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エルム、エルム  作者: 十枝内 清波
一年生
95/341

薔薇の香り

 午前の授業が終わり、昼休みに入った直後。携帯が震えた。

 メールだ。

『今から理事長室に来なさい』

(……)

 由和さんだ。

(いつもこれだけだな、あの人は)

 私はランチトートと紙袋を提げ、教室の外へ出た。

 ドドドドド!!

(ん!?)

 途端、地響きのような音がした。

(この音は……)

 私はバッと振り向いた。同時に確認する。

「ミリちゃん!?」

「えっ!?」

 すると予想通り、そこには知り合いの姿があった。凜とした黒髪の美少女――ミリちゃんだ。

 今まさに声をかけようとしてくれたところだったらしく、私のすぐ後ろで目を見開いている。なぜか、驚いた表情だ。

「エルちゃん、どうして私だって分かったの!?」

「へっ!?」

 私のほうも驚いた。

 どうしてって、そりゃあ――。

「……足音で」

「えええっ!? 凄い! 耳いいんだね!」

「……」

 私じゃなくたって聞き分けるでしょうよ、君とリューくんの爆走音は。

 しかし当人はそのことに思い当たらないらしく、本気で感心してくれていた。

「ま、まあね。――どうしたの? リューくんのところへ行く途中? また何か仕掛けられたの?」

 今朝も『雪女』に変身させられたばかりだというのに。彼の創作意欲はとどまるところを知らない。

「えっ? いや、それもあるけど」

 正解ですか。

「エルちゃん、お弁当でしょ? 早くしないとどこかへ移動しちゃうと思ってさ。間に合った〜」

「?」

 彼女は何かを差し出してきた。

「はい、これ」

「え」

 一見、何だか分からなかったが――それは手のひらに乗るほどの、小さな布製の袋のようだった。

 口は細い紐で閉じられ、てっぺんにはミニサイズの白薔薇が、本体部分にはローズピンクのリボンが付いている。いずれもシルクのように光沢のある生地で作られていた。

「わー、可愛い! これ、何?」

「サシェだよ」

 ――匂い袋のことだ。

 古今東西、素朴な手作りから一流ブランドの高級品まで、その種類はさまざまだが――これはわりといい品のようだ。

(?)

 私は受け取り、顔を近づけた。

「あっ、ほんとだ。薔薇の匂いがする」

「いい香りでしょ?」

 ミリちゃんは華やかな笑みを浮かべた。

「プレゼントだよ。――お誕生日、おめでとう!」

「えっ!?」

 意表を突かれた。

「覚えててくれたの!?」

「うん、もちろん。大事な日だもの」

 リューくんと同じことを言われた。

 驚いた。そういえば彼に誕生日を聞かれた時、ミリちゃんもそこに一緒にはいたのだが――まさか、覚えていてくれたとは。その上、お祝いまで。

「あ、ありがとう……」

 自然と、私は笑っていた。

「すっごく嬉しい! 大事にするね! わ〜、ほんとに可愛い! それに綺麗! この薔薇、小さいけど本物みたい!」

「えっ……そ、そう? そこまで喜んでもらえると、私も嬉しいよ〜」

 私の喜びっぷりはまたしても贈り主の予想を上回ったらしい。ミリちゃんはこれまたリューくん同様、ちょっと戸惑ったようだが、それでも照れた笑顔を見せてくれた。

「それ、タンスに入れれば防虫剤になるよ。使ってねー」

「えっ!? タ、タンスにこんな綺麗なものをしまい込むのはもったいない気がするけど……」

 ――もしや、君のタンスの中は薔薇の香りが溢れているのか? 優雅だな、ミリちゃん。

(そういえば、この人……いつだか、薔薇模様の傘を使ってたな……)

 どうやら、彼女は薔薇が好きなようだ。

「でも、使うね! もっとしょっちゅう見えるような場所で!」

「えー、そんなに気に入ってくれた? 良かったー」

 ミリちゃんは嬉しそうに笑った。それこそ、薔薇が咲いたような笑顔だった。

「……じゃ、私、用事があるから」

 ん?

「またね、エルちゃん」

 次の瞬間――薔薇の微笑みは、般若の形相へ一変した。

(へっ!?)

「リュウゥゥゥッ!!」

 華やかな風情は吹っ飛んだ。

「え――っ!?」

 ドドドドド!!

 美しい黒髪を振り乱し――彼女は嵐のように去っていった。

(……)

 ――ああ。そういえばさっき、『それもあるけど』って言ってたっけ……。

 忘れてた。

「あ、ミリちゃんだ」

「よく走るねー」

「今日は何やらかしたのかな、リューくん」

 しかし、驚いたのは私だけのようだ。薔薇の美少女が一瞬にして般若へ豹変したというのに、周囲は平然としている。

 対して私は、少しの間、呆気に取られてしまった。手には、彼女のくれたサシェが残っている。

(……先に渡しにきてくれたんだ……)

 またもや、リューくんに何か仕掛けられたにも関わらず。すぐには爆走を始めず、怒りを抑えて。

 私の誕生日をお祝いしに――。

(――ありがとう。ミリちゃん)

 もう一度顔を近づけると、『やんごとなきお嬢様』にふさわしい、優雅な薔薇の香りがした。般若になろうが爆走しようが、ミリちゃんにはこういう香りがよく似合う。

 サシェを手にしたまま、それを眺めたり匂いを楽しんだりしつつ――私は理事長室へ向かった。



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