四
「坦さん!」
「おっ! 先生!」
「先生ぇ!」
「先生、先生!」
「先生ぇ、この間はうちのコが風邪ひいちまって…すいやせん、その分の勉強まで見て頂いて…他の兄弟たちまでむらがりやがって…」
「あ。林さん。いいんですよ、僕は、子どもと遊んだり話したりするの、楽しいんで。いいです、いいです」
「先生ぇ~。遊ぶ方が楽しいなんて、そりゃあ『先生』らしかねぇや、本職までの道のり、遠のいてますぜ?」
「あっ…や、やだなぁ、もう…」
アハハハ…
坦の人の掌握術はこの頃から完成に近い状態だった。現れただけでこの、場の和み具合。さすがだった。
「あの方が演奏を…理解できる、そうか、あの素晴らしい演奏は、彼が…」
能まで坦の創り出す和やかな雰囲気に見入っていた。
私は心の底から焦り、どうか悪い方向へは行くなと必死に願った。
「坦ちゃん。出来るの? 虎だよ? 人を食べたみたいだよ?」
困ったような笑顔で坦を見つめる游さんは、坦の今の発言を本気かどうか、迷っているようだった。だが、柔らかな笑顔を崩さず、坦はその游さんの前に進み出た。
「本気です。お任せください」
そう言うと、坦は片膝をつけて游さんの前に座り、胸の前に片手を当てて頭を下げた。
「僕は南境国の出です。南境はこの国とは違い、山には獣が、川には魚が、森には果物があふれた、狩猟や採取中心の国です。狩猟でも、獣の多い森の奥での採取でも、危険は付き物です。それで、獣との対峙の仕方は幼い頃から学んできました。お見せいたします、南境の技を」
オォォォォォォォォ!!!
ワァァァァァァァ!
イイゾ、センセェー!!!
センセェー!
皆、それはもう、救世主が現れたと、とんでもない大歓声だったよ。
そんな中、能だけは私に冷静に聞いた。
「『先生』? 彼は学者か? 南境から何か学びに来ているのか?」
「…あ。坦さんは、その。游さん談では、南境国からの『留学生』…です。アルバイトで学校の先生とか、音楽学校で馬頭琴の講師をしてて…
そのぉ…あそこ、見えます? 離宮があるでしょ。森とか竹林に近いところ…あそこ、元元は先先先代? くらいの前の王の持ち物だったんですけど、使ってないからって游さんが住むの許可してるんです……」
「あぁ。あんな所にお住まいか! それでここまで聞こえて来ていたんだな。何だ。『離宮』と呼ばれているわりに見える所にいらっしゃるじゃないか。こちらも後宮に住んでいるというのに、ご挨拶をするのが遅れてしまったな。
それに…そうか、苦学生だったか。色々大変だな。近所だし、困ったことがあれば助け合えれば良いが…
……しかし、さっきから、紫瑛、君は、どうした? ぎこちないな? 坦殿が綺麗だから照れているのか?」
「そんなっ! 有り得ませんッ! あんなのっ、全然っ、綺麗じゃないですっ!」
全力で首を横にブンブン振って否定する私に、能は焦りつつ困惑した。少ししゃがんで私へ目線を合わせ、小さい声で注意してきた。
「…君…どうした…いつもはそんなコじゃ、なかっただろう…? 『あんなの』という言葉はどこから出て来た? 『全然綺麗ではない』とは、失礼な言葉だぞ? 本当に、一体、どうした…?」
「『そんなコ』って! 子ども扱いはやめてくださいよ!」
私と能がヒソヒソとやり取りをしているうちに、虎退治の議論の決着は着いたようだった。
何と坦は、虎退治をその身1つで請け負っていた。実行は明日の朝で良いと。助っ人も、応援も、要らぬ。武器もワナも、要らぬ。出来ることならば、遠くで自身の雄姿を見ていてほしい、万が一失敗した場合はその旨を国の家族に報せてほしい、と、それだけを周りに頼んだ。
立ち上がった坦の周りに集まった人々は、やりきれいない思いの詰まった言葉を次次にささげていた。
「先生ぇ。でもよ、そりゃ…」
「大丈夫です。南境国では誰もが経験していることなんです。平気ですよ」
「でもなァ」
「そうだ、せめて、礼は」
その言葉を聞くや否や、坦はその言葉を発した主の方へサッと振り向くと、困った表情をして微笑んだ。
「そんな。僕は、欲しい物なんてありません。皆さんのお役に立てれば、それでいいんです、そんなこと、言わないで」
「でもなぁ…あんた1人に危険なこと任せちまってよぉ」
「あぁ! そうだ、游さん!」
名案を思い付いたと言わんばかりの1人の男性の表情を、坦は驚いたように見つめた。
「游さん、橋渡し役になってやんなよ!」
「あー! あぁ! そうか、そうだな!」
「貸すって言い方、変だけどよ、時間、作ってあげたらどうだ? それが粋ってもんよ!」
その周りの反応を、坦はただ無表情で観察していた。能は、どういうことか、分かりかねている様子だった。…私は……シマッタ、と真っ青になったと分かるくらい、血の気が引いて、後悔した。
「ウフッ! オーケイ、オーケイ! 何の話なのか全然見えて来ないけど、みんな、あれだねー。坦ちゃん大好きだね! ハハハ!
それでどーしたいのー? 俺の出来ることなら何でもするよー」
心から楽しそうに笑う游さんの質問を聞くと、坦の周りにいる人々は坦と游さんの間に道を開けた。游さんは王座への階段に座っていたのだが、その座っている游さんと坦は、人が退いたおかげで丁度対面したような形になった。
ニコリッと笑って首をかしげる游さんはたぶん本気で何も分かってなくって、当時の私は憤ったものだよ。
さて。
坦はというと、頬を紅潮させた後、口を片手で押さえるようにして游さんから自身の顔を背けた。そして、瞳を潤ませると、その今にも泣き出しそうな瞳と紅潮した顔のまま、游さんを真正面から見つめ、片足を立ててしゃがんで頭を垂れた。
「夢ーちゃんに、僕の作った曲を…ささげるために、2人きりの時間を1時辰(約2時間)ほど…くださいッ……」
オオオオオー…!
ヤルジャネェカ、センセェー!
大歓声が沸き起こった。
その大歓声の中、游さんは表情を変えることなく、階段から腰をあげ、しゃがんでいる坦の目の前まで2、3歩歩いて近づいた。そのまま両ひざをついて坦の前にしゃがみ込むと、坦の両肩を軽くたたいた。
「うん、伝えといてあげる! 小夢本人がどう返事すんのか分からないから確約できないけど、たぶん大丈夫だよー! で、俺にしてほしいことって何? 何でも言ってごらん? ん?」
歓声が終わらない中、游さんは坦に向かって真面目に優しげな表情をして尋ねた。
…あぁー、游さんの天然はこの頃からもうどうしようもないくらい進行してて、治しようがなかったなぁ…
「…あ~っと…いえ、年ごろの女性の夢ーちゃんが男の僕と2人切りになるのに、親の了解を得ておこうかと…心配でしょ?」
「え。いつも一緒に遊んでるじゃない。何の心配があるの?」
「……」
「アハッ! で、俺にしてほしいことってなーに?」
「……いえ、もう…僕の言葉を夢ーちゃんに伝えてもらえるだけで。それで…そのお願いが通るように協力してくれたら」
「あー! そーゆーことっ! アハハッ! なんだー、喜んでやるよ~!」
ワアァァァ…
…私は血がなくなったかと思うくらい、サーッと血の気が引いて、クラクラした。――姫様がタイヘンなことに~!――そう慌てた私は、何とかこの状況を打開してもらえないかと、知恵を借りようと能の方をチラッと見てみた。
………ハーッハッハ! ハッハッハッハッハ!
……ハハッ!
フフフ、ごめんよ。いや、あの時の、能の表情は酷かった。
言葉に言い表せないが、もう、何が起こったか分からないような表情で! ハハッ…地獄を見たかのように、目を見開いて真っ青になっていたよ…ハハハハハ!
フフ…いや、話を続けよう。
「あのぉ……能、さん…?」
「あ。は。あ、いや、その」
「うぅっ! 助けてください~! あんなのに! あんなのに取られるの、ヤァァァ! ヤダァァァァァ!!」
私は能に抱き着いて泣き叫んだ。
「え。と、取られるって。まだ、そのっ…」
「無理ですぅぅぅぅ! アイツにかかったら、無理ですぅぅぅ! 僕、游さんが姫様のお婿さんじゃなきゃヤですぅぅぅ!」
「う……」
……
……ちょっと、能には厳しい一言を言ってしまったかもしれない。まぁ、私は当時、まだまだ『幼かった』から…もう時効だとは思うが…
しばらくして、虎退治の会議は解散した。游さんはお茶を淹れているであろう姫に先程のことを伝えておく、と言って出て行ってしまい、それに合わせて、集まった人々は坦と握手をしたり励ましの言葉をかけたりしながらぞろぞろと宮殿を出て行った。
私と能は、どうやら出て行くタイミングを失い、とり残されてしまった。
しかし、能は。
そこは丞相の器というべきか。
落ち着きを取り戻し、1度深く息を吐くと、人々が出て行った扉を見つめる坦の背中へ、静かに声をかけた。
「あの…お初にお目にかかります、『白 能』と申します。
今度こちらの国の丞相を務めることになりました。よろしくお願いします」
そう言って頭を下げた能に対し、坦は一向に振り向く様子はなかった。能は何とかこの無言のご近所さんと仲良くなろうと、頭を上げ、会話をもたせようとした。
「あの、えー、その…貴方のことは、紫瑛から少し聞いております。
えぇ、その……
…その……昼ごろ、貴方の奏でる曲を聞かせて頂きました、とても洗練された、郷愁を思わせる音で、感動いたし…」
「見てた」
そう言ってしゃがむと、坦は楽器を足元にゆっくり置いた。そしてすぐに立ち上がった。相変わらず、後ろへは振り向かなかった。
「は。あ。ご覧になられましたか、私の姿を…それは、とても視力が良…」
「お前かと」
「え」
「戦線布告や、昼の演奏は」
ゆっくり振り向いた坦からは、それまでの優しそうな微笑みは消えていた。その丁寧な口調さえも、きっちりと消えていた。
「お前や。丞相のハナシを通さすために、夢ーちゃんに抱き着かせた、何とも計算高いオトコは。
アレは俺のオンナにする予定や。近付かんといてくれるか?」
ニヤニヤしながら、見下したような表情をたたえ、いつもの坦がそこにいた。
……そう。
彼は、美しい見た目と、声と、才能を持っていたのに…性格が大分イビツだった。
……はァ………




