣医は僕を何回も診察した。
『環境の変化によるストレスでしょう』
獣医はそんな分かりきったことを言った。ヤブ医者。問題は原因の特定じゃない。環境の改善だろう。そうツッコみたくなる。
気がつくとあれほどぷくぷくだった僕の頬もすっかり痩けた気がする。せっかく蓄えておいた皮下脂肪も目に見えて減ってしまった。生命活動のための燃料が消費された。それは僕にとって死活問題だ。
本来ラッコは氷点下の海で生きていける生き物だけれど、最近は常温の水でさえ若干冷たく感じるようになってしまった。これは本当にまずいことだ。下手したらもう二度とあの海に戻れない。そう思うととてつもない恐怖が押し寄せてきた。ラッコの楽園に戻れない。僕のふるさとに二度と。そんなのは嫌だ――。
死にかけの水族館生活を過ごす内に僕は逃げ出す方法を考えるようになった。そして彼女に……。チェリーに会いたい。彼女ともう一度会って話がしたい。そう思うようになった。
そう思ってまもなく僕は逃走の好機に恵まれた。




