第四話
トランは手酌で酒を注ぐと、そのままぐいっと煽った。
「リラントの瞳が赤く輝くとき、黒き竜が再来する……そんなもの、おとぎ話だと思ってました。いえ、きっと昔のぼくなら、そんな事起こるはずないと一蹴したことでしょう。」
空の杯に目を落としたまま喋るトランの姿に、リュートはあっけにとられる。
「けれどあの日……カズトさんがこの国を離れると聞いたとき……ありえないと思ったものが実在することを知りました。」
「それは……」
「君の一族が守ってきたもの。そしてカズトさんが守っているもの。」
「父はそこまであなたに……」
トランは頷いた。
「もちろん、それを誰かに言ったことはありません。言ったところで……伝説の門が存在し、その向こうにも別の世界があるなどと信じないでしょう。」
「父はあなたを聖堂の人達より信頼できると言っていました。」
にっこり、とトランは笑う。
「最高の褒め言葉です。」
コトリ、と彼は杯をテーブルに置いた。
「率直に聞きます。君は……『リラントの瞳』を見たんですか?」
「それは……」
言いよどむリュートにトランは確信する。
「見たんですね。だとすると命令系統は通常と違うのかな。君の上司はあくまで伝達係にすぎないんじゃないですか?」
リュートは驚く。
「瞳に関わるとなれば、相当上位……評議会でも長老かその下が直接指示を出してると考えるのが妥当でしょう。ああ、他言はしません。」トランは掌を立てる。
「ただぼくは一介の民間人です。カズトさんの子息のための助力は惜しみませんが、もし何かあったときにぼくを守ってくれるのは……」
「それは憂慮します。この件に関しての決定権は自分にありますから。」
「なるほど。担当者であり責任者でもある……ということですか。」
「そんなところです。」
「厄介ですね。でも確かに……瞳の色が変わったから探ってこいなんて命令、他の誰にもできませんからね。それにカズトさんの手紙によれば、君は『黒き竜』を宿した男と対峙している。逃がした……とありますが。」
「その通りです。」
父親が手紙にその件を記したことは知っている。
けれど肝心なこと……その男のせいで木島都が命を落としかけたこと。そしてその命を救うために契約を交わしたことは一切書かれていない。自分から頼んだのではないが、それが忌まわしい記憶なのは父親とて充分わかっているのだ。
「黒き竜を封じる方法ですか……伝承なんて原型をとどめてないと思ったほうがいいでしょう。」
「ですが聖竜リラントと英雄ガラヴァル兄弟が封印したのなら、その方法があるはず。」
「ええ。それに竜が……この場合、体のない思念だけですが、それが人に寄生するなんて初めて聞きました。彼は普通の人だったんですか?」
「恐らく。名前も……どうしてそうなったのかもわかりません。ただ……互いに思うところは通じているようだった。」
「ということは完全に竜の思念が支配しているのではなく、同居している?」
「同居……という言葉でいいのかわかりかねますが……そんな感じか。」
「過去に事例がないか、調べてみる必要がありそうですね。」そこまで言って、トランはハッと顔を上げる。
「もしかして、君の婚約者はカズトさんと同じ向こうの世界の?」
リュートは頷いた。
トランの口から溜息のような声が漏れる。
「そうでしたか。では門番に縁の方?」
「いいえ。」
「でも契約は成立したんですよね?」
「理由はわかりません。彼女自身も覚えはないそうです。」
「そうですか。でも……きっと契約などあってもなくても同じなのでしょうね。」
「え?」
「人と人の出会いなんて偶然の連続の結果です。君の雰囲気を変えたほどの女性なんですから、きっとそういう出会いだったのでしょう。どうかしましたか?」
「いえ……そういう風に言われたのは初めてだったので。」リュートは恐縮する。
「ご親戚から色々言われましたか。カズトさんもその辺は随分苦労したみたいですからね。では君はまた、向こうへ?」
「そのつもりです。今のところ瞳の色は落ち着いていますが、奴が完全に消滅したわけではありません。」
「ぼくも君は向こうにいるべきだと思います。とすると連絡方法は確保する必要がありますね。」
「それじゃあ……」
「言ったでしょう。助力は惜しまないと。ひとまずぼくなりに調べてみます。わからないことを書き出して、君かカズトさんが答えてくれることがあればそれでよし。もしなければ……次を考えます。それと『一族』か『英雄』に関する資料が揃ってるところを知りませんか?」
「聖堂の書庫なら話を通しますが。」
「あそこはダメです。」
「え?」
「多分、|司書官《》ししょかんが代わってもぼくの名前は引き継がれてると思います。」
「一体……」
「聖堂ですよ。ぼくが教授と喧嘩して研究の道を諦めたきっかけは。」
「は?」
「君、『英雄の書』を読んだことありますか?」
「士官学校では必ず読みます。」
「原書で、という意味です。」
「古語は必修じゃない。語り部でもない限り無理だ。」
そうですよね、とトランは息をつく。
「いわゆる原本に近いものがあそこの書庫にあるんです。」
「読んだんですか?」
「読みました。だから言ったんです。『英雄の書』は本物なのかって。」
「はぁ?」
そもそも『英雄の書』は一族の基盤、神話のようなもの。
黒き竜との戦いや、空の同胞の長であり盟友だった聖竜リラントのことを、一族の祖である小ガラヴァルが記し、自分の墓所である聖堂の奥深くに遺したのだ。それらは神聖なものとして守られ直接見ることはできないが、確かに模写したものは書庫にあると聞いている。古い言語なので簡単に読むことはできないが、疑念を抱くような内容とは思えない。
けれどトランの口調は真剣だった。
「なんというか、すっきりしないんですよ。確かに文脈もその時代の形式にのっとってるんですが、腑に落ちないというか、足りないというか……」
「抽象的だな。」
「まったくです。けれど検証しようにも手がかりになる資料がまったくなくてお手上げでした。それに聖堂の書庫は良書しか表に出していないでしょう。あきらかに偽書とわかるもの、他の宗教から見た記録はありません。けれど時にはそういうものが客観的な場合もあります。」
「種類は問わず……ということなら……」リュートは思案する。
「父の知り合いに……個人の収集家がいます。」
「それはいいですね。」
「古い付き合いの家なので話をしておきましょう。」
「助かります。」
「いえ。それに聖堂に関しては自分もあまりいい思い出がないので。」
「もしかしてお友達と妙な所に迷い込んで、こっぴどく怒られた件ですか?」
「それも父が?」
ええ、とトランは微笑む。
「あの親は……」リュートは軽く額を押さえる。
「聞いたのは十年以上前のこと。まだ君が子供の頃です。それにカズトさんも君たちが悪いとは思ってなかったようですよ。」
「え?」
「子供が入り込んでしまうような場がいけないんだって。」
「父は……本当にあなたに色々と話していたんですね。」
「ええ、でも肝心なことは一人で抱えていたんだと、後で気付きましたけどね。」
「肝心なこと?」
けれどトランはそれに答えず、
「君も……いずれカズトさんの役目を引き継ぐつもりですか?」
「それはまだ決めてません。」
「カズトさんも、そのことを随分悩んでいたみたいですから。」
「え?」
「と言ってもぼくが気付いたのは後になってから。そういうところを他人に感じさせないのが、カズトさんらしいのでしょうね。」
そういうトランの表情は心なしか悲しそうに見えた。
けれどすぐに気を取り直す。
「話が重くなってしまいましたね。」
酒瓶に手を伸ばし、リュートの杯に気前よく注ぐ。
「飲みましょう!夜の女神は降り立ったばかりです。」
「向こう」の世界の宗教観については3作目「白き翼の盟友」を参照してください。
5作目ではまたがっつり出てくる予定ですが、ひとまず今回はさらっと流してますんで(^^;




