十一
「よくやったね」
大歓声と大喝采の止まない中、游さんは優しい笑顔と静かな言葉を、坦に手向けた。
坦は、游さんの笑顔と声で緊張が解けたのか、一息に表情が自然な笑顔になり、涙目になりながらニコッと会心の笑みを浮かべた。
「あ……游、さん………あ、ありがとう…ありがとうございます!」
游さんは、国にいる者全ての父親や、兄のような存在なのだと思う。この人の存在を心の底から許さないと思う生き物は、この世にはきっと、存在しない。
坦はしばらく余韻に浸っていたが、急に思い付いたように声を発した。
「……
……あ。
游さん! 忘れる前に! 肉と野菜を!」
「あぁ! ハイハイ!」
游さんは自身の足元に置いていた袋から、鶏の肉と大根を取り出すと、片手でそれぞれ持ち、坦の方へ投げた。
ドサドサリッ!
土の地面に、良い砂の音を出して、2つの物は落ちた。坦と白虎のいる所からそれほど離れていなかったと覚えている。
その音を聞いた直後から、観衆はだんだんと静かになっていき、ある程度の静まりを感じただろう頃に、坦は白虎の上の足を退けた。白虎は名残惜しそうに、足をまたつかもうと、坦の降ろす足を追って宙を前足で掻くようにフワフワ動かしていた。その姿を見て楽しそうにフフフッと軽く笑った後、坦は白虎に優しく声を掛けた。
「もう、いいよ。ご飯食べておいで。見てごらん、どっちでも食べていいんだよ?」
坦は白虎の顔近くにしゃがみ、肉と野菜を交互に指差した。
その、指を差した瞬間だった。
白虎は坦が指を差すや否や、体を慌ててひねり起こし、ものすごい勢いで…
大根に飛び付いた。
そこに居た全員が、それまでの感動を忘れたように、呆気に取られた。理解できぬ、といった表情がどこもかしこにもあふれていた。
ガリガリッと一息に大根を食べてしまった白虎を見て、游さんは心の底から楽しそうに笑った。
「アハハハッ! カワイイねぇ! 余計にもらってきてたんだ、もっと食べていいよ」
そう言って游さんはポ――イッと何本かをまとめて片手で宙に放り投げた。
白虎がジャンプしてくわえた1本以外、ドサドサドサッ…と全ての大根は地面に落ちた。
白虎が嬉しそうに1本ずつかじりついている間に、坦は私たちの元へ走り寄って来た。
皆、その瞬間、坦の周りに集まって、泣いて喜んで抱き着いたり、感動を伝えたり、握手をしたり、と、とても大変だった。
坦は丁寧に1人1人お礼を言い、皆がそこから葬式の準備のためなどに離れて行って、場が落ち着いた頃に、やっと私たちの所までやって来た。
「游さんっ!」
坦は、游さんを見るなり、まず、抱き着いた。游さんも坦を抱擁し返してあげていた。坦は小さい声で游さんに話し掛けた。
「……実は、不安は、あったんです……あれは、虎から逃げるためのものだから……最後まで虎の気持ちを読み取って弾き通すことが出来ればその虎は懐く、と南境では言われているけど…逃げられるからそこまでやる人見たことないし、俺も、最後までいつも、弾いたことがなかったから……」
「えぇ!? じゃー、すごいね! 一発本番で成功じゃない! 良かったね!」
「……はい!」
しばらくじっと抱き締められた後、坦は游さんから体を離し、能の方へ向いた。能は坦へ労いの言葉を掛けた。
「よくやったな、素晴らしかった! …心配はいらなかったようだ」
「ありがと…ハハッ、男に心配されるなんて、まだまだだな」
そう言ってしばらく涙目で見詰めた坦が軽く笑うと、能もフッと笑った。
私は掛ける言葉が見つからなかったから、泣いていた目を拭きながら坦の近くに走り寄った。私に気付いた坦は、珍しく、優しい笑顔で私の頭を2度撫でた。
「いっやぁ、本当に良かったぁ! 小夢のが効いたかなー? 『帰って来て』って言ってたもんねぇ」
それを聞くと、坦はバッと游さんの方を向いた。游さんの後ろに姫がいるのに気が付いた坦は、いつの間にか真っ赤になっていた顔色を落ち着かせようと必死に手で顔を扇いだり、息を多く吐いたりしていた。
それを気にすることなく、游さんはおもしろそうに話し続けた。
「ハハハッ! ごめんね、俺が抱き締めすぎちゃったからー! 暑かったね! 君が帰って来て、嬉しかったもんだから、つい! それから…」
そう言って游さんは、大根をガフガフ言って葉っぱまで食べつくしている白虎の方を向いた。
「あのコ、カワイイねぇ! 大根食べるの? 虎ってお肉食べるもんだと思ってたけど。さっき『肉と野菜持って来て』みたいなこと言ってたの、このためだったんだね! さすが南境出身者は違うねッ!」
その言葉を聞くと、坦は一気に顔色が元に戻って、游さんと能に興奮気味に話し始めた。
「それです! 聞いた時からそうじゃないかと思ってたんですが、先程確信しました!
あのコはおそらく、月を食んで生まれたコです。ほら、去年、月食だったでしょう」
「虎の年齢が分かるとは、見上げた観察眼だな」
「そうだねぇ! えーっと、月食…あぁ、去年だったねぇ…じゃ、あのコ、1歳? 大きいのに、まだ子どもなんだね!」
「…いえ、僕もそんなにハッキリとは分かりませんよ。でも、まだちょっとあどけない顔付きだし…おそらく、性熟期になっていない体付きや態度だと思うんです。体が熊のように大きいから成獣と思っていましたが、見た目だけのようです。今日もここに来たのは母親を探してでしょう」
「そうなんだ…でも、月食とどう関係あるの?」
游さんが不思議そうに尋ねると、坦は困ったように笑った。
「ハハ、僕んちの言い伝えですよ。肉を食う生き物で、母親の胎内で月を食べて生まれた子どもは肉に興味を示さなくなる。天にある物を食べたから、体が半分天仙(天仙:天上に住む仙人。地上に住む仙人は『地仙』と呼ぶ)化するらしいです。それで、天が呼ぶから早く死ぬらしいです。何の根拠もない言い伝えですけどね」
「根拠はないけど、信じとくの?」
「その方がおもしろいですから…」
「…なーに? おもしろいの?」
続けて興味津々に聞いて来る游さんに、坦は游さんの目を真っすぐ見て、寂しそうに笑って答えた。
「僕もそうでした。
僕の場合は、父親が言い伝えを真に受けて、小さい頃から肉も欲も戦も色も色々教え込んだからか、別に普通の人と何ともないようですけどね。フフッ!
…おもしろいじゃないですか、父に汚れを教わって天に昇れなくなった僕に『助けろ』と、天が…あのコと出会わせてくれたと思ったら!」
「………そっか」
游さんが少し悲しそうに微笑むと、坦はその微笑みを自分の中に大切にしまうように目を閉じた。分かってくれる人を見つけた感動からだろう、ほんの少しだが、幸せそうに微笑んだ。
しかしすぐに目を開いて、またいつもの笑顔に戻ると、彼は事件の核心に迫る話を進めた。




