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エルム、エルム  作者: 十枝内 清波
一年生
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84/341

引率

「ちょっとクマ……何? 親衛隊長って」

「そんなようなもんだろ、お前にとってのオレは」

「えええっ!?」

 いや、違う。それは絶対違う。

「ていうか、半分ぐらい冗談だったんだが」

「あとの半分は本気なわけ!?」

 適当なことを言わないでほしい。しかも紫関先輩相手に。

「それにあんた、『ポストカードあげますから引き下がって下さい』って、四方木さんじゃあるまいし」

「そんな言い方はしてないぞ」

「そこはどうでもいいよ! それより、あんなものあげちゃって大丈夫なの?」

「気にすんな。誰もあの写真が『本物』とは思わねえよ」

 クマは意味ありげに笑った。

「どうせ、契約が終われば消えちまうしな――記憶とともに」

「それはそうだけど!」

 気軽な奴だ。

「お前も持っておいたらどうだ、予備に」

 クマが片手を上げると、また指の間にポストカードが現れた。

「よ、予備? 何の?」

「またあいつに絡まれたら、これで注意を逸らせる」

「何、その使い方!」

 ポストカードというより魔除けのお札みたいだ。

「ま、使い過ぎたら効かなくなるだろうけどな」

「……」

 それもまたお札っぽい。

(……まあ、いいか)

 効果はともかく、私は一応、そのポストカードを貰っておいた。

「ところでお前、こんな土砂降りの中を歩いて帰りたくないだろ。今日は家まで送ってやろうか?」

「えっ、いいの?」

「ああ。じゃ、支度が済んだら呼べよ」

 と言って、クマは忽然と消え失せた。

「――そこにいるのは、篠沢さんか?」

「へっ!?」

 直後、上から声が降ってくる。私は飛び上がった。

 見れば、傍らの階段の上に知り合いがいる。

「と、門叶くん……」

 ――まずい。クマが消えるところを見られたか?

(あれ? でも、クマはそういうヘマはしないはず……)

「いいところで会った。頼みがある」

 しかし、門叶くんは消えた男子生徒のことには触れず、ぎこちなく階段を降りてきた。

 ――ん?

「門叶くん、眼鏡は?」

 今気づいたが、彼はいつもの眼鏡を掛けていなかった。見慣れてない分違和感を覚えるが、『ギリシャ彫刻みたいな美貌』としてはこのほうが完成度は高い。

 小脇に本を抱え、門叶くんはそろそろとこちらへ近づいてくる。

「壊れた」

「えっ」

 彼は、本を抱える手から別の何かを抜き取ってみせた。眼鏡だ。

「うわ」

 なるほど、壊れている。ヒンジ(蝶番)が歪み、片方のテンプル(耳にかける部分)が外れていた。レンズも割れてしまっている。

「何これ。どうしたの?」

「さっき、『資本論』を読みながら歩いていたら――」

「『資本論』!?」

 この人の読書はジャンルを選ばない。

「今給黎くんが通りかかった」

「うん」

「彼を追って、坂上さんもやってきた。彼に贈るバースデープレゼントを抱えて」

「えっ。今日、涼和くんの誕生日だったの?」

 それは知らなかった。

「ああ。坂上さんは今日、ずっとプレゼントを渡しそびれていたらしい」

「……」

 目に浮かぶ。

「そこへ、廊下の角を曲がった小椚くんと岬さんが突っ込んできた」

「えっ!?」

「気がついた時には、僕の眼鏡と『資本論』、そして坂上さんのプレゼントが吹っ飛んでいた。僕と坂上さんごと」

「……。涼和くんは?」

「避けた」

「……。さすがだね」

「そのドサクサで眼鏡を踏みつけられ、今に至る」

「……」

 今更だが――ミリちゃん、リューくん。廊下は走っちゃ駄目だぞ。

「僕は選択を誤ったらしい。初詣ででは交通安全を祈願すべきだった」

「いや、交通事故ってわけじゃないでしょ、それ!」

 似たようなものだが。

 というか門叶くん。初詣でに行ったのか、君。社交は嫌いなのに人ごみは嫌いじゃないのか?

「――で、君に頼みがある」

「えっ!? う、うん」

 門叶くんは唐突に話を戻した。

「僕をD組まで連れていってくれないか?」

「えっ……うん、いいけど……」

 そういえば以前、「眼鏡がないと何も見えない」とか言ってたな、この人。

「大丈夫? 手を引こうか?」

「すまない」

 本当に目が悪いようだ。無駄に遠慮することなく、門叶くんは本を抱えていないほうの手を差し出してきた。

 彼の手を引き、私はD組の教室へ向かう。傍からは二人で手を繋いでいるようにしか見えないらしく、通行人の皆さんは驚きの視線を浴びせてきた。

 途中、自分のクラスの前を通りかかったので、ついでに本日の荷物を回収する。

「……君ももう帰るのか?」

「うん」

「なら、D組の後、下駄箱まで同行させてもらえないか?」

「いいよ。でも、その後はどうするの? 門叶くん、車だよね?」

 どうやって生徒用駐車場へ行く気だろう。どうせなら最初からそこまで頼んでくれればいいものを。

「弟に連絡して、下駄箱まで迎えにきてもらうよ」

「あ、そっか」

 なるほど。

 ――ところが、D組で帰り支度を済ませた彼は、携帯を取り出した途端に固まった。

「……」

「……。どうしたの?」

「パソコンもスマートフォンも操作するには視覚情報に頼り過ぎだと思わないか、篠沢さん」

「えっ、その画面も見えないの?」

「いや、見えることは見えるが……」

 と、彼は携帯を思いっきり顔に近づけた。もう少しでぶつかりそうだ。

「……」

「……。あの、良かったら駐車場まで連れてってあげようか?」

 多分そのほうが早い。

「いいのか? すまない」

 やはり無駄に遠慮せず、門叶くんはあっさり携帯をしまった。

 再び彼の手を引き、私は下駄箱へ向かった。そこで一度離れ、それぞれ上履きを履き替える。と――。

「――てめえ、馬鹿兄貴! おっせぇんだよ!」

 妙にドスの効いた声が響いた。

(あ)

 この声は。

 下駄箱の向こうを覗くと、予想通り、お人形さんみたいに可愛い少年の姿が見えた。門叶くんの弟さんだ。

「どうしてくれんだ、遅刻だぞ! また徘徊してたんじゃねえだろうな!?」

「――そこにいるのは、久貴か?」

「あ? てめえ、弟の顔も分かんなくなったのかよ、この大ボケ!」

「迎えにきたのか。ちょうど良かった」

「迎えじゃねえよ! てめえを引っ立てにきたんだ俺は! とっとと帰るぞ!」

 今日もぷんぷん怒っている。パーティーの時の可愛らしさは欠片もない。

「少し待て。――篠沢さん」

 突如、門叶くんはこちらを振り向いた。

「っ!?」

 私の存在には気づいていなかったらしい。久貴くんは驚いた様子で目を見開いた。

「弟が来た。もう大丈夫だ。ここまで、ありがとう」

「うん。良かったね」

「し……篠沢先輩っ。こんにちはー」

 ――ん?

 久貴くんが表情を変えた。その容貌にふさわしく、無邪気な笑顔になる。

「も、もしかして、今まで兄と一緒にいたんですかー?」

 と、声まで無邪気に明るく変わった。

(あれ?)

 何のつもりだ。この人、学校では猫をかぶらないはずなのに。だいたい、私に本性がバレていることも分かってるだろうに。

「うん。門叶くん、眼鏡が壊れちゃって大変そうだったから」

「え」

 そこで初めて、久貴くんは門叶くんの顔に眼鏡がないと気づいたようだ。途端、おろおろと心配そうな態度を取る。

「に、兄さん、眼鏡壊しちゃったのっ?」

「壊してない。壊れたんだ」

「ご、ごめんねっ? 僕、知らなくてっ。大変だったでしょー?」

「……」

 まるで子供のようにあどけない慌てぶりを発揮し、お兄さんを気遣う久貴くん。

 しかし、私には分かった――彼は、『この子』の反応を窺っている。

(……何で?)

 何がしたいんだ、この人は?

「久貴……今更、篠沢さんに取り入るのは無理だと思うが」

「ななな、何のことかな、兄さんっ?」

(……)

 取り入る? 『篠沢恵瑠夢』の機嫌を取っておきたいのか? なぜだ。

(――あ。ひょっとして、私のことを『十碧くんの友達』だと思ってるから?)

 少し考え、その可能性に思い当たった。

 あの日、自称フェアリーは久貴くんに対し、私を「友人」と言った。詳細は不明だが彼は政財界の人々と付き合いがあるらしいし、久貴くんにしてみれば敵に回したくない相手なのかもしれない。

 ――心配しなくても、私の評価など十碧くんの心証に何の影響も与えないのだが。

「そ、それよりほら、早く帰ろうっ? 母さんが待ちくたびれてるよー。さあ、僕が手を引いてあげるっ」

「……」

 門叶くんはためらったようだが、結局、弟さんに片手を差し出した。

「じゃあ、篠沢先輩っ。失礼しますー」

 最後に可愛く小首を傾げ、久貴くんは出入り口へ向かった。

「さよなら、篠沢さん」

「うん、またね」

 門叶くんは手を引かれていく。やがて久貴くんが傘を差し、兄弟は寄り添って生徒用駐車場方向へ去っていった。

(……後ろ姿だけは仲よしだな……)

 実際はどうだか知らないが。

 まあいい。私も帰ろう。

「――クマ、クマ。支度、済んだよ」

 周囲を見回し、誰もいないことを確かめてから、私は迎えを呼んだ。



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