31話
明けて翌日のことである。
アラームの音でエフィムは目を覚ました。
時刻は六時十五分。
まだ眠いな。
エフィムはそう考えながら、寝起きの一服と懐から煙草を取り出し、マッチで火をつけた。
紫煙を胸一杯に吸い込み、吐き出す。
たったそれだけの行為でエフィムは昨日の疲れが吹き飛んでいくようだった。
「――しかし、魔王か」
エフィムは思考を途中に昨日へと飛ばしていた。
あの宝石は、魔王を閉じ込めていたのだろうか。
しかし、迷宮の主が落としたドロップ品にそんな重要なものを落とすだろうか?
普通は厳重に封印されているものじゃないのか?
それとも、あの迷宮の主が特別だったのか?
あー、分からん。
リリー教官に聞いても分からないだろうしな。
先ずは飯を食ってからにするか。
エフィムは自室を後にした。
そして食堂。
何だか何時もより混んでるな。
エフィムが朝食を摂る時間帯は人の少ないのが大抵だった。
そんな時間帯であるのに人が多い。
やはり昨日の声が原因だろうか?
そこかしこで会話が交わされいる。
「聞いたか、昨日の声?」
「魔王とか言ってたよな」
「まさか、やっぱり皆も聞こえてたのね」
「直接言葉を頭の中に響かせるなんて、あれはとんでもない魔力の持ち主よ」
会話の内容はやはり昨日の声に関するものだった。
誰も聞こえなかったとは言う人はいない。
まさか自分達の庭に声の主がいたとは誰も思ってないだろう。
エフィム自身も、昨日の出来事がなければあの会話の内容に入っていけるのに。
「魔王ディーキンスか――」
普段なら笑い飛ばせる類でも、今度ばかりはそうはいかない。
なにせ昨日その当事者と出会っているのだから。
小皿が満載されたトレイを持っていくと、定位置には既に三人の姿があった。
「あの声、ありゃなんだったんだ?」
「言葉を信じるなら、魔王復活ってことだよね」
「僕なんか折角の睡眠中にあれだよ? やんなっちゃうよ」
三人も昨日の声についての話に華を咲かせていた。
会話に夢中で接近中のエフィムには気が付いていないようだった。
仕方なしにエフィムは自分から声をかけることにした。
「よお、おはよう」
その声に三人が反応する。
「あ、エフィム君」
「よお、先に頂いてるぜ」
「おはよう、エフィム」
エフィムは自分の椅子に座りながら三人に聞いた。
「やっぱり話題は昨夜の声か」
三人が頷く。
「なあエフィム、ありゃ一体なんだったんだ?」
問いかけてくるのはゼルブだった。
エフィムは言葉に窮したが、結局は洗いざらい喋ってしまうことにした。
嘘は嫌いなのだ。
「そんな事があったんだね」
話し終わってから喋り始めたのはラインだった。
「でも、勇者の祝福って言うのは何だろうね? それに目撃者だったリリー教官やエフィム君を消さなかったのも気になる」
尤もな内容だった。
しかし、それでもエフィムは勿論他の二人も答えは持ち合わせていなかった。
「役に立つかわからんが、図書室にでも行って歴史書の類を読み合わせてみるか」
エフィムが提案すると、三人はそれぞれ頷いた。
朝食を摂り終え、図書室に向かう途中、エフィムたちは意外な人物と遭遇した。
リリーである。
隻腕には本がこれでもかと言うほど挟み込まれている。
「リリー教官」
エフィムが声をかけると、リリーが寄ってきた。
「何だお前達、図書室に用でもあったのか?」
「はい、昨日言われた言葉がどういう意味か気になりまして」
「ああ、あの男が言っていた言葉か」
リリーは思案気に首を傾げて見せた。
よく観察してみれば、リリーが隻腕で抱え込んでいるのは歴史書の類だった。
どうやら、目的は同じだったらしい。
「んなら丁度いい。お前たちはこの本に書かれている内容に目を通せ。あたしは校長に会ってくる」
リリーはそういうと腕に抱えていた歴史書等をエフィムに持たせた。
「じゃあな、頼んだぞ」
リリーは隻腕を振りながら来た道を戻っていった。
「――調べるか」
エフィムはそう一人ごちた。
居場所を教室に戻すと、エフィムたちは早速調査を開始した。
だが――。
「見当たらんな」
「こっちもだ」
「俺のほうにも無いよ」
ゼルブとラインが同様に肩を竦めて見せる。
「そちらも駄目か……エリクはどうだ?」
エフィムは未だに返事をしないエリクの様子を伺った。
すると、熱心に一冊の本を読んでいることが分かった。
「エリク、何の本を読んでるんだ?」
エフィムが傍まで寄って声をかけると、エリクが顔を上げた。
「勇者様に関わる伝記だよー」
「何か有用な情報でも見つけたか?」
「うん、勇者様の祝福について記載があったよ」
エリクはそういうと本のあるページを皆に見せた。
「何々――」
そこに記載されていたのは勇者の祝福に関してだった。
要約すれば、勇者のパーティメンバーにのみ掛けられる魔法のようなものだと言う。
効果は、魔王が纏っている魔素の壁の無効化。
――だからあの時殴れたのか。
エフィムは感心したように一人頷いた。
「でも、そうすると何故エフィムがその祝福もちなのかは分からないよね」
ラインが尤もな理由を聞く。
その言葉にうな垂れるエリク。
「そこまでは流石に書いてないよー。どうしてなんだろうね」
結局謎は解明されなかった。
「しょうがない、後はリリー教官からの報告待ちだな」
エフィムの言葉に皆が頷いた。
それから数時間後、リリーが血相を変えてやってきた。
「エフィム、ちょっとこちらへ来い!」
リリーは座っているエフィムを無理やり立たせると、訳も言わずに歩き出した。
「り、リリー教官、どうしたんですか?」
状況についていけないエフィムは疑問を口にしたが、リリーは答える様子も見せずエフィムを引っ張っていく。
そんな時間が十数分続いただろうか。
エフィムは校長ディソバン・コーラルの前に引き出されていた。
「君がエフィム君か」
ディソバンは温和そうな顔つきをした老人だった。
身長は百六十センチほどだろうか。
総白髪に同じく白くなった髭を持っている。尖った耳がエルフであることを指していた。
「あの、俺に何か用事が?」
「そうさな、君、これが読めるかね?」
ディソバンはそういって数冊のノートを取り出した。
「これは――」
エフィムは暫くの間口がふさがらなかった。
そのノートに記載されている文字は、日本語だったからである。
「読めるんじゃね?」
ディソバンが問いかけてくる。
エフィムは逡巡したが頷いた。嘘は嫌いなのだ。
「はい、読めます。しかし、何故これが校長先生の手にあるのですか?」
「何、古い友人の遺物でな。捨てるに捨てられんし迷っておったところじゃ。何が書かれているか聞いてもよいかね」
「はい、構いませんが……日記帳ですね」
エフィムはノートを手に取りパラパラと捲ってみた。
そこには世界が違う中で四苦八苦している様が淡々と描かれていた。
その内容を聞くたびに、ディソバンは懐かしそうに相槌を打つ。
最初の方は慣れない異世界生活に四苦八苦しているさまだが、後半になるにつれて、魔族との死闘や仲間の死などが綴られるようになっていった。
「校長先生、これってもしかして――」
「おお、そうじゃ。名も無き勇者の遺物じゃよ。わしらはパーティメンバーじゃったんだ。まあ、誰も知らぬことではあるがの」
衝撃の事実だった。
勇者とディソバンがパーティメンバーだったことに加え、勇者がトリップした人物だったとは。
「名前は、名前は何と申したのですか?」
エフィムは思わず口に出していた。
ディソバンはその問いに朗らかに笑って見せた。
「高橋八束という」
エフィムは身体に電流が走る思いだった。
高橋八束、今は亡き祖父の名前だ。
「――勇者様は、ご立派でしたか?」
エフィムの問いにディソバンは大きく頷いた。
「ああ、立派だったとも。それに勇敢じゃった。勇者を体現したかのような人物じゃった」
エフィムは泣きそうになるのを必死に堪えながら言った。
「もし宜しければ、このノートを頂いても構いませんか?」
「ああ、いいとも。何せわしは読めんからな」
「感謝します」
エフィムは深々と頭を下げるのだった。




