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前世の記憶持ちの女伯爵は、嫁ぎ先の国で夫を皇帝にすることにした  作者: 針沢ハリー


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【閑話7】とある皇妃の日常がおかしい



 トリーシャは与えられた後宮内の館で、質素で平穏な生活を送っていた。


 出来るだけ権力には近づかず、皇帝の寵愛を失った者として慎ましやかな生活を送る。

 とはいえ、下手な貴族などと比べれば、よほど潤沢な生活費を与えられ、一定の収入を与えてくれる領地も保有している。


 それで満足だった。それ以上を望んでも、決していい結果にはならないと知っていたから。

 場合によっては、このように目立たない存在でも、おかしな事に巻き込まれてしまう事もあるのが、後宮という場所だけれど。


 だから、彼女は息子がまたおかしな事をし始めたと家令から報告を受けた時、思わずため息をついてしまった。


 十八歳になったばかりで、成人とはいえまだ子どもっぽさを残す息子は皇帝の第三皇子という地位を持つ。


 しかし、まだ幼い第四皇子などと比べても、帝国内での存在は軽い。後ろ盾となる貴族の力が弱いからだ。

 

 だがそれでいいのだ。


 

 トリーシャは、悲劇に見舞われたのであろう、ある皇妃を知っていた。

 その方は目立たぬようにお暮らしだったが、いかんせん、その息子が万事に秀でており、その兄たちを凌ぐ期待を集めてしまっていた。


 そして、ある日居なくなった。


 元婚約者と帝国から逃げたのだと発表されたが、トリーシャはそれは真実では無いと思っている。

 その方は、大変慎重なお人柄だった。そして、この後宮から、なんの痕跡も残さずに消え失せるなど、どうしても方法が思いつかない。それほどに警備の厳しい場所だ。


 そして、彼女の利発な息子は、廃嫡は免れたものの、表舞台からはほとんど完全に姿を消してしまった。



 トリーシャは、彼女らが姿を消した時、自分と、まだ幼かった息子にも同じ運命が待ち受けているのではないかとの思いに囚われ、しばらく不安な日々を過ごした。

 トリーシャとその皇妃は、よく似た境遇にあったからだ。


 彼女は婚約者がいながら、皇帝の妃として召し上がられ、トリーシャは婚姻後間もない夫から引き離された。

 そして、数多の妃や名も無き妾達と同じく、皇帝の一時の戯れの相手で終わるはずだった。


 ところが、運悪くと言おう、よりによって息子を産んでしまった。

 そのために、皇帝の寵愛を失った後も、後宮に閉じ込められる事となった。


 トリーシャとて息子は可愛い。しかし、生まれて来なければとの思いが拭いきれず、乳母の手に預けると、できるだけ近くに寄らないようにしてきた。自分の心を守るために。


 権力など欲しくなかった。息子にも平穏な人生を送って欲しかった。

 だから、息子に会うと必ず、こう言った。

 あの兄上のようになりたくなければ、帝位に近づかずにいろ、と。私にはあなたを守ってやる術などないのだから、と。


 そして、トリーシャ自身も、自分より格上の人々との交流を、徐々に絶って行くことにした。

 おそらく、あの方の身に何かあったとしたら、その人達が関係しているに違いないのだから。




 そうして慎重に育てたはずだが、思うようにはいかなかった息子が、外出中に近衛を振り切って逃げたと聞いた時には、現在活発化を見せる権力争いの一端に触れてしまい、何かが起こったのかと覚悟を決めた。


 しかし、翌日の明け方に帰ってきた息子は、衣装が汚れ、疲れた様子をしていたが、それ以外に怪我をした様子などはなかった。

 第五皇子の住まう離宮に自ら赴いていたことは、近衛からの報告されていた。



 その第五皇子は、先日の帝国議会で、婚姻の承諾を得るという口実のもと議会へ出席し、内政派を支持して見せた。

 表舞台から姿を消していた、あの皇妃の息子だ。トリーシャの耳にも彼が軍人として手柄を立てているらしいという噂は入ってきていた。だが、知らない者、知らされていない者も多かった。


 帝位継承順位を落とされ、第五皇子となった彼が、その地位に相応しい行動を取り出したことにより、皇宮内が少し騒がしい。

 議会の均衡はかろうじて保たれているものの、これまで権力を掌握してきた領土拡大派の力は確実に弱まりを見せていた。


 すでに彼は周囲の大人の思惑に怯える無力な子どもではなく、自分で自分の勢力下にある者たちを守れるだけの軍事力を手に入れていたのだと、皆が知った。

 ある者は邪魔者と感じ、ある者はその清廉で思慮深い彼の姿に希望を見出していると聞く。



 なんでも息子は、夜会の前室で、その第五皇子の妃に失礼な態度をとっていたらしい。今回の離宮への訪問は、それを詫びにでも行ったのだろうと思った。


 衣装が汚れていた理由は、本人が誰にも言わなかったため、結局分からなかったけれども。



 そして、その翌日から始まったのが、この奇行だった。


 屋敷の庭園の中を倒れるまで走り回り、いつもの倍近い量の食事を摂るようになったと聞いた時には、耳を疑いまではしなかったものの、おかしな事をしているとは思った。


 もともと活発で突拍子をもない事を言い出す息子だから、じきに飽きるのだろうと放っておくことにした。

 夜の盛り場にお忍びで入り浸っていた時よりは、まだ安心できたからだ。



 しかし、それにしても、トリーシャが庭園の東屋でお茶を飲みながら読書をしていた時に、無理矢理付き合わせているらしい近衛と共に近くを走り抜けて行きながら「師匠」がどうのと言っていたのは、一体なんだったのだろうか。



 なんにせよ、現状、息子が他の勢力に近づくよりは、第五皇子との関係が良好になる方がよいと思うトリーシャだった。

 少なくとも、あの恐ろしい人たちから、距離をとることに繋がるから……。

 そして、あの人たちの敵意は第五皇子が引き受けてくださる。ご本人の意志とは関わりなく……。




 皇妃の日常は、相変わらず穏やかである。

 

 おかしな息子を除いては。



   

  おしまい。


お読みくださり、ありがとうございました!

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