二
時を同じくして、王 角の居る宿舎。ここ、西境国には監獄がないため、臨時で宿を獄舎として使用している。そのため『宿舎』と表現して正しいのだが、性善説(人は生まれながらに善い性格であるという考え)の権化のような国民性である西境国民は、角を治療した上、快癒すれば何の罰も加えず開放するとし、監視役は逃走防止ではなく、症状悪化の場合に人を呼ぶための人員だった。その監視役も、角の症状が落ち着いていることを知ると新しい丞相の着任祝いの席に出たいと、ご丁寧にも角に断ってどの戸にも鍵をかけず持ち場を離れて出て行っていた。
角はこの隙に逃げ出そうと考えていたが、体を動かすとピシリとした痛みが全身を走るので仕方なく用意された部屋で横になっていた。
しかし彼が反省をすることはなく、どうやってここから逆転するか、仲間に知らせる方法はないか、考えを巡らせていた。
そこへ。
どこからか、一息の風が吹き込んだ。
風は角の枕元に置いてある置き燈篭(日本の行燈に似た物。ここでは、ろうそくの周りに紙を張った間接光)の火を消し、角の部屋で唯一の光源を奪った。スン…と部屋は暗くなった。
殺人に慣れ、暗闇に慣れている角にとっては何ともないことだった。だが、自身の部屋のみこのようにして明かりが消えたのはいささか不気味であった。そう。自身の部屋意外の明かりはこうこうと点いている。廊下も、廊下の窓の外に見える他の棟の宿舎も、角の見える位置からではきちんと点いていた。周囲の民家の明かりもも点いている。
そこへ…
カカカカッ――シャンッ――カカカカッ――シャンッ――カカカカッ…
カカカカッ…カカカカッ…カカカカッ…
四足歩行の生き物の足音が聞こえた。足音の速さ、軽さから馬のように感じられたが、馬独特の地面を蹴る足音ではなく、蹄の、ほんの爪先のみを地に付けたようなかすかな歩行音だった。それが、2体分。重ねて聞こえてきていた。その音に被せるように、鈴の音も聞こえてきた。
カカカカッ…――シャンッ――
足音は角の部屋の前で止まった。
角はしびれる体に無理をいわせ、少し体を傾けて起こし、片方の肘と腕を支えにして寝台横の机上にあるカンザシを手に取った。髪に使うにしては尖り過ぎているカンザシの先周辺には、匕首と同じ毒が焼き付けられている。かすっても致命傷となる、北境で生み出された蠱毒(中国古代から伝わっている、呪術的に生成される毒や呪いを含んだ物質。作る方法をいう場合もある)の逸品である。
カンザシを角が手に取ったと同時に、部屋の扉は開かれた。
パァン…
そこには、日が高かった頃、角が人質に取っていた人物を中央に、角に矢を向けた女性が右側、礫で狙いを定めていた女性が左側、に陣取って立っていた。不思議なことに、獣の足音がしたはずなのに、獣の姿は見られなかった。
「裁きの時間だ」
角が相手の出方を様子見していると、まず、右側の女性が声を発した。
この右の女性は、先程言った通り、騒動の際、角に矢を向けた女性だった。背丈は中央にいるこの国の姫より少し上。健康的に黒々とした髪は短く、一見男性の様に見えるが、顔つきや声で女性と分かる。それでも、男装の麗人、と表現すれば良いのか。少年か若い青年のような声で体つきも胸の膨らみも薄く、また、服装も狩人のような恰好をしていたので「男だ」と言い張ればそれも通りそうな女性だった。
「『王 角』。抗わない方が身のためです。もっと立場が悪くなるおそれがあります」
身構えている角に対し、次は左側の女性が静かにそう伝えてきた。
この左にいる女性は、角に対し礫で狙いを付けていた女性だ。
ツヤのある黒い髪は肩まで。女性らしい優しい顔付きだが、体形は華奢で子どものよう。だが、背丈は先程の右にいる女性とそれ程変わらない。服装はこの国の町娘がよく着ていそうな、麻で出来たひざ丈までの長さの明るい色の着物を着、スネまでの丈のパンツをはいていた。
2人とも、角をにらんだまま動かなかった。
そこで角は、ニヤリと笑った。
――馬鹿な。女3人でこの俺を殺しに来たか。体は痛むが、全く動けないというわけではない。これまで何度か修羅場はくぐり抜けて来た。技術的にも負けるとは思わない。カンザシが3度、首を掠れば良いだけのこと。楽勝だ――
と、そう、角は思い、笑ったまま2人へ声を返した。
「…おそらく、お前たちは皆が出払っている間に始末しようと来たんだろう。女でも3人でやれば、何とかなると。どうだ。俺はお前たちの考えが読める。おそらく殺しが初めてだろう、お前たちの行動も読める。……ククク、クク………」
それを聞いた右と左の女性は顔を見合わせ、そしてすぐにおかしげに笑い出した。
「クァーッハッハッハッハッハ! …ダメだ、やはり、オレたちの想像をはるかに超える想像をする、『ニンゲン』とは! 本当に!」
「フフハハハハッ! ボクもまさかそう思うとは思わなかった!」
角は2人の笑うさまを観察していた。もしかしてこれが油断を誘う言動かもしれない、と感じたからだ。
「馬鹿だな! まず、オレとコイツ(夢の左の女性)は女じゃあない」
「半陰陽、両性です。まぁ、周りにはややこしいんでバラしてなくって、オンナで通してますけど。下半身を見せて差し上げたいですが、まあ、まあ…フフッ」
「それから、もう1つ。オレたちは、お前を殺しに来たんじゃない」
「言いましたよね、『裁きの時間』だと。お前は天に逆らった罰を受けるのです。ボク、あのとき、確か言ったはずです。『何もするな』っていうようなコト。折角庇ってあげようとしたのに、やっちゃいましたね。お前。ップクク」
ニコリと屈託なく微笑む左の女性はまだ笑いが引いておらず、少し肩が小刻みに震えていた。
そのような、理解不能な笑いのあふれる雰囲気の中、角はいぶかしげに思いながらも、するどく静かな観察を続けていた。
そうしていると、中央に立っている姫が目を閉じて静かに1歩、前へ進み出た。それを見た両脇の2人はハッとして、入って来たときと同じ硬い表情に戻った。
「裁きに立ち会う者の名を覚えよ。
オレは麒麟(幻獣ともいえる伝説上の神聖な生き物。地上全ての獣を作ったとされる。鹿の体に龍の頭、牛の尾と馬の蹄を持ち、体は全身鱗がある。頭に角が1~3本ある。体長は大きく、5m前後。『麒』が雄、『麟』が雌を差す)と鸞和(伝説上の神聖な生物。地上全ての鳥類を作ったとされる。鳳凰の子とも、年老いた姿とも言われる。青を基調とした体、赤に5色の色を加えた美しい羽、を持つ鳥。『鸞』は雄、『和』は雌を差す)の子、『歌陰』」
「ボクは歌陰のキョウダイ、『歌陽』」
「『王 角』。お前は天を殺傷しようとする意思の下、傷つけた。これはこの世界全てを壊そうとした重罪。ゆえに、お前はこれより天の庇護から離れることとなる」




