第30話
至極当然といった様子で、わたくしをエヴェリーナの部屋に招き入れたマーユである。今更誰も突っ込まないが、それでも念のため部屋の主に声をかけてから、私は定位置に座った。
「フランカさんが留学してくるなんて、知らなかったわ。イェシカは?」
そして、口火を切ったのもマーユだった。
フランカのことを知っている様子に一瞬驚くが、
「そうだわ、あなたとエドヴァルドは、オーバネット・ミーアで、ヴィル伯父様に会っているのだものね。その時に、彼女とも?」
「そうよ。ちょうど、ラウハ侯爵令息と婚約したばかりだったみたいで、わたしたちも挨拶させてもらったわ。あれ以来だけど、大きくなったわね、妙に感動しちゃった」
微笑むマーユを、エヴェリーナもまた嬉しそうに見つめる。既にエヴェリーナには話してあるのか、マーユはこちらを見ながらまた、話し始めた。
「それで、彼女……放課後にね、エドヴァルド様に挨拶しに来てくれたのよ。ついでにわたしもお話させてもらって、ね、サロンに行ったのよ」
ね? と言って、ここで彼女はエヴェリーナを見る。なるほど、3人で行ったのね。
「ええ。とても礼儀正しくて、人懐っこい感じの方だったわね。ランネージス語も堪能だし……。それで、イェシカに、伝言を預かっているのよ」
あら、何かしら。予想がつかず、わたくしは首を傾げる。
「少し突然だけれど……あなたと話したいそうよ。できれば2人で、ですって」
「そう……」
反応に困った私は、短く返事することしかできなかった。
――――
翌々日の放課後、初めて自分の名前で予約したサロンで、フランカと落ち合った。
「初めまして。コールハース伯爵家のフランカ・ブラーウです。お会いできて嬉しいです」
「ご挨拶ありがとう……イェシカ・フォーゲルストレーム侯爵令嬢よ。こちらこそ、会えて光栄だわ」
改めて名乗ったフランカを、わたくしはじっと見つめた。
ぱっちりと大きな目も印象的だが、椿のような濃い色の髪に、つい視線が吸い寄せられる。
「可愛い髪型ね。とても似合っているわ」
「ありがとうございます」
思わず出た褒め言葉に、フランカはそつなく笑顔を返す。どうやら、豊かな赤髪はハーフツインに結って、それをシニヨンにしているようだ。
「あの、イェシカ先輩とお呼びしても?」
「構わないわ。わたくしは何と呼べばいいかしら?」
「どうぞ、フランカと」
にっこり笑う彼女の、その笑顔は自然なようで隙がない。口角が左右対称に上がっており、作りなれた表情という印象を受ける。なんとなく、初めて会った日のマーユを思い出した。
「ありがとう、フランカ。それで、ええと……ヴィル伯父様やエルチェメースお従兄様はお元気?」
「はい。出発の前夜にも、会いに来てくださって……イェシカ先輩にくれぐれもよろしく、と」
まだ会ったことのない伯父と従兄の顔を……思い浮かべたというよりは、家にあった肖像画を思い出しながら、私は頷いた。
「それと」
つやのある唇を小さく開いて、フランカは、微笑む。
「――国王陛下からも、是非、イェシカ先輩とクィンテンおじ様をお助けするように……と、託っております」
――――
動揺したのは、ほんの一瞬で済んだ。
それを見せていい相手かはわからない、とも思ったが、
「ごめんなさい、あまり実感がないものだから。少し待ってくださる?」
一瞬生まれた沈黙、それすらも場合と相手によっては命取りになるということは、重々承知している。ただ、この口ぶりからして、彼女は、王弟の息子の婚約者という段階を超えて、既にラウハ侯爵家――ひいてはテル=ホルスト家の身内として扱われている、ということが察された。
そうなると、どちらにせよ、わたくしがどうこうできる相手ではないわけだから……今は思考を整理したい。
……ほとんど形ばかりの侯爵であるお父様は、ご自分から働きかけるというよりは、伯父様方の側から接触してもらう形で、おふたりと連絡を続けていた。それは、今までも聞かされてきたことで、特段驚きもない。何より、お父様のこの計画こそ、起点に妙な齟齬こそありそうだとはいえ、伯父様方も了解し、協力しているものなのだから。
となると、わたくしは動揺する理由などない。フランカが計画を知っていることに驚いたのか、という推測も頭を過るが、それよりも……、
「……オーバネット・ミーアがこの問題に積極的に介入しようとしていると知って、驚かれましたか? もしかして、おじ様から、お聞きでなかったのですか?」
しまった、というような表情を浮かべたフランカの言葉で、違和感が氷解した。
「ええ、聞いていないわ。いえ、言われてみれば、何もおかしくはないのだけれど……でも、わたくしが聞いた限りでは、オーバネット・ミーアは、基本的に静観を続け、最後に――あの2人の結婚に際し、テル=ホルスト家による、義妹の身元保証が必要になったときに、それを行うと。それ以上でも以下でもないと、そう認識していたのだけれど」
「はい、その通りです。概ね、その認識で問題ないのですが」
明るい青の目をゆっくりと瞬かせ、彼女は言葉を探すように、無意識なのでしょう、僅かに指先を遊ばせる。
混乱を抑えるべく、私がカップを持ち上げ、お茶を飲み、そしてソーサーに戻す。それが済むころには、フランカはまた堂々たる居住まいに戻っていた。
「オーバネット・ミーアの立場としては、先の疫病の件。実際に医療者・金銭面での支援を、こちらの王家から頂いています。その恩義は忘れられるものではないということは、王国としての一致した見解で間違いありません。しかし、テル=ホルスト家としては、支援の見返りとしての婚約、それにまつわる一連の仕打ちに対し、はっきり申し上げれば、それもまた、不満が残っていると言うほかないのです。立場を軽んじられた、と」
……なるほどね、と、言葉が漏れる。
「わたくしの認識が甘かった、というほかなさそうね。お父様による、お母様のためのごく個人的な復讐を、伯父様方も黙認している――ということではなかったのね、そもそも。もちろん、最初はそうだったかもしれないけれど……今や、主目的は、オーバネット・ミーアが、リドマン家に対し、決定的な恩を売る、そして、面子を回復することなのね」
私の言葉に対し、フランカは静かに頷いた。そして、その表情は朗らかなものに変わる。
「ただの留学生として入学した以上、表立ってイェシカ先輩のお手伝いをするわけにはいかないんですが……妹さんとは仲良くさせていただくつもりです。きっと、彼女、恋愛相談をする相手が必要だと思うので。こう見えても、エルチェメース様との仲は良好なんですよ」
彼女はくすくすと笑い、カップを口元に運んだ。
「それと、私……興味があるんです。先輩のお母様と、この国の王妃殿下の間に、何があったのか。それが、どうやって決着するのか」
40話から後編に入る予定ですので、これからも是非、イェシカの物語をお楽しみいただければと存じます。




