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ハザクラ咲く頃 -アルラの門4-  作者: 弓削 結
コーヒーブレイク -アルラの門4.5-
21/22

第八話 フリューゲル(中編)

「やっぱりわたし、余計なことしちゃったかな。」

 ライティングデスクに頬杖をついて(みやこ)は呟いた。

「都が気にすることじゃない。」傍らで文字のチェックをしていた竜杜(りゅうと)が応える。

「でも……」

「父親が()()うと判断したんだ。それは都のせいじゃない。」

「リュートって時々そっけないよね。」

「他人の心配できるほど余裕がないだけだ、と、大丈夫だな。間違いはないから封筒に入れて。」

 都は頷くと、竜杜がチェックしてくれた用紙を封筒の大きさに合わせて丁寧に折り畳む。

 夕食後、まだアルコールと会話を楽しんでいるオーバー四十歳を残して竜杜の部屋に移動したのは少し前のこと。隙間の多い古い家なので(にぎ)やかな声は漏れ聞こえてくるが、静かな空間に控え気味の照明が気持ちを静めてくれる。

 壁紙(クロス)とカーテンはこちらに住むようになってから新調したと聞くが、ライティングデスクもクローゼットもアンティークに近い年代物だし、フロアランプもそれに近い。照明は他にベッドサイドのスタンドとライティングデスクで使っている実用的な白熱ライトだけ。それが部屋にある電気製品の全てで、テレビはおろか充電器やパソコン類も一切ない。その代わりに目に付くのが本。小さな書棚に入りきらず、無垢板(むくいた)の床の上には本の山がいくつか出来上がっていて、その背表紙を見ると都はいつも目眩(めまい)を起こしそうになる。

 日本語英語までは判読できるが、どう見てもそれ以外の言語で書かれた本が混じっているのだ。しかも部屋に足を踏み入れるたびに増殖しているのは気のせいだろうか。

「えーっと、あとは封緘(ふうかん)でいいんだよね?」

 都は小さな布張りの箱から石の判子(はんこ)を取り出す。

「まさかこれ、こんな風に使うと思わなかったな。」

 普通は書画に押す落款印(らっかんいん)を、今回は手紙の封緘(ふうかん)代わりに糊付けした部分にぎゅっと押しつける。

 そもそもこれは母親がどこかのお土産で作ってきてくれたもの。けれど子供がそんなものを使う場面もなく忘れかけていたが、今回「自分の目印になるものがあるか?」と言われ、だったら名前の入っている落款印でいいかと引き出しから発掘したのだ。

 くっきり(あか)く押された漢字に満足すると、ガラスペンにインクをつけて名前を記す。

「これで、いい?」

「上出来。」

 そう言われて脱力し、ずるりと椅子に寄りかかる。

「ふぇー、手紙一つでこんなに時間かかるなんて……」

 この一通を書き上げるために要したここ数日を思い起こす。

 勉強してきた異世界の文字を精一杯駆使(くし)して何度も下書きし、そのつど竜杜に直してもらってようやく手紙の体裁(ていさい)にしたものの、清書段階で液体インクとペンが目の前に出てくると思わず、その練習から始める羽目になってしまったのだ。ゆえに交際相手の自室に二人きりというシュチエーションなのに、甘い時間が一切なかったのは言うまでもない。

 もちろん竜杜の教え方は丁寧だし、根を詰めようとする都に休憩を促したり気を遣ってくれるのは痛いほど感じている。けれどなかなか前に進めない苛立ちや、言いたいことの十分の一も書けなかいもどかしさに気持ちの余裕は全くなかった。

「少なくとも、リュートのチェックなしに書けるようになりたいなぁ。」

内緒(ないしょ)話もできないか?」

「それもあるけど、自分の言葉で書きたい。それにペンも。練習しないと力入りすぎちゃう。」

「父親は万年筆を使ってるな。」

「万年筆かぁ。お母さんの引き出しにあった気がする。まだ倉庫にあるかな。」

「じゃあこれはセルファが来たら預けておく。ネフェルに渡すよう頼んでおこう。」

「セルファさんにもよろしく言っておいてね。」そこまで言って身体を起こし、

「向こうに行くの楽しみだけど、ちょっと緊張する。でも……週末の撮影会終わったら結構すぐなんだよね。」

「都……」

 何?と顔を上げたところで、背をかがめた竜杜に唇をふさがれた。やや性急なキスに戸惑いながらも、都は目を閉じてそれを受け止める。

 つと、唇が離れる。

 そっと目を開けた先には、まっすぐ自分を見つめる漆黒色の瞳。その真剣な眼差しに都はドキリとする。

「本心を言えば行かせたくないが……」

 それが写真部の撮影会のことだと、すぐに理解する。

「で、でも今回最後だし、用があるから定時で上がるって言ってあるし……それに、守り石あるし、最近気をつけてるから転んでない。階段も踏み外してない。えーっとそれから……」

「そういう意味じゃなくて……」

「わかってる。わかってるけど!」都は竜杜を見上げる。

 彼が自分を心配していることも、去年の撮影会が二人にとって良い意味でもひどく悪い意味でも転機だったことも、だから自分を行かせたくないと思う気持ちもちゃんとわかっている。

 けれど最後の撮影会だから参加したい気持ち、何より撮りたい気持ちが勝っていることを都は何度も説明してきた。竜杜もそれを理解してくれていたはずなのだが……

「一人では行動しない。早いうちに帰ってくる。だから信用して。絶対、大丈夫なようにするから!」

 まっすぐな都の言葉に、竜杜はフッと息の抜けるような笑みを漏らす。

「そうだったな。」

 手を伸ばし、細い髪をくしゃりとなでる。

「その……ごめん。」

「俺に謝るな。」

 その言葉と、頭に置かれた(てのひら)の温かさに都は言いようもなく安心する。

「天気もよさそうだし、思いきり楽しんでこい。」


 翌日、都はクラスメイトの波多野大地(はたのだいち)と部活帰りにフリューゲルに立ち寄った。

 都はもちろんフレンチトーストの経緯が気になっていたし、事の次第を話した波多野も、面白がって「行く!」と言い出したのだ。

 と言っても彼の自宅はフリューゲルと百メートルしか離れていないご近所さん。竜杜とは毎朝のランニング仲間でもある。

「レシピ、見つかったんですか?」二人を出迎えた早瀬(はやせ)に都は訊いた。

「レシピと言うか覚書(おぼえがき)はね。僕の父がつけていた日記のような雑記帳があって、それに。」

「じゃあ、その通りに作れば……」

「と思ったんだけど、これが本当にメモでしかなくて、しかも他の用件とごっちゃになってみたいでね。」

 苦笑する早瀬を代弁(だいべん)するように、竜杜が波多野の前に皿を置いた。

「ひとまず試作品だ。」

「ふつーにフレンチトーストだ。てか竜杜さん、料理できるの?」

「作ったのはぼくだから安心して。都ちゃんもどうぞ。」

 ことり、と都の前にも皿が置かれる。見上げるとデニムのエプロンをかけた栄一郎(えいいちろう)が微笑んでいた。

「栄一郎さん、もしかしてずっと手伝ってたんですか?」

「差し迫った締め切りもないし、こういうの嫌いじゃないから。」

 誰?と波多野の視線が訴える。

「マスターのお友達。絵本作家の宮原(みやはら)栄一郎さん。」

「みやはら?みやはらってーと宮原医院の関係者、ですか?」

「ぼくは婿さんだから関係ないけど、奥さんは小児科の先生。」

 げ!と波多野が変な声を出す。

「マジすか?オレ中学ん時まで笙子(しょうこ)先生んとこ行ってましたよ。」

「え?名前で呼んでるの?」

「だってあそこの医院、みんな宮原先生なんだもん。名前じゃないと区別つかねー。えと波多野大地です。」

「噂は都ちゃんから聞いてるよ、そこのリカーハタノの四代目でしょ。」

「そうっす。そういうことなら安心していただきまーす。」

「お前ね……」

 竜杜が言いかけるが、波多野は構わずメープルシロップをかけてナイフフォークを手にフレンチトーストをぱくつく。リアルに腹が減っていたのか無言で食べていたが、二枚目のトーストを口にした瞬間、あれ?と手を止める。

「これもしかして種類違う?」

「よくわかったね。」と栄一郎。

「香りも甘さも微妙に違う?」

「意外な才能だな。」竜杜も感心する。

「酒屋の息子だかんね。今はまだ呑めないけど、香りで利き酒すんのとか好き。」

「じゃあ呑めるようになったらそういう資格取る、とか。」

「うん、まぁいろいろ考えてるけど……シナモンかかってないほう()ってみ。」

 言われたとおりに都も食べる。

「ホントだ。美味しい。」

「てか……これどっかで……」波多野はうーんと唸り、思いついたように顔を上げる。

「宮原さん……じゃねーや栄一郎さん、ハチミツってあります?」

「鋭いね。」

「はい?」

「こっちは砂糖、こっちはハチミツ入れた卵液に浸したんだ。」

 へぇっと都は感心する。

 けれど波多野はそんな会話にお構いなく、フレンチトーストにハチミツをかけて再度ぱくつく。

「やっぱちょっと違うなぁ。もっとあっさりした甘さ……」腕組みし、首をかしげる。

 その様子にコーヒーを持ってきた早瀬が怪訝(けげん)な顔をする。

「大地くん、いったい何と比較してるんだい?」

「ええと、なんだろ?」波多野はスポーツ刈りに近い短髪の頭を振る。

「とにかく、なんか食べたことある味なんすよ。フリューゲルじゃないけどどっかこの辺で。」

「この辺?」

「うちの近所。なんだっけなぁ。じいちゃんが一緒だったんだよなぁ。てーことはオレが小学生んときか?ああ、わかんねー。」

「波多野くんがぐるぐるしてる。」

 都が呟いたとき。

 カランというドアベルの音。

 竜杜が慌てて向かう。汗を拭いながら入ってきた女性は、店内を見回し目を丸くした。

「やけに人が多いけど、なんかやってるの?」

 覚えのある声に振り返った都は、相手を認めて思わず手を振る。

「あらま、都ちゃんも来てたんだ。」

比奈(ひな)さん、メールで送った分見てくれましたか?」

「あー返事するの遅れてごめん。」笠木(かさぎ)比奈はぺろりと舌をだす。

「ホームページ立ち上げたりしてバタバタしてたのよ。ちょうど良かった。あの写真、レストランうさぎ亭のトップページに使っても……」

「ああーっ!」

 突然、波多野が膝を打って立ち上がる。

 店にいた数名の客が何事かと注目するのも気にせず、くるりと早瀬に向き直る。

「うさぎ屋っすよ!」

「ちょっと大地くん!」比奈が横から口を挟む。

「まさかうちの店の名前忘れてたとか?」

「そうじゃなくてフレンチトースト!うさぎ屋のじいちゃんが持ってきてくれたんだ!」


「まだ(こっち)にいたのか?」

 驚いたように竜杜は言った。

 スウェットにTシャツ、濡れ髪にタオルを引っ掛けたままの風呂上りのいでたちである。

「もう……こんな時間か。」苦笑しながら早瀬は古びた大学ノートを閉じると老眼鏡を外してダイニングテーブルに置き、軽く指先で眉間を揉む。

「ちょっとのつもりで読んでたんだが、つい集中してしまったよ。」

「みたいだな。」

 この時間、父親は二階の自室に(こも)るのが常なので、こうして同じ部屋に二人で揃うのは珍しい。

 竜杜は冷蔵庫からペットボトルごとミネラルウォーターを持ち出すと、染付(そめつ)けの蕎麦猪口(そばちょこ)に注いでテーブルに置いた。

「フェス」と呼びかけると鴨居(かもい)に止まっていた銀竜(ぎんりゅう)がテーブルに舞い降り、器に小さな手をかけて美味しそうに水を飲む。

 ついでに人間用のグラスにも注ぐとダイニングチェアに腰を下ろした。

「明日は早いんだったね。」早瀬が言った。

「ああ。時司堂(ときじどう)の開店前に着くようにしたいから。栄一郎さんが迎えに来てくれる。」

「まさかお前の口から小川さんの名前が出るとは思わなかったよ。確かに、彼は熱心な常連さんだったから知ってる可能性はあったんだけど……」

 かつての常連客、そして現在は時司堂という喫茶店を切り盛りする小川に電話したのは竜杜だった。事情を話し、手がかりがないかと率直に切り出したところ返ってきたのは思いがけない答え。

「そのものは思い出せないけど、もしかしたらメモが残ってるかもしれない。保管場所はわかってるから、店が終わったら探してみるよ。」

 そうして数時間後。小川からかかってきた電話は「みつかった」という吉報(きっぽう)。しかもそれは小川が自分で店を始める前、勉強のためにあちこちの喫茶店を渡り歩いてた頃、資料として記録した一ページだと言う。

「今だったら写真撮っておしまいなんだろうけど、三十年前だろう。見て食べて、忘れないうちに必死で記録したんだろうね。われながら細かく書いてあるよ。」

 その言葉に竜杜は一も二もなく「明日、一番に伺います。」と返事をした。

 その直後、進展を気にして電話をよこした栄一郎に報告したところ、彼は「ぼくが行って作るから、その場で味も確かめてもらったら?」と言い出したのである。再度小川に連絡し、最終的に栄一郎の運転する車で開店前の時司堂に遠征する、というスケジュールに落ち着いたのはつい一時間前のこと。

「請け負ったのは僕なのに、お前と栄一郎さんまで巻き込んでしまったね。」

「面倒も何も、店の問題なら協力するのは当たり前だ。それに、父さんがそういう言い方をすれば、都も自分のせいにしたがる。」

「そうかもしれないな。しかし意外な展開になるものだね。おじいちゃんの交友関係を考えれば納得できるんだけど……」

「それよりじいさん、案外マメに記録取ってたんだな。」竜杜はテーブルの上に積んである黄色く変色した大学ノートを手に取る。

「もともと技術者だったから。でもお前もそういう気があるから性格かもしれない。」

「技術者?」

「話したことなかったっけ?」

 竜杜は首を左右に振る。

「まぁ、技術者だったのはわずかな間で、戦後しばらくしてフリューゲル開いてからこの店一筋だったから。」

婿(むこ)養子……だったんだよな。」

「うん。お前から見たら曾祖父(ひいじい)さん同士が知り合いだったらしい。当時この家は息子を戦争で亡くした上に娘……お前のおばあさんは病弱だったからね。」

門番(もんばん)なんて現実離れしたこと、最初から受け入れられたのかな。」

「むしろ現実離れしているから、受け入れやすかったんじゃないかな。」

「え?」

「おじいちゃん、戦争中は地方の工場にいたらしいんだ。それで戦争が終わって東京に戻ってきたら、家族はみな空襲で亡くなっていたんだって。行き場をなくしたおじいちゃんを世話したのが、早瀬の曾祖父(ひいじい)さんだったらしい。もちろんその恩もあったんだろうけど、むしろ現実を忘れさせてくれる居場所は好都合だったのかもしれない。」

「そんな話、一度も……」

「うん。実を言うと僕もおじいちゃんから直接聞いたことないんだ。僕が中学のときまで生きてた竜杜の(ひい)祖母(ばあ)さんが一度だけ話してくれてね。だからそれを人に話していいのかどうか、悩むところで。」

「悩むも何も、俺の血縁者の話だろう。」

「そうだね。それに今だったら、お前も少しは理解できるだろう。あの時代の日本に何があったのか、おじいちゃんがどういう目に遭ってきたのか。ここしばらく日本のこと随分勉強してるみたいだし。」

「息子に常識がない、とも言われたくないだろう。」

「一年前はそこまで意識してなかったじゃないか。」

「まだ余裕がなかったんだ。」

「傘も腕時計も、向こうじゃ馴染みがないから邪魔だ、って拒否してたし。」

「あのな……息子を追い詰めて楽しいのか?」

「まさか。」早瀬は微笑む。

「たとえ都ちゃんのためでも、こうしてフリューゲルに関わってくれたことに感謝してる。」

「だからと言って継ぐとは決めてない。」

「そこまで望んでないよ。それに僕だってまだ、門番の称号を譲る気はないさ。」

「だろうな。」

「そのうち、迷うことがあるのかもしれないけど……そのときは二人で考えるんだな。それ以上、君に何か言えるほど僕は上等な親ではないからね。」

 くぁ、と銀竜が大きな欠伸をする。

「僕も寝るとするか。フェスは明日、連れて行くのかい?」

「ああ。車の中に待機させとけば大丈夫だろうって。気分転換も必要じゃないかって。」

「あっちは海が近いから、寄り道して見てくるといい。」

 早瀬はフェスの頭をなでると、「おやすみ」と言って部屋を出て行く。

 一人残された竜杜は、すでに舟をこいでいる銀竜を抱き上げる。

「お前も、この家にいる間はよく寝るな。」そう言って辺りを見回す。

 しばらくそうして佇んでから、すっかり眠ってしまった銀竜を抱えなおすと、部屋の明りを消して自室に引き上げた。

予告したとおり、一回分増えました。

やっぱりフリューゲルが舞台になると書きたいことが増えますな。

ということで、次回こそ!本当に最終回になります。よろしくお付き合いのほどお願いします。

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