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王都暦局が廃止されたので、曜日のない辺境へ赴任した俺。誕生日も祭りもない町に日付を与えたら、止まっていた一年が動き始めた  作者: やまご


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第48話 続きの道の終点

 中央の道は、黒い壁に塞がれていた。


 ラウゼンへ続く街道。


 セレノへ下る河道。


 ヴァルドの軍用路。


 王都へ向かうすべての道標に、同じ文字が浮かんでいる。


 ――未登録地域からの通行を認めない。


「壁を壊す?」


 オルガが槌を持ち上げる。


「物理的な壁ではありません」


 レグナートが黒い表面へ触れた。


 手は通る。


 だが一歩踏み出すと、元の位置へ戻される。


「行き先として王都を指定した人間だけを、出発地点へ返している」


「なら、王都へ行かなければいい」


 リノが言った。


「でも最後には王都へ着くのでしょう?」


「最初から王都を宛先にしなければいいんだよ」


 少女は七都市の品を並べた。


 ラウゼンの林檎の種。


 グランザの鉱石。


 セレノの封蝋。


 ハルムの種麦。


 ネーヴァの白鐘花。


 ヴァルドの甲冑の留め金。


 エルデの八本切れ目のパン板。


「市場のときみたいに、次の人へ渡すの」


 一つの荷物を、王都まで一気に運ぶのではない。


 エルデからラウゼンへ。


 ラウゼンから街道の橋番へ。


 橋番から旅商人へ。


 旅商人から小さな村の市場へ。


 次の持ち主は、その先で会った者へ渡す。


「目的地は、その都度、次の受取人だけ」


 ノアは続日板へ経路を書いた。


「最後の受取人が旧王都暦局へ入れば、結果として記録が王都へ届きます」


「人間も荷物みたいに渡すの?」


 ミラが尋ねる。


「人を所有物として扱うことはできません」


「じゃあ私たちは?」


「案内を引き受ける人と、同行の約束を結びます」


 最初の案内人は、エルデの北門番。


 門から一つ目の錨まで。


 次はラウゼンの林檎商人。


 錨から果樹園の外れまで。


 さらに橋番、羊飼い、旅商人のジークへと案内役を引き継ぐ。


 誰も、王都まで連れていくとは約束しない。


 自分が知っている次の場所まで、客を案内する。


「大人数では目立ちます」


 レグナートが言った。


「王都へ行くのは、私とノアだけでいい」


「私も行く」


 ミラが即座に答えた。


「危険です」


「十三年間いなかった母さんを連れ戻した人が、今度は十三年間帰らないつもり?」


「その予定はありません」


「予定札は信用しないことにしたの」


 エレナは娘の背中を押した。


「行ってきなさい」


「母さんは?」


「帰ってくる場所にいるわ」


 リノも手を挙げる。


「私も」


「あなたはエルデに残ってください」


「どうして?」


「続日板を読む人が必要です」


「ほかの人でもできる」


「私の名前を、毎朝呼ぶ人も必要です」


 リノは口を閉じた。


 ノアは少女へ、自分の町民札の写しを渡す。


「王都で名を失った場合、エルデから呼んでください」


「絶対、返事する?」


「聞こえれば」


「聞こえなくてもして」


「努力します」


「約束になってない」


 リノは札を強く握った。


「帰ってきたら、ちゃんと怒るから」


「分かりました」


 王都へ向かったのは、ノア、ミラ、レグナート、ハウルの四人だった。


 チクタはノアの肩へ乗る。


 道の途中で、同行札が一枚ずつ増えた。


 ――林檎商人が、四人を果樹園の南口まで案内した。


 ――橋番が、川向こうの石碑まで渡した。


 ――羊飼いが、古い放牧路を教えた。


 黒い壁は何度も現れた。


 そのたび、札へ書かれた次の場所だけを目指す。


「王都へ行く者」としては通れない。


 だが、橋へ行く者。


 市場へ行く者。


 次の案内人へ会いに行く者としてなら、道は続いた。


 中央は人々を土地ごとに分けた。


 七都市は、人から人へ続く道を作った。


 王都の城壁が見えたのは、公開暦鐘の音がほとんど聞こえなくなった頃だった。


 城門では、長い列ができている。


 出生札を失った親子。


 家の再登録を求める老人。


 営業権を止められた職人。


 零年化は王都の外縁部にも広がっていた。


「直轄地はすぐ復元されるはずでは?」


 ミラが尋ねる。


「優先登録を受けられる者だけだ」


 レグナートは列を見る。


「中央に原簿がない人間は、王都に住んでいても未登録になる」


「七都市だけを消す仕組みじゃなかったのね」


「最初はそうだったのでしょう」


 ノアは白い暦板を見上げた。


「ですが大きな暦を零へ戻せば、中央も全員を選別しきれません」


 制度は、地方だけを狙って始まった。


 けれど一度すべての記録を疑い始めれば、王都の暮らしも止まる。


 城門を通るには、王都内の受取人が必要だった。


 最後の案内役として現れたのは、旧暦局の元清掃係だった。


 腰の曲がった老女が、小さな真鍮鍵を見せる。


「エドガー様から預かってた」


「父から?」


「十三年前、誰かが続きを持ってきたら渡せと言われた」


「なぜ今まで?」


「誰も来なかったからさ」


 老女はノアの顔を見た。


「よく似てる。困ったときほど、難しい顔をするところが」


 彼女の案内で、四人は荷物搬入口から旧王都暦局へ入った。


 廃止された庁舎は、机も棚も運び出され、がらんとしている。


 ノアが働いていた三階の記録室も空だった。


「地下です」


 チクタの砂時計模様が強く光る。


 階段を下りるたび、公開暦鐘の音が近づいた。


 小鐘室の扉には、七つの鍵穴がある。


 真鍮鍵は一つしかない。


「開かないわね」


 ミラが扉を調べる。


 ノアは七都市から運んだ品を、鍵穴の前へ並べた。


 林檎の種。


 白鐘花。


 鉱石。


 封蝋。


 種麦。


 甲冑の留め金。


 八本切れ目のパン板。


 一つずつ触れると、鍵穴に各都市の印が浮かぶ。


 最後に真鍮鍵を差し込む。


 扉が開いた。


 部屋の中央には、小さな鐘が吊られていた。


 鐘を支える鎖は黒く染まり、今にも切れそうだ。


 その下に、一人の老人が座っている。


 痩せた体。


 白くなった髪。


 膝の上には、青い布。


「父さん」


 ノアの声は、自分でも驚くほど小さかった。


 老人が顔を上げる。


「エドガー・アルデン」


 レグナートが名を呼ぶ。


 エドガーは反応しない。


 視線はノアを通り過ぎ、七都市の品へ向かった。


「そろったのか」


「七都市の記録は接続しました」


 ノアは老人の前へ膝をつく。


「私はノアです」


「ノア」


 エドガーは言葉を確かめるように繰り返す。


「青い布の子ども」


「はい」


「大きくなったな」


 手が伸びる。


 ノアの頬へ触れる直前で止まった。


「すまない。父親としてのお前を、ほとんど覚えていない」


 十三年間、エドガーは公開暦鐘を支えていた。


 中央が消した記録を鐘の下へ保管し、いつか七都市が再接続する日を待った。


 その代わり、自分の個人的な記憶を一つずつ鐘へ渡した。


 ノアの最初の泣き声。


 抱いた重さ。


 青い布を選んだ理由。


「名前だけは残した」


 エドガーは青い布を開く。


 中には、一冊の薄い出生台帳があった。


 ノア・アルデン。


 出生場所、旧王都暦局小鐘室。


 立会人、エドガー・アルデン。


 もう一人の立会人欄は黒く塗られている。


 出生日は、王暦六百十三年、鉄月十三日。


「私も、消された日に生まれたのですか」


「違う」


 エドガーは首を振る。


「お前が生まれたから、その日を消した」


 ノアは台帳を見つめた。


 七都市の代表が集まった日。


 土地の異議申立てが行われた日。


 その同じ小鐘室で、ノアは生まれた。


「母は?」


「七都市の記録を王都へ運んだ人だ」


「名前は?」


 黒く塗られた立会人欄。


 エドガーが答えようとした瞬間、部屋の奥で拍手が鳴った。


「感動的な再会だ」


 白い外套を着た男が、地下通路から現れる。


 中央暦院長、オルディス・ヴァレン。


 背後には、黒い印を持つ暦官たち。


「だが、その台帳は偽造だ」


 院長が指を上げると、小鐘を支える鎖が一本切れた。


 公開暦鐘が大きく傾く。


「七都市の証言は王国の秩序を壊した。明日が町ごとに違えば、税も契約も国境も成立しない」


「違う記録を持つことと、共通の暦を持たないことは同じではありません」


 ノアは立ち上がる。


「あなたは共通の暦を使い、認めたい人だけを残した」


「王国全員の記録を守れると思うのか」


「守れないものを、なかったことにはしません」


「理想だ」


「あなたの零年化も、すべてを管理できるという理想です」


 王都の城門には、すでに再登録を待つ人々があふれている。


 院長は一瞬だけ表情を歪めた。


「混乱は必要な代償だ」


「誰が代償を払うかを、あなた一人で決めた」


 ミラが言った。


「十三年間も」


 院長は白い台帳を開いた。


 零年化の原簿。


「公開暦鐘を壊せば、七都市の共同記録は地方の私記録へ戻る。王国暦は零年から再構築される」


「そうなれば王都の記録も失われます」


 レグナートが前へ出る。


「再登録すればよい」


「中央暦院の職員すら、すでに自分の勤務年を証明できていません」


「黙れ、監察官」


 黒い印がレグナートの徽章を砕く。


「今日から、お前も未登録者だ」


 レグナートは壊れた徽章を見た。


 そして静かに床へ置く。


「では、中央の部下ではなく、一人の証人としてここにいます」


 ハウルも兄から受け継いだ中央剣を外した。


「俺もだ」


 院長が手を振る。


 残る鐘の鎖へ、黒い亀裂が走った。


「鐘を守って!」


 ミラがエドガーを支える。


 ノアは七都市の品を鐘の周囲へ置いた。


 だが、公開暦鐘はすでに限界だった。


 一つの鐘だけで、王国中の続日を支えることはできない。


「ノア」


 エドガーが青い布ごと出生台帳を渡す。


「鐘を守るな」


「ですが、壊れれば記録が」


「一つに集めたから、壊される」


 旧観測宿で、ルカ一人に十三日目を背負わせたときと同じだ。


 中央の一冊。


 王都の一つの鐘。


 そこへすべてを集めれば、所有する者が暦を支配する。


「七都市へ返せ」


 エドガーは最後の鎖へ手をかけた。


「明日を、王都から配るな」


 鎖が切れた。


 公開暦鐘が床へ落ちる。


 高い音とともに、鐘は七つの破片へ割れた。


 院長が笑う。


「終わった」


「いいえ」


 ノアは一つの破片を拾った。


 表面に、エルデの印が浮かんでいる。


 残る六つの破片にも、それぞれの都市印。


 鐘は壊れたのではない。


 七つへ分かれた。


 観測線を通り、破片が光へ変わる。


 ネーヴァ。


 グランザ。


 セレノ。


 ハルム。


 ラウゼン。


 ヴァルド。


 最後の一つは、ノアの手に残った。


 エルデへ持ち帰る鐘。


 王国中の暦板から、零年の文字が消えた。


 同時に、旧王国暦の年と月も消える。


 院長の顔から笑みが消えた。


「何をした」


「中央だけが配る暦を終わらせました」


「共通の日付がなくなるぞ!」


「作り直します」


「誰が決める!」


 ノアは、七都市と街道の人々がつないだ続日板を開いた。


「日付を使って暮らす人々です」


 王都。


 七都市。


 周辺の村。


 あらゆる暦板が白紙になる。


 零年化は止まった。


 だが、明日を示す数字もない。


 国中から同じ問いが、七つに割れた鐘へ届いた。


 ――次の朝を、何と呼べばよい。


 ノアは答えを書く前に、ミラを見た。


「エルデへ帰りましょう」


「今すぐ?」


「次の日を、私たちだけで決めることはできません」


 七都市と、王都と、道の途中で品を渡した村々。


 全員で、一つの区切りを選ぶ必要がある。


「明日を始める話し合いをします」


 王国には初めて、中央から与えられるのではない新しい年が必要だった。

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