百人一首大会(優勝候補)
一月下旬、某日。今日は百人一首大会である。
(毎年やってるらしいけど……誰の発案なんだろう……)
目つきの悪いオジサマ――前理事長のような気がする。何となく。少なくとも由和さんではないだろう。
この大会はクラス対抗でも学年対抗でもない個人戦で、優勝しても貰えるものは拍手と表彰状のみ。しかも三年生は自由参加。まるで一〜二年生の交流会のようだ。
(……実際、そういう趣旨なのかな)
私はプリントを確認した。これは本日の対戦スケジュールだ。各教室で試合が行われ、獲得した札の枚数に応じて順位が決まる。午後は高等部の一〜二位と中等部の一〜二位による決勝戦である。
対戦相手は事前にクジ引きで決められていた。一見、学年・クラスに偏りなく、公平な組み合わせになっているようだが――。
(……紫関先輩とは会わないな)
対戦相手どころか、私のスケジュールでは近くの教室にすらならない。今日、彼が学校に来ているかどうかは分からないが、来ていたとしても顔を合わせずに終わりそうだ。
――由和さんか?
対戦の組み合わせは公正なクジ引きで決められている。――はずだが、何やら作為を感じた。いいのか、理事長様?
(……。まあ、いいか)
ちょっと気にはなったが、誰かの不利益になるわけでもない。放っておこう。
私は次の教室へ移動した。
「さ――」
パ――ンッ!
おぉ〜っ、とどよめきが起こる。最初の一文字を聞いた瞬間、ミリちゃんが取り札を弾き飛ばしたのだ。
(速っ!)
手元が見えなかった。
「月――」
パ――ンッ!
おぉ〜っ、とどよめき。
手元の見えない人がもう一人いた。門叶くんである。
(い、意外なような予想通りのような……)
暗記力はともかく、彼にこんな瞬発力があるとは思わなかった。
「門叶くん……あんな速さで動けたんだ……」
「うん。毎年、あの二人は決勝まで行ってるよ」
「そうなの!?」
それは知らなかった。
現在、私の対戦相手はナノちゃんである。この大会は一対一で、取り札が並んでいるのは机を二つくっつけた即席テーブルの上。それを挟む形で、我々は向かい合って佇んでいる。同じ教室で別々に対戦しているミリちゃんや門叶くんとは明らかにレベルが違い、上の句を全部聞き終えてから札を探して拾い上げる、というのんびりした試合だった。
他の人も似たり寄ったりなようで、流れる上の句を聞きつつ、優勝候補の観戦もしていた。
「……眼鏡、買い替えたのかな。それともアレ、予備……?」
ナノちゃんはやや不安げに、門叶くんをちらちらと見ている。彼は今日、いつも通りに眼鏡を掛けていた。
「――そっか」
私は悟った。
「門叶くんの眼鏡を踏んづけたのはナノちゃんだったんだね」
「えっ!? どうしてそれを――じゃなくて! 違う! 違うよ!」
ナノちゃんは、ひどく慌てた様子でぶんぶんと首を横に振った。
「私じゃない! 気がついたら壊れてたの! 私じゃないよ、多分!」
――多分?
確証はないんだな、ナノちゃん。
「大丈夫だよ。落ち着いて」
私はふっと遠くを見た。
「眼鏡なんて可愛いものだよ……私なんか、『ゼロ様』本人を踏んづけちゃったことがあるし……」
「だから、私じゃな――えええっ!? 何その状況!」
ナノちゃんは目をむいた。
「ゼロ様って、あのゼロ様!?」
「うん。それに比べれば、眼鏡ぐらい踏んづけても大したことないよ」
「それは確かに――えっ!? いや、やっぱり大したことあるよ! だってあの眼鏡、ブランド物――あ、わ、私が壊したんじゃないよ!? 弁償できないよ!?」
ナノちゃんはおろおろした。
(ブランド物?)
さすが名士の一族。いいものを日常使いしているらしい。
「……そっか」
私は呟いた。
「それなら、ミリちゃんが犯人だったら良かったのにね。きっと眼鏡代ぐらいどうってことなかったよ」
「ととと、門叶くんが自分で踏んじゃったんじゃないかなっ? それが一番平和だと思う!」
――そういうことにしておきたいんだな、ナノちゃん。
(心配しなくても門叶くん、弁償とかは気にしてなかったみたいだけど……)
実際に彼の眼鏡を踏んづけたのは誰なのか。真相は闇の中である。
「かさ――」
パ――ンッ!
おぉ〜っ。
ミリちゃんや門叶くんのテーブルからは鋭い音が響いてくる。
「えーと……んーと……」
対して、我々のテーブルは静かだった。ナノちゃんは下の句を思い出そうと、眉間にシワを寄せている。
(……)
取り札を探すふりをしつつ、私は手元の札を確認した。今はだいたい、ナノちゃんが取ったのと同じぐらい――勝つか負けるか微妙な枚数だ。
(……次は、譲ろう)
歌は百首全て覚えたし、取り札の位置も把握している。真剣勝負なら全力で臨むところだが――私は別に、優勝を狙っているわけではない。何しろ『篠沢恵瑠夢』だし、その気になれば圧勝も出来るだろうけど――。
(接戦のほうが面白いし……何より、無駄に怯えさせることもないよね……)
ミリちゃんと門叶くんの対戦相手は圧倒されており、未だ一枚たりとも札を取れていない。パ――ンッと音が響くたび、彼らはビクッと震えていた。
(優勝争いはあの二人に任せよう)
今日の私は、あえて対戦相手と接戦になるよう、かつ相手にそれが故意だとバレないよう、密かに調整を繰り返していた。
真面目な人には怒られるかもしれないが――交流会なら交流会らしく、みんなが楽しめたほうがいい。
(クマはこういうの、偽善とか自己満足とか言うんだろうな……)
それはそうだが、バレなければ同じことだ。
「――あったぁっ!」
やがて、ナノちゃんは嬉しそうに札を取った。
この人は平凡な顔立ちだが、笑うと可愛い。
「ナノちゃん、百首全部暗記した?」
「ぜ、全部はさすがに無理! 結構頑張ったんだけどね……」
ナノちゃんははにかんだ。
(良かった。楽しそう)
「見せ――」
パ――ンッ!
おぉ〜っ。
「……」
「……」
一方、ミリちゃんと門叶くんの対戦相手は楽しむどころではなさそうだった。あまりのスピードに目が点になっている。対して、優勝候補二人のほうは真剣な面持ちだ。
(……プロみたい)
交流会とは思えない迫力だった。




