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第二話 まさかの樽のお風呂と、悪夢のような一週間

「お嬢様、その……お風呂はいかがでしょうか? お手伝いいたしましょうか」


ナタリーが心配そうに浴室のドアの向こうから声をかけてきた。


ーーこれを「お風呂」というならね……。


もとはワインでも貯蔵していたものだろうか……アメリアは今、大きな木の樽に満たされた湯の中にいた。


「そうね……問題ないわ」


樽の中で膝を抱えながら、明るく返事をする。

問題しかないけど、とりあえず足先はあたたまったし、と両手でお湯をすくうとパシャっと顔にかけた。


木の樽の保温効果など知れたもので、早くもお湯の温度は下がり始めている。

湯は透明で、香りもなく、ただの“温かい水”。

これまで慣れ親しんだ大理石の浴槽、精油や花々を使った湯浴みとは別物だ。

これではナタリーの出る幕もないだろう。


アメリアはもう一度肩までちゃぽんと浸かりながら、浴室全体をじっくり観察する。

石造りの壁。無駄に広い室内。その割には貧弱な火を焚く仕組み。


ーー女はね、お風呂と寝具には手間とお金を惜しまないものなのよ。


秘書業務をこなしたあとに、スーツとパンプスに疲れきった体で駆け込むリフレクソロジーや整体がどれだけ癒しだったことか、サウナのあとのビールのシビれるほどのおいしさとか、満を持してローンで買った超高級羽毛布団に潜り込むときの幸福感といったら……


かつての快感を思い出して思わずニヤける顔にさらに湯をかけ、おもてにいるナタリーに声をかけた。


「あがるわ」


ナタリーがすまなさそうにタオルを抱えて入ってくる。


「ほんとうにまあ、こんなお風呂は私の田舎にもありませんよ。それとお嬢様、タオルもこんなものしかなくて」

「これ、すごいわね、タオルというより手拭い?」

「は? テヌグイ……とはなんでございますか?」

「ううん、いいの。きっと嗜好品としての織物業がないのね」

「お肌が荒れなければいいのですが……せめて香油を持ってきてよかったです」


ケバだった馬のたてがみのようなタオルで、ナタリーはできるだけそおっとアメリアの体の水分をとっていく。

その不満げな様子を見て、アメリアはくすりと笑った。


「大丈夫よ。お風呂がショボいくらいで死にはしないわ」


ーーミッション1・暖房に続いて、ミッション2・お風呂改革も受注っと!



浴室とは名ばかりの空間から部屋にもどり、ナタリーに髪の手入れをまかせながら、アメリアは鏡をじっと見つめる。


「ほんと」


ぽつりと呟く。


「顔のつくりはいいのよね」


「なにをいまさら……ブライトナー公爵家のアメリア様といえば、その美貌でならした方ではありませんか。王家との縁談だってありましたのに、こんな北の果てに……」


アメリアのプラチナに近いブロンドにていねいにブラシを当てながら、ナタリーは目に涙をにじませる。


すっきりと卵形の輪郭に、通った鼻筋。

くっきりとアーモンド形をしたアイスブルーの瞳。

唇はやや薄いけれど、ふっくらと立体的だ。


ーー間違いなく、美人の部類なんだけど……。


なーんかイマイチなのよね、とアメリアは思う。


この体に転生して早1年。

前世で就いていた秘書という仕事は、見た目のクォリティの高さも要求された。

一流でありたいならば。

そもそも前世の自分は決して生まれながらの美貌に恵まれたわけではなく、お手入れと努力、メイクやセンスで全身を磨き上げ「有能な美人秘書」というレッテルを手に入れたのだ。

なのに、このアメリアという令嬢は、これだけの素材に恵まれながら、まったくそれを活かしきっていない。


「しょうがないわね」

「えっ!?」

「ううん、なんでもないの。ナタリー、いいかげん、私のことで嘆くのはやめてちょうだい。何度も言ってるように、私は今の状況、痛くも痒くもないのよ」

「ですが、お嬢様……」

「さあさあ、ここんとこのバタバタと長旅で、髪は毛先が傷んでるし、艶が足りないわね。肌もここではますます乾燥するだろうし、なまった体もなんとかしなくちゃ」

「……は、はい! かしこまりました!」


「……ふふっ」

「お嬢様?」

「まずはとにかく保湿からね。なら、上質な油分の調達。あとは――」


あれこれ考えはじめたアメリアを見て、ナタリーはさっきの涙も忘れて言った。


「……お嬢様、本当に大丈夫なんですね」

「何が?」

「いえ……もっとこう、落ち込まれているかと」

「落ち込む理由、ある?」

「それは……」


言い淀むナタリー。

アメリアは、ふっと目を細めた。


ーー理由なんて、いくらでもある。


傲慢な婚約者。

狡猾な親友。

そして、あの夜会。

でも……


「過ぎたことよ?」




ディナーまで少し休むとナタリーに伝え、アメリアは暖炉の近くのさきほどの椅子で、ぼんやりと天井を見上げていた。


思い出したくもない一週間があった。

婚約者だった王子に呼び出された、あのパーティ。

華やかな会場。

なのに冷たい周囲の視線。


そして


ーーあの女。


親友だったはずの彼女の、勝ち誇ったような笑み。


「……ふふ」


思わず笑みが漏れる。

足先に暖気が当たるよう身じろぎしながら、アメリアは淡々と思考を整理する。


ーー全部、おぼえているわよ。


誰が何を言ったか。

誰がどこにいたか。

どのタイミングで、何が起きたか。


ーー秘書として鍛え上げた記憶と観察力を、なめないでほしいわ。


「どうせなら、もう少ーし上手にやればよかったのに」


くすっとまた笑いがこぼれる。


あまりにも稚拙で、あまりにも露骨な罠。


ーーだからこそ、私は追放されちゃった。


(あの場では、ね)



ーーでも。


ーー終わった話よ


そう。



婚約も。

友情も。

立場も。

社交界での居場所も。


みーんな失って、


ーー私は、ここ、北の辺境にやってきた。


冷酷な「北の黒豹」と呼ばれる辺境伯のもとに。



「あら、もうこんな時間」


アメリアは立ち上がると、ディナードレスの裾を軽く整え、扉へ向かう。

その足取りはワルツのように軽やかだ。


「うーん、お腹すいた」


ーーごはんは期待できるかな。


心の中で、小さく呟く。


ーー寒くて、不便で、どうしようもない環境だけど‥‥

人間、どこにいたって快適に暮らさなくちゃ。



唇の端が自然と持ち上がって弧を描く。


「私のご要望は、しかと承りました!」


くるりとターンしながら、案内を呼ぶベルを鳴らした。


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