引率
「ちょっとクマ……何? 親衛隊長って」
「そんなようなもんだろ、お前にとってのオレは」
「えええっ!?」
いや、違う。それは絶対違う。
「ていうか、半分ぐらい冗談だったんだが」
「あとの半分は本気なわけ!?」
適当なことを言わないでほしい。しかも紫関先輩相手に。
「それにあんた、『ポストカードあげますから引き下がって下さい』って、四方木さんじゃあるまいし」
「そんな言い方はしてないぞ」
「そこはどうでもいいよ! それより、あんなものあげちゃって大丈夫なの?」
「気にすんな。誰もあの写真が『本物』とは思わねえよ」
クマは意味ありげに笑った。
「どうせ、契約が終われば消えちまうしな――記憶とともに」
「それはそうだけど!」
気軽な奴だ。
「お前も持っておいたらどうだ、予備に」
クマが片手を上げると、また指の間にポストカードが現れた。
「よ、予備? 何の?」
「またあいつに絡まれたら、これで注意を逸らせる」
「何、その使い方!」
ポストカードというより魔除けのお札みたいだ。
「ま、使い過ぎたら効かなくなるだろうけどな」
「……」
それもまたお札っぽい。
(……まあ、いいか)
効果はともかく、私は一応、そのポストカードを貰っておいた。
「ところでお前、こんな土砂降りの中を歩いて帰りたくないだろ。今日は家まで送ってやろうか?」
「えっ、いいの?」
「ああ。じゃ、支度が済んだら呼べよ」
と言って、クマは忽然と消え失せた。
「――そこにいるのは、篠沢さんか?」
「へっ!?」
直後、上から声が降ってくる。私は飛び上がった。
見れば、傍らの階段の上に知り合いがいる。
「と、門叶くん……」
――まずい。クマが消えるところを見られたか?
(あれ? でも、クマはそういうヘマはしないはず……)
「いいところで会った。頼みがある」
しかし、門叶くんは消えた男子生徒のことには触れず、ぎこちなく階段を降りてきた。
――ん?
「門叶くん、眼鏡は?」
今気づいたが、彼はいつもの眼鏡を掛けていなかった。見慣れてない分違和感を覚えるが、『ギリシャ彫刻みたいな美貌』としてはこのほうが完成度は高い。
小脇に本を抱え、門叶くんはそろそろとこちらへ近づいてくる。
「壊れた」
「えっ」
彼は、本を抱える手から別の何かを抜き取ってみせた。眼鏡だ。
「うわ」
なるほど、壊れている。ヒンジ(蝶番)が歪み、片方のテンプル(耳にかける部分)が外れていた。レンズも割れてしまっている。
「何これ。どうしたの?」
「さっき、『資本論』を読みながら歩いていたら――」
「『資本論』!?」
この人の読書はジャンルを選ばない。
「今給黎くんが通りかかった」
「うん」
「彼を追って、坂上さんもやってきた。彼に贈るバースデープレゼントを抱えて」
「えっ。今日、涼和くんの誕生日だったの?」
それは知らなかった。
「ああ。坂上さんは今日、ずっとプレゼントを渡しそびれていたらしい」
「……」
目に浮かぶ。
「そこへ、廊下の角を曲がった小椚くんと岬さんが突っ込んできた」
「えっ!?」
「気がついた時には、僕の眼鏡と『資本論』、そして坂上さんのプレゼントが吹っ飛んでいた。僕と坂上さんごと」
「……。涼和くんは?」
「避けた」
「……。さすがだね」
「そのドサクサで眼鏡を踏みつけられ、今に至る」
「……」
今更だが――ミリちゃん、リューくん。廊下は走っちゃ駄目だぞ。
「僕は選択を誤ったらしい。初詣ででは交通安全を祈願すべきだった」
「いや、交通事故ってわけじゃないでしょ、それ!」
似たようなものだが。
というか門叶くん。初詣でに行ったのか、君。社交は嫌いなのに人ごみは嫌いじゃないのか?
「――で、君に頼みがある」
「えっ!? う、うん」
門叶くんは唐突に話を戻した。
「僕をD組まで連れていってくれないか?」
「えっ……うん、いいけど……」
そういえば以前、「眼鏡がないと何も見えない」とか言ってたな、この人。
「大丈夫? 手を引こうか?」
「すまない」
本当に目が悪いようだ。無駄に遠慮することなく、門叶くんは本を抱えていないほうの手を差し出してきた。
彼の手を引き、私はD組の教室へ向かう。傍からは二人で手を繋いでいるようにしか見えないらしく、通行人の皆さんは驚きの視線を浴びせてきた。
途中、自分のクラスの前を通りかかったので、ついでに本日の荷物を回収する。
「……君ももう帰るのか?」
「うん」
「なら、D組の後、下駄箱まで同行させてもらえないか?」
「いいよ。でも、その後はどうするの? 門叶くん、車だよね?」
どうやって生徒用駐車場へ行く気だろう。どうせなら最初からそこまで頼んでくれればいいものを。
「弟に連絡して、下駄箱まで迎えにきてもらうよ」
「あ、そっか」
なるほど。
――ところが、D組で帰り支度を済ませた彼は、携帯を取り出した途端に固まった。
「……」
「……。どうしたの?」
「パソコンもスマートフォンも操作するには視覚情報に頼り過ぎだと思わないか、篠沢さん」
「えっ、その画面も見えないの?」
「いや、見えることは見えるが……」
と、彼は携帯を思いっきり顔に近づけた。もう少しでぶつかりそうだ。
「……」
「……。あの、良かったら駐車場まで連れてってあげようか?」
多分そのほうが早い。
「いいのか? すまない」
やはり無駄に遠慮せず、門叶くんはあっさり携帯をしまった。
再び彼の手を引き、私は下駄箱へ向かった。そこで一度離れ、それぞれ上履きを履き替える。と――。
「――てめえ、馬鹿兄貴! おっせぇんだよ!」
妙にドスの効いた声が響いた。
(あ)
この声は。
下駄箱の向こうを覗くと、予想通り、お人形さんみたいに可愛い少年の姿が見えた。門叶くんの弟さんだ。
「どうしてくれんだ、遅刻だぞ! また徘徊してたんじゃねえだろうな!?」
「――そこにいるのは、久貴か?」
「あ? てめえ、弟の顔も分かんなくなったのかよ、この大ボケ!」
「迎えにきたのか。ちょうど良かった」
「迎えじゃねえよ! てめえを引っ立てにきたんだ俺は! とっとと帰るぞ!」
今日もぷんぷん怒っている。パーティーの時の可愛らしさは欠片もない。
「少し待て。――篠沢さん」
突如、門叶くんはこちらを振り向いた。
「っ!?」
私の存在には気づいていなかったらしい。久貴くんは驚いた様子で目を見開いた。
「弟が来た。もう大丈夫だ。ここまで、ありがとう」
「うん。良かったね」
「し……篠沢先輩っ。こんにちはー」
――ん?
久貴くんが表情を変えた。その容貌にふさわしく、無邪気な笑顔になる。
「も、もしかして、今まで兄と一緒にいたんですかー?」
と、声まで無邪気に明るく変わった。
(あれ?)
何のつもりだ。この人、学校では猫をかぶらないはずなのに。だいたい、私に本性がバレていることも分かってるだろうに。
「うん。門叶くん、眼鏡が壊れちゃって大変そうだったから」
「え」
そこで初めて、久貴くんは門叶くんの顔に眼鏡がないと気づいたようだ。途端、おろおろと心配そうな態度を取る。
「に、兄さん、眼鏡壊しちゃったのっ?」
「壊してない。壊れたんだ」
「ご、ごめんねっ? 僕、知らなくてっ。大変だったでしょー?」
「……」
まるで子供のようにあどけない慌てぶりを発揮し、お兄さんを気遣う久貴くん。
しかし、私には分かった――彼は、『この子』の反応を窺っている。
(……何で?)
何がしたいんだ、この人は?
「久貴……今更、篠沢さんに取り入るのは無理だと思うが」
「ななな、何のことかな、兄さんっ?」
(……)
取り入る? 『篠沢恵瑠夢』の機嫌を取っておきたいのか? なぜだ。
(――あ。ひょっとして、私のことを『十碧くんの友達』だと思ってるから?)
少し考え、その可能性に思い当たった。
あの日、自称フェアリーは久貴くんに対し、私を「友人」と言った。詳細は不明だが彼は政財界の人々と付き合いがあるらしいし、久貴くんにしてみれば敵に回したくない相手なのかもしれない。
――心配しなくても、私の評価など十碧くんの心証に何の影響も与えないのだが。
「そ、それよりほら、早く帰ろうっ? 母さんが待ちくたびれてるよー。さあ、僕が手を引いてあげるっ」
「……」
門叶くんはためらったようだが、結局、弟さんに片手を差し出した。
「じゃあ、篠沢先輩っ。失礼しますー」
最後に可愛く小首を傾げ、久貴くんは出入り口へ向かった。
「さよなら、篠沢さん」
「うん、またね」
門叶くんは手を引かれていく。やがて久貴くんが傘を差し、兄弟は寄り添って生徒用駐車場方向へ去っていった。
(……後ろ姿だけは仲よしだな……)
実際はどうだか知らないが。
まあいい。私も帰ろう。
「――クマ、クマ。支度、済んだよ」
周囲を見回し、誰もいないことを確かめてから、私は迎えを呼んだ。




