最終話・剣と花
芽亜とジェイドは、レンの薦めもあり、病室で結婚式を挙げた。動けない芽亜に代わり、姉の寧利とルークがギーズベリーに向かい、シルクのドレスとレースのストールを調達し、ジェイドは結婚指輪と婚約指輪代わりの髪留めを買いに王都の宝石店に走った。
結婚指輪は芽亜の「ジェイドの瞳と同じのが良い」との希望に沿い翡翠で作られた物にし、髪留めは店主の薦めにより黒真珠の髪留めにした。病室は特別室にして貰っていたのでかなりの広さがあったが、それでも大人数だと若干狭い。限られた空間と時間ではあったが、ウィーナの用意したケーキと紅茶で乾杯をし、指輪の交換をした。
「君達の行く先に幸多からん事を。アルベルディ御夫妻」
レンの言葉に、芽亜はくすぐったそうに笑う。ジェイドの名字は、結婚届を出す時に初めて知った。
「愛してるよ、俺のメア。もう絶対に俺から離れないでくれよ?お前を捕まえるのは大変なんだ」
「うん。絶対に離れない」
「もう二度とお前を傷付けたりしない。信じてくれ」
「私も、貴方を不安にさせたりしない。ジェイド、寂しがり屋さんだから」
互いの額をくっつけてクスクス笑い合う二人に、周囲は揶揄いながらも温かい眼差しを向けていた。
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病院でのリハビリのカリキュラムを全て終え、退院を翌日に迎えた日。芽亜の元へ意外な人物が訪れていた。
「体調は、どうだ?」
少し気まずげな顔をして病室に入って来たのは、蜘蛛の青年・ヒューゴだった。
「こ、こんにちは……もう、大丈夫です……」
「そ、そうか……」
互いに沈黙し、空気を探り合う中、芽亜は青年の姿を見て首を傾げた。確か彼は「普通の大蜘蛛型になる」と言っていた筈なのに。毒蜘蛛型特有の、毛足の長い硬く黒い毛並みも、鋭い爪も以前と全く変わっていない。まだ、パートナーであるアビーの願いは叶えられていないのだろうか。
しかし毛の一本一本に毒を持つ毒蜘蛛型が、病人でごった返す病院に入って来れるものなの?
そんな芽亜の疑問が顔に出ていたのか、青年はあぁ、という様な顔をした。
「願いは叶えて貰ったよ。但し、”毒を自分でコントロール出来る様に”と願って貰ったんだ」
「毒を、コントロール?」
「アンタが病院に搬送されてった後に、俺の所に<銀の鴉>のレン団長が来たんだ。それで、普通の大蜘蛛型になるのは勿体無いって言われて」
『毒蜘蛛型は希少だよ?でも確かに毛並みや体液にまで毒を持っているのは不便だよね。そしたら、<自分の意思で毒をコントロール出来る様に>って彼女に願って貰ったらどうかな』
「そうなんだ。それで貴方は毒蜘蛛型のまま、アビーさんと一緒に居られる様になったんだね」
芽亜にとっても目から鱗だった。成程。流石レンさん。あれ?でもレンさんがそこまで言うって事は、ひょっとして。
「ねぇ、貴方もしかして<銀の鴉>に?」
「そう。スカウトされた。アビーとも相談して受ける事にしたんだ。今、アビーはオレの荷物を飛空艇に持ってったり挨拶回りしたりしてる」
「そっか、良かった。あの、それであの時はごめんなさい。貴方をとっても苦しめちゃって……」
「いいや。戦いの中での話だからそれは気にしないで良い。オレこそゴメン。アンタに攻撃を当てるつもりは無かったんだ。それと、性悪女なんて言ってゴメン。アレは言葉のアヤで……」
「うん、分かってる」
その後も二人で他愛も無い話を暫くした後、ヒューゴは軽く手を振り帰って行った。
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「もう、ジェイドそんな顔するならミランドラで待ってれば良かったのに」
「嫌だ」
ギーズベリーに到着した途端、不機嫌な顔になるジェイドを、芽亜は必死に宥めていた。
――芽亜はミナヅルに移住する前に、関りの合った人物全てに挨拶をしておこうと思ったのだ。
自分からはもう、会いには来れないのだから。芽亜の為に急いで執り行ってくれた、姉の寧利とルークの結婚式に出席する為、ミランドラへ向かった芽亜は、合間を縫って<林檎売り>の西條に酔い止めのお礼と今度ミナヅルに永住する事を伝えた。
西條は喜び、ミナヅルに帰郷した折には、必ず会いに行くと約束してくれた。
「誰だ、あの男は」
「西條さん。お世話になったの」
ふぅん。興味無さそうに相槌を打ちながら、ジェイドは芽亜の腰に手を回して抱き寄せる。
「ちょっとやだ、ジェイド!人が居るから!」
「暗いから平気だよ」
王都の家で一緒に過ごして以来、自分に触れるジェイドの手に全く遠慮や躊躇が無くなった気がする。以前もそれなりに触れられてはいたが、危うい気配に芽亜が少し怯えた素振りを見せると、あっさりと手を引いていたのに。ジェイドは芽亜を抱き寄せたまま、洋服越しに左肩に口付ける。
その肩の傷痕は、初めて見た時には気を失いそうになった。
左の背中、肩甲骨周辺から肩口を通り鎖骨下まで、皮膚が溶け崩れた様に爛れ、濃いピンク色をしている。白い肌の中でそこだけが妙に鮮やかで、芽亜は涙を堪える事が出来なかった。
薄く弱い皮膚の部分には暫く薬を塗らないといけなかった為、芽亜は四苦八苦しながら背中側もこっそり一人で塗っていた。
だがそれを発見され、散々抵抗したにも関わらずジェイドはあっさりと芽亜を押さえつけ、服を脱がせて肩を曝け出した。そして傷痕を眺めると一言、綺麗な色だな、と言った。
その後、呑気に鼻歌を歌いながら薬を塗るジェイドに、芽亜は脱力したのを覚えている。
◇
「何だってあのガキにまで会いに行く必要があるんだよ」
「だって、お世話になったんだもん」
赤い門の前でリカルドを待つ芽亜とジェイドに、子供達の興味深々の視線が投げかけられる。
「ちぇっ、あの可愛いお姉さん、男が居たのかよ」
「あの髪良いなー。前髪に少し黒髪残してるトコがそそるな」
鋭敏な聴覚に聞こえて来る子供達のヒソヒソ声の内容に、ジェイドは顔を引き攣らせた。
(あのガキだけが特別にオカシイ訳じゃないんだな)
思い切り芽亜の首に噛み付いて見せつけてやろうか、などと大人気無い事を考えていたジェイドの耳に、聞き覚えのある声が聞こえて来た。
「お姉さーん!おじさーん!」
「おじさんじゃねぇつってんだろガキ。殺すぞ」
「怖ーい。でも、許してあげるよ。おじさんも辛かったんだもんね!どう?良くなった?使い物になるようになった?」
「……何が?」
芽亜は慌てた。こんな嘘を付いた事がバレたらただでは済まない気がする。
「リ、リカルド君。あのね、今日はこの前のお礼もなんだけど、遠くへ行くからお別れを言いに」
「惚けなくても大丈夫だよ!ボク、マリアにも言ってないから。また役に立たなくなったら何時でも遠慮しないで言ってね!」
――無言のジェイドが、ゆっくりと芽亜を見る。そっと後退る芽亜を素早く捕まえ、耳元で甘い甘い声で囁いた。
「メア、俺にちゃんと説明出来るか?」
引っ越し先の住所教えてくれたら送ってあげるよー!と元気いっぱいに手を振る少年に、ジェイドに引き摺られたまま力無く手を振る。そして観念した芽亜は洗いざらい白状をした。
「ったく、随分な事言ってくれてたもんだな、俺の奥さんは」
「ごめんなさい……」
「俺が使いモノになるかどうか、お前が一番よくわかってると思うけど?」
「う、うん……」
芽亜は、尚も不貞腐れる夫の手を取り揃いの指輪にそっとキスをしてご機嫌を取る。
少し機嫌を直したらしい夫が腰に手を回して来るのに合わせて、その胸に頬を摺り寄せた。
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寧利は現在ルークの生家で暮らしている。最初、命を狙われる程に憎まれていた家族の前に行くのは正直気が重かった。
「私が誤解をされる様な行動を取ってしまったのです。それで彼女は私の浮気を疑って……」
ルークが家族に向け、それこそ耳を疑う様な嘘っぱちを並べた時には唖然とした。
「まぁ!それは貴方が悪いわルーク」
だが眉をひそめ、息子を咎める義母の言葉にはもっと仰天した。
彼の父親、つまり義父も一度浮気をした際に下半身を灰にされたまま、約50年程生活させられていたと言うのだ。
浮気をした息子の髪色に変えてまで深く想ってくれていた、と非常に良い様に誤解されたまま、寧利は実の娘の様に可愛がられていた。
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紅茶屋エーベルの女店主・ウィーナは、芽亜の決断を応援してくれた。
「ミナヅルにはグリーンティーの名産地があるのよ。メアちゃんの所に遊びに行きがてら、研究して来なくっちゃ!」
そう張り切り、夫のオリオンはそんな妻を優しい目で見守っていた。
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「もう嫌……気持ち悪くて死んじゃいそう……」
「後もう少しで着くから。ほら、抱いててやるから目を瞑ってろ。間に合わなかったら俺の上に吐いて良いから」
蒼白な顔で蹲る芽亜の背中を擦りながら、ジェイドは震える身体を優しく抱き締める。ミランドラで西條に追加で貰った酔い止めで港町のイステまでは転移魔法を駆使しながら来れた。
だがそこから先は船でしかミナヅル本国に入れない。
船で5時間の距離なのだが、その途中で酔い止めが切れてしまったのだ。腕の中で苦しむ芽亜を見兼ねたジェイドは、あまり得意ではない状態異常魔法の<眠り>をかけてやった。
得意ではないが故に、強大な魔力をコントロール出来ず、大体半日近くは眠らせてしまう。恐らく次に目を覚ますのは明日の明け方位だろうか。
ミナヅルに着いたら絶対直ぐにお風呂に入りたい、と言っていたメアをどうやって宥めるか、ジェイドは頭を悩ませていた。
◇
ミナヅルでの新居は海の見える丘の上にあり、日本での生活を思い出す懐かしい<表札>には『ジェイド・アルベルディ』『メア・アルベルディ』と名前が彫られていた。
出発前に、レンがいきなりミナヅルでの新しい住所を渡して来たのだ。
「結婚祝いだってさ」
「誰からですか?」
「僕の知り合いの知り合い」
レンはそれだけしか教えてくれなかった。ただ、庭に足を踏み入れた時、桜に似た木の枝に真っ赤な髪の毛が絡まっているのを見つけた。
(そう……貴方だったのね……)
芽亜は赤い髪の毛をそっと外し、綺麗な布で包むとその木の根元に丁寧に埋めた。
◇
『魚嫌い』のジェイドがミナヅルで食生活的にやっていけるのかと、芽亜はかなり心配をしていた。だがどうやら<豆腐>がいたくお気に召したらしく、その上パンよりも米の方が体質に合っていたのか、むしろリサリアに居た時よりも食事量は増えた様な気がする。
そのジェイドはミナヅルで仕事をするにあたり、新しく傭兵団を作った。
勿論、既存の傭兵団は幾つか存在していたが、構成員はほとんど剣士か槍士か銃使い、と言う物理に特化したチームが多かった。その為、魔術師のジェイドが団長を務める傭兵団は一線を画す存在になり、瞬く間に東で名を轟かせる存在になった。
名は<ゼブラ>と言い、芽亜が名付けた。エンブレムは大きな真珠を咥えた縞模様の狼。
単純に団長であるジェイドの黒髪と褐色の肌、その妻である自分の白い髪と白い肌が一緒に居るとシマウマみたい、と思ったからだった。
そして<銀の鴉>には新しく毒蜘蛛のヒューゴが加入し、あっという間に幹部に昇格したそうだ。
そもそも、レンがヒューゴをスカウトしたのは毒の強さや特異性よりも、解毒が通じないと分かった時点で素早く鎮痛に切り替えた判断力の速さを買ったからだそうで、異例の速さでの抜擢も当然だな、とサフィールが手紙に書いていた。
意外と言えばこちらの”ゼブラ”にも新規の入団があった。
隼のアーサーとラヴィニア。
二人はアーサーの実家に住んでいたが、兄夫婦に子供が生まれ、家が手狭になったと同時に二人で新しく住む所を探していたと言っていた。
海を見るのが好きなラヴィニアの為に、海沿いの街で新居を探していた二人に寧利が”ミナヅルへ行ってみてはどうか”と提案し、それに従って来たらしい。
芽亜は友人が来た事に大喜びし、元来面倒くさがり屋のジェイドはこれ幸いと温厚な気質のアーサーに対人関係の仕事は全て押し付けていた。
――後に、レンの率いる<銀の鴉>とジェイドの<ゼブラ>は『西の鴉に東のゼブラ』と呼ばれ、その名を広く轟かせる事になる。
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「ジェイド、明日の行き先は明桜だっけ?気をつけて行って来てね?」
「良いか?ラヴィニアの所に行くかラヴィニアに泊まりに来て貰えよ?絶対に一人になるなよ?」
「わかってるってば。ジェイドこそ、幾ら首都が華やかだからって浮気とかしちゃ駄目だからね?」
「誰がするか。メア、もし何かあったら神殿に行けよ。ミナヅル国内なら転移魔法で移動出来るんだから」
「うん」
芽亜はジェイドに抱き寄せられ、その腕に身を任せた。明日から遠く首都での仕事がある為、暫く夫婦の時間は過ごせない。身体に触れる夫の性急さに、芽亜はクスリと笑みを浮かべた。
――神に愛された花と、その花に愛された剣は、世界と言う名の神の箱庭で寄り添って踊る。
世界の為に咲き誇るのではなく、世界の為に切り開くのでもない。
ただ、互いの為に。そうして世界は続いて行く。
お読みいただきありがとうございました




