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エルム、エルム  作者: 十枝内 清波
一年生
83/341

非売品

 放課後。はっきりしなかった空模様は本格的に崩れた。窓の外は土砂降りである。

 廊下はいつもより薄暗く、心なしか寂しい感じがした。

(……あ、そうか。三年生がいなくなったから……)

 歩いていたら、ふいに気づいた。行き交う生徒の数が減っているのだ。

 この時期、三年は自由登校。特に高等部の人は出てこない。内進の多い中等部はあまり影響がないかもしれないが。

(リューくんも来てたし)

 といっても、彼の場合は授業に出たいのかミリちゃんと遊びたいのか、定かではない。

(それにしても、一学年いないだけで結構静かに……)

「きゃ〜っ、ゼロ様ぁ!」

「ゼロ様だ!」

「今日、学校来てたんだ〜」

(……)

 たった今、静かではなくなった。

 見れば、廊下の先に女子が集まっている。どうやら、あの向こうに『ゼロ様』――紫関先輩がいるらしい。

 彼女たちはきゃあきゃあと盛り上がり――ふいに、ピタッと沈黙した。

(……?)

 と思ったら、今度はいくらか声を落とし、さわさわと喋り出す。

「うぅ、怖っ……冷たい……」

「でも、かっこいいよね〜」

「今日は一段と機嫌が悪そう……」

 ――さては先輩、氷の眼差しを発動したな……。

 相変わらず、彼はファンの皆さんに騒がれるのが嫌いらしい。十碧くんとは真逆である。

 しかし、あの恐ろしい睨みを喰らっても退散しないとは、この人たちも大したものだ。

(……で、どうしよう……)

 私はちょっと迷った。今は自分の教室へ戻るところなのだが、進行方向には紫関先輩がいる。しかも、「今日は一段と機嫌が悪い」らしい。

(……)

 ――気づかなかったことにしよう。

 私は踵を返した。

 ドドドドド!!

(ん?)

 その瞬間、地響きのような音がした。

 見れば、踵を返した先から誰かが走ってくる。

「きゃ〜っ、ミリ姉怖〜い」

「くぉらぁぁ〜〜っ! 待たんかぁぁ〜〜っ!!」

(……)

 またですか、お二人さん。

 私はとっさに道を譲った。黒茶色の髪の少年と黒髪の般若が、凄まじい勢いで駆け抜けていく。

「あっははははは!」

「リュウゥゥゥッ!!」

 ドドドドド!!

 私には気づかなかったようだ。彼らは一直線に通り過ぎた。

 その先には、紫関先輩のファンの皆さんが溜まっている。皆さんは二人の接近に気づくと、顔色一つ変えずにサッと左右へ分かれた。

 ドドドドド!!

 二人はその人垣の間を疾走していった。

「ゼロ様〜っ」

「ゼロ様ぁ」

 しかしファンの皆さんは、何事もなかったかのように紫関先輩へ熱視線を注いでいる。

(……)

 凄い。慣れてる。さすが冷泉院の人々。

「……」

 ――ハッ!?

 次の瞬間、私は気がついた。

 人垣が分かれたことにより、廊下の視界が開けた――紫関先輩が、こちらを見ている!

「お……おおおおおっ!」

 雄叫びが上がった。彼は突進してくる。

「篠沢恵瑠夢! いた! 会えたぁぁっ!」

 獲物を見つけた狼のような勢い――。

 が、私の目の前に到着した時には、その表情は一変していた。

「ああっ、可愛い! 良かった、顔見れた! 今日は学校来た甲斐があったぁぁっ!」

「……」

 何しに学校来てるんですか、アナタは。

 盛大に緩む頬、異様な熱気を宿す瞳。やたら嬉しそうな眼差しが突き刺さる。

「……」

「……」

 ファンの皆さんはポカンと静まり返ってしまった。

(ミリちゃんとリューくんの爆走はスルーしてたのに……)

 あの二人には慣れていても、紫関先輩のコレには慣れていないらしい。

「き、機嫌良さそうですね、紫関先輩……」

「おおおおおっ!」

「えっ!?」

 また雄叫びが上がり、私はビクッとした。

 何だ!? 何か当たり障りのあることを言ってしまったか、私!?

「ああっ、篠沢恵瑠夢が俺に挨拶を! おおぉ、今の声っ! 可愛い! 録音したいぃっ!」

「いや、『ごきげんよう』とは言ってませんよ!?」

 都合のいい耳をお持ちのようだ。

「機嫌ならたった今回復した! この際理事長なんかどうだっていい! それよりずっとお前に会えなかったから辛くて辛くて――けど、今はこんなに近くにいる! しかも、俺のことを気にかけてくれている! おおおおおっ!」

「えっ、また先生に圧力かけられたんですか!?」

 何をしてるんですか、理事長様!

 ――いや、そんなことより。

「で、でも先輩、『ずっと会えなかった』ってことはないでしょう? クリスマスにお会いしましたよね? あと私、別に先輩を気にかけたわけじゃ――」

「ああぁ、クリスマス! そういえば結局、ドレスの写真撮れなかったぁぁっ! 来海の奴、余計なことを!」

「聞いてます!?」

 聞いてない。先輩の顔は絶望に染まり、それから悔しげに歪んだ。

(……)

 私はふと思い出した。

 そういえばあの日、何やら駆け引きめいたやり取りがあったが――あれは何だったのだろう?

「あの、先輩。来海くんとはいったい……」

「なあっ、今からでも写真撮らせてくれないか!?」

「ええっ!?」

 先輩はサッと携帯を取り出した。

「い、いや、それはちょっと……」

 芸能人が素人に向かって「写真撮らせて下さい!」はないだろう。自覚あるのか、この人は?

「タダじゃ駄目か? いくら欲しい?」

「えええっ!? そうじゃなくて!」

「ん? 現金はまずいか。なら、物々交換しないか?」

「はっ?」

 物々交換?

「俺の非売品のポスターにサイン入れてやる! ネットで売れば結構高値になるぞ、それでどうだ!?」

「えええええっ!?」

 ご本人が転売目的で譲渡しないで下さいよ、そういうの!

 私は衝撃のあまり後ずさった。

(え、えーと……)

 どうしよう。

「くくく……」

(ん!?)

 対応に困っていると、小さな笑い声がした。

「よせよ――紫関センパイ?」

(あ)

 平凡な顔、平凡な男子――クマだ。

 いつの間に現れたのか。奴は私の肩に手を置き、軽く後ろへ引いた。代わりに自分が前へ出て、私と先輩の間に立つ。

「――あ?」

 瞬間――先輩の機嫌が急降下した。

 表情が一気に冷える。私を見る時とはまるで違う、氷の眼差しだ。

(……)

 物凄い豹変ぶり。いつものことだが。

「何だ、お前」

「くくく……」

 が、彼に睨まれたぐらいで怯むクマではない。奴は面白そうに先輩を見返した。

「オレはなあ――こいつの、親衛隊長だ」

 と、私を目で示す。

(えっ!?)

「なっ……!?」

 ――何を言い出すんだ、こいつは?

 私も驚いたが、紫関先輩はもっと驚いたようだ。ぎょっとしたように目をむいた。

「し、親衛隊……?」

「そう。むやみにこいつに接触したり写真撮ったりするなよ? ファンならマナーを守るもんだ。あんたならよく分かるよなあ――『ゼロ様』?」

 馬鹿にしたような笑みを浮かべ、クマは皮肉混じりの口調でそう言った。

「……」

 紫関先輩は驚愕の表情のまま、呆気に取られている。

「――エルム、行くぞ」

「えっ!? う、うん」

 実は私も呆気に取られていた。しかし肩越しに声をかけられ、ハッと我に返る。

 奴が歩き始めたので、私もつられたように足を踏み出した。

「――おい。待て」

 が、途端に先輩が低い声を響かせた。

(……っ)

 見れば、彼は再びクマを睨んでいる――周囲の空気まで凍てつくほど、冷たく。

(怖っ!)

「何だ?」

 しかし、クマは平然とその視線を受け止めた。

「……に……」

「に?」

 睨みを利かせたまま、先輩は凄んだ。

「入隊するには、どうすればいい!?」

 ……。

「えええええっ!?」

 一瞬、私の思考は停止した。

(――違った。別に凄んでなかった……)

 態度と発言内容がバラバラである。

「あ? 何だあんた、入る気かよ」

 クマは肩をすくめた。

「やめときな。芸能人なんだろ?」

「んだと? 職業差別する気か!」

 そういう問題じゃないでしょうよ、紫関先輩!

「……」

 クマは片手を上げた。いつの間に取り出したのか、その指には大きめのカードのようなものを挟んでいる。

「諦めろ。これやるから」

「!」

(あ)

 それは、一枚のポストカードだった。例のオーロラの写真を使用したものだ――年賀状ではないけれど。

「お……おおおおおっ!」

 紫関先輩は喰いついた。

 盛大に緩む頬、恍惚に輝く瞳。パアァァッと喜びが爆発し、肩が、唇が、小刻みに震える。

(……)

 何という豹変ぶり。いつものことだが。

 彼はクマの手から、ポストカードをバッと奪った。

「何だこれ! ファングッズ!? 非売品か!? すっげぇぇっ!」

「……」

 販売してるわけないでしょうよ、そんなモノ。

「ああっ、可愛い! 超可愛い! まさに天使だ! 地球を守る天使!」

「……」

 いや、どちらかといえばその写真を撮った時、私とクマは地球を滅ぼしかけていたような。

「――よし、おとなしくなった。今のうちに行くぞ」

 と、クマが私を促した。

「……」

「おおぉ、この笑顔! 光の冠! ああっ、こんなお迎えならいつ来てもいいっ! 可愛いぃっ!」

 ――「おとなしくなった」のか、コレは?

 とはいえ、注意が逸れたことは確かである。

 悶える紫関先輩と固まるファンの皆さんを残し、私はクマとともにその場を離れた。

 先輩が我に返る前に。



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