第三話 冬月庵(とうげつあん)
「見せてもらってありがとうございました。」
「こちらこそ、感想もらって助かりました。」宮原栄一郎は差し出されたファイルを受け取った。
「都ちゃんが面白いって言ってくれて、ほっとした。」
その台詞に木島都は慌てる。
「だって栄一郎さんはお話作るプロじゃないですか。」
「でも読んでくれる人が面白くなかったら、ただの独りよがりだし。今回は都ちゃんに聞いた話が参考になってるからね。」栄一郎の眼鏡の奥の瞳がにっこり微笑む。
その優しい表情に、都は言いようもなく安心する。
もちろん親子ほどの年齢差があるのだから、こうして二人きりで会うことに躊躇がなかったわけではない。けれど今では待ち合わせの定番となった和菓子屋の二階に併設された甘味処をそっと見回せば、学校帰りの女子高生と四十過ぎの男性が向かい合っているのを気にする人などいない。端から見たら家庭教師と生徒、もしくは親戚くらいには思えるのだろうか。それにTシャツにカジュアルなシャツを羽織ったラフな格好の栄一郎は、少なくとも実年齢の四十六歳に到底見えない。まるで学生がそのまま大人になったような雰囲気なのである。
「ただでさえ栄一郎くんのほうが年下なのに、これ以上わたしにどうしろって言うんだ?」
そうぼやくのは彼の妻の宮原笙子。
都が栄一郎と知り合うきっかけを作ってくれた人物だ。
昨年の秋、保護者と喧嘩して人生初の家出を敢行したとき、行くあてのない都を自宅に誘ってくれたのが彼女だった。喧嘩の原因となった都の恋人、早瀬竜杜と旧知の彼らは、快く彼女を受け入れ親身に相談に乗ってくれた。特に栄一郎は「絵本作家」という職業も幸いしてか、都がそのとき一緒に連れていた彼女の相棒……この世界に存在しないはずの小さな白い竜をとても気に入り、可愛がってくれた。そのため今では都が家を不在にしなければならない時は、自らドラゴンシッターを買って出てくれているのである。
もちろん、それだけではない。
竜杜が純粋にこの世界の人間でないこと、そして彼の実家の早瀬家が異世界へ続く『門』を守る『門番』であることを知るがゆえの共犯者として、自分たちをさりげなくフォローしてくれていることに都は感謝している。
つまり『ドラゴンシッター』という肩書きには、秘密を共有する者同志のひそやかな安心感も含まれているのだ。
それに彼とこうやって話をするのは、保護者や恋人と一緒にいるときとは違う楽しさがあった。
「本当にそれ、本になるんですか?」栄一郎がファイルをしまうのを見届けてから都は言った。
「うん。ぼくも言ったんだよね。絵本というには文字が多いし、かといって児童書の範疇でもなさそうだし。あくまでぼくの趣味で描こうとしてるものですよ、って。でも向こうはそれでも出しましょうって言ってくれたんだ。」
「凄い。」
目を丸くする都に栄一郎は、
「そうだね」と、頷く。
「向こうはぼくがサラリーマンと兼業でイラスト描き始めた頃から一緒に仕事してた人でね、だから彼が自分の会社興したとき『落ち着いたらまた一緒に仕事しましょう』声かけてくれてたんだ。でも会社を軌道に乗せるまで大変だったみたいで……それにぼくもバタバタしてたからなかなか機会がなかったんだよね。」
それが偶然別の仕事の席で再会したのが数ヶ月前のこと。
打ち合わせが終わるや否や、小さな出版社の社長はすかさず栄一郎を近くのカフェに誘ったのだ。
「音沙汰なしで申し訳なかった。」熊みたいな風貌の社長が深々と頭を下げる。
「それはぼくも同じです。」
「何しろ不況と思い切り重なっちまって……」
「でも下河原さんのことはあちこちで聞いてました。それに良い本、作ってらっしゃいますよね。」
「当麻さんにそう言ってもらえると……っと、今は宮原さんなんだっけ。」
「ペンネームは旧姓のまんま、当麻栄一郎です、って言ってるじゃないですか。」
「なんだか混乱しちまって、すまない。」相手は困ったように頭を掻く。そして単刀直入に聞いた。
「それで最近、どんなの描いてるんだい?」
たまたまそのときカバンに入っていたのがチビ竜の冒険物語の構想ノートだった。
都に断って彼女の小さな白い竜……コギンをモデルにした絵本を自費出版するつもりで書き溜めたものだった。思いのほか物語が長くなってしまい、どういう形にしようと思案し、手入れするために持ち歩いていたのである。
さすがに実物の竜をモデルにしたことは黙っていたが、相手はノートを見るなり嬉しそうに言った。
「そういえば当麻さん、ドラゴン描くの上手かったよね。そういう意味じゃストライクゾーンだ。」
その時は一旦別れたが、数日後、彼から電話であの話を本にしたいと連絡があったのだ。
「まだ打ち合わせを重ねてる最中だけど、よいものができそうな気がするんだ。」
「本ができるまでって大変なんですね。」
「彼……じっくり手をかけた本が得意な人だしね。だからまだ先になるけど、できたら一番に都ちゃんに進呈するよ。」
「そ、そんなもったいないです!あ、そうだ!それとリュートの免許のこと、ありがとうございました。」
ああ、と栄一郎は微笑む。
「ぼくは参考書選んで簡単なレクチャーしただけ。道路交通法と問題集丸暗記したのは竜杜くんの努力。」
「覚えるの得意だから。でも原付免許取るなんて思わなかったから……ちょっとびっくり。」
「でも確かに『こっち』で暮らそうと思ったら、身分証明ないと不便かもしれないからね。それに翼の代わりが欲しかったんじゃないかな。」
「翼の代わり?」
「だって『向こう』では好きな時に好きな場所に同胞と飛んで行ってるんでしょ。」
「えと……そうか……そうですね。」
「自由にそこそこ移動できる手段、って考えたらバイクは良いと思うよ。」
「そういう風に考えたことなかったな。っていうか栄一郎さん、バイクも乗るんですか?」
「今は乗ってないけど二十代の頃はあちこち行ったなぁ。免許は大型二輪まで持ってる。」
「なんか、そういう印象じゃないんだけど……でも車も大きいか。」
時折、喫茶店フリューゲルの裏手に止めてある外国製のオフロード車を思い出す。
「運転するの、結構好きなんだ。あ、来た来た。」
栄一郎の声と共に、甘味処の女将さんが黒塗りの盆を運んでくる。
目の前に置かれたのは……。
「おまちどおさま!葛きりと、わらびもち。」
「わらびもち、やっぱりおいしそう。」
「ぼくは夏が近くなると葛きり食べたくなるんだよね。」
「確かにあったかいぜんざい、って感じじゃないですもんね。」
そう都が言ったとき。
「あらら、新しい彼氏?」
聞き覚えのある声に顔を上げれば、見覚えのある人物がにっこり笑って手を振っていた。
「あらぁ、比奈ちゃん。」赤いエプロンをつけた小柄な女将さんが声をかける。
「おばちゃん、こんにちは。都ちゃんも隅に置けないわねぇ。」
「違いますよぉ。早瀬さん……フリューゲルのマスターのお友達です。」慌てて都は説明する。
「宮原です。」
「笠木比奈です……って言っても通じにくいか。」
「そうだよ。『うさぎ屋』の看板娘って言わなきゃ。」女将さんがフォローする。
「娘って年じゃないわよ、おばちゃん。私とっくに三十越えてるんだから!」
「なあに言ってんの。アタシからしたら比奈ちゃんなんて若い、若い!」
そのやり取りに栄一郎は合点がいく。
「うさぎ屋って、レストラン『うさぎ亭』ですか?」
「はい。父と主人が厨房を担当してます。私は接客。都ちゃんと竜杜くんにはいつもデートに使っていただいてます。」
ね、と比奈は都に頷きかける。
「宮原さんの奥さんはね、フリューゲルの加津杜くんと同級生なのよ。」女将さんが言った。
「もー中学の頃は皆でしょうもないことしてたけど、それが今はホラ、線路沿いにある宮原医院の小児科の先生。うちの孫も世話になってるの。」ぱたぱた手を振る。
「あー宮原って、その宮原。」
「奥さんは。ぼくは婿さんなので医療とは関係ありません。」
「栄一郎さん、絵本作家さんなんです。」と都。
「絵描きさん?」
「そんなもんです。もしお一人でしたらご一緒にいかがですか?」
「それじゃ遠慮なく。おばちゃん、あんみつひとつね。」
はいよ!という声と共に女将さんが暖簾の向こうに消える。
つと、比奈は都のほうを向く。
「それ、夏服よね?」
「今週からようやくです。」
「学生は季節感あっていいわよねー。そういえば今日フリューゲル定休日でしょ?」都は頷く。
比奈の実家が営むレストラン『うさぎ亭』も、この甘味処が併設された和菓子屋『冬月庵』も、そして都の恋人の実家であり職場の喫茶店『フリューゲル』も同じ商店街にあるので互いの動向はなんとなく筒抜けなのだ。
「竜杜くん、どこ行っちゃったわけ?また例の講習会とか?」
「今日は手伝いみたいです。」
「手伝い?」
「同業者で、お店を開く人がいるからその開店準備の手伝い……って言ってました。」
「お店って喫茶店?」
「カフェだそうです。作業が終わったら、家に寄ってくれるって……だからその……大丈夫です。」
そう、と比奈はようやく納得する。
二人のやり取りを聞いていた栄一郎がくすくす笑う。
「二人のこと気になりますか?」
「竜杜くん、忙しすぎだもん。店に行っても姿見かけないし。」
「時間帯によるみたいですよ。」
「そちらは女子高生とデートしてても大丈夫なのかしら?」
「都ちゃんは姪っ子みたいなものですから。」
そうなんだ、と都は心の中で呟く。
「それにうちの奥さんが甘いもの得意じゃないんで、でも一人で食べるのもつまんないから時々こうして付き合ってもらってるんです。」
「あー、それわかるかも。ケーキバイキングとか、ダンナは付き合ってくれないもんなぁ。甘いもの好きってことはお酒はNG?」
「ええ。サラリーマン時代は付き合いで飲んでましたけど、結婚してからは送り迎えが多くなったんで全然。」
「送り迎え?」
「奥さんの飲む量が半端じゃないんで。」栄一郎は苦笑する。
「優しいだんなさんだ。うちはそういうのないなぁ。」
「お店継ぐっていうんだから、笠木さんだって充分優しいじゃないの。はい、おまちどおさま。」
「優しいって言うか、自分がやりたいだけなんだと思うけど……ま、そういうことにしておきましょ。」比奈は「いただきまーす」と手を合わせる。
それからしばし、三人は口当たりの良い甘味に集中した。
比奈が栄一郎の仕事のことを訊ねたり、逆に栄一郎がレストランのことを都と比奈に聞いたりする。
ふと、比奈は思い出したように女将さんを呼び止めた。
「おばちゃん、帰りに蜂蜜もらっていきたいんだけど。ある?」
「今年の採れたてがあるよ。帰りに下で受け取れるよう、お父さんに言っといてあげる。」
「そうしてもらえると助かるわ。」
二人のやり取りを聞いていた都がきょとんとする。
「蜂蜜って、和菓子屋さんで売ってるんですか?」
「特別に分けてもらってるの。ああ、竜杜くんは知ってるんじゃないかしら?」
「博杜さん、店が終わるとよく来てたからねぇ。竜杜くんを連れてきたこともあったわね。死んだうちの先代と比奈ちゃんのおじいちゃんと三人、囲碁仲間だったから。」
「ひろと、さん?」
「竜杜くんのお祖父さん。」比奈が説明する。
「このビルに建て替える前は店のずーっと奥に母屋があってね、その庭に面した縁側でよく三人で碁盤を覗き込んでたものよ。」
「おじいちゃんの帰りが遅いんで迎えに来ると、どういわけかカステラの切り落としとかもらって、自分が長居しちゃうの。」
「うちもおじいさんが死んで、ビルに建て替えて、庭の部分は駐車場にしちゃったから蜂も屋上に引越し。」
えっ!と栄一郎が顔を上げる。
「もしかして、ミツバチ飼ってらっしゃるんですか?」
「昔っから。戦後すぐ物がなかったでしょう。和菓子屋が甘いもの作れなくてどうするっていうんで疎開先から持ってきたのが最初らしいわよ。」
「うわぁ。いいなぁ。さすがにうちマンションだから飼えなくて。」
あのぉ、と都が遠慮がちに声をかける。
「蜂……って、黄色と黒のシマシマの奴、ですよね。」
「うん、そうだね。」
「飼うんですか?」
「蜜を取るために……」
「一匹ずつ名前がついてるとか……」
ぷっと、比奈が吹き出す。
栄一郎もにっこり笑い、
「その発想は面白いね。」
「え、え、違うんですかぁ?」
「ちょっと違うかな。」
栄一郎の説明によれば、女王蜂を中心にした巣箱ごとの蜂を管理し、越冬、飼育するのがいわゆる「養蜂」なのだという。
「興味があって調べたことがあるけど、やっぱり環境的に難しそうで諦めたんですよね。」栄一郎が溜息をつく。
「ちゃんと届出も必要になるからね。うちの死んだおじいさんの疎開先がたまたま蜂を飼ってて、東京に戻ってからも教わりに行ってたみたいよ。」
「そうなんだ……」はぁ、と都は感心する。
栄一郎が、「もしかして」と呟く。
「下で売ってるカステラにも、その蜂蜜使ってます?」
「季節によるけど。」
「上品な甘さが気になってたんですよね。」なるほどなー、と腕組みをして頷く。
厨房から女将さんを呼ぶ声がした。
「ちょっとごめんね。」と言って女将さんはその場を離れる。
「なんだかさりげなく贅沢なもの買ってた気分。」
お茶で一息ついてから都は言った。
「うん。ぼくもまさか自家製の蜂蜜だと思わなかったな。」
「私は小さい頃から見たり聞いたりしてるから当たり前なんだけどね。」二人の関心ぶりに比奈が苦笑する。
「全然当たり前じゃないです。っていうか……知らないことばっかり。」
「そういう意味じゃ、人に話せることがひとつ増えたよね。」
そう言う栄一郎の言葉に、都は同意した。
「さて、と……そろそろ戻んないと。」比奈が腕時計に目を落とす。
栄一郎を振り返り、
「今度はぜひ、奥様とお店にいらしてください。都ちゃん、保護者さんに来月からランチも強化しますって言っておいて。テイクアウトもありだから。」
じゃあ!と勢いよく去っていく比奈を見送ってから、二人も帰り支度をして階段を下りて行く。
一階の店舗のガラスケースに並んだ和菓子を眺めながら会計を済ませていると、勢いよく階段を下りてくる足音がした。
「ああ、宮原さんちょっと待って!」
女将さんが白いビニール袋を手に二人を追いかけてきた。
「はい、お土産。竜杜くんの彼女にも。」
「これ、もしかして……」
持ち手を開いて袋を覗いた栄一郎が目を丸くする。
「例のモノ。」
「いただいていいんですか?」
「少くて悪いけど。二人ともいつも買ってくれてるから、お得意さんサービス。他にはナイショだよ。」
はい、と頷いて都は頭を下げた。
店を出たところで栄一郎を振り返る。
「どうやって使おう。なんか勿体ない。」
「ジャムみたいにパンに塗るのも美味しいよ。」
「それ……いいかも。じゃあこのままハザマベーカリーでパン買っていこうかな。」言いながらビンを取り出す。
透明な琥珀色の液体が、西に傾いた陽に反射して輝く。
「そだ!」
思いついてカバンを地面に置くと、手を突っ込んでコンパクトカメラを取り出した。
「都ちゃん、カバン持ってるよ。」
「わぁ、ありがとうございます!」
都は左手にビンを持つと頭の上に掲げた。そうして右手にカメラを持ってアングルを決めシャッターを押す。
傍らから液晶画面を覗き込んだ栄一郎も目を細める。
「綺麗な色だね。」
「うーん、でももうちょっと・・・」
手を伸ばし、もっと空に近づける。
そうしてもう一度、シャッターを押した。
次回は、週の半ばに更新します。
どうにか以前のペースに戻そうと四苦八苦しているところです。
でないと八月過ぎても終わらない予感がするので・・・(^^;




