疑似恋愛
お店の4階はカップル専用で、燦燦と照らす直接照明は無く微かに間接照明としてキャンドルライトの光だけが灯してあるなどムード満点である。
どちらと言うと韓国料理店というよりバリ島がコンセプトのエスニック系料理をウリにしたほうが良いんだろうなと飲食店経営をしていた血が騒ぐ。
席はベンチシートなので密接して隣に座るのだが照明も暗く、カーテンで覆われているので周りの目を気にしなくて良い。
沙良は少しぽっちゃりしているので横腹あたりをツンツンと突くと人差し指の先がプニプニ埋もれていくようで気持ちがいい。
19時から22時頃まで店にいた。
まだ離れたくなかったけれど、きっかけは『お客さん』ということなので沙良にしたら「鴨がネギ背負ってやってきた」だけだろうし、実際に彼もいる。
名残惜しいけれど出ることにした。
伏見から名古屋まで地下鉄で一緒に向かう。
金曜日ということもあり22時過ぎであるがラッシュ時並みの混雑で車内では抱いているかの体勢で密着してしまう。
地下鉄名古屋駅の階段を上がる時にミニスカートの沙良は右手は一緒に手を繋ぎ、左手の甲でスカートを後ろから押さえようとする。
「この駅の段差は低いし、こんなに混雑していてすぐ後ろに人がいるから絶対に見えないよ」
そう言っても習慣なのか恥じらいなのかやはりスカートを押さえようとする。
そんな仕草が可愛かった。
ところで、掌でなく甲でスカートを押さえるのはなんでだろう?
見上げたきた男に「お前はパーだ」という意思表示なんだろうか等とどうでも良い考えがふと頭を過る。
沙良は最寄り駅が近鉄名古屋線沿線で、こちらはJR関西線。
本来ならば名古屋駅で別れるのだが、こちらも近鉄で帰れるので定期券の通勤ルートと違うがついつい近鉄で同じ電車に乗った。
「寂しいよね・・・また会えるよね・・・」
沙良が本当に寂しそうにそう言ってくる。
これが夜の女の習性で『疑似恋愛』に落とし込むために、そしてこちらを惑わそうとしてそう言わしているのか、それとも一人の女性としてそう言っているのかは分からない。
普通に考えれば今日も彼女にとって『営業』の一つかもしれなし、他にもお客と店外であっているかもしれない。
夜の女として『営業』でそう言っているのなら、本当にすごい演技力だよなぁと思ってしまうほど迫真の演技である。
でも、僕には元々翌週は通常ならお店に通う予定の週なので、演技でも構わない。
「うん、すぐ会えるよ」
少しでも多くのお客さんを得ることが沙良の仕事だし、こちらも「演技うまいよね」なんて野暮なことは言うつもりはない。それが大人なんだから。
「家に着いたらメールするね」
そう言って近鉄名古屋駅の次の米野駅で彼女は降りた。
扉の向こう側でニコニコと手を振る彼女。
まるで本当の恋人になったかのような雰囲気である。
扉が閉まろうとした瞬間。
思わず飛び降りようという衝動を必死で抑えた。
もし、一緒に降りて家まで送って行けば本当に終電に間に合いそうもない、でも流石に朝帰りは不味い。
そう思って一緒の駅で降りたい衝動をかろうじて抑えた。
この時ふと1992年3月の出来事を思い出してしまった。