二一
事件解決後、数日経って。
ライラは国のみんなに慣れてしまっていた。
自らが怪我を負ってまで坦や私を助けた、という話も広まっていて、坦が傍にいなくても、町の人も村の人も、西境国の国民はもう誰も、ライラを恐れなくなっていた。それどころか、見かける度に野菜を与えるもんだから、坦が必要以上のエサは与えないように、と皆に言って回った程、人気者だったよ。
ライラは、放し飼いにされ、当初はライラ用の小屋を作ろうとしていたが、坦がこれ程利口で大人しいのであればきちんと定期的に洗って手入れをすれば花鳥斎(離宮)に住まわせても良いだろう、と言った。それで晴れてライラは毎日坦の傍で食事をし、音楽を聴き、眠りに就くことになった。
私はライラに会いに、それまであまり近寄りたくなかったイジワルな坦の住む花鳥斎へ、良く訪れるようになった。そうして少しずつ坦との距離が縮まって、仲良くなっていったよ。
姫もライラのことはお好きだったご様子で。良くご一緒におられたよ。
それを利用して、坦が姫のスカートをめくる芸をライラに教えようとしているのを見て、私は彼の上にのっかって長い髪を思い切り引っ張っておいたよ。ハッハ!
ある時、私は坦が言っていた言葉をフと思い出して、彼に問うてみたことがあった。
その時は、そうだね…能も、游さんもいたかな…皆、とある宮の外周りの廊下にいて、庭で姫がライラに花冠を作っていらっしゃったのをぼんやり眺めていた。
「あっ、ねぇねぇ! ライラのボール依存症は、治ったんですか?」
「…あ? は? …あー…お前、良く覚えてたな。あー、もう、アレ、いいんだよ」
「そうなんですか! 良かったです!」
その言葉を聞いて、能が坦にため息まじりに声を掛けた。
「そういえば…気にはなっていた。
ライラが弩(クロスボウ)の矢に倒れたとき、お前は游さんに何故かあの球を持って来させていたな。それで、中から出した線香の折れたような物に火を点けて。一体何なんだ、アレは。ライラと初めて対面した際も、お前は線香を焚いていたな。あれと関係があるのか?」
坦は能の言葉を聞いて、腕組みし、上を少し見つめた後、ほんのり頬を染めて、言いたくなさげに話し始めた。
「……
……あー……
……まァ、もう、時効か。
ん。
お察しの通り、アレは普通の線香じゃない。ボールの中に入ってたのは、線香を砕いたモンさ。
俺の国じゃあ有名な香でね。だけど、他の国にはたぶん、ナイ。
『ゲネン・バル』(モンゴルの言葉で、『ゲネン』は『無邪気』、『バル』は『虎』の意味)。『無邪気な虎』って名前で。主な材料は『木天蓼』の葉。それを俺の国独自の方法で無茶苦茶濃ーく、成分を抽出して、その他、猫科の動物の精神を落ち着けたりする必要な草や薬品も色々混ぜ込んで作ってあるんだ」
「……ハーッ……
『モクテンリョウ』なんて発音するな。
紫瑛にも分かるようにきちんと言え。
……
『マタタビ』、だとな」
ハッハッハ!
そりゃもう、驚いたもんだよ、当時の私はね。
「えぇぇぇ―――ッ!?」
「……ア、アハハ……」
「ずっ、ズル――――イッッ! じゃあライラと初めて会った時大人しくなっていくのは当たり前じゃなーいっ! 感動したのにィ―――!」
「アッハッハ! ゴメンゴメン!
まーね。
タネアカシをすると、ゲネン・バルは虎を酔わせる他に、虎の精神を鎮めたり、神経を麻痺させたりもする作用があって。
俺たちは虎に出会って、追跡されて逃げきれない場合、ゲネン・バルを地面に撒くか、火を点けたあと音でおびき寄せて、虎が発見・夢中になってる間に遠くへ逃げるんだよ。
退治するまでになると、おびき寄せた後、毒の入ってるゲネン・バルか肉を食わすか、麻痺性能を高くしたゲネン・バルの煙を吸わせた後に武器で攻撃して殺すんだ。
退治する場合は、音で呼び寄せる行為が必須になるから、腕の立つ楽師が必ず討伐隊に1人は入るんだけどな。
…俺も始めは、退治方向で考えてたから、毒の入ってるゲネン・バルを用意してたんだ。それに、肉も用意しようとしてて。…麻痺させて殺すのは、主義じゃなくってさ。…一応、持ってはいたけど。
でも、何だろうな。
…まぁ、ベジタリアンなんじゃないかって思った、それも理由なんだけど。
挑戦、したくなって。
これまで、俺の国で、『ドーラフ・ヤリフ・イネーフ』の曲を『イネーフ』まで奏でた楽師は見たことがなかったから。
『ドーラフ・ヤリフ・イネーフ』の曲は3部から構成されているんだ。前から順に、第1部、第2部、第3部さ。
『ドーラフ』は『歌う』。歌って虎を呼ぶんだ。ここに来いって。
『ヤリフ』は『語る』。虎に語り掛けるんだ。安心しろって。
『イネーフ』は『笑う』。歌って、話して、分かり合えたなら、お互いに笑うのさ。そうすれば、虎を友に出来るって。そんな、言われゴト。
試してみたかった。祖先の言ってたことが、本当か。俺の腕は、どこまでなのか。
それで…失敗しても、死ぬだけだって。
俺が死んでも、誰も何とも言わないから、軽い仕事だ、…って、思って。
でもさ…これで成功したら、何か…イイコト、が、ありそうな気がして…俺の持ってる運にも、挑戦しようと思って。
ちょっと、そこらのお2方の前だから、言いにくいけど。
ちょっと…その。キタイ、した、かな?
それで、ガンバッテみた。
そんなカンジ?」
相変わらず腕を組んで上の方を見つめて話す坦は、ほんのり赤くなっていた。
その坦の肩を、游さんはポンッと軽く叩いた。
「俺、知ってたよー!」
そういう游さんの言葉に、坦だけでなく、私と能も驚いた。坦は目を見開いて游さんの方を向いた。游さんはそれを見るとまた軽く笑って話を続けた。
「んえ……!?」
「ハハッ!
俺、南境国にも行くことあるもん、知ってたよー!
でもね。
あれは、君の才能があったからこそ、成し遂げた必然だよ。
どれだけ香の力が強くってもね、生き物の心を打つ演奏が出来なきゃ、襲われるんだよ? 虎だって雑音は嫌いさー。
俺は見たことあるよ? 失敗した人。そりゃ、そうだよねぇ、音楽で野生の生き物をどうにかしようなんてこと、無茶だと思うよー。ホント、命がけの演奏だよね。
音で生き物と向き合うなんてこと、普通の技術の人じゃ、まず演奏しようとも思わないし、出来もしないんだよ?
言葉が分からない相手に、言葉なくして感動を伝える技術と、坦ちゃんの優しくって慈しむ心がなければ、ライラちゃんもあんなに懐きはしなかったよ。
坦ちゃん。
君の、腕と心の勝利だよ。
香の力じゃない。
自信持って!」
そう言って笑う游さんの言葉に、坦は少し瞳を潤ませたが、周りに我々がいるからか、すぐにフッといつもの調子に戻った。
「どうも!
サンキューです、游さん!」
…と、そこで。
バリィ…
みゃー!
…と声が聞こえた。
声のした方を慌てて見てみると、ライラが姫様の服を咥えていて、上半身の着物が少し破けた上に、はだけていた。
「あっ、姫様っ! 大丈夫ですかっ!?」
私が慌てて駆け寄ろうとしていると。後ろから。
「ライラ! ダメでしょ!
ソレは『ヨ』、『ル』! 『夜』! 分かる? 太陽がないとき!
暗くなってから夢ーちゃんが俺んちに来たときにやるの!
今は『オ』『ヒ』『ル』! ダメッ! 『放して』! い~い? 『は』、『な』、『し』、『て』! 『放して』っ!」
手すりから身を乗り出して慌てて叫ぶ坦に、私は孫 彰用に練習していた回し蹴りをくらわせといたよ。
いやぁ、練習しておいて、無駄じゃなかったねぇ!
ハッハッハ!




