27.皇太子妃殿下へのご提案
おはようございます!
こんにちは!
こんばんは!
カリーナは馬車留めで皇太子妃に追いついた。
後宮に館を与えられている皇妃らと違い、皇太子一家は、本来皇帝や皇后の住まいである皇宮の一画を与えられている。
着飾った貴婦人にとっては、馬車でなければ移動が辛い距離だろう。
もちろん、徒歩で移動できる距離でも馬車を使うものなのなので、カリーナは歩いても走っても構わなかったが、仕方なく馬車を使っている。
カリーナの元にもその馬車が回されてくる。チルトは馬に乗り、護衛らしく馬車の後ろに控える。
カリーナは彼らに待つように合図すると、馬車に乗り込もうとしていた皇太子妃の元へ急いだ。
「皇太子妃殿下。よろしければ、気晴らしをしながら帰られませんか?」
御者の手を取って、馬車に乗り込もうとしていた皇太子妃が、ようやくカリーナを振り返った。
少し目元が赤い。
「馬に乗って帰りましょう!」
「……え……?」
「も、もう、速すぎて怖いです!」
皇太子妃の叫び声に、カリーナは笑いながら馬の速度を落とす。チルトの馬は非常に優秀な子だ。
カリーナは、どうせ下にズボンを履いているのだからとスカートを捲り上げて馬に跨り、その腕の中に横座りの皇太子妃を乗せている。
「馬に乗られた事は?」
「少しだけ! でもこのような速さで走った事はございません!」
カリーナがまた笑うと、彼女は怒ったような顔でカリーナを見て、そして笑い出した。
「本当に怖くて! もう、どうしてよいか分からなかったわ」
そうだ。彼女は今のように可憐に笑っているべきだ。
だから、カリーナは彼女に言った。
今後あのように侮られないようにするために、話し合いが必要だ、と。
翌日カリーナは、あまり格式張らない服装で、招かれた皇太子妃殿下のサロンへ向かった。
昨日、皇太子妃殿下から、気軽なお茶会をいたしましょう、と言っていただけたからだ。
その部屋は、サロンと言うよりは、図書室と執務室や客間を混ぜこぜにしたような、風変わりなものだった。
本棚が壁を埋め尽くし、中央には写本の際に使っているのだろう、斜めに本を立てかけられる台や、大きな机がある。
インクを乾かす間、書いたばかりのページを並べておくためと思われる棚もある。
窓辺には座り心地の良さそうな小ぶりなテーブルセットがあり、また別の窓の前には、読書に最適なカウチが置かれている。その上にはとても触り心地の良さそうなクッションも置かれている。
「ここにお客様をお招きするのは初めてです。普段なら、恥ずかしいと思うでしょうけれど、あなたはそのようには思われないかと……」
「もちろんです。素晴らしく魅力的なお部屋ですね」
カリーナは心からの笑顔彼女にを向ける。
このように美しく整えられた、作業のしやすそうな、まあ確かになんと呼ぶかは迷うところだが、そんな魅力的な部屋を恥ずかしいと思う必要はないと思う。
それから二人は、台の使い方や、写本に使う時の紙の質や、そして何よりも、カリーナが大量に送りつけた本の感想を書き連ねた手紙について話した。
そして、それが一段落すると、テーブルに移動した。
皇太子妃が自らワゴンを押してきて、お茶を入れてくださった。いつくも用意されていた茶葉の中から二人で選んだそれは、とても美味しく感じた。
そして、お茶についての話題が一段落すると、本題に入った。
皇太子妃の夫に待ち受ける、罪人として裁かれるという最悪の未来と、それが現実のものとなった時、彼女とその息子がその罪に連座させられる未来を語る。
ロイの協力者である貴族たちはそこまでする気だ、と真実を伝える。
そして、カリーナはそれを防ぎたいのだとも。
カリーナは語った。
皇太子妃としての名誉は一度傷つくだろうが、最悪の事態は回避できる策がある。
彼女の夫が自らの地位ばかりか、妻子を捨て、他の女と駆け落ちをすれば、少なくとも彼女と息子の罪が問われることはない。
彼女はカリーナが語る未来に目を背けず、必要なこと聞き、自らの意見を話す。
「皇太子殿下の逃避行が成功するにせよ、失敗するにせよ、お好きになさればいいと思います。私にはもう、夫に対する情などというものはございません。
しかし、息子は別です。あなたが息子を巻き込まないための方策を考えてくださったことに、まずはお礼を申し上げましょう」
カリーナは彼女のその言葉に、小さく頭を下げた。
彼女はカリーナのように力づくで何かを推し進めるような人柄ではない。
しかし、非常に思慮深く、そして、多くの知見から最善の答えを導き出そうとする。
「夫がその地位から引きずり下ろされるのは決定事項なのですね」
「はい」
「そして、私と息子が無事に生き残るためには、第五皇子殿下のお力が必要だとおっしゃるのね」
カリーナははっきりと頷いた。
「我が夫の陣営内での事とはいえ、もう止められる段階ではないのです。
申し訳ないが、ご夫君のあのご様子では、別の陣営でも何か方策を立てている可能性が高い。何にせよ、近い将来の失脚は免れますまい。
ご夫君と運命を共にされる必要はない。ご決断くだされば、私が騎士の誓いをもって、妃殿下とご子息である皇子殿下の御身を御守りいたします」
「第五皇子殿下は、息子を皇太孫にしてくださるとおっしゃる……。ご自分に宰相の地位をあたえてくれれば、と。
ですが、第五皇子殿下ほどの方が本当にその程度の地位を欲しておられるのかしら……。それ以上のものをお望みなのでは?」
「夫が望むは、帝国の現体制の改革のみ。私はそう考えております。それがなされるのであれば、誰がどの地位にあるかなど、大きな問題ではございますまい」
宰相の地位など、ロイにとっては通過点にすぎないだろう。カリーナも彼の口からはっきりと聞いていないのだから、嘘はついていないのだが、苦しい言い方にはなる。
だが、それは皇太子妃も分かっているのだろう。
カリーナとしては出来るだけ、この尊敬に値する女性と、腹の探り合いなどしたくはなかったが、そうも言っていられない。
「第五皇子殿下がそうお考えであったとしても、支持をされる方々には別の思惑もおありでしょう」
「はい。それは否定しません。
今回の件にしても、その思惑のままに走り出せば、妃殿下もご子息も巻き込んでの、ご夫君の失脚となります」
カリーナは、目の前のこの女性だけでなく、出来るだけ血を見ずに済む方法を取りたいのだ。そして、ロイもそれに賛成してくれている。
「夫が最終的に何を目指すのか、不確定であることは否定しません。私にも分からない。
しかし、現状あなた方を救う方法はこれしかない。
支持者らの手綱を操るは、我が夫。その夫が私の策をとると言った。私はそれを信じるのみです」
皇太子妃の手ずから、何度もお茶が入れ直された。
外の光が弱まり出しても、二人の話は終わらなかった。
「どうやら、それしか方法はなさそうですわね。夫には情はありませんが、息子は守りたい。少なくともそれだけは、お約束くださるのね?」
「はい」
皇太子妃は席を立ち、カリーナの元に歩み寄った。
カリーナも立ち上がる。
「正直にお話しくださってありがとう。いずれ、別の道を行くことになってしまうかも知れないけれど、私は今はあなたを信じようと思います。
私も、現在皇太子殿下を支持している貴族たちを息子の支持者と出来るよう、最善を尽くしましょう。
私たちの考えに同調した動きをしていただけるように、と」
「感謝いたします」
カリーナは、いつかこの人と敵対する可能性がある事は、もちろん否定しなかった。当然だ。それが権力争いというものだから。
でも、彼女をこのまま失ってしまうのは大きな損失だという考えは変わらない。
お互い、それを分かり合いながら、それでも今は……。
「カリーナ様とお呼びしても?」
「もちろんです」
「では、私の事はアイリスとお呼び下さい」
カリーナは、差し出された柔らかい小さな手を、そっと握り返した。
つづく……
ここまでお読みくださり、ありがとうございます!




