非売品
放課後。はっきりしなかった空模様は本格的に崩れた。窓の外は土砂降りである。
廊下はいつもより薄暗く、心なしか寂しい感じがした。
(……あ、そうか。三年生がいなくなったから……)
歩いていたら、ふいに気づいた。行き交う生徒の数が減っているのだ。
この時期、三年は自由登校。特に高等部の人は出てこない。内進の多い中等部はあまり影響がないかもしれないが。
(リューくんも来てたし)
といっても、彼の場合は授業に出たいのかミリちゃんと遊びたいのか、定かではない。
(それにしても、一学年いないだけで結構静かに……)
「きゃ〜っ、ゼロ様ぁ!」
「ゼロ様だ!」
「今日、学校来てたんだ〜」
(……)
たった今、静かではなくなった。
見れば、廊下の先に女子が集まっている。どうやら、あの向こうに『ゼロ様』――紫関先輩がいるらしい。
彼女たちはきゃあきゃあと盛り上がり――ふいに、ピタッと沈黙した。
(……?)
と思ったら、今度はいくらか声を落とし、さわさわと喋り出す。
「うぅ、怖っ……冷たい……」
「でも、かっこいいよね〜」
「今日は一段と機嫌が悪そう……」
――さては先輩、氷の眼差しを発動したな……。
相変わらず、彼はファンの皆さんに騒がれるのが嫌いらしい。十碧くんとは真逆である。
しかし、あの恐ろしい睨みを喰らっても退散しないとは、この人たちも大したものだ。
(……で、どうしよう……)
私はちょっと迷った。今は自分の教室へ戻るところなのだが、進行方向には紫関先輩がいる。しかも、「今日は一段と機嫌が悪い」らしい。
(……)
――気づかなかったことにしよう。
私は踵を返した。
ドドドドド!!
(ん?)
その瞬間、地響きのような音がした。
見れば、踵を返した先から誰かが走ってくる。
「きゃ〜っ、ミリ姉怖〜い」
「くぉらぁぁ〜〜っ! 待たんかぁぁ〜〜っ!!」
(……)
またですか、お二人さん。
私はとっさに道を譲った。黒茶色の髪の少年と黒髪の般若が、凄まじい勢いで駆け抜けていく。
「あっははははは!」
「リュウゥゥゥッ!!」
ドドドドド!!
私には気づかなかったようだ。彼らは一直線に通り過ぎた。
その先には、紫関先輩のファンの皆さんが溜まっている。皆さんは二人の接近に気づくと、顔色一つ変えずにサッと左右へ分かれた。
ドドドドド!!
二人はその人垣の間を疾走していった。
「ゼロ様〜っ」
「ゼロ様ぁ」
しかしファンの皆さんは、何事もなかったかのように紫関先輩へ熱視線を注いでいる。
(……)
凄い。慣れてる。さすが冷泉院の人々。
「……」
――ハッ!?
次の瞬間、私は気がついた。
人垣が分かれたことにより、廊下の視界が開けた――紫関先輩が、こちらを見ている!
「お……おおおおおっ!」
雄叫びが上がった。彼は突進してくる。
「篠沢恵瑠夢! いた! 会えたぁぁっ!」
獲物を見つけた狼のような勢い――。
が、私の目の前に到着した時には、その表情は一変していた。
「ああっ、可愛い! 良かった、顔見れた! 今日は学校来た甲斐があったぁぁっ!」
「……」
何しに学校来てるんですか、アナタは。
盛大に緩む頬、異様な熱気を宿す瞳。やたら嬉しそうな眼差しが突き刺さる。
「……」
「……」
ファンの皆さんはポカンと静まり返ってしまった。
(ミリちゃんとリューくんの爆走はスルーしてたのに……)
あの二人には慣れていても、紫関先輩のコレには慣れていないらしい。
「き、機嫌良さそうですね、紫関先輩……」
「おおおおおっ!」
「えっ!?」
また雄叫びが上がり、私はビクッとした。
何だ!? 何か当たり障りのあることを言ってしまったか、私!?
「ああっ、篠沢恵瑠夢が俺に挨拶を! おおぉ、今の声っ! 可愛い! 録音したいぃっ!」
「いや、『ごきげんよう』とは言ってませんよ!?」
都合のいい耳をお持ちのようだ。
「機嫌ならたった今回復した! この際理事長なんかどうだっていい! それよりずっとお前に会えなかったから辛くて辛くて――けど、今はこんなに近くにいる! しかも、俺のことを気にかけてくれている! おおおおおっ!」
「えっ、また先生に圧力かけられたんですか!?」
何をしてるんですか、理事長様!
――いや、そんなことより。
「で、でも先輩、『ずっと会えなかった』ってことはないでしょう? クリスマスにお会いしましたよね? あと私、別に先輩を気にかけたわけじゃ――」
「ああぁ、クリスマス! そういえば結局、ドレスの写真撮れなかったぁぁっ! 来海の奴、余計なことを!」
「聞いてます!?」
聞いてない。先輩の顔は絶望に染まり、それから悔しげに歪んだ。
(……)
私はふと思い出した。
そういえばあの日、何やら駆け引きめいたやり取りがあったが――あれは何だったのだろう?
「あの、先輩。来海くんとはいったい……」
「なあっ、今からでも写真撮らせてくれないか!?」
「ええっ!?」
先輩はサッと携帯を取り出した。
「い、いや、それはちょっと……」
芸能人が素人に向かって「写真撮らせて下さい!」はないだろう。自覚あるのか、この人は?
「タダじゃ駄目か? いくら欲しい?」
「えええっ!? そうじゃなくて!」
「ん? 現金はまずいか。なら、物々交換しないか?」
「はっ?」
物々交換?
「俺の非売品のポスターにサイン入れてやる! ネットで売れば結構高値になるぞ、それでどうだ!?」
「えええええっ!?」
ご本人が転売目的で譲渡しないで下さいよ、そういうの!
私は衝撃のあまり後ずさった。
(え、えーと……)
どうしよう。
「くくく……」
(ん!?)
対応に困っていると、小さな笑い声がした。
「よせよ――紫関センパイ?」
(あ)
平凡な顔、平凡な男子――クマだ。
いつの間に現れたのか。奴は私の肩に手を置き、軽く後ろへ引いた。代わりに自分が前へ出て、私と先輩の間に立つ。
「――あ?」
瞬間――先輩の機嫌が急降下した。
表情が一気に冷える。私を見る時とはまるで違う、氷の眼差しだ。
(……)
物凄い豹変ぶり。いつものことだが。
「何だ、お前」
「くくく……」
が、彼に睨まれたぐらいで怯むクマではない。奴は面白そうに先輩を見返した。
「オレはなあ――こいつの、親衛隊長だ」
と、私を目で示す。
(えっ!?)
「なっ……!?」
――何を言い出すんだ、こいつは?
私も驚いたが、紫関先輩はもっと驚いたようだ。ぎょっとしたように目をむいた。
「し、親衛隊……?」
「そう。むやみにこいつに接触したり写真撮ったりするなよ? ファンならマナーを守るもんだ。あんたならよく分かるよなあ――『ゼロ様』?」
馬鹿にしたような笑みを浮かべ、クマは皮肉混じりの口調でそう言った。
「……」
紫関先輩は驚愕の表情のまま、呆気に取られている。
「――エルム、行くぞ」
「えっ!? う、うん」
実は私も呆気に取られていた。しかし肩越しに声をかけられ、ハッと我に返る。
奴が歩き始めたので、私もつられたように足を踏み出した。
「――おい。待て」
が、途端に先輩が低い声を響かせた。
(……っ)
見れば、彼は再びクマを睨んでいる――周囲の空気まで凍てつくほど、冷たく。
(怖っ!)
「何だ?」
しかし、クマは平然とその視線を受け止めた。
「……に……」
「に?」
睨みを利かせたまま、先輩は凄んだ。
「入隊するには、どうすればいい!?」
……。
「えええええっ!?」
一瞬、私の思考は停止した。
(――違った。別に凄んでなかった……)
態度と発言内容がバラバラである。
「あ? 何だあんた、入る気かよ」
クマは肩をすくめた。
「やめときな。芸能人なんだろ?」
「んだと? 職業差別する気か!」
そういう問題じゃないでしょうよ、紫関先輩!
「……」
クマは片手を上げた。いつの間に取り出したのか、その指には大きめのカードのようなものを挟んでいる。
「諦めろ。これやるから」
「!」
(あ)
それは、一枚のポストカードだった。例のオーロラの写真を使用したものだ――年賀状ではないけれど。
「お……おおおおおっ!」
紫関先輩は喰いついた。
盛大に緩む頬、恍惚に輝く瞳。パアァァッと喜びが爆発し、肩が、唇が、小刻みに震える。
(……)
何という豹変ぶり。いつものことだが。
彼はクマの手から、ポストカードをバッと奪った。
「何だこれ! ファングッズ!? 非売品か!? すっげぇぇっ!」
「……」
販売してるわけないでしょうよ、そんなモノ。
「ああっ、可愛い! 超可愛い! まさに天使だ! 地球を守る天使!」
「……」
いや、どちらかといえばその写真を撮った時、私とクマは地球を滅ぼしかけていたような。
「――よし、おとなしくなった。今のうちに行くぞ」
と、クマが私を促した。
「……」
「おおぉ、この笑顔! 光の冠! ああっ、こんなお迎えならいつ来てもいいっ! 可愛いぃっ!」
――「おとなしくなった」のか、コレは?
とはいえ、注意が逸れたことは確かである。
悶える紫関先輩と固まるファンの皆さんを残し、私はクマとともにその場を離れた。
先輩が我に返る前に。




