第29話
そして、ついにその日がやってきた。
3度目の桜の時期に、わたくしの心は弾む。
制服に着替え、いつも髪に飾っていたリボンを手に取って、
「……やめましょうか」
そう独り言ち、それでも置いていくのは忍びなくて、上着の胸ポケットに入れた。
髪を整えて廊下に出ると、凛としたエヴェリーナに、眠そうな顔のマーユが立っている。
「おはよう。いよいよね、イェシカ」
「ええ。……あっという間だったわ」
マーユの灰色の目と、エヴェリーナの藤色の目と、それぞれ視線を合わせながら、笑う。
「ここからが正念場です。わたくしたちも、表立っては難しいけれど、精一杯お手伝いするわ」
やわらかなエヴェリーナの声には、強い意志と、気遣いが。
そして、マーユの可憐な声は、自信と、優しさが満ち溢れている。
「その通りよ。あの人に、目にもの見せてやろうじゃないの。いい? 忘れないで。わたしたちは、あなたの味方だから。――イェシカの髪に、リボンがついていなくともね」
――――
入学式では、在校生は先にホールに入場し、新入生を待つ。
司会の先生による注意事項を聞き流しながら、気づけばぎゅっと手を握っていた。
「新入生、入場」
その宣言と同時に、前方の扉が開き、在校生と教職員が拍手で迎える。緊張の面持ちで入ってくる新入生の、A組、B組、……C組の生徒の中に、眩しい金髪の少女がいた。しばらく見ないうちに、幾分か背が伸びただろうか。彼女は、在校生がいるこちらに目を向けることはなく、ただ大人しく、着席した。
入場が終わり、赤くなった手のひらをさすっていると、今度は新入生の呼名に移る。2年前は、わたくしの家名を聞いた生徒たちの間でざわめきが起きたが、さて、今年は……と思っていると、壇上に教員と、1人の女子生徒が現れた。
「呼名を行う前に、留学生の紹介を行います。1年C組に編入する、フランカ・ブラーウさんです」
教員による紹介に、生徒たちはつい「え?」などと声を上げる。私も思わず、目をしばたたかせてしまう。
しかし、中央に進み出た赤髪の令嬢は、生徒たちの戸惑いをまるきり無視して、美しい礼をとる。
「オーバネット・ミーアより参りました、フランカ・ブラーウです。どうぞよろしくお願いいたします」
しかも、惚れ惚れするほど流暢な、ランネージス語の挨拶だ。もう一度頭を下げた彼女が顔を上げたとき、その青い目が、こちらに向けられた気がした。
ただ、それを頭の中で認識した時には、フランカは既に壇上から去っていた。もちろん、私の困惑など、誰も気づかず、A組から順に呼名が始まる。
やがて、
「ビルギッタ・フォーゲルストレーム」
「はい」
読み上げられた名前に、想像したほどのどよめきは起こらなかった。昨年の冬以降の、お父様による根回しが奏功したのだろう。彼女の14歳の誕生日パーティーに始まり、新年の夜会や、他家の茶会など、それまではお父様の「おまけ」としてついて行っていた種々の社交に、彼女はひとりの令嬢として出席するようになっていた。
――――
新入生の退場を見送り、在校生も教室へ戻る。
教室棟とホールを繋ぐ廊下に出ると、エリン、そしてシェスティンが近づいてきた。
「いましたね、あの子」
「顔はよく見えませんでしたけど」
名前は誰も出さないが、ビルギッタのことなのは分かった。
「綺麗な子よ。わたくしとは似ていないけれど……あの子は母親似ね」
母親似という言葉に不穏なものを感じ取ったのか、2人はしばし沈黙した。マーユ派の令嬢全員に話しているわけではないのだが、エリンとシェスティンには、大まかなことはすべて伝えてある。
「……それにしても、転入生って、びっくりでしたねえ」
そのまま数歩歩いてから、話題を急転換したのは、エリンだった。しかし、私もそれは気になっていたので、特に突っ込まない。小声でシェスティンが、「ばればれですけどね」と言ったような気がするが、ええ、気のせいだろう。
「そうね。しかも、オーバネット・ミーアからだなんて」
「イェシカ様のお父様の、いわば故郷ですよね。お知り合いだったりは?」
シェスティンの言葉に、わたくしは、少しだけ答えに悩んだ。フランカと会ったことは、もちろんない。血縁関係があるかと言われても、そうでもないし。しかし、わたくしは彼女の名前を知っていたし、もっと言えば、彼女がこちらを見たような気がするのも、心当たりがあってのことだった。
「彼女――フランカ・ブラーウ伯爵令嬢は、わたくしの従兄である、エルチェメース・デ=メイの婚約者よ。何度か話したことがある、ヴィル伯父様のところの、ね」
――――
この日は結局、昼食とおやつ、そして夕食まで2人と一緒に食べた。校内の各所には、明らかに新入生だとわかる不慣れな様子の生徒たちもちらほらと見える。それを微笑ましい気持ちで見守りつつ、
「じゃあ、また明日!」
「ええ。おやすみなさい」
寮の2階で、彼女たちと別れた。私は周囲を見回してから、自分の部屋へと急ぐ。
ずっと3人だけだったこの区画にも、今年からはビルギッタ、そしてまた別の侯爵令嬢が1人加わった。ただ、学園側も、基本的には学年ごとに部屋をまとめて配置するようにしているそうで、3年生であるわたくしたちの部屋と、新入り2人の部屋は、区画の端同士に置かれていた。……とはいえ、念には念を入れて、ね。
「お帰りなさい。着替えたら、こっちへいらっしゃいね」
扉に鍵を挿したところで、物音に気付いたのか、隣の部屋からマーユが顔を覗かせた。
「ええ、すぐに行くわ」
入学してから2年間、ほぼ毎晩誰かしらの部屋で集まっているのだから、改めて考えてみると、我ながら……こう……こそばゆいものね。




