50.[終話] 帝国の皇后
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その日カリーナはお茶会の片手間に、ケイン皇子と元第三皇子であるユスタフ大公に剣の稽古をつけていた。
年若いながら、明らかにケイン皇子の方が筋がいい。この間に背も伸び、将来が楽しみである。
対してユスタフ大公の腕前は相変わらずだった。
「師匠! もう一度お願いします!」
以前と変わらず公式の場以外では大公はカリーナをそう呼ぶ。やめるように言っても聞かないので、最近では諦めた。
それから何度か撃ち合うが、ことごとくユスタフ大公の攻撃を流し、地面に伏せさせること数度。
やけにやる気の大公が「まだまだ!」とのたまうので、他の騎士に代わりを頼み、カリーナはお茶の席に戻った。
鍛錬の場として使ってしまっている庭園の一画に、テーブルや椅子が運ばれ、可愛らしい菓子が並べられている。
ユスタフ大公が嫌に張り切る理由がそこにいた。
ユスタフ大公の妻となった、ディレイガ帝国に次ぐ規模を誇るコルグ王国の王女であるロシータが夫を見守っていたのだった。
このお茶会は、ケイン皇子の母親であるオーリエ公爵夫人アイリスと、皇后カリーナとロシータ大公妃三人が、ケイン皇子とユスタフ大公の剣の稽古を見守ると言う体で開かれていた。
実際のところ口実はなんでも良かった。
ロイの戴冠式は急遽行われたため、基本的に外国からの招待客はいなかった。帝国内で起こった騒動が他国へ直接伝わるのを防ぐ意味もあった。
そのため、事態が落ち着いてから外国の要人を集めた新皇帝の披露の場を設けたのだった。
出産後二ヶ月ほど経過していたカリーナも、いくつかの式典や宴に出席した。
それに際し、帝国議会の議長であるリンデルク公爵が提案したのが、コルグ王国の王族との縁組みだった。
現在は争い事はないものの、かつてロイがマルス将軍として小規模ながら戦をした相手国である。平和を保つためにも彼の国の王族との婚姻によって関係を深めたいという事だった。
その相手として、まずは皇帝の名が挙がるのが当然の所だったが、公爵はロイとの付き合いが長い。拒否されるのが目に見えていたため、ユスタフ大公にということになった。相手との年周りが近かったと言うこともある。お相手の王女は大公より一つ年上であった。
宴の場で、実質婚姻が決まった状態で引き合わされた二人だったが、美しい黒髪に青い空色の瞳を持つ王女にユスタフが見惚れていたのはカリーナも覚えていた。
つい二ヶ月前に嫁いできたロシータは、初めの頃はカリーナと同席すると緊張した面持ちになったものだったが、ふとした時に彼女の生来の物であるらしい天真爛漫さが顔を出し、皆ともすぐに打ち解けた。
通常はロシータが帝国公用語を使うが、カリーナもアイリスもコルグ王国の言葉を解するため、三人だけだと彼女の国の言葉を使うことが多い。母国語が話せて嬉しいと言って、ロシータはいつになくよく喋る。
しかしその内容が庭に咲く花々やら、物語やら、およそ害のない話題であるため微笑ましいものだった。
やがて部下が呼びに来る。二人にまた近いうちに会う約束をして、カリーナは宮殿内へ戻った。
帝国軍の各将軍らの配置の見直しはカリーナが行っていた。これまでの帝国の慣習を廃し、適材適所を徹底するために外部の目を持つカリーナに任せるのが最適だとロイが主張したのだ。
そのため、彼女は視察でこの宮殿を留守にすることも多い。
もちろん、それらを実行するのは皇帝の名前においてである。その分責任も重大だった。
それらについての会議に出席した後は、双子の娘たちの食事や湯浴みを手伝いに子ども部屋へ行く。
その前には必ず簡素ではあるがドレスに着替えるようにしていた。
離宮で長年ロイに支えていた侍女長が、新たな皇宮を支える女官長に任じられた。後宮が閉じられ規模が縮小されたとはいえ、大所帯である皇宮を彼女はそつなく差配している。
その女官長に、娘たちの前では特に、男装のまま歩き回るなと言われているのだ。
皇室の品位が損なわれるだのなんだのと言う話であれば、いくらでも言い返すのだが、「今後貴婦人としての教養を身につけていかなければならない皇女様方のために」と言われれば黙るしかなかった。
確かにカリーナは昔からこの調子ではあったが、叔母たちからの淑女教育を疎かにした事はなかった。
それは父に軍人になることを認めてもらうと共に、女の身でも父の後継に相応しいと判断してもらえるかもしれないという下心あっての事ではあったが。
カリーナが皇女たちのために考えを改めると答えると、女官長は得意がるでもなく優雅な仕草でお辞儀をしたものだった。
それ以来、彼女の忠告通りドレスに着替えてから娘たちの元を訪れている。
その娘たちはもう一歳を過ぎ、帝国中にその誕生を公表されている。
それぞれの特性や性格らしきものも見え始め、カリーナは日々彼女らと接するのを楽しいと思う。
第一皇女はリリアーナと名付けられた。カリーナによく似た赤い髪と父親譲りの黒い瞳を持っている。この子はあまり泣き喚く事もなく、おっとりとしているとも、物事に動じないとも言われる。
そのほんのわずか後に産まれた第二皇女はラトリアーナと名付けられた。こちらは瞳がカリーナと同じ緑の光が散る茶色をしている。髪色も薄い茶色だ。ロイの髪は現在は光が当たると金に見えるが、幼い頃はただの茶色だったと言うからそちらに似たのだと言われていた。第二皇女の方が活発で、歩き出すのもだいぶ早かった。そしてよく泣く。
カリーナは、もう彼女たちに近づく事や触れる事に恐怖は感じない。乳母たちと共に世話を焼くのにも慣れた。
いつか二人もそれぞれの道を行くのだろう。何を望むのかはカリーナには分からない。自分があまりにも自由に生きてきてしまったため、偉そうな事は何も言えない。
このような立場に生まれついたのだから、娘たちは母親であるカリーナなどとは比べ物にならないほど制約の多い人生を送る事になるだろう。だがその中でも出来る限り二人の生き方を尊重したいと思うカリーナだった。
さて、二人の世話があらかた終わり、寝かしつけを乳母らに任せると、カリーナは文書館足を向ける。
何日振りの事だったろうか。
時間をとって閉じ籠りたいところだったが、いつも短時間滞在するのがせいぜいだった。
そして、必ず守らなくてはならないのが、夫婦の寝室で眠るという事だ。
それぞれの公務で忙しいロイとカリーナは、顔を合わせる時間が極端に減ってしまった。食事も別に取ることの方が多い。
だから、夜には必ず夫婦の寝室で少しだけでも二人で話す時間を作り、共に眠る。どちらかが留守をしていない限りは。
この日も二人は、それぞれに会いに行った時の子ども達の話をし、眠りについたのだった。
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文書館の奥深くにカリーナはいた。
かつて聞いた、まだ学者らにも解読できていない古代の文書があるという場所だ。
そこでは、もとからか、保管中の事故か、はたまた自然な劣化によってかは分からないが、バラバラになってしまった紙片の断片を繋ぎ合わせる作業が行われていると言う。
細切れの紙が並べられた机の近くを通りながら、カリーナはそれらに目を向けていた。
意味のわかる文字が多いが、断片では全体像は分からない。だが、それらが繋ぎ合わされた時には、カリーナの特殊な言語能力が役に立つ事もあるだろうと思った。
そうしながら歩いていた時。一際古びている紙片に目を奪われた。その文字には見覚えがあった。
いや、正確に言うならば、初めて見た形だった。そのはずなのに使い慣れた文字かのように既視感があった。
あのごちゃごちゃとした街の残像が脳裏を掠めた。
カリーナは吸い込まれるようにその紙に書かれた文字を読んだ。
『枯渇』『干魃』『世界大戦の影響で』『人口の半分が死に』
そこでカリーナはその紙片から飛び退き、目を背けた。
心臓が早鐘を打つ。
カリーナは震える自分の体を抱きしめていた。
恐ろしい。なぜか知らないが、瓦礫の山と命を失った人々の姿を描いたような静止画が、次から次へと脳裏に現れては消える。目を閉じても、それはしばらく止まらなかった。
なんとかその震えが治ると、逃げるようにそこを後にして、でもそれはいつまでも追いかけてきて、廊下はどこまでも続いていて。
カリーナは、すがるように手を伸ばした。ここから逃れたい。その一心で。でも掴むものが無くて……。
そこで、力強い腕に抱き締められ、カリーナはびくりと体を震わせた。そして恐る恐る目を開けた。月明かりがわずかに差し込んでいる。
いつ目を閉じたのだろうと思い、そして、目の前に彼女を抱きしめる大きな体があるのに気づき、横たわっている事に気づいた。
そうだった。あれは昨日の出来事だった。
カリーナはあの恐ろしい文書を見てからも、それを誰にも気づかれないように平静を装った。護衛の近衛も気づかなかっただろう。
いつもならば呼びに行くまで出てこないカリーナが自ら部屋へ戻ると言うのに、少しばかり意外そうな顔をしていた気もするが、それどころでは無かったのでよく覚えていない。
寝室でロイと顔を合わせて少しほっとして眠りについたのだった。
「ロイ……」
カリーナは、彼を起こさないように小さな声で彼を呼び、その腕の中に潜り込んだ。
そうだ。あれはカリーナが生きていた世界の文字だ。生まれ変わる前に知っていた文字だった。
具体的なことはわからないけれど、あの世界はきっととても恐ろしい運命を辿ったのだ。
カリーナの前世の記憶は彼女自身が選んだ最後を迎えたところで終わったはずだった。
だがもしかすると、あの世界はその頃には、恐ろしい未来を想像できる程度には、あの言葉の数々が示す道を辿り始めていたのかもしれない。
そこで、またロイの腕に力がこもって現実に引き戻される。
自分は今は彼の腕の中にいる。
ナシオラへの信仰を捨てたわけではないけれど、今のカリーナには前世の記憶と今の自分とを切り離して考えることができる。
ロイがいて、娘たちも無事に育っている。
あのような人生は歩まない。あのような後悔をする事はない。
カリーナは夫の温かい腕の中で「もう大丈夫だ」と自分に言い聞かせると、彼の心臓の音に耳を澄ませる。
生きている証だ。
ロイの心臓の音と寝息を聴きながら、カリーナもいつしか再び眠りに落ちた。
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その朝、自然と目覚めたロイは、カリーナが自分の腕の中で眠っているのを見て驚愕する事になった。
彼女の肩を撫でても、温もりを求めるように彼の胸元に潜りこんでくるだけで起きる気配はない。
いつもカリーナは彼が起きるより早く目覚めているか、彼が起きて身じろぎをした瞬間に目を覚ます。
彼はあの手紙を思い出していた。
それはカリーナと婚姻の儀式を終えた日の夜、カリーナの育ての親と言っても過言ではないメイド長に渡された手紙だった。
カリーナと離れる気にもなれず、自分の部屋の引き出しに仕舞ってあるそれを取りに行くことは出来ない。だがその内容はよく覚えていた。
それにはこう書かれていた。
『お嬢様はある日を境に、理由は分かりませんが、気を許した者達にしか寝姿を見せなくなりました。
新しいメイドは寝室でのお世話をするまでに数年の時間を必要とするほどです。
ご夫君にも同じだとは限りませんが、どうか長い目で、安らぎを与え続けて差し上げていただきたいのです』
カリーナは彼に前世の記憶を持つ事を打ち明けた。まだ少女と言って良い年齢の時にその記憶がよぎった時のことも、後に知った、前世の彼女がどうして死んだのかも。
それらを考え合わせれば、カリーナが人を簡単には信じられなかったのは無理もないことと思われた。
ロイはカリーナの寝顔をもっとよく見られるように、少しだけ起きあがろうとした。しかしそれに、言葉にならない声を漏らしながら、彼を放すまいと抱きついてくる彼女が愛おしい。
自分がようやくカリーナに気をゆるしてもらえたのだと思うと、顔が緩んでしまう。
その滑らかな頬を優しく指でなぞる。彼女はくすぐったそうに逃げたかと思うと目を開けて、緑の光が散る、その神秘的な瞳で彼を見た。
「起きたか?」
彼の問いかけに返ってきたのは、無防備な微笑みだった。そして彼女はまた彼の胸元に潜り込み寝息をたて始める。
彼はそんな妻をしばらく抱きしめ続けた。
結婚して二年半ほど経った、なんの変哲もない朝の事だった。
ディレイガ帝国の中興の祖と讃えられる皇帝ロイトラートに関しては、その激動の少年期に始まり、多くの逸話が残されている。
対して、その妻であった皇后について伝わることはごくわずかである。
後世に知られているのは、外国人であったことと、軍人であったこと、無類の温泉好きであり、帝国各地に大衆向けの浴場とそれに付随した治療院を作らせ帝国の公衆衛生に力を注いだ事。
そして、皇帝との間に二人の皇女と一人の皇子を儲け、生涯皇帝の寵愛を独占したという事くらいのものであった。
終
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
初めての横書きスクロール読み、しかも連載形式で書き始めた物語のため、試行錯誤しすぎて途中でいろいろ見失ったりもしましたが、お読みくださったり、いいねを押してくださった皆様のおかげで、なんとか最後まで書き切ることが出来ました。(直したい所がてんこ盛りですが!)
この物語自体は完結しましたが、別枠でいくつか外伝を書くつもりでおります。もし見かけましたらチラッと覗いてやって下さい。
お読みくださり、本当にありがとうございました!




